『黒龍の墓場』攻防戦 グリナスタ前編

 



 グリナスタはスウェイと共に第五生態研究所へ入社時、社員の強化研修として一年間特殊工作部隊へと出向していたことがある。


 特殊工作部隊は研究所室長とは異なるメアのもう一つの顔、特殊部隊指南補佐として席を置いている場所だ。

 俗に暗部とも言う。


 勿論、普通ならあり得ない出向先であり、機密の多い特殊工作部への立ち入りは王国の上層部ですらも出入りが厳しく制限されている。

 しかし第五生態研究所からの研修は簡単に許可が降りた。それだけ暗部に対するメアの影響力は大きかったと言えた。


 とは言え流石に新人全員と言うわけにもいかず、特殊工作部隊への研修はメアの側近として育成を受けるグリナスタとスウェイのみとなり、一般の新人職員は普通に他の研究所などが研修先として充てがわれた。


 グリナスタはその特殊工作部の中でも緻密な工作活動に適さない人格、能力を持った連中を集めた”ハグレ部隊”への配属となる。


 ハグレ部隊。そんな連中が何故王国暗部にいるのかと言えば、単に戦闘能力の高さ故だろう。

 王国にとって彼らは使い勝手の良い捨て駒程度の存在だ。

 内紛の鎮圧や他国への派手なテロ活動、時には自国内でテロを行い、世論へ対して国防力増強への理解を求める道具として使う。

 それがハグレ部隊の存在意義であった。

 ハグレ部隊工作員の多くは元犯罪者や借金が返せない者、浮浪者、孤児等、皆曰く付きの者ばかりだ。


 そのハグレ部隊工作員の一人、べザルの元でグリナスタは研修期間の一年を過ごした。





「あの頃のぉグリちゃんはぁよぉ~もっとこうぉ目がぁ死んでてぇ、でも何もぉ怖くないってぇ誰でも殺せそうなぁ顔でぇ、ツンツンしてたってぇのに~なぁ?それなのにぃずいぶんとぉまるぅ~くなっちまってぇ…俺ぁ寂しぃぜぇグリちゃ~ん」

 べザルはそう言いながらかつての弟子に大斧の連撃を放つ。


 刃筋は鋭く、周囲の木を容易く斬り倒しながらグリナスタへと突っ込んでくるべザル。


 グリナスタは現在大斧への対抗手段が無い、跳び避け、時には背を向け全速力で逃走し、その猛攻を凌いだ。


「流石に…べザルさん相手に…、丸腰は…きつい…ですね」


 息を切らせながらも草木をかき分け、何とか距離を取り、身を隠す。

 しかし…


「ひひひっ、そぉーりゃっ」


 べザルの斬撃が全てを薙ぎ倒しあっさり見つかってしまった。


「ぬっぅぅ…」


 グリナスタは切り倒された樹木や転がっている大きい石をその筋力に任せ、敵へと投げつける。が、べザルにとっては些細な抵抗にしかならない。

 たったの一振りで切り裂かれ、弾き飛ばされ、砕かれる。


 べザルは細身だ、にも関わらず振り回す大斧は旋風を巻き起こさんばかりに力強い。

 一体どこにあの大斧を振れる力があるのか?


 グリナスタは過去の朧気な記憶を辿る。




「━━━━これぇあ~俺のユニィクスキルってぇやつさぁ。神様がぁくれたぁ恩恵なんだぁとよぉ~」

「…」

「誰でもひとつは持ってるぅって話しぃだぜぇ?グリちゃんにもきっとぉあるはずさぁ~」


 過去のべザルの言葉が深い記憶の底から呼び起こされる。



 神より与えられし先天的な個人の特殊能力、『ユニークスキル』

 べザルに与えられていたその力は━━━

 それはあらゆる物も捻り潰す『超怪力』のユニークスキルだった。


 ………。


 ━━━刃が胴体をかすめる。

「ぐっ!」

 腹部を斬られ血が流れた。

 深くはない、まだ動ける。


 しかし相手は重量武器を手にしながらもそれを感じさせない勢いで追撃してくる怪物だ。


「早く、はやく何か対抗できる武器を見つけなければ…」

 焦りつつも、必死で考えながら逃げるグリナスタ、背後では森が次々に切り開かれ正に道が出来つつあった。



 当時はあまり物事に興味がなかった。

 自分を無にするためだけに生き、復讐の機会が訪れるその日が周囲を見ようともしなかった。


 あの日から言われるがまま動き、与えられるがまま受け取ってきた。


 暗部やべザルに対しても同じだ。

 グリナスタは自分の事をべザルへ話したことは一度もない。ただ毎日淡々と訓練を受け、命令を待ち、備え、言われれば誰かを殺す。それだけを繰返し過ごした。


 それでもべザルはいつも親身になって話しかけてくれた。訓練もグリナスタの気が済むまで付き合ってくれた。武器の扱いも、壊れない程度に人をいたぶる方法も、心の殺し方も沢山教えてくれた。

