アフタードッグ/ヒットマン
草森ゆき
モンキービジネス
1
「起きろ、オリバー。遊びに行くよ」
オリバーは言葉と共にベッドから引き摺り降ろされた。後頭部を床に打ち付け、無理に起きた脳に痺れが走る。見上げるといつもの男がいつものように覗き込んでいた。ロベルト。ロベルト・ブラック。穏やかに笑う黒髪長髪の青年は、片手にリボルバーを持っていた。
「起きるよ……ロベルト」
オリバーは唸りながらも、半身を起こして頭を振った。横目では片手の銃をずっと見つめていたが、一向に降ろされる気配はなかった。
物騒過ぎる。そして秒毎に命の危機が訪れる。オリバーはそろそろと両掌を見せ、白旗の意思を示した。ロベルトは微笑んだままで、何が不満なのか表情からは読み取れない。死因が朝寝坊になるのだろうか。
オリバーが天国を想像し始めると同時に、開け放たれていた扉から黒い弾丸が突っ込んできた。それは真っ直ぐに走り抜け、オリバーの胴体に突撃した。
「うがっ!」
「おっと」
ロベルトはさっと銃口を上向けた。情けない声と共に転がったオリバーは、黒い弾丸こと大型犬のアレスにべろべろと顔を舐められていた。
「ア、アレス、退いてくれ……」
「君は本当に犬に好かれるねえ」
感心したように言ってから、ロベルトはリボルバーをホルスターにしまった。撃たれなくて助かったとオリバーは安堵したが、ロベルトは見透かしたように爽やかに笑った。
「時間が押していたから出掛ける前の訓練をこの場でしようと思ったんだけれど、アレスに向けて発砲はできないからね」
本当に命拾いしたとオリバーは思った。尻尾を振りながらじゃれついてくるアレスの背を撫でてやりつつ、お前はおれのヒーローだよと心の底から礼を述べた。
この物騒な男、ロベルト・ブラックに拾われてから、オリバーの日々は激変した。
ストリートキッズ同然の暮らしをしていたあの頃と、銃口を向けられ訓練だと扱かれる今。どちらが良いかは判断しかねた。どちらにせよ、気を抜くと死ぬからだ。
「アレス、おいで」
ロベルトが呼ぶとアレスはぱっと身を起こし、ロベルトの足元まで走っていって、素早く伏せた。ロベルトは片膝をついてアレスの顔を優しい手つきで撫でていく。オリバーは一連をぼんやり見ていたが、ロベルトの片手がリボルバーにかかったので瞬時に立った。支度をすると慌てて告げて、洗面台へと走って行った。
ロベルトはいつかおれが取り返しのつかないヘマをしたとき、躊躇なく撃つ。オリバーにはそれが誰よりもわかっていた。自分よりわかっていた人間がかつていたとしても死んでいる。
オリバーは現在、新米の殺し屋という名目で仕事をしており、ロベルトの飼い犬のような立場だった。だからロベルトの言う「遊びに行くよ」は「殺しに行くよ」と同じ意味だと理解している。拾われて二年は経つオリバーにとっては、最早慣れた言葉遊びだ。
「ロベルトは、なんで殺し屋なんてしてるんだ」
飼われ始めた頃に、オリバーはそう聞いた。ロベルト宅のダイニングで昼食を摂っている時のことだ。
「それを聞かれたのは初めてだ」
ロベルトは独り言のように呟き、オリバーを見た。銃の腕が立つからと言われればそれまでだったが、オリバーから見たロベルトは頭が回り、見目が良く、痩せ型ではあっても背は高く、殺し屋以外の仕事が五万と見つかりそうなスペックだった。事実、そうだ。何の変哲もない企業に務めても然程苦労なく勤務を続けられる男だ。
ロベルトはフォークを置き、コーヒーを一口飲んだ。遠くを見るような目をしたがそれは一瞬で、すぐに笑みを浮かべてオリバーを見据えた。怒っているのかと身構えた自身の飼い犬に向けて、怒ってはいないよ、とまず告げた。
「なんでもなにも、適職だからさ」
「適職?」
「そう。ディスプレイの中で踊る株価との逢瀬や哀れな老人への商品説明は容易だろうし、何ならライフルで競う酔狂な種目のヒーローにだってなれるかもしれない」
