火花魔道士は、彼が若かったころの魔術を呼び起こそうとした。

プロ♡パラ



 いまになって思えば、わたしにとってチダは顔なじみであると同時に、到底手が届きそうにもない憧れの存在でもあった。世界最古のトレーディングカードゲーム『マジュッツ:ザ・ギャザリング』は魔法による戦いというフレイバーのゲームであるが、チダ彼こそは、まさしく卓上の魔術師だった。


 彼が指揮する祝福された軍勢は狂暴な魔物の群れを打ち倒し、彼が放つ神聖呪文は邪悪を打ち砕く。彼の知略の前では敵将は白痴となり、彼の直観は地下深く隠された世界の秘密を暴きだす。魔術師の中の魔術師、魔術師の中の王──


 つまり、簡単にいうなら、チダ彼はカードゲームの天才だった。

 名字はチダ、下の名前は……判然と思いだせないが、そういうものかもしれない。あのカードショップの常連たちはみな彼のことをチダと呼んでいたし、わたしもまた彼のことをチダと呼んでいた。だからわたしにとって彼はチダだった。

 大会で彼と対戦したことは数えきれないほどあるし、そしてその大多数で彼に負かされてきた──けれど、その数えきれないほどの対戦は、不思議と爽快な気分に彩られている。無論、私だって本気で勝つつもりでやっているし、負ければ当然悔しいはずなのだが、彼との対戦はとにかく楽しかった。後にも先にも、そんな対戦相手は彼だけだった。


 わたしが彼と出会ったのは、学生の頃だった。野蛮と迷信が支配する辺鄙な寒村で生まれ育ったわたしは、大学進学してから初めてカードゲームの店舗大会に参加する機会を得たのだが、その初めての大会の一回戦目の対戦相手こそが、他ならぬチダであった。年の頃は同じはずなのに堂に入った感じの青年だった。緊張するわたしに対して、彼は礼儀正しく、けれど親しい感じで話しかけてくれた。対戦結果はわたしの負けだったが、そこでなんとなく、安心して、この場所にいてもいいんだと思ったことをいまでも覚えている。


 そこから、わたしは毎週そのカードショップに通うことになる。チダをはじめとした常連プレイヤーと何度も対戦し──顔見知りになり──店舗大会が終わったあと一緒に飯を食いに行くくらいの仲にはなっていた。


 趣味が合う友人と過ごすことほど楽しいことはない。安さと盛りの良さが売りの中華料理店の一角に陣取り、大会の感想戦から始まり、デッキの流行り廃りとか、新セットのカードに対して無責任に評価をつけあったり、くだらないことで笑いあったりした。当時のことを思い出すと、そのあまりにも輝かしさに、いまでも胸が締め付けられてしまう……。


 店の常連たちと連れ立って、より大きな大会へ一緒に参加したこともある。年に一度、『霞ヶ城杯』という大会が有志によって開催されていた。公民館を借りて開催されるこの大会は、草の根大会としては地域で最大レベルのものであり、腕に覚えのあるプレイヤーが近隣地域から集まってくる、レベルの高い大会だった。

 そしてチダは、そこでも優勝を果たしたのだ! わたしたちは、チダに惜しみない賛辞を送った。彼の実力は単にひとつのカードショップにとどまらず、 地域でも卓越していたのだ。──しかし当のチダときたら、いつもと変わらず、控えめにほほ笑むばかりだった。

「ありがとう。まあ、運が良かったかな」

 チダにとっては、彼自身のその恐ろしいほどの勝負勘、卓越した才覚というものは、あまりにも自明のものであり、わざわざ誇ったり、あるいは驕ったりするようなものではないようだった。


 彼は翌年と翌々年の霞ヶ城杯でも優勝し、難なく三連覇を成し遂げた。これで彼の名声は確固たるものとなった。──一方でその図抜けた戦績に、イカサマの疑惑を吹っ掛けられたこともあった。それはかなり不愉快な言いがかりだったが、チダ自身はそんな噂を相手にもしていなかったし、彼の実力を嫌というほど知っているわたしたちも、そのやっかみにはあきれて肩をすくめるばかりだった。