 彼は狂っているように見えて、実は根の部分は優しい男なのだろう。いつの間にかそう思うようになり、気がつけば真剣に彼の話を聞くようになっていた。


 べザルには最後まで何も言わなかったが、グリナスタにとって彼は師匠と呼んで差し支えない存在だった。


 だが、彼から教えられたことで、唯一何の為にもならなかったことがある。


 それは”人殺しの楽しみ方”だった。


 大量殺人を犯し暗部へ流れ着いたべザル。

 彼はいつも楽しそうに人殺しの素晴らしさをグリナスタへと教えてきた。

 特に身内や知り合いを殺す感覚は形容しがたい快感が味わえるのだと饒舌に語った。


 グリナスタには理解できない。できる筈もない。


 愛する者を殺した。

 家族を壊した。

 その罪があればこそ。

 それが故に━━━


 自分とスウェイをいつか必ず、確実に殺す。



 その罪を快楽で塗りつぶすなど、到底受け入れる訳などない。




「グリちゃーん。俺にぃ、俺にぃお前を殺させてくれよぉ~」

 斬撃がグリナスタの背中を裂く、吹き飛び岩壁へと叩きつけられた。

 深い傷だ。どうやらここまでのようだと悟る。


「だいじょーぶだってぇ~ちゃーんと苦しんで殺してぇやるからぁよぉ」

 べザルは垂れる涎を手で拭いながら一歩一歩ゆっくりと近寄ってくる。


 かつて師匠として心の内で慕っていた相手が、いま己の快楽のためだけに自分を殺そうとしてきている。


「……哀れな人だ」


 再開してグリナスタはべザルの事を初めて師匠と呼んだ。

 きっとあの二人に当てられてしまったのかもしれない。かつて教えを乞うた相手へ、愚かしくも儚い夢を見たのかもしれない。

 自分に夢を見る事などもう二度と許されないのに…。



 心は救われただろう、しかし犯した罪は消せない。

 心に矛盾があることぐらい自分でも理解している。


 でもこんな自分に生きて欲しいと言ってくれたのだ。こんな死んで当然な自分に。



 だから…



「ゴホッ、ならば、こそ…ここで死んでも…悔い無し…ですね……主」


 たったの二日間だけの主。

 しかもろくに会話なども無かったし、過去のことで因縁を付けられボコボコに殴られた。

 その前は自分がボコボコにしていたのだから、その可笑しな廻り合わせに笑えてくる。

 グリナスタは息も絶え絶えになりながらほくそ笑む。


 そして唱えた。



「ユニークスキル『魂の変革ソウル・リモールディング』」




 キューロに心を無理矢理救われた後にグリナスタに発現したこのユニークスキルは、使えば自身の存在が消えると直感でわかった。

 そして別の何かに変わってしまうこともわかっていた。


 キューロへはさっき拠点で感謝と謝罪は済ませた。光の神に仕えることは出来なくなるが、彼は元々その気もないようだ。

 …ならばよし。

 もう彼へ対して忘れ物はないだろう。


 後は…

「アトラ嬢…」

 初めて感じた想いだけが、グリナスタの心に未だに燻る。


 可憐で凛々しく、そして気高い彼女の姿は、一目見ただけでグリナスタの人生観を大きく揺らし、これまで”無”に徹してきたグリナスタの空っぽな心を、一瞬にして埋めてしまった。

 キューロに心を救われた直後だったことも、一つの要因だったかもしれない。


 過去に無かった彩りをグリナスタの心へと与え、人を愛する素晴らしさを思い出させてくれた。


「貴女にも感謝を…」

 最後にアトラを想い…そうポツリと呟いた。



 グリナスタの周囲を黒い靄が渦巻き覆う。


 異変に気付きべザルはその歩みを止め一歩後ずさった。


「はぁっあ~なんだぁこりゃぁ~?闇魔法かぁ~?」


 突然の出来事に一瞬困惑するべザル。しかし今更だろう。

 深傷を追わせた、ここからの起死回生は無い筈だ。そんなことより早く教え子の臓腑が見たかった。


「グリちゃーん往生際がぁわりぃ~ぜぇ~!?」


 今までよりも更に力を込め、大きく振りかぶりながらべザルは跳ぶ。

 その『超怪力』を全て乗せ、振り下ろした。



 ドガガガガガガガガーーーッ!!!



 べザルの大斧は黒い靄に包まれたグリナスタごと大地を割り、後方の岩壁までもを叩き割る。


 黒い靄は一瞬にして掻き消え、代わりに周囲には土埃が舞った。


「おっとぉ、やっちぃまったぜぇ…これじゃぁどんなぁ顔してしんだぁのかわっかんねぇなぁ…」

 失敗失敗とポリポリと頭を掻くべザル。


 叩き下ろした大斧を持ち上げようとした。

 が、

「な、なんだあぁ~?動かねぇ」


 大斧がピクリとも動かない。


「それはそうでしょう。私が掴んでいるのですから」

「!?」

 それは予想外の声だった。諭すように優しく、嗜めるようにハキハキとした女の声。


 べザルは斧を手放し、後方へ大きく飛び退いた。

 やがて土埃が晴れ、その姿が現れる。


 そこに居たのはぐちゃぐちゃになったグリナスタ、ではなく。亜麻色の髪をした褐色肌の女性が大斧を片手で支え、微笑みながら立っていた。




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