「自分で言うのか……」
「出来るからね。出来ないことは言わないよ。人を殺すなとか」
「殺すなよ」
ロベルトは目を細めながら右手でピストルの形を作り、正面のオリバーを撃つ。身動きしなかったオリバーは、肩を走った小さな衝撃に思わず声を上げた。ロベルトは指をピストルにしたままだが、髪はいつの間にか解かれている。テーブルの上には弾丸代わりの髪ゴムが落ちていた。
ぱっと顔を上げたオリバーは、
「本物だったらどうすんだ」
涼しい顔のロベルトに向かって文句を投げた。ロベルトは静かに笑ったままゴムを拾い、また指先へセットする。
「オリバー、人間がどうして人間を殺さないか考えたことはあるかい」
ロベルトの指先がオリバーの左胸を狙った。オリバーは多少狼狽えるも、ゴムだしな、と肩の力を抜いた。
「ねえよ。そんな暇、ない生活だった。でももし自分が食われるか相手が食われるかなら、どうにか殺して食おうとしたと思う。食えるものは、食う」
だっておれはほとんど野良犬だったのだから。
言外の意味にロベルトは、涼しい顔のまま一度頷いた。
「僕はそういうことなんだろうなと思ったことがあるよ、オリバー」
「……? 何が」
「秩序の話さ。人は人を殺してはいけない。秩序が乱れて例えば……戦争かな? 何せ人間同士での酷い争いが起きるだろ?」
「でも、法律があっても起きる」
そうだよ、と言いながらロベルトは指先を上へと向ける。放たれたゴムは空中を飛んだが、天井へと辿り着く前にふっと力をなくし、落下し始めた。オリバーはその様子を追っていた。ゴムがまるで吸い込まれるかのように、ロベルトの指先へすとんと落ちるまでの流れを、すべて見ていた。
「法律があっても起きた場合、その法律を無視した人間は始末されるべきだと思わないかい?」
ゴムに気を取られて出遅れたが、
「……お、もう」
オリバーはなんとか答え、ロベルトは満足げに頷いた。
「そうだろう、いい子だね、オリバー。放たれた矢はそのまま返って来るべきなんだ。だから返すための存在が必要で、僕が担うのはその返し手だ。勿論、僕もいずれは殺されるだろう。その未来を加味しても、僕は殺し屋を選んだ。何故だと思う?」
「わからねえよ、ロベルト。なんでだ?」
「撃ち殺すと、楽しいからだよ」
「台無しかよ今までの話なんだったんだ」
ロベルトは笑い声を上げて、広がったままの髪を指先のゴムで手早くまとめた。
結局ただの狂人じゃねえかとオリバーは呆れたが、あれはどれかと言えばはぐらかしたのだと、しばらく経ってから気がついた。厳密に言うと、初めてロベルトと共に「仕事」をした日に、思い当たった。
ロベルトは何かが壊れているしオリバーにはどうにも出来ない冷酷さのある男だが、初めからそうだったわけではない。オリバーが過酷な生い立ちからロベルトに拾われたように、ロベルトもそうならざるを得なかっただけの話だ。
「今日の遊びは簡単だよ」
ロベルトはやってきた送迎用の車に乗り込みながら、オリバーに説明を始めた。
「郊外の町に向かい、殺し屋組織を裏切った標的を始末する。これだけ。何か質問はあるかい?」
「なんていうか、質問しかねーけど、いいよ」
「本当に? 失敗したら、僕に撃ち殺されるけど」
「それも込みで、いいよ。初期位置だけ、ロベルトが決めてくれ」
「オーケイ、君もはじめに比べれば成長したね」
「身長も、もうすぐ抜かせる」
「その場合は君の膝を削ろうかな?」
「そんなことするくらいならいっそ殺せよ」
オリバーとロベルトの会話を、運転手は黙って聞いていた。その視線は冷えており、座席の下には銃やナイフなどの武器が仕込まれているが、二人はまだ気付かなかった。
合図の銃声が遠くで響いた時には、運転手の手には小型のピストルが握られていた。
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