 大学の卒業が近づくころになると、わたしも凡人なりに、それまでの精進が一つの形になり始めていた。初心者のころには見えていなかったものが見えるようになり、構築や戦略、プレイングについての引き出しも格段に増えていた。できることが増えて、より正しい選択肢を選ぶことができれば、勝てるようにもなってくる。店舗大会では上位入賞の常連になり──しかし、それでもなお、チダにはとても敵いそうにはなかった。


 そして、引っ越しを控えたあの日、学生時代で最後のの店舗大会を迎えることになる。その日の大会はゲームデーと呼ばれる種類のもので、『CHAMPION』の文字が記された非売品のプレイマットが優勝賞品だった。年に数度だけあるゲームデーにおいて、その勝者の証のほとんどは、例によってチダにガメられていた。きょうばかりは勝ってやるぞと、わたしはいつもに増して気合を入れていた。


 わたしは予選のスイスラウンドを順調に勝ち進んだ。環境読みはズバリと当たり、持ち込んだデッキは、想定される全てのデッキ相手の回答を持っていた。


 無数ともいえるカードプールの中から自分が選んだカードを使い、互いに競い合い、相手が考えたデッキを打ち倒す! ──これほど楽しいこと、夢中になれることが、果たしてこの先の人生に存在するのだろうかと、わたしは思わず考えていた。


 カードゲームの外の世界と比べてみよう。すなわち、自分のこれまでの人生に自由というものがあっただろうか? そしてこれからの人生に自由というものがありえるだろうか? ──過去にも未来にも、そんなものはない。自由を獲得するためには、あらゆるものが不足している。学力や知能、人脈、実家の資産、地理的条件……とにかく、様々な制約があり、その中でなんとか少しでもましな方へと身体を寄せようとしてもがいているのだから、人生というのは不自由そのものだ。もしも人間は自由だとのたまう輩がいたら、そいつは嘘つきであるか、他人を搾取する階級にあるというだけだろう。

 そして一方で、カードゲームの中の世界には、外の世界とは異なり、自由があった。デッキ構築において、わたしはあらゆる選択をとることができる。プレイングにおいて、ルールに適うすべての行動をとることができる。そこにあるのは、究極の自己表現だ。──なんというパラドクスだ! 有限のカードと定められた総合ルールの中にある世界の方が、それ以外のすべての世界よりも自由を感じられるというのは……しかし、これこそがわたしの偽らざる本心だった。


 いうなれば、カードゲームというのは、無限に広がる暗黒の宇宙に浮かぶ地球だ。そのほんの小さな惑星の、薄っぺらい大気の中でだけ、わたしは息ができる。そこでしか息ができない。それにくわえて、地球の外の世界に住むタコ型宇宙人とは、会話もできずに、殺されたり殺したりすることしかできないが、地球に住む地球人同士ならば、話すことができる、気持ちが通じ合うこともある……。


 さて、大会の決勝ラウンドの最終戦、奇しくも──いや、必然的に、対戦相手はチダだった。


 指定された席に着く。優勝をかけて争うその卓につけるのは、参加者のうちでたった二人だけ。わたしとチダの二人だけ。

「なあ」と試合開始前に、チダはおもむろに話しかけてきた。「きみが初めてこの店にきて、初めて参加した大会で、最初に当たったのはおれだったよな。覚えてるか?」

 試合で熱くなっていたわたしの頭の中が、真空になった。

「──覚えているさ!」

「おれも覚えているよ。……きみがいなくなると、寂しくなるな」

 途端、わたしの頭の中に、そして胸の中に、それまでのすべてが去来した。あの時から、今に至るまでの、すべて。


 終わらないでくれ、とわたしは願った。もう、いまこの時以上のものは何も望まないから、全てが止まってくれと思った。先に進みたくない、他になにも欲しくはない、この満ち足りた場所から去りたくなんてない──


 決勝戦、勝ったのはチダだった。

 勝者の証のプレイマットはチダの手に渡り、しかし彼は、その優勝賞品を、餞別としてわたしに譲った。


 こうして、わたしの青春の日々は幕を閉じた。

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