第46話 ちょっとした小休止
「37、8度。風邪かな。とにかく美澄さんは今日お休みで」
「……ごめんなさい」
胡一郎と絹子の結婚式が終わった月曜日。美澄は朝から熱を出していた。関節は痛いし、頭はふらふらする。
移らないようにとマスクをした太郎坊が、体温計をにらめっこしていた。
「謝らなくていいよ。風邪なんてみんな引く。前に青次が風邪引いてたでしょ」
「そういえばそうね」
「こういうときはできる人がカバーするのが、うちのモットーだから」
「うん」
「何か食べれる?」
「今はいらない」
「じゃああとでお粥と冷たい桃缶開けるね」
「ありがと」
「僕は仕事に行くから、なにかあったらメールして」
「わかった」
ぱたんとドアが閉まって、太郎坊が出て行く。
布団に潜って、ふっと熱くこもった息を吐いた。
風邪なんて何年ぶりだろう。一人暮らしをしていた頃は、風邪を引くと心細くてたまらなかったが、今はすぐ近くに太郎坊がいる。
それだけで心強くて、ゆっくり寝れる気がした。
夢を見た。
太郎坊と手を繋いで、どこかを歩く夢だった。
近所の浜辺か、それともどこかの山道だったのか定かではないが、確かにその手をしっかりと握って歩いていた。
「……さん、美澄さん」
「ん……」
「あ、起きた。よく寝てたね」
「太郎さん」
ぼんやりと目を開けると、太郎がこちらをのぞき込んでいた。ベッドサイドに置いてある時計を見ると、もう昼過ぎだ。
「太郎さん、仕事は?」
「昼休みってことで抜けてきた。今日は月曜だからお客さんも少ないしね」
太