永遠の保障
森本 晃次
第1話 打率
この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
棚橋彩香という女性がいる。年齢は三十歳を少し超えたくらい、彼氏はおらず、会社では事務の仕事をしていて、そろそろお局様と言われる年齢になっていた。
今までに彼氏がずっといなかったわけではない。ただ、どちらかというと理想が高い方で、
――そのうちにいい男が現れる――
と、思っていた。
だが、実際にそんなことはなく、気が付けば三十歳を超えていた。これと言った趣味があるわけでもなく、毎日を漠然と過ごしていた二十代だった。
彩香はある程度自分に自信があった。そのうちにいい男が現れると思っていたのもその思いがあるからで、まったく根拠のない思いではなかった。
ただ、彩香は自分に自信を持ってはいたが、自信が持てる部分を自分が好きだというわけでもなかった。実際に自慢をするわけではないが、自慢してもいいと思える部分は漠然とだが分かっているつもりだった。きっと分かっているつもりになっているのが漠然としてでしかないことに自分としては不満なのだろう。
彩香は、子供の頃から自分に自信のある部分は、口にしなければ気が済まないタイプで、そのせいで、結構まわりに嫌われてしまっていたりした。その自覚があるからなのか、自分に自信を持てる部分を見つけても、必ずしも自分が好きになれる部分ではないと思い込むようになっていた。
それが自分の中での矛盾を作り出していることに彩香は気付いていなかった。矛盾がストレスになり、たまに人との関わりの中でジレンマになっていることがある。そんな時、自分が孤独であることに気付き、人恋しく感じていることが矛盾だと思っていた。
孤独であれば人恋しくなるのは当たり前のことなのに、その当たり前のことが彩香には矛盾だったのだ。
だから、孤独になると、人恋しいという思いを必死に打ち消そうとする。
――私は人恋しくなんかないんだ。一人で十分なんだ――
と感じていた。
一人で十分だと思うことは、すなわち自分が孤独であるということを否定することになる。そもそも孤独になった理由が分かっているわけではないので、孤独を否定することは不可能なことではないのだ。
そうなると、孤独で人恋しいという気持ちは、
――気のせいなのかも知れない――
と思えてくる。
孤独と人恋しさをどちらも否定すると、自分が感じるストレスもその発生理由がないことになる。そう思うと、それまで悩んでいたと思っていることがウソのように晴れ晴れとした気分になれるのだ。
たぶん、それを他の人は、
――開き直り――
というのだろう。
彩香には、開き直りという発想がその頃にはなかった。だから、何かに悩むと、その悩みの原因を考え、その原因を否定することで、悩みを解消できると単純に考えていた。その思いがあることで、実際に思春期に起こった種々の悩みも、そうやって解決してきたつもりになっている。それを彩香は、
――これは私だけのことではなく、他の人も同じようにして解決してきたことなんだわ――
と思っていた。
だが、彩香のような性格の人は稀であり、他の人から見れば、
「何て羨ましい性格なんだろう」
と思うことだろう。
しかし、実際には彩香の性格は特殊なので、他の人には分からない世界だった。彩香自身が悩んだことで他の人に相談したことはなかったので、まわりの人も彩香自身も、彩香が何に悩んでいるのか、そして彩香がどんな考えの持ち主なのか、分かっていなかったに違いない。
彩香が自分の性格をある程度は理解していたと思われるが、肝心なところは勘違いしていた。皆が自分と同じような考えを持っているということ自体が大きな間違いであったし、開き直りという意味自体、分かっていなかった。
高校生になった頃に、開き直りという性格があるということを初めて知ったが、それがまさか自分のそれまでに培ってきた性格であるとは、その時は微塵にも感じていなかったのだ。
その頃、彩香のことを好きになった男の子がいた。彩香は最初、そんな自分を好きになる男の子がいるなどと思ったことはなかったのだ。
彩香も思春期の他の女の子同様、彼氏がほしいという思いは普通に抱いていた。しかし、自分を男の子が好きになってくれるかどうかということは別だという理屈は分かっていたつもりだった。だから、自分を好きになってくれる男の子が現れるという思いは幻想であり、幻想を抱くことが思春期の自分の性格の中で好きな部分だった。
――恋する乙女――
これは、本当は好きになった男の子がいて、その男の子に恋する女の子のことを言っているのだろうが、彩香には違って聞こえていた。
――男の子を好きになる自分を客観的に見て、可愛いと思うこと――
と感じていた。
これも実は間違いではない。恋に憧れるというのも思春期にはありがちのことで、別に悪いことでもないのだ。
つまり、好きな男の子が特定されることは二の次のことで、相手が誰であるかということよりも、男性を好きになっている自分を見るのが好きなのだ。
だから幻想であり、客観的に見つめる自分は、その横顔がイメージされてしまう。
彩香がクラスの男の子を気にし始めたのは、高校生になってからだった。思春期としては晩生な方だろう。子供の頃の成長は男の子よりも女の子の方が早いもので、高校生になって初めて男子を意識したというのは、いささか遅すぎると言っても過言ではないに違いない。
その頃の彩香は、勉強をしていても結構上の空の時期があった。何を考えているというわけではないのに、たまにボーっとしてしまっていて、
「彩香。どうしたの?」
と、急に友達から声を掛けられて、
「えっ、何が?」
と、我に返ってビックリしている自分がそこにいたことに初めて気付かされることがあった。
「またボーっとしてたわよ。誰か好きな人のことでも考えていたの?」
と聞かれて、
「そんなんじゃないわ」
と、いささか不機嫌に答えた。
不機嫌になったのは、ズバリ指摘されたからではなく、まったく逆だったからだ。
――どうして、そんな風にしか思えないの?
という思いが、若干の苛立ちになっているからだった。
そんな彩香の思いを他の友達が分かるはずもなかった。
「あの子、ちょっと変わってるわね」
とまわりの友達は口々にそう言っていたが、知らぬは本人ばかりなりであった。
ただ、そんな彩香の性格も、まわりからは、
「あの子は、天然なのよ」
と言われていたことで、別に嫌われるということはなかった。
むしろ、仲間内では重宝されていた。
「天然ちゃんが一人いると、引き立て役にはちょうどいいのよ」
という意味での重宝だった。
本当なら不名誉なことなのだろうが、彩香にはそんなまわりの考えが分かっていなかったので、別にそれでよかった。ただ、まわりから何かを期待されているという思いがあるだけで、まわりから見ると彼女のような「お花畑的発想」は、ありがたい以外の何物でもなかったのだ。
「さすが天然ちゃん。でも、本当にあの子、何も分かっていないのかしらね」
と話す女の子に、他の女の子は、
「分かってなんかいないわよ。もし分かっていれば、友達付き合いなんかできるはずないもの」
と言った。
しかし、それは彼女たちの間だけの限られた発想でしかなかった。彩香の発想は彼女たちの限られた発想を飛び越えていたのだ。途中から自分の置かれている立場に気付き始めた彩香だったが、そんなことを相手に悟らせることがないほど、彩香は天然な性格だったのだ。
彩香の天然なところは、まわりに対してだけだった。
彩香は実際には現実的な性格で、天然に見えるのは、彼女の考え方が一周回って元の場所に戻ってくることでまわりに見えない部分があることで、ちょっとした矛盾が生まれても、それを天然だとして片づけられてしまうように見せているからだった。
見せていると言っても、彩香が意識していることではない。彩香の、
――持って生まれた性格の一つ――
なのだろう。
彩香が現実的な性格だと自分で意識するようになったのは、気が付けばいつも何かを考えているということに気付いてからだった。
考えている時間は、その時々でさまざまだった。十五分くらいのこともあれば、一時間以上物思いにふけっていることがある。ただ、実際に考えていた時間を感じている自分には、そのすべてがあっという間だったという感覚しかなかった。
まるで夢のような時間が通り過ぎていた。何を考えていたのか覚えている時の方が稀であり、そのほとんどは、我に返った瞬間に忘れてしまっている。
――それこそ夢と同じではないか――
と感じていた。
眠っている時に見る夢を覚えていることはほとんどない。覚えている夢があるとすれば、それは怖い夢を見た時だけだった。夢というのは、元来目が覚めるにしたがって忘れていくものだと思っているが、怖い夢に限っては、印象が深すぎて、そのまま覚えていることが多い。
――見ていたい夢は、ちょうどいいところで目が覚めてしまうのに――
という思いを抱いていた。
考えてみれば、これもおかしな話である。目が覚めるにしたがって夢を忘れてしまうにも関わらず、ちょうどいいところで目が覚めたという意識を持っているということは、夢がどこで切れたのかということを理解していることになる。
――本当に覚えていないのかしら?
