第8話

小島さんはいつでも構わないと言ってくれたが自分のほうで生憎の試験が入っており会えるのは三日後となった。

今日は試験が四コマもあり草臥れて図書館で休憩することにする。

学内の図書館は試験前は混雑することが多いが試験期間となるとなぜか利用者はあまり見られない。


図書館の個人用デスクの備え付けのパソコンの前に座りイヤホンを差し込みYouTubeを開く。推奨された行為ではないが禁止はされていない。

瀬川のチャンネルを検索して動画を再生順でソートする。

昔YouTubeを見たときは評価が可視化されていたが今は高評価しか見れなくなっている。


再生数は雑学的な内容よりは昨今の事件、炎上、国際問題など比較的身近で万人受けするものが集中的に高い。

しかし自分の知りたいことはわかりそうになかった。

瀬川が取り扱った内容を再度検索してみると当然のように多くの動画がヒットする。その中には瀬川よりも再生数を稼いでいる者もいる。

そもそもこれではなんて調べようがなかった。


明日で試験は最後の上、消化試合で少々余裕があるので広い構内を散歩する。

構内には自然が多く散歩には適しているが時期によっては虫が多いという弊害もある。7月ともなると蜂も出てきて年間数人は刺されているようだ。

建物に巣ができたぶんには学校も対処の仕様があるが構内の雑木林にあるぶんにはどうしようもないのだろう。

校舎と校舎に挟まれるように中庭に存在する大きな池に沿ってぐるっと歩いていると食堂前の大広間に出てくる。

この時間まで行ってる試験は少なく比例するように大広間にいる生徒も少ない。


大広間に着くと数人のグループに一人の女性が何かを訪ねている。いくつかのグループに声をかけているが芳しい返答は得られていないようだ。

ポロシャツに短いスカート、女性のゴルフプレイヤーの格好をしている。

服装は依然と異なるために思い出すのに時間がかかったが瀬川のマンションですれ違った女性に似ている。


女性は話しかけるグループをほぼ失い、立ち止まったまま怒ったような困り顔で周囲を見ている。

どうやらグループだけで一人でいる人間には声をかけていないようだ。

カバンに入れていたラバーストラップを手に、意を決して女性に話しかける。

「こんにちは、もしかして瀬川の知り合いですか?」

女性は急なことにビクッと体を震わせ警戒を露わにしたが、瀬川の名前を聞いて会話をする姿勢は作ってくれた。

「もしかして数日前に瀬川のマンションに来てました? その日僕も瀬川に会いに行ったんですけど」

「会えたんですか? 彼は今どこにいるんですか?」

女性が食い気味に聞いてくる。


姫子葵ひめこあおいと言います。瀬川君とはその、恋人です」

「それでマンションに来てたんですか? 探しに?」

大広間に面する食堂に腰を落ち着かせ彼女の話を聞く。

「22日に『大学を辞めた』と連絡は来てたんですが仕事もの都合もありマンションに行けたのは24日でした。これはちょうどあなたと同じですね?」

普段なら十分食堂には学生がたむろしている時間だが今日はカウンターも閉まっており、学生も自分たち以外にはほとんどいない。


「姫子さんってここの学生ですか?」

瀬川とはどう出会ったのか、なんとなく直接的に聞きにくかったので迂遠な質問をした。

「いいえ、違います」

「じゃあ他の大学ですか?」

「高卒です」

明らかに語気が強い。もしかしてコンプレックスなのかもしれない。「ここも別に大した大学じゃないですよ」や「働いてるならそっちのほうが立派」などのフォローは意味がないとわかっている。

「失礼しました、もう一つ失礼なこと聞きますと瀬川とはどこ出会ったんですか?」

もうどこに地雷が潜んでいるかわからない。諦めてまっすぐ進むことにした。


姫子さんは答えたくないのか窓の外へ目線を逸らしてしまった。

よくよく考えてみると俺も彼女の質問にはほとんど返していない、これ以上一方的に質問するのは少し気が引ける。城島さん相手ならきっとこんな気遣いしないだろう、結局恥ずかしいことに女性に弱いのだ。

会話にも詰まり、相手がよそ見していることをしっかり確認してから彼女を観察する。

身長も手足も顔もとにかく小柄で幼く見える。ツートンカラーに染めてる髪を度外視すれば中学生でも通りそうなほどだ。


じっくりと観察しているといつの間にか姫子さんはこちらを見ていた。

「瀬川と最後に会ったのはいつですか? 僕は8日です、会話したのはその一週間前ですけど」

「マズイ」と思いとっさに質問が出てしまったが悪くない質問だと思った。

「ちょっと待ってね」

姫子さんは少し悩んだ後スマホを取り出し何かを確認した。


「会ったのは2日ですね。それ以降も会う約束はしてたんですけど……」

「もう連絡も取れないんですか?」

「……」

取れていればわざわざ聞き込みなんて真似するわけないか。

「俺あんまり瀬川の友人って詳しくなんだけど姫子さんは誰か共通の知人っているの?」

「……」

どうやら情報交換するにはあまりにも不適切な二人が会話してるようだ。


「あの、そういえばあの猿のラバーストラップって何ですか?」

ついに会話に困って関係のない話題を振る。

「これ彼から貰ったんです。なんだっけかな、どこだかのお土産」

カバンから取り出した猿を弄りながら見せてくれた。改めて見ると間抜けな顔した猿だ。

「彼これのこと『悩まザル』って言ってましたよ」

今日初めて姫子さんが笑っているのを見た。今までつんとした顔しか見てなかったので少しドキッとしてしまったが瀬川の彼女だということを思い出して、冷静を取り戻そうとする。

「三猿の亜種ってことですかね?」

姫子さんはキョトンとした顔をしている。

「見ざる言わざる聞かざるって知りません?」

「ああ、それで彼これのこと『悩まザル』って名付けたのかな」


「トラ君とは兄が所属する事務所のコンパで初めて会いました」

「お兄さんの?」

「DESIって聞いたことありませんか?」

「いえ、勉強不足なもんで」

「知らなくても別に不思議ってことはないけど、今時の大学生にしては珍しいかもね。デジタルエンターテイメントスタジオ、YouTuber版のタレント事務所よ」

Iに言及はなかったがたぶんINCだろう。耳で聞くとピンとこなかったが文字で見るとどこかで見たような企業名だ。


「そこでタレントさんとマネージャーや社員なんかが親睦会の形でコンパを年二回程度で開いているの。そこで関係者として無理やり参加してトラ君と会ったのが初めて」

姫子さんは再び窓の外に視線を移した。しかし先ほどのような拒否的な態度ではない。

「本当はね、もっと有名な人と知り合いになろうとしたの。それこどあなたでも知ってるようなYouTuberと。でもそういう人たちってビックリするくらい用心深いの。私の兄もそこそこの地位の人なんだけど世間話以上のことは決してしようとしなかった。『やっぱりこんなもんかな、帰ろうかな』って思ったときに声をかけてくれたのがトラ君。あれはたぶん下心とかじゃなくて一人でいた私に同情してくれたんだと思う」

「お兄さん? そのお兄さんから瀬川のこと何か聞いてないんですか?」

出会いのことを聞いたのは自分だが今回の件とは思ったより関係なさそうだった。

「知ってるとは思う。でも教えてくれないの」

大きくため息を一つ付くと姫子さんは椅子から立ち上がる。

「ストラップはありがとう、連絡先これ。渡すけど彼のこと以外では送ってこないでね」

そういうと足早に食堂から出て行った。

瀬川も少し変わった趣味だな。


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