ドアマット令嬢の末路

広晴

被害者顔令嬢の周りの人々


「なるほど、つまり……君を愛してくれず、金で売り払ったサンダース子爵家、君の家族からは離れたい。そしてずっと好きだった男と添い遂げたい、とそういうことだね?」


「……それ僕に関係あるか? 新婚初夜に、心底、絶望してますって感じで、知らない男の名を呼んで泣き出した、被害者顔の女を抱いて喜ぶ趣味は、僕には無いぞ」


「あのさ、今日が初対面ならともかく、何度も僕に話す機会はあったよな? 1年前の見合いのあと、月に1、2度くらいだったな、会うたびに顔が引きつってるから、何度も、断ってくれていい、と言ったよな? 僕が信用できなくて相談できなかったなら、とっととその男と駆け落ちでもしてろよ」


「その男は遠方で修行中で、一緒に暮らせない? 何度も言うけど、それ僕に関係ある? ……ああ、なるほど。その間、家族から逃げて僕に養われるつもりだったんだ? 嫌々だけど抱かせてやるからそれまで養え、男の準備ができたらそっちへ行きます、という算段だったわけだな? で、土壇場で抱かれることすら嫌になってこうして愚図っている、と」


「ふん、否定も肯定もせずにだんまりか。舐められたものだね、まったく。……妻として伯爵家に寄り添う覚悟が無いなら、君を養う気は無い。不景気顔が鬱陶しいから明日の朝には出て行け」


「なんだその信じられないとでも言いたげな顔は? 自分は可哀そうだから助けられて当然だ、とでも思っているのか? 自分から相談も行動もしない、常に受け身で自分だけが可哀そうだと思っている君のせいで、結婚式の代金も時間も無駄にした。できたらでいいから、そのうち金くらいは返してくれ。それじゃさよなら」



◆◆◆



「元伯爵夫人。同情する面もありますが、いつまでも門の前に居られても困ります」


「お、おい、レディーに対して言い方ってもんがあるだろう」


「……そちらの方は俺のことなど覚えてないだろうが、俺は伯爵閣下とその方がお二人で出かけられる際の護衛に就いていた。暗い顔で俯いて相槌を打つだけのその方の前で、うちの伯爵閣下は、作り笑顔で1人で話していたよ。1年間、毎回、ずっとね」


「それは……」


「俺も三男とはいえ貴族の端くれだ。貴族が初めから愛し合って結婚、なんてのが難しいのは分かる。けど、そちらの方が伯爵閣下との関係を構築する努力を放棄したのは、はたから見ていた俺にも分かる」


「……普段は温厚な伯爵閣下が、女性を1人で叩き出すような何かが,昨日在った、ということか」


「俺はそう思っている。夜に叩き出されなかっただけ、まだ情がおありだよ。だから元伯爵夫人。この屋敷の衛兵である私は、貴方だけが被害者みたいな顔でいられるのを見ても、手は差し伸べませんし、あまり良い気分ではありません。我々はそもそも、決して屋敷に入れるなと命令されてもいます。さあ、街はあちらです。どうぞお引き取りください」



◆◆◆



「ようやく門の前から動かれましたな」


「少し気の毒な気もしますが、結婚式の最中もずっと暗い顔で俯いていましたしね……」


「放っておけば良いでしょう。初夜に知らない男の名前を呼んで泣くような、他者への気遣いもできない方に、我がトライトン伯爵家の女主人は務まりません。金は持たせたんでしょう?」


「はい。宿暮らしでも、1年は何もせず暮らせるかと」


「十分です。当家の当主を蔑ろにした人間への対応としては甘すぎるほどです」


「それは、そうですね」


「それより閣下からの指示を共有します。結婚後に行う予定だったサンダース子爵家への資金援助の件は当然無しです。『子爵令嬢が当家との婚姻を不服としたため』として、離婚と慰謝料の申請を行います。まあこの理由では慰謝料は通りますまいが、当家がサンダース子爵家と決別することを対外的にはっきりさせればそれでいい、との仰せです」


「御意」


「それと『子爵令嬢は初夜に他の男の名を呼んで号泣したため捨てられた』という実話の情報も流します。彼女付きとして一緒にやってきた侍女たちに紹介状を渡すついでにこぼしておけば、勝手に吹聴してくれるでしょう」


「当然の対応でしょうね。承りました。ただ『冷血漢』だの『純潔だけ奪って捨てた』だのといったあらぬ噂も出かねません。当家の評判も悪くなりそうですが……」


「元々、王都の方々からは『田舎者の小麦屋』と蔑まれているから、年に一度、会うかどうかの連中の評判など、どうでもいいそうです」


「閣下の次のお見合いに差し支えませんか……?」


「……頭が痛いことです。親交のある各家に打診しておきましょう」



◆◆◆



「聞きまして? サンダース子爵家の話」


「ええ、トライトン伯爵は私の友人ですから」


「いろいろ噂されておりますが、実際にはどうだったかご存じ?」


「端的に言えば、子爵家は娘の教育も満足にできない両親と、比較的まっとうな息子。その妹さんは……そうですね、控えめに言って、視野が狭い方のようですね」


「ふふ、若い女性に対しては優しい言い方をなさいますのね」


「まだ紳士に憧れていますので」


「もう立派な紳士でいらっしゃるわ。まあそのご令嬢はお若い上に、そのようなご両親に育てられたのでしたら、視野が狭いのはある意味、当然ではありますわね」


「それでも、結婚初日にトライトン伯爵がされた仕打ちを聞くと、男として同情しますよ」


「夜会で見かけた際には礼儀もマナーも及第点の普通のご令嬢に見えましたけれど、聞こえてくる噂が本当なら、貴族の娘としての責任も、覚悟も、人としての情も、内面は何も学んでこなかったのでしょうね。ご実家には帰ってらっしゃらないと聞きますし、そのような方はそのまま平民になられた方がまだ幸せでしょう。そのご実家もこれから大変でしょうし」