と感じるのも無理もないことで、夢に対しての考え方を改めなければならないのではないかと思ったりもしていた。
それを矛盾と考えるのは飛躍しすぎなのかも知れないが、その頃から考え方の矛盾というものを意識し始めたのも事実だったように感じた。
彩香はその頃から、確率という考え方に造詣を深めていることに気が付いた。
いつも何かを考えていることで、忘れてしまっていることが多いのだが、そんな中でも覚えているのは、
――何か確率について考えていたんじゃないかしら?
という感覚があったことだった。
確率というと、数字で割り切ることのできるものだと思うが、発想の中の確率というのはそこまで具体的なものではない。何か比較対象があって、その比較において、どちらが可能性が高いかという発想から始まり、その可能性がそのまま確率に結びついていることに気が付いた。
ここまではすぐに感じたことのように書いたが、実際にはそうでもなかった。比較対象の可能性をそのまま確率いう発想に結びつけるのは、かなりの無理があったに違いないと思っている。
――そういえば、数学の授業で確率の勉強があった――
と、考え事をしている時に感じたような気がした。
数学の授業で習う確率は、実際には好きではなかった。難しい公式に当て嵌めてみたり、決まった法則の中で解き明かすという数学本来の考え方に、うんざりしたものもあったからだ。
彩香は数学は嫌いだった。
小学生の頃の算数は好きだったのに、中学に入って数学になると、急に嫌いになった。その理由は自分で分かっているつもりだ。
――算数は、答えを導くのに、そのプロセスにおいて、どんな解き方であっても、そこに矛盾や間違いがなければ正解なのだ。でも、数学になると、決まった公式があって、暗記した公式に当て嵌めることで解かなければ正解にはならない――
それが数学を嫌いになった理由だった。
要するに、
――算数には自由な発想が許されるが、数学には自由な発想が許されない――
ということだったのだ。
ただ、今から思えば、同じ数学でも好きなものもあった。それが因数分解だったり、三角関数だった。
「どうして好きなの?」
と聞かれると返答に困るが、まさに感性だった。
それが、彩香が天然だと言われるゆえんの一つだったのかも知れない。
学問としてではなく、確率を考えるような機会は、日常生活の中にも結構あった。いつも何かを考えている時の中でも、確率について考えていることが多かったのは間違いないだろう。
しかし、具体的には覚えていないのが悲しいことであり、逆にどうして覚えていないのかということが漠然とであるが分かるようになってきたのも皮肉なことだった。
――覚えていないのは、単純に忘れてしまいたいと思っているからなんじゃないのだろうか?
実に単純な考えである。
だが、単純な発想ほど意外と思いつかないものである。人間には思い込みがあり、思い込みというのは時と場合によってはなければいけないものでもある。
「思い込みが激しいと、ロクなことがないわよ」
と友達に言われたことがあったが、
「思い込みだって、時として必要なんじゃないかって思うのよ。思い込みがなくなると、自分に対しての自信がなくなってしまうような気がするからなんだけどね」
というと、
「思い込みがなくなったくらいで自分に自信がなくなってしまうのなら、最初から自分に自信なんてなかったのと同じだということなの?」
と聞かれて、
「そうとも言えるかも知れないわ。確かに思い込みが激しいと、自己中心的になってしまって、他の人と協調できないんじゃないかしら?」
「でも、自分の意思を捨ててまで、人と協調しなければいけないのかしら?」
「私はそうじゃないかって思うの。人の言うことも一理あるわけだから、思い込みに走りすぎると危険なんじゃないかしら?」
そんな会話をしていて、彩香は知らず知らずのうちに確率について考えている自分がいることに気が付いた。
――確かに他の人の多数意見がその場では強いかも知れない。まわりの人の意見が多数に寄ってくるのは当たり前のことで、一人でも相手の意見に賛同すれば、人数以上にその人の意見が強くなってくる。これは確率を超えた考えなのかも知れないわ――
と思っていた。
「そうね。確かに多数意見というのは、絶対的な力を持っているのかも知れないわね」
と彩香がいうと、
「その通りよ。でもね、その多数意見であっても、それはあなたの意見に対して、あなたの意見に賛同か、それとも反対かという意見でしかないのよ」
「どういうことなの?」
「あなたの意見が一つ話題に乗ったとするわね。でも、他の人はあなたの意見に対して反対だと言ったとして、だったら、自分の意見をその時にハッキリというかどうかというのが大切な問題になるのよ」
「ええ」
彼女が何を言いたいのか、すぐには分からず、少し曖昧な返事をしたが、彼女にそのあいまいさが伝わったであろうか?
「中心はあなたの意見。そのまわりに何人いたかということなんだけど、たとえば五人いたとしましょうか。問題はあなたの意見なんだから、問題になっているあなたの意見というのは五分の一に相当するのよね。もちろん、他の四人が皆あなたの意見に反対だったとすればね」
「ええ、そういうことになるわね」
「でも、他の人が皆同じ意見を持っているとは限らない。ただあなたと反対の意見だと言ったとしても、四人が同じであれば、二十対八十で、あなたの意見は思い込みにしかならないのよね。だけど、他の人は全員違う考えだったら、他の人もみんな思い込みになってしまうんじゃないかしら? 自分の意見が突出してしまっているから、反対意見という曖昧な意見が全体を占めてしまう。逆にいうと、反対意見があれば、それをハッキリと口にして、まわりに意思表示しないのであれば、それは意見ではない。ただ反対するだけでは説得力には欠けるということね」
なんとなくではあるが、友達の言いたいことは分かった気がした。
実際には当たり前のことを話しているのだが、当たり前すぎて説明が却って難しくなってしまうこともある。彩香はこの時の話で、そう感じたのだった。
その頃から、彩香は思い込みについて、いろいろ考えるようになった。自分が気が付けば何かを考えている時も、無意識の中に、思い込みという発想を抱いて意識しているのかも知れない。
彩香は、大学時代には文学部に所属し、いずれは出版社に就職したいと思うようになっていた。
中学時代にポエムを書くのが好きだった。メルヘンチックなポエムを書いては、ネットにアップしたりして、それなりに評価を受けていた。もちろん、素人サイトで中学生の書くメルヘンポエムなので、賛同者は同年代だったり、主婦層だったりしたが、それでも人から認められるのが嬉しかった。
大学に入ると、文芸サークルに所属していたが、演芸サークルの友達からのお願いで、
「ごめん、脚本を書いてほしいのよ」
と頼まれたことがあった。
彩香はそれまでシナリオなど書いたことはなかった。興味はあったが、
――私にはできっこないわ――
と思ったからで、基本すら分かっていなかった。
だが、友達のサークルでシナリオを書いていた人が急に病気で入院することになり、シナリオを書く人がいなくなり、サークル活動ができなくなったというのだ。毎年恒例の舞台が控えているということで困っていた。
彩香は困っている人を見ると放ってはおけない性格であることから、何とかしてあげたいという思いもあった。それ以上に友達の顔を見ていると、後ろ髪をひかれる気持ちになっていた。
――寝つきが悪いわ――
気になったらどうしようもなく気になってしまう性格でもあり、そのうちに、彩香特有の開き直りの状態になった。
――どうせ失うものなんか何もないんだわ。ダメでもともと――
と感じ、依頼してきた友達には、
「ダメ元だからね。どうなっても知らないわよ」
と、半分脅しに近い捨て台詞を浴びせたが、彼女はそれでも喜んでいるようで、
「ええ、もちろんよ。あなたが引き受けてくれるというだけで私は嬉しいんだからね」
と言ってくれた。
それで彩香は吹っ切れた。
「分かった。じゃあ引き受けてあげる」
と、恩着せがましくもそういうと、
「ありがとう。感激だわ」
と感激してくれる有様だった。
彩香には、責任感とうまく行った時の達成感の両方を味わうことができる。だが、その正反対ともいえる感情を抱くことはできない。だったら、ポジティブに考えて、うまく行った時の達成感を感じながらシナリオ作業に取り掛かる方がいいに決まっている。彩香は演劇部の先輩で、すでに引退し、就職も決まっている先輩という人の助言を受けて、そこからシナリオ作成に取り掛かることにした。
先輩は優しく指導してくれた。
「彩香さんは、さすがポエムを書いていた経験があるというだけに、セリフや情景を思い浮かべる感性には長けているわね。だから、あなたには、感性的なことを指導することはありません。あくまでも基本的なところだけ指導すれば、あとはあなたがやりたいようにすればいいのよ」
と言って、書き方などの初歩を教えてくれただけだった。
彩香は先輩の、
「あなたがやりたいようにやればいい」
という言葉を思い浮かべていた。
普通に考えれば、やりたいようにやればいいというのは、自由な発想で奔放になれればいいだけのことなのだろうが、実際には自由奔放にやればいいというのは、これほど難しいことはない。テーマが決まっている方が限られた時間で絞りあげるにはありがたいことであった。
だが、彩香はここでも、
――自由にできるというのは、自分を信頼してくれているからだわ――
と考えたことで、思ったよりも大きな壁にぶつかることなく作品を作り上げることができた。
もちろん、第一稿を作り上げた後、実際に演劇としてリハーサルを行っているうちに少しずつ修正が入っていくのも仕方のないことだった。それも、彩香がその後もシナリオを作成する機会があるかということにも結びついていき、処女作が無難に公開され、それなりの評価を受けたことは、彩香にとって大きな自信につながったのだ。
彩香は、それから数作品を作り、演劇部になくてはならない存在になっていたが、そのうちに入院していた演劇部のシナリオ担当の部員が復帰してくると、彩香は、
「これで私の役目も終わりね」
と言って、潔く演劇部を去って行った。
もちろん、ほとんどの部員は、
「何もあなたが辞めることはないのよ。ここまで一緒にやってきたんだから、これからも一緒にやっていきましょう」
と言って引き止めてくれたが、彩香の中では最初から、
――シナリオ担当の彼女が復帰するまで――
と心に決めていたようだ。
文芸サークルに戻った彼女は、それから小説を書くようになった。ポエムではすでに物足りなくなり、かといってシナリオは演劇部のために書いていたからだった。
小説というのは、情景やセリフだけではなく、それよりも登場人物の精神状態や、まわりとの関係を心の中での言葉として表現することができる。ポエムでもできるが、文字が限られていることで物足りなく感じていて、シナリオは人間の心の移り変わりや精神状態などを言葉で表すことはできず、そのために表現したいことに限界があると考えたのだ。
もっとも、シナリオの場合は小説と違って、一人でできるものではない。自分が書いたシナリオを演じてくれる人が必要なのだ。
もちろん、シナリオライターと演じる役者との間の意思の相違を纏めるために、監督やプロデューサーなども必要になる。それだけに完成した時の達成感も大きいのだろうが、演劇部を去った彩香には、一人で表現する小説という分野がちょうどよかった。
いや、ちょうどいいなどという言い方は自分を偽っている。小説こそ自分の意見を最大に表現できるものはないと言えるだろう。
――思い込みがやっと発揮できる場所だわ――
と感じた。
彩香が小説を書き始めたのは大学三年生の頃で、ちょうど二十歳になってすぐくらいのことだった。つまりシナリオを書いていたのは未成年の頃、二十歳になって少し自分が大人になったと考えていたが、実際にはシナリオを書きあげることができるようになったことで大人になったと思ったのだ。それだけ達成感には大きな力があり、彩香にとって、シナリオから小説に変わった時も、さらに自分の変化を感じた。それが、思い込みを悪いことではないと感じるようになったことが大きかった。
中学時代まであれだけ思い込みはよくないと思っていたはずなのに、急に思い込みがいいことだと思うようになったのかというと、それは、
――達成感というものが、どういうことなのかが分かったからだ――
と感じたからだ。
シナリオを書いて、まわりがフォローしてくれて、監督や役者が自分のシナリオを元に一つの作品として完成させてくれた。これは大いに達成感を味わうことができたが、
――何かが違う――
とも思っていたようだ。
そのことに気が付いたのは、演劇部を辞めるという段になってからのことで、
――辞めると思うと、あの時の達成感が、本当に自分にとっての達成感だったのか、疑問に思える気がするわ――
と感じた。
文芸サークルに戻って小説を書くことを決めて、実際に一作品書き上げると、シナリオで感じた書き上げた時の満足感とは違うものがあった。
あの時は、満足感は今の半分だった。なぜなら、まだすべてが完成していなかったからである。そういう意味では、自分が書き上げた時にすべてが完成する小説は、書き上げた瞬間に感じるものが満足感であって、充実感でもあった。
――本当の達成感というのは、満足感、充実感とともに一緒に感じるものでなければいけないんだわ――
と感じた。
やっと完璧な達成感を感じたことで、彩香は自分が今後の将来において、
――本当に出版社へ就職したいと思っていいのかしら?
という疑問を感じた。
達成感も満足感も充実感も、そのすべてが同時に与えられて、しかも、すべてが自分の成果でなければいけないと思う。少なくとも満足感は得られないと感じたのだった。
出版社に就職してやることといえば、作家の先生の担当になって、原稿を締め切りまでに書いてもらって、それを本にするための段取りを整えることである。それは自分の成果ではなく、作家の成果であり、担当者は、
――縁の下の力持ち――
でしかないのだ。
――そんな状況に、私が耐えられるだろうか?
ありえないと思った。
書いていた小説はミステリーだった。シナリオでは書ききれなかったジャンルであるが、小説なら書けるような気がしてチャレンジしてみると、これが意外とうまく書けた。
うまく書けたと言っても、人に読んでもらったわけではなかったので、自己満足にしかなかったが、一作書けると、次第にアイデアもいろいろ浮かんできて、次々に書けるようになった。
やはりシナリオを書いていたことで、書くことへの抵抗がなかったことが一番の要因だったのだろうが、どんなに途中で作品に疑問を感じたとしても、最後まで書き続けるという思いがあったから書けたのだと思う。
確かに書いている間に余計なことを考えてしまうと、そこまでせっかく作り上げてきた作品の骨格が崩れてしまうことになる、
――さっきまで何を考えていたんだろう?
一度止まってしまうと、急に我に返って、どこまで考えていたのかが分からなくなる、作品を作るということは、自分の世界を作って、そこに入り込むことではないだろうか。しかも、書きながらその次の文章、さらにその次の文章と、先々を想像しながら書いていかなければ、必ず途中で詰まってしまう。
逆に、先々を想像しながら書けるようになると、小説を書くということに関しては、それほど難しいことではない。もちろん、それが秀作であるかどうかは二の次ではあるが。
彩香は自分が小説を書けるようになったことに感動していた。シナリオを書けるようになった時よりも、もっと感動しているかも知れない。シナリオはやはり作品の中での一部でしかないという発想が頭の中にあるので、どんなに日の目を見なくても、小説の方が自分に合っていると思っていた。一種の自己満足でしかないのかも知れない。
彩香はミステリーは高校時代から時々読んでいた。小説を読むならミステリーだと思っていて、一度恋愛小説も読んでみたが、
――自分には合っていないわ――
と最初からあまり乗り気ではなかった。
読んだ恋愛小説は、愛欲と呼ばれるジャンルの作品で、熟年夫婦のW不倫というドロドロとした、いかにも愛欲というジャンルの作品だった。話が最初から重たすぎる。きっと愛欲というジャンルは、作品の重たさが重要な作品なのだろう。
ただ、ミステリーを読み込んでいくうちに分かってきたことなのだが、
――愛欲というのは、人間の感情が一番ミステリアスに働くジャンルと言えるのではないだろうか――
というものだった。
人間にある表と裏、裏を隠しながら、いかに裏があるかのように相手に想わせるセリフや、相手との駆け引きに負けないだけの自分をいかに磨いていくかを描く作品。さらに、そんな愛欲にまみれた中に放り込まれた、本来なら弱弱しいはずの主人公が、どのようにしてその苦境を乗り越えようとするかなどがテーマだったりする。弱弱しい主人公が苦境を乗り越えようとはしているが、実際に乗り越えられるかどうかは、物語の進行によって決まってくる。決してハッピーエンドではないのが、愛欲ものの特徴ではないだろうか。
だから、作品には重たさが命なのだ。セリフ一つ一つに重たさがあり、読んでいるだけで情景が浮かんでくるような作品はきっとベストセラーになるのだろう。ドラマ化される作品とはそういう作品で、実際に放送できるかどうかのボーダーでギリギリのラインを彷徨っているような作品を視聴者は求めているのかも知れない。
彩香は、そんなドロドロとしたジャンルは苦手だった。あまりにも軽い作品はさすがに読んでも時間の無駄とまで感じたことがあったが、ミステリーだけはそんなことはなかった。自分を裏切らなかったのである。
小説を書こうと思った時、最初に浮かんだジャンルはもちろんミステリーだった。以前読んだミステリーを引っ張り出して、再度読み直す。
――最初に読んだ時と、感覚が違うわ――
と感じた。
あの頃は、なるべく早く読破することを目標に、たくさんの作品を読み込むことが自分のステータスのように思っていた。彩香は本棚が大小二つあったが、買ってきた本は小さな本棚に並べて、まだ読んでいない本、途中の本と、並んでいた。読破すると読み終えた作品を大きな本棚の方に移す。読破したことを大きな本棚が証明してくれているのだ。
彩香は、自分の成果を形にして残しておくことに感激を覚えていた。読破した作品を未読の本と分けて置いているのも、そのためだった。
だからと言って彩香は神経質で、整理整頓に長けているわけではない。自分の成果に対しては神経質なほどにキチンと並べているが、それ以外は適当だった。自分の成果しか認めないと思っているからで、それが何もないところから新しいものを創造することに造詣が深い証拠である。
彩香がポエムを書き始めてから、シナリオへと移行し、さらに小説を書き始めたのは、新しいものを作るということへの進化だと自分で思っている。
――でも、小説を書くことだけは、これ以降も辞めないだろうな――
と感じていた。
これまでやってきたポエムもシナリオも、小説を書くためのプロセスでしかなかったという思いを抱いているからだった。
小説というのは、本である。一つの作品が本となってできあがっていることに、どこか不思議な感覚があり、本棚に並んでいる本の背を眺めていると、そこに並んでいるのが、――自分の書いた作品だったら――
と思うことで、自己満足を感じるようになっていた。
しかし、実際には自分の作品でもなんでもない。
彩香は、嫉妬深い方だった。それは相手が男性であるという嫉妬ではない。欲望に対しての嫉妬だ。
人が表彰されたりするのを見ると、無性に苛立ってくる。羨ましいという気持ちが強すぎるのかとも思ったがそうではない。羨ましいと思う自分に対して苛立ちを覚えるのだ。
だから、人が表彰されているのを見て、まわりの人もまるで自分のことのように喜んでいるのを見ると虫唾が走る。
――自分たちにプライドはないのか?
と言いたいのだ。
プライドがあれば、人の表彰をまるで自分のことのように喜べるそんな気が知れない。もし、その相手が親友だったとすれば、その人は自分以外の人からもチヤホヤされて、それまで唯一の親友だったはずなのに、表彰された瞬間から、自分はその他大勢に成り下がってしまう。
しかも、チヤホヤされることで、その人はまわりの人間を軽視するようになっているかも知れない。
――私は成功者だ――
と思うと、まわりの人間と明らかに自分は違う世界に一歩踏み出したと思うからだ。
そうなってしまうと、親友などという関係は、脆くも崩れ去るものではないだろうか。成功者がまわりを軽視してしまうのは無理もないこと、自分が置いて行かれたということに気付かないのであれば、気付かない方が悪いのだ。
そう思うと、成功者と自分とがまだ親友だと思いたいのであれば、自分にも劣等感が必要だ。相手が優越感に浸っているのであれば、劣等感で対抗しないと、ニアミスを繰り返し、決して交わることのない平行線を半永久的に描くことになってしまうだろう。
彩香も、自分がそんな成功者への道を歩み出したことを感じていた。目標をどこに置くかというのは難しいところであるが、最初から高みを見るということは無理だと分かっている。
ただ、本当に自分が成功者になりたいのかどうか、疑問があった。成功者というのは、一度成功すると、それ以降も、さらに高みを求められる。それは階段を上がれば上がるほど厳しくなっていくものだ。
ただ成功だけを夢見ている人にはそんなことは見えてこない。ここまで深く考えるのは少し冷静すぎるかも知れない。
――成功者なんて、なりたくない――
そんな思いを抱くようになったのは、小説を書き始めてから少ししてからだったように思う。
――ように思う――
と感じたのは、そう感じた原因が、夢にあったからだ。
夢というのは、目が覚めると内容を忘れてしまうが、その夢をいつ頃見たのかということも、結構早い段階で分からなくなってしまっている。
忘れてしまっているというよりも、分からなくなっているのだ。それは、
――夢を見た――
という漠然としたことが、全体的にしか思えていないからだ。
忘れてしまうということは、覚えていようという意思があるから忘れてしまうのであって、最初から覚えていようという意思がハッキリしない時、分からなくなるものではないのだろうか。
その夢は、確かにすぐに忘れてしまっていたのだが、彩香の中で、
――成功者になんかなるものではない――
という発想を抱かせたのだ。
ちょうどその頃、文学賞の発表があり、彩香はその人の様子を注目して眺めていた。受賞後すぐは確かに本屋には大きなポップが掛けられて、宣伝も大々的だったし、作者自身もテレビ番組に引っ張りだこだった。
さらには受賞作をはじめとして、作者の作品をいくつもドラマ化や映画化が騒がれ出した。完全に時の人である。
次作品も早々に発表され、作品はそこそこに売れたようだ。しかし、受賞作ほどの勢いはなく、その次の作品はずっと発表されないでいた。
それから半年してくらいであろうか。
「某文学賞作家、作品迷走中」
というタイトルとともに、目に黒い線を入れて、苦悩の表情そのものの内容の文章がつづられていた。
「まるで、犯罪者のようだわ」
実際にそのコーナーの次の人物は、過去の犯罪者だったりする。
それを思うと、
――いくら成功しても、その地位を守り続けるのって、成功することよりも難しいのかも知れない――
と感じたのだ。
その時、彩香は、
――私は決して無理をしない――
と思った。
別に人に認められなくても、自分が満足できる作品ができればそれでよかった。下手に認められ、おだてられ梯子を上らされても、その梯子を簡単に外してしまって、他の人に梯子を掛けるのが世間という生き物だと思うのだった。
彩香は、まず考えたのは、
――途中で考え込まない――
ということだった。
小説を書くのも、途中で考えてしまうと、そこから先は進まなくなる。つまりは書き始めたら、自分が納得のいくところまで辞めないことが必要だということだった。
そして、一つができれば、次々に作品を書くこと。それは最初にアイデアが浮かんでくれば、その勢いで書きなぐるという意味でもある。
もちろん、簡単なプロットのようなものは必要だろう。しかし、コンテのようなカチッとしたプロットまでは必要がない。
――下手に最初にカチッとしたものを作ってしまうと、それに安心して、書く時のアイデアが浮かんでこない可能性があるわ――
と感じたからだ。
そう思って書いていると、書き上げまでにそれほど時間が掛からない。次の作品を考えようと思っても、一作品を書き上げた勢いで、アイデアは浮かんでくるものだった。
さらに彩香は、
――質よりも量だ――
と思っていた。
下手な鉄砲でも、数撃っていれば、次第に作品にも艶というものができてきて、自分の納得できる作品ができると思っている。
「そんなのは自己満足だ」
という人もいるだろう。
しかし、彩香はそんな人たちに対して、
「自己満足で何が悪い」
と言い切るに違いない。
さらに、
「自分で満足できない作品を、他の人に読んでもらうという発想が、そもそも間違っているのよ」
というと、
「じゃあ、人に読んでもらえるような作品を書けるようになればいいのよ」
と言われるだろう。
「でも、私は人のために書いているわけではなくて自分が満足したいから書いているの」
という。
きっとそれを相手はエゴだというだろうが、小説家などの芸術家というのは、そもそもエゴから始めたものだと思う。
そう思うと彩香は、
「誰だって自分のために何かをしているんじゃないの? 芸術家が作品を作るのは別に人のためではない。出版社からの要望もあったりするだろうけど、最初は皆自己満足から始まっているんじゃないかしら」
というと思っている。
どちらに説得力があるのかは難しいところだけど、彩香は芸術家であっても、まずは自分が中心だと思っている。
彩香はまわりに小説を書いていることは話していて、
「別に文学新人賞や本を出したいなんて思っていないわよ」
と口では言っていたが、出版社系の新人賞にも応募していて、自費出版社系にも応募していた。
さすがに出版社系の新人賞はすべて一次審査も通らないという惨敗状態で、自費出版社系の会社に応募すると、
「あなたの作品は優秀だとは思いますが、出版社がすべてを出資する企画出版のレベルには達していませんので、共同出版をお願いする次第です」
という評価になる。
自費出版系の会社は、ブームになっているのか、複数の会社があり、彩香もすべての会社へ作品を応募していた。出版社によってはコンクールを頻繁にやっているところもあり、彩香も応募した。しかし、応募点数はかなりのもので、出版社系の新人賞募集とは桁が違っている。
「これだけの応募があるということは、そのほとんどは箸にも棒にもかからない作品ばかりなんじゃないかな?」
という人もいるが、彩香もその通りだと思っている。
出版社もそれぞれで、営業も熱心なところもあれば、カフェを作ったり、他業種に手を出しているところもあったりろ、さまざまであった。
営業に熱心なところも善し悪しで、会社の営業方針なのか、営業の人間の人間性によるものなのか、一度応募すると自分の営業は決まってしまうようで、何度目かの応募の時、電話がかかってきて、
「あなたの作品は実にいい作品です。こちらから提案している共同出版に協力いただければあるがたいです」
と言ってきた。
今までに応募した作品は、ほとんど全部、共同出版の話があり、相手からは見積もりが送られてきた。
その内容は、製本した時の部数と、定価、そして、こちらが出資する額だけが書いてあるのだ。
その時彩香は出版社に不信感を抱いていた。なぜなら、本を出すための総金額が載っているわけではない、つまりは、出版社側がいくら出資するのかが分からないのだ。
しかも、単純に計算して、出資額というのが、出版部数と定価を掛けたものよりも大きいのだ、経済学の基礎しか知らない人間でも、おかしいと思うだろう。
それを指摘すると、
「有名本屋や、国会図書館に置いてもらうのにお金が掛かる」
という苦しい言い訳にしか聞こえない返答をしてきた。
ここに至って、不信感は頂点に達した。それでも、穏便に済ませようとして、
「私にはそんなお金はありません。企画出版ができるようになるまで投稿を繰り返すだけです」
というと、相手の返事として、
「今でなければもう次はありませんよ」
という。
「どういうことですか?」
「今は私の権限で、あなたの作品を優遇して出版会議に挙げているんですよ。もうここで出版しないと、これ以上私の力で推薦するなどできません」
と言われた。
これは完全に相手も切羽詰まってきているということだろう。彩香は相手の気持ちが次第に読めるようになってきた。
「ええ、それでもいいです。私はあくまでも企画出版を目指します」
――こんな出版社のために、数百万などという馬鹿げたお金を出資するなんてありえない――
と思った。
彩香の怒りは次第に湧き上がってきて、すでにこの出版社は見切ればいいと思っていたのだ。
すると、相手も腹をくくったのか、ここから先はまるでヤクザまがいの表現だった。
「企画出版など、ハッキリ言って百パーセント無理です。もし、できるとすれば、それは芸能人か、犯罪者のような名前だけでも通っている人でなければ無理なんですよ」
彩香は、
――これが本音なんだ――
と感じた。
ここまでくれば、もう修復などありえない。
「そうですか、私は普通の一般市民なんで、あなたの希望には添えません」
と言って、最後通牒を渡した。
「分かりました」
相手も分かったのだろう。
「もう二度とお話しすることもありません」
と言って、彩香は電話を切った。
怒りはしばらく収まらなかったが、溜飲が下がってくると、冷静になってきた。
自費出版関係の会社は、どこもこんな感じなのかと思うと、
――ブームというのは恐ろしいものだわ――
と感じた。
実際に自費出版関係の会社から共同出版と言われて出版した人の数も半端ではなかったからだ。
――皆、そんなにお金持ちなのかしら?
と感じたが、冷静になって考えると、
――お金を出せば出版できるんだったら、それは自費出版と変わらないじゃないか――
と思う。
確かに営業のあいつの話の中に出てきた、
「出版して世に出れば、他の有名出版社の人の目に留まることもあるでしょう。でも、何もしなければ、表に出ることはないんですよ」
と言っていた言葉を思い出した。
確かにその通りであり、その考えがあるから、営業の連中の口車に乗ってしまうのだろうと思った。
それにしても、数百万というお金を他の人はどうしたのだろう?
それだけの貯金があったということか? 彩香は自分に貯金があった場合を考えてみた。確かに出資も考えてみるだろうが、大金をはたくのだから、それだけのリスクも考える。もし無駄になってしまうと後悔の念は半端ではないからだ。
彩香が見切りをつけたのが本当に早かったのかどうなのか分からないが、それから二年もしないうちに、自費出版関係の会社は終焉を迎えた、
最初は、出版した人たちが、
「あなたの出版した本は、一定期間有名本屋に置かれて、国会図書館にも登録されます」
と言われて、それを信じたことから始まった。
その言葉が作家の心を打ったからであるが、この言葉がほころびの発端になるというのも実に皮肉なことだった。
彼らは、実際に全国の本屋に自分の本が置かれているかどうか確認したという。そして同志を募って、同じような思いをしている人たちと協力して、出版社を訴えた。
それが社会問題になったのだ。
自費出版の会社にどうして人が集まったのかというと、以前であれば、出版社に持ち込むか、新人賞などに応募して入選しなければ、作家になることなど道はなかった。
新人賞などは一握りの人だけで、なかなか難しいので、一般的には持ち込みになってしまう。しかし持ち込んだ原稿というのは、ほとんどが誰の目に触れられることもなく、そのままゴミ箱にポイというのが常識になっていた。自費出版系の会社はそこに目を付けたのだ。
確かに目の付け所はよかったのだろう。
「本にしませんか」
という宣伝が出版したい人の目に留まる。
しかも当時は、バブルが弾けて、それまでたくさん残業していた人が、経費節減で残業ができなくなった。そのために、セカンドライフをいかに過ごすかというのが問題になっていた。
そんな時代だったkら、
――俄か作家――
と呼ばれる人が増えた。
中には文法作法すら知らない人が、趣味で小説を書く。ただの趣味で満足できている人はいいが、中には本気でプロを目指そうとする人もいただろう。そんな人には自費出版の会社は救世主に見えたのだ。
彼らは宣伝だけではなく、読み込みのできる人間を営業に置いた。応募してくれた作家に担当をつけて、応募作品は必ず読んで、そして批評をして返すのだ。
しかもその批評にはいいところだけではなく、批判もしてある。いいところだけを褒めちぎったのであれば、そこは無理があるのか、信憑性に欠けるだろう。批評があれば、応募者も信用し、
――ちゃんと読んでくれているんだ――
と思うことで営業を完全に信用させる。
そうなると、金銭的なものがきっと二の次になるのだろう。一度相手を信用させると、信用した人は金銭感覚が鈍ってくる。自分の夢をお金で買うということに感覚がマヒしてしまっていたのかも知れない。
ただ、それはきっと本当に実力のある人には通用しない。あくまでも企画出版にこだわるはずだ。出版社の方はそんな人を相手にするよりも、圧倒的に多いはずの俄か作家にターゲットを絞ることだろう。
そうなるとあとは簡単であった。出版させることにそれほどの難関はない。
だが、経営という面ではどうだったのだろう?