「終わった話はともかく、です。麗しの夫人。お知り合いに、傷心のトライトン伯爵を慰めてくれそうな心優しい女性はいらっしゃいませんか?」


「ふふ、お任せください。血と情に対する責任を心得た、しっかりした娘さんを紹介させていただきますわ」



◆◆◆



「少尉、荷物はこれで最後です」


「よし撤収だ。総員、馬車に乗れ」


「「「了解」」」


「……はあ~。終わった終わった。おい、もう少し詰めてくれよ」


「やれやれ、汗臭い野郎どもが荷物に押されて馬車でぎゅうぎゅう詰めだわ、貴族の嫌味と泣き言を延々聞かされるわ。まったく軍に入隊して、一番嫌な仕事が『財産の差し押さえ』に更新されるとはなあ」


「あー、わかる」


「お前らは入隊して1年だったっけ? けど徒歩行軍訓練1か月やら人殺しやらよりはマシだろう?」


「そりゃそうですけど」


「しかしあの子爵夫人、ずっと泣いてたなあ」


「あれは現実が見えてないかもな」


「トライトン伯爵家を怒らせたんでしょう?」


「東部の辺境伯家の縁戚でしたっけ?」


「そうそう。そんで確か東部随一の小麦の産地なんだよな。その財産目当てで娘を送り込んだはいいが、嫁いだ娘が伯爵の逆鱗に触れたらしいぞ」


「そんな大貴族を虚仮にしたもんだから、東部を中心にあちこちの貴族に睨まれて、信用を失って事業が頓挫、借金抱えて、かろうじて残ったのはあの空っぽの屋敷だけって流れだそうな」


「領地も維持できなくて国に返したらしいしな」


「ご愁傷様。爵位への俸禄があるから食ってはいけるのかな」


「夫人があの調子だからなあ。爵位を売るのも時間の問題かもな。当主と息子の頑張り次第かな?」



◆◆◆



「手紙か。誰からだい?」


「ああ、先輩。生前に父が勤めていた家のお嬢さんからです」


「へえ、いい仲だったのか?」


「いえ? 時々ままごとに付き合わされたくらいですね。俺が5歳の時に父が死んでからはこちらで世話になってますし、そもそも手紙を貰うのも初めてだし」


「で、なんて?」


「……細かいところは分かりませんが、結婚した家から追い出されて実家も没落したから助けて欲しいみたいです」


「へえ、助けるの?」


「あの国までどれだけ遠いと思ってるんですか。そこまでの義理は無いですよ」


「ま、来週結婚して、めでたく相部屋を卒業しようって奴が、他の女に現を抜かすわけもない、か」


「結婚前から妻に疑われるのはごめんですよ」


「はいはい、ごちそうさま。寂しくなるよ」



◆◆◆



「閣下、そろそろご休憩など如何ですか」


「ああ、ありがとう。……その書類の山はなんだ?」


「釣書です。もう半年経ちましたので、そろそろお決め頂きたく」


「……もう半年か。元サンダース子爵令嬢が今どうしているかは知っているか?」


「先日、亡くなられたそうです」


「……そうか」


「宿で自死していたのが見つかったと聞いています」


「男のところへは行かなかったのだな」


「幾通か方々へ手紙を出していたようですが、どこからも、誰からも助けは来なかったそうで。渡した金を使いきり、絶望されたのでしょうな」


「受け身の貴族令嬢は、最後まで自分ではろくに動けなかったか。哀れなひとだったな」


「閣下には何の責任もございません」


「慰めは要らん。見合いから1年費やしたのに、彼女の最期がどんなだったのか、僕には想像もできない。泣いたのか、絶望したのか、怒りは無かったのか、何も。……結局、彼女にとって僕は、徹頭徹尾、他人だったわけだが、その死に多少は僕が関わったのには違いない。その宿には見舞金を送っておけ」


「……御意」


「良い香りだ。茶葉を変えたか?」


「変えておりません。休憩中に釣書にも目を通されておいてください」


「……仕事よりも疲れる休憩だな……」


「責任を自覚し努力なされている方は報われるものだ、と範を示すべきです」


「……分かったよ。感謝する」



◆◆◆



『トライトン伯爵閣下


 当時はなんて薄情な方だと、結局、この方もあの人たちと同じで、信用しなくて正解だったと思っていました。

 私に優しくしてくれたのは幼い日の彼だけだったと、思い込んでいました。


 今思えば、伯爵閣下だけが、こんな私に向き合ってくれた、ただ一人の方でした。

 もし貴方様を信用できていたら(※この行は何本もの棒線で消されていてかろうじて冒頭が読めるだけだった)


 本当に、何もかも、申し訳ありませんでした。

 私はこの半年で大切なものをほとんど失いましたけれど、今では自業自得だったと思っています。

 貴方様から受けたご厚情だけはこの胸に抱いて、旅立つことをお許しください。


 ご多幸をお祈り申し上げます』




「こんな走り書きの手紙を読まされて、遺されたものがどう思うかも考えていなかったのか、忘れるなと言いたかったのか。どちらにせよ、薪の焚き付けの足しにしかなりません。……努力なされている方は報われるべき。では他者の努力を踏みにじった者は、さてどうなりましたかね? けれど、良かったですね。閣下は貴女のことをまだ覚えていましたよ」




<終>

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ドアマット令嬢の末路 広晴 @JouleGr

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