――自転車操業――
という言葉があるが、まさにその通りだった。
自転車操業というのは、会員を集めることが最優先となっている。そのために必要なのは宣伝費である。会員が増えて、応募作品が増えれば、営業の数も必要になる。そして一人一人の営業の負担も増えてきて、それぞれの人間のキャパを完全にオーバーしていたのだろう。
さらに問題になってくるのは、出版しても、その在庫をどうするかである。
たとえば一人の作家の一作品を千部発行したとして、本屋に置いてもらうのに数冊使い、作家さんに数冊を戻したとして、本屋に置いてもらったとして、
「そんな無名の作家の本を、そんなに長い期間置くわけはない」
というのが本屋の見解であろう。
毎日有名作家の作品が何十冊と発行される中で、無名作家の本の入り込む余地などあるはずもない。実際には本屋に並ぶこともないだろう。
そうなると、本当に本屋に出荷されるかどうかというのも疑問である。在庫はほとんどの発行部数と同等になり、
「発行すればすべてが在庫として持っておかなければならない」
ということになり、そのための倉庫も必要だ。
出資の額が大きいのも、宣伝費、人件費、そして在庫の保管費、それぞれを賄うために必要な金額ということになり、あながち最初に言われた金額も出版社側からすれば、無理のない金額ということかも知れない。
しかし、そのからくりが分かったとして、出資作家が黙っているだろうか? そんなことはありえない。実際に裁判沙汰になり、いくつも訴訟を抱えている状態になった。
それが社会問題になると、今度は宣伝を見ても、作家を募ることは難しい。しかも最初のようにブームに乗っているわけではなく、数年経てば、ブームは去ってしまうことだろう。
そんな状態になってくると、自転車操業ほど弱いものはない。全貌がワイドショーなどで明らかになると、あとは衰退の一途をたどる。実際に訴訟を受けた会社には未来はなく、あっという間に負債を抱えて倒産。さらに、他の類似会社も倒産に追い込まれることになる。
さらに、彼らが民事再生法を適用したことで事態は最悪になった。
作家が書いた本の在庫を、
「二割引きで買い取ってくれ」
と著者に申し出たのだ。
「何を言っているんですか。すでに出版する時にお金を出しているじゃないですか」
と言っても、
「買い取ってくれないのであれば、廃棄するだけです」
法律というのは冷たいもので、そう言い放たれると、作家は泣き寝入りであった。
彩香は、
――あの時、見切っていてよかったわ――
と感じた。
そしてやっと目が覚めたであろう他の人は、それからどうするのか興味はあったが、火が経てば気にすることもなくなった。また新しいブームが生まれてくるのが分かっているからだ。
ただ後日談として、
「自費出版関係の会社は統廃合を繰り返して、一つの大きなところが生き残ったようですよ」
と聞かされた。
その言葉の裏に、
「その会社の意思が最初からかかわっていたかも知れない」
という含みがあったことを、彩香は感じていた。
――私さえしっかりしていればそれでいいんだ――
と彩香は感じていた。
そんな状態が続いたので、作家になりたいと思っていた人は若干減ったかも知れない。もちろん、真面目に作家を目指して頑張っている人もたくさんいたであろうが、それ以外で軽い気持ちの人が多かったのも否定できない。
「あわやくば」
あるいは、
「主婦がちょっとした夢を見てもいいじゃない」
という程度の人もいたはずだ。
そんな人を悪いとは思わないが、そんな人たちがこの時の事件が原因で作家になるのを諦めたり、他にセカンドライフを見つけたりしたのだ。それはそれでいいことで、彩香もあまり気にもしていなかった。
それよりも、自分がこれからどうするかが問題だった。
作家を目指すと言っても、本気だったのかと言われれば疑問に感じる。その他大勢ではなかったとは思うが、この事件を機に、自分のセカンドライフをどうしようか悩む時点で、本気ではなかったと言っているようなものである。
作家を目指すなら、それから以降の道としては、書いた作品を出版社系の文学賞に応募して、地道に受賞を狙うしかないと思った。持ち込みがほぼありえないのだから、可能性はそれしかない。
ただ、それは過去に戻っただけなのだ。
持ち込みの可能性がほぼないという状況の中、プロを目指している人たちの気持ちの盲点をついたような自費出版社の出現。ブームと言ってしまえばそれまでなのだろうが、人の心の微妙な部分に巧みに入り込む商売は、いい悪いを別にして、人の欲がある以上、なくなるということはないのだ。
彩香は、一時期小説を書くのをやめていた時期があった。
ただ、自費出版社関係には最初から疑問を感じ、あてにならないということは分かっていたはずなのだ。だから、執筆の再開にはさほど時間が掛からなかった。
――私は騙されることはなかったんだ――
という思いが強く、また最初から趣味として初心に戻ればよいだけのことだった。
それからしばらくして、ネットで、
「無料小説投稿サイト」
と呼ばれるものを見つけた。
最初は、あまり興味を持っていなかった。なぜなら、
――サイトに無料で公開しても、それが作家になるための登竜門になるわけではないのよね――
と思ったからだった。
だが、彩香がその時執筆していたのは、趣味として初心に帰ったつもりで続けようと感じたからだった。だから、無料小説サイトの存在が次第に気になるようになってきたのも無理もないことだった。
サイトは結構あった。最初は少なかったようだが、出版社関係の会社が運営するサイトもあり、小説だけではなく、アニメやペンタブで作成した画像などの投稿もありだった。そういう意味では総合エンターテイメントであり、コンテンツもいくつかあり、充実しているサイトも結構あった。
アマチュア作家が投稿するのはもちろんのこと、読者も登録していれば、作品を読んで批評もできる。批評やレビューを重ねると点数がついて、その点数に応じて、その出版社の本が買えるという電子マネーに替えることができたりした。
また、作家と読者の間、作家と作家の間でのやりとりができるメッセージ機能や、自分たちで運営するサークル機能もあり、コミュニティとしても活動ができたりした。
――結構充実しているんだ――
と思った。
さらには、作品を公開していると、出版社の編集者の目に留まり、そこから作家への道も開けるかも知れない。もちろん、新人賞に入選するくらいのものでなければいけないのだろうが、道は広い方がいいに決まっている。
彩香は、再開するまで短編しか書くことができなかった。しかし、再開したのを機会に、長編が書けるようになったのは嬉しいことだった。
何かきっかけがあったわけではないが、冷却期間が彩香の中でいい効果をもたらしたということなのだろう。
彩香は長編が書けるようになったのは、執筆活動をしていない間に、何冊か長編小説を読んでいたからだ。それまで短編を書いている時でも、長編小説を読んだりしていたが、実際には深く読んでいたわけではなかった。
――小説作法の参考にしたい――
という思いがある反面、
――マネになってしまうと、自分の個性がなくなってしまう――
という思いがあったのも事実だった。
どちらが強かったのかというと、後者だっただろう。
いくつかの小説サイトに投稿してみたが、彩香が注目したのは、ランキングが載るサイトだった。
作品一つ一つにランキングがあったり、作家ごとにランクがついていたりした。彩香は自分のランクが変化するごとに毎日一喜一憂していた。
最初はランクも下の方だった。そのうちに作品をどんどん公開していくとランクも上がってくる。彩香は気が付いた。
――ランクが下の方では、なかなか読者の人が見てくれるという可能性は低いので、上がるまでには新作をどんどん発表し、読者に知名度を与えなければいけない――
と思った。
順位が下であれば、低い点数の人がひしめいていて、同じ点数の人が何人もいるという状況だった。順位が上がっていくと、見てくれる人が増えて、その日のアクセス数も増えてくる。ここのサイトのランキングの計算方法の基準は複雑に計算されているようだったが、基本的にはアクセス数が大きな要素を占めているのは当たり前のことだろう。
作品ごとにアクセス数が表示されるので、その日、自分の作品をどれだけの人が見てくれたのかは分かる。それが順位に反映されて、
――やっぱり、アクセスが増えると順位も上がるわ――
と感じた。
しかし、それも当たり前のことで、
――順位が上がるから、アクセス数が増える――
という発想と相まって、歯車がいい方にいい方に回転していくのだった。
彩香は自分の順位が上がっていくのを見て、ランキングの点数を見ると、下にいた時よりも上の方が点数の差は歴然としていた。それを見て、
――上に上がれば上がるほど、順位は上がりにくいけど、いったん上がってしまうと、なかなか下がることもないんだわ――
と感じた。
後は、いかにして順位を上げていくかということであるが、
――下手な鉄砲を撃ち続けるしかないんだわ――
と思うようになっていた。
その頃になると、自分が作家を目指していたということを忘れがちになっている自分がいることに気付いた。
――順位が上がったとしても、どこからも声がかかるわけではないんだわ――
と半ばあきらめ気味だったが、それでも順位が上がることは嬉しかった。
その時ふと思い出したのが、昔気にしていた確率の問題だった。
――順位が上がれば上がるほど、これ以上順位が上がりにくいけど、ここからはあまり下がることはない――
ということを考えているうちに、野球でいう打率の問題を思い出していた。
彩香は、別に野球が好きというわけではないが、打率などのランキングには興味があった。
学生時代に友達に野球好きの女の子がいて、彼女には贔屓のバッターがいるようで、いつもその人の打率を気にしていた。
「今日三安打すれば、ベストテン圏内に入ることだって可能だわ」
というような話をしていた。
その彼女がよく話をしていたのが、
「シーズンの初めの頃は、まだ始まったばかりなので何とも言えないけど、最初の頃はヒットを一本打てば打率はグンと上がるけど、打たなかったらすぐに落ちてしまうのよ。だから、最初の頃の打率なんてあてにならないのよね。でも、シーズンもある程度進んでくると、打数が増えるでしょう。ヒット一本打ったからと言って、打率はそんなに上がるわけではないの。でもその分、一気に下がるということもないけどね」
と言っていた。
「うん、そうよね」
と彩香は普通に賛同したが、頭の中で確率について考えていた。
だから、その言葉は実に当たり前のことを言っているだけなんだが、これほど信憑性のあることはなかった。
ちょうどその頃、彩香も確率について考えることが多かったので、打率の話は興味をそそられた。だから、野球というスポーツ自体には興味がなかったが、打率などのランキングには興味があったのだ。
「打率って、ホームランや打点と違って、減ることがあるのよ。ヒットを打たなければ下がるし、だけど休んでいると下がることはない。そのために規定打席数というのがあるのよね」
と野球好きの彼女は言った。
「規定打席とは?」
「たとえば二打数二安打の人は結構いると思うのよ。一時期一軍に上がって、その時にヒットを重ねてめ。でもその後ケガか何かをして出場ができなければ、その人は打率十割になるわけでしょう? でも、年間を通して出場している人は打率三割五分も打てば強打者と言われるの。四割打者なんて出てないでしょう?」
「確かにそうね」
「だから、不公平をなくすために、そのチームの試合数に応じて打率ランキングに登録される最低打数の資格が決まってくるのよ。その打数をクリアしていないといくら八割打者でも、ランクに入ることはできないの」
「でも、ランクから数打数少ないだけの人が八割打っていた場合には不公平なんじゃない?」
「だから、規定打席数もそれを考慮して計算されていると思うの。だって、ずっとレギュラーで出場している選手に対して失礼になるかも知れないでしょう?」
「そうかも知れないわね」
彼女の言うことは分からなくもなかったが、野球というスポーツ自体をあまり知らない彩香にとっては、理解しがたい話でもあった。
ただ、それでも確率の話はよく分かった。規定打席という発想も確かに当たり前である。そう思うと余計に野球のランキングには興味を持つようになり、野球というスポーツを確率という発想に基づいた数字の世界で考えるようになっていたのだ。
彩香は、小説という芸術に造詣が深い反面、確率という数字にも造詣が深かった。
元々、小学生の頃から算数というものが好きだったのだ。数学になって嫌いにはなったが、確率というもの自体がどこか曖昧な感覚なので、
――確率というのは、数学というよりも算数に近いのかも知れないわね――
と思っていた。
しかも、確率というのは、日常生活でも大いに深くかかわっているものだ。それを思うと、確率に造詣が深い自分も当然だと思うようになった。
――野球の打率というのも小説サイトのランキングに似ているのかも知れないわね――
と思うようになった。
その発想は、それまでヒットが打てなかったのは、偶然が重なっただけなのかも知れないという思いと、何かのリズムが狂っていたからだという思いの二つが考えられる。
では、偶然が逆に作用すれば、ヒットを打ちまくる可能性もあるのだ。
元々プロになれるだけの素質があるのだから、ヒットを打つというセンスはあるはずだ。相手投手もプロなので、ヒットを打てないようにさせるテクニックを持っているわけで、ただ、ヒットを打つためのコースに相手ピッチャーが投げ込んでくるのも確率の問題だ。
「打率の高い選手に対して、相手も警戒して、ヒットが打てるコースに投げてくる確率は一気に下がるわよね」
というと、
「もちろんそうよ。だから、それでもヒットを重ねる選手はすごいと思うの。ただ、それはその選手のオーラが相手ピッチャーに対して威圧感を与えて、打ちやすいコースに投げさせるということもありうるんでしょうね」
と友達は言った。
「それは少しオカルトっぽいわね」
「でも、可能性はあるものね」
「それよりも、一本ヒットを打てば、それまでどこかの狂っていた歯車が元に戻って、そのおかげでヒット量産という考え方の方が信憑性があると思うの」
というと、
「そうね、あなたの言う通りだわ。私も確かにそう思う」
「でも、それは確率という意味も含めてだと思うの」
「どうして?」
「だって打率って、ほとんどの人が三割以下の二割以上のラインで推移しているでしょう? 八割や七割の人なんていない。相手があるんだから、五割をラインでもいいと思うんだけどね」
「確かにそうよね。三打席に一度ヒットが出れば、それだけで強打者ですからね」
この発想に何かの根拠があるわけではなかったが、確率という意味での打率を考えた時に、彩香はこの発想が出てきた。ちょっとおかしな発想ではないかと思ったが、自分では納得のいく発想だった。
その話をしたのはちょうど野球シーズンが始まる少し前だった。この話しのしてから、彩香は一人の選手に注目するようになった。
別に野球に興味を持ったわけではなく、その選手の打率に興味があっただけなのだが、それでも注目した選手は地元選手で、いつも打率は高打率、毎年ベストテンの常連だった。三年前に首位打者に輝いたが翌年少し打率を下げた。それでも昨年は少し復活してきたこともあり、今年の首位打者候補としては最右翼として注目されていたのだ。
最初は友達に連れられてスタジアムに観戦に行った。
「野球を見るのって、結構楽しいでしょう?」
彼女と入った席は外野席で、応援団の近くだった。
彼女の言った、
「楽しい」
というのは、ゲームについてのことなのか、それともスタジアムの雰囲気のことなのか、判断に困ったが、一緒にいると、その両方であることが分かってきた。
「それにしても、賑やかなものだわね」
あまり賑やかなことが苦手だった彩香は、半分呆れていた。
――何をそんなに楽しいのかしら?
男性はほとんどがビールを呑んでいる。女性ファンは、自分で工夫したおのおののコスチュームで応援していて、まるで仮装大会のようだ。
よく見ていると、
――本当に皆野球を見ているんだろうか?
と思うほど、自分たちだけで盛り上がっているグループもいる。
そんな雰囲気の中で、慣れていない彩香は、息苦しさを感じていた。トランペットでの選手個々の応援歌の演奏も、ファンなら楽しいのだろうが、野球を純粋に楽しもうと思っている人にはうるさいだけにしか感じないと思ったのだ。
そうなると、野球を純粋に楽しみたい人は、きっと外野席になど来ないだろう。考えてみれば、遠くから見ている方が却って楽しいのではないだろうか。外野席にいる人はもちろん野球を楽しんでいる人もたくさんいるだろうが、野球を楽しむというよりも、この雰囲気でストレス解消を目論んでいる人の方が多いのではないかと思うのだった。
彩香は、まわりの喧騒とした雰囲気をなるべく意識しないように、野球に集中していた。それでも鬱陶しさは拭うことはできず、時々席を立って、
「トイレに行ってくる」
と言って、裏に入ってみた。
いろいろな店が裏には犇めいていて、買い物に来る人とトイレに行く人の多さから通路は人でいっぱいだった。
トイレも人で溢れていた。その理由を彩香はすぐに理解できた。
――そりゃ、あれだけビールが売れれば、トイレも混雑するわよね――
と感じた。
彩香は本当はビールが好きだったが、スタジアムでビールを呑むのは厳禁だと感じたのだった。
一通り通路をうろうろしてみたが、これだけ購入者で列ができていると、
――何かを食べてもいいかも?
と思ったとしても、並んでまで買おうという気にはなれない。
なぜならここにいる人たちは野球の試合が行われている間、野球を見ずにここに並んでいることになる。いったい何をしにきたのか彩香には疑問でしかなかった。
確かにイニングの合間のインターバルで買いに来ると野球を見ることができるだろう。しかし、考えることは誰も一緒、買い物だけではなくトイレでも同じことで、インターバルの間に列は一気に伸びるのだ。
インターバルは一分くらいのもので、その間にここまで来て購入し、席に戻った頃にはどれだけの時間が経っているというのだろう。そう思うと、彩香にはここにいる人のほとんどが何をしに来ているのか、目的がまったく分かりかねていた。
彩香は、席に戻ると、試合が終わるまで、さっきの通路に戻ることはないと思った。トイレは仕方がないとして、それ以外で行こうとは思わなかったのだ。
うるさい中で、彩香は野球に集中しようと思った。あまり興味のない野球だったが、これだけまわりの訳の分からない連中に囲まれていると、自分だけでもしっかり野球に集中していようと思ったのだ。
要するに彩香の性格は、
――自分だけでも他の人との違いを見せつけたい――
というところがあった。
誰に対して見せつけたいというわけではない。しいていえば、自分を納得させることが見せつけることになるという不思議な意識だった。
気になる選手はしっかりとチェックしていた。
さすがに外野席からだと、打席に立っている選手の姿はほとんど見えるわけではない。視力は普通だったが、百メートル近くの距離があるのだから、人間なんて本当に小さく見える。しかも、スタジアムという建物の性格もあるのか、遠近感がまともに感じられないところもあった。逆に遠近感による錯覚が野球を見るうえで新鮮に感じられ、よくよく見ていると面白い映像を見ているような気がした。
テレビでは時々見ていたが、球場でしかも外野席から見て何が楽しいのかと最初は思っていた。実際に入ってみると、本当に芥子粒くらいの大きさに感じられ、しかも、その奥の席の観客と重なったことで、遠近感に錯覚を及ぼすことに気が付くと、錯覚を少しでも取り除こうと、知らず知らずのうちに集中してしまっている。
――まるでスタジアムマジックだわ――
と、勝手にこの状況を自分なりに命名していた。
打席に立っている選手だけではなく、ピッチャーにも視線が向いた。ものすごく速い球を投げているというのは分かっているが、外野席から、しかも横から見ている分には、それほどの速さは感じない。しかも変化球を交えていたりすろので、横から見ている分にはよく分からなかった。
――あんなに遅い球をどうして空振りなんかするのかしら?
プロの選手なんだからという意識があるせいもあるが、空振りをした時の選手の不細工に見えるフォロースルーは、あとになって知ったことで、
――タイミングをずらされているから――
という理由をその時は分からなかったので、滑稽にしか見えなかった。
相手の投手は、バッターのタイミングをそらすことが仕事だということを知らなかったからだった。
彩香は、その日、最初に来た時に感じた思いと、試合が終わってから感じたことでは大きな違いがあった。最終的に感じたこととして、
――外野席から見る風景だけでは、すべてが分からない――
という思いだった。
今度は内野席に入って、もう少しバッター、ピッチャーを近くから観戦できるようにしたいと思ったのだ。
そして、もう一つ思ったのは、
――今度は一人で来よう――
と感じた。
なぜなら、友達はかなりのファンだったので、彼女は試合終了後も帰ろうとはしなかった。
その日の試合は贔屓チームであるホームチームが勝利したので、試合終了後のパフォーマンスがあるとのことで、なかなか帰ろうとしない。
「これからが楽しいのよ」
そういって、試合を見ていた時よりも若干目が輝いているのを感じた。
フィールドでは活躍した選手のインタビューが終わり、スタジアムはその余韻に包まれていた。
――皆、何を待っているのかしら?
これから何が起こるのか、友達からは教えられていなかったが、スタジアムの雰囲気を見れば、インタビューの余韻だけで場内がざわついているだけではないということだけは分かる気がした。
そのうちにスタジアムのライトが一斉に消えた。真っ暗になったかに思えたが、一部だけはついているようで、ライトが消えた時、まわりから奇声が上がった。
しかし、その奇声は恐怖に怯えている声ではなく、待っていたものがやっと来たと感じた歓声だったのだ。その証拠に口笛も聞こえてきて、まるでアイドルのコンサートのようだった。
「ファイブ、フォー、スリー……」
と、場内アナウンスがカウントダウンを始めた。
すると、場内の観客もそれを聞いて、同じようにカウントダウンを始める。
「ゼロ~」
という声が響くと、その瞬間さらに歓声が上がると思っていた彩香だったが、実際にはその瞬間、場内はまったくの無音になった。全員が固唾を飲んで待ち望んでいるというのがよく分かった瞬間だった。
「ボボーン」
音が先だったか、閃光が一気にあたりを照らした。
その瞬間、静寂を保っていたスタジアムがまたしても歓声に包まれる。
――これだったんだ――
話には聞いたことがあった。
いわゆる、
「勝利の花火」
というものだった。
花火は綺麗に夜空を照らした。やはり真っ暗な空に打ちあがる花火は美しいという表現が最高の褒め言葉にしか感じない。
打ちあがる花火を見ると、さすがに綺麗であったが、最後まで見ていると、あっという間だったように感じられた。
――こんなものだったんだ――
つい冷めた目で見てしまったのは、ここがスタジアムであるということを思い出したからだ。
友達からは、
「ねえ、綺麗でしょう? これを見るのを楽しみに来ている人も多いのよ」
と言っていた。
確かに、好きなチームの勝利とともに見る花火は最高なのだろう。だが、それほど興味のない者には、そこまでの盛り上がりはどうしても信じられるものではなかった。
彩香が正直に、
「綺麗だけど、あっという間だったわね」
というと、
「あっという間というところがまたいいのよ。だから、また来て楽しみたいと思うんでしょうね。これが一時間も続いたりしたら、それこそ、せっかくのイメージがマンネリ化してしまうでしょうね」
「なるほど」
彼女のいう通りである。
ここだけは彼女の話に賛同できた。腹八分目の方が、次にまた食べてみたいと感じるからである。
ただ、花火が終わると、彩香は現実に引き戻された。表に出るとまるでお祭り騒ぎである。
スタジアムの外では数人のグループが選手の応援歌を熱唱していたり、明らかな酔っ払いの集団が奇声をあげていたりする。そんな光景は、彩香にとって一番見たくないものであり、醜いというイメージしかなかった。
思わず目をそらしてしまった彩香を友達は見逃さなかったようで、
「どう? 今日一日一緒に野球を見て、楽しかったと思った?」
と聞かれて、何も答えることはできず、ただ首を横に振るだけの彩香を見て、
「やっぱりね。野球の楽しみ方っていろいろあるんだけど、彩香のように冷静に物事を見る人には、遠くからしか見えないわよね。でもそれでもいいの。私は彩香に一緒に騒いでほしいなんて思っていたわけではなく、こういう人たちもいるってことだけを知ってほしかったのね。今は偏見の目でしか見えていないと思うけど、そのうちに変わってきてくれるといいかも知れないって思うわ」
彼女の方が冷静な目で見ているのではないかと彩香は思った。
彩香は自分の立場でしか見えていないが、彼女の目はスタジアムにいた人の目でも、彩香のような冷静な目でも見ることができる人で、その分析が今の言葉に繋がったのだと思うと、
――やはり彼女と友達でよかったわ――
と感じた。
この日の野球観戦での一番の収穫は、
――彼女の性格を再確認できたことだわ――
という思いだった。
彩香は、自分で感じていた、
――今度は内野席から見てみよう――
という思いは変わっていなかった。
逆に他の席から見た光景がどんなものなのかに興味がある。フィールドの中の選手に関してもそうだが、内野席から見た外野席というのがどのように見えるのか、実際に感じてみたかった、テレビでは見ていたが、一度中に入った感覚を持ったまま内野席から見ると、またテレビとは違った感覚になれると思ったからだ。
しかも来るなら、
――直近のどこか――
と感じていた。
少なくとも、今月中に来ることだけは、頭の中で確定させていたのだった。もちろん、友達に対して顔に出さないようにして、誰にも言わずに来てみようと思ったのだった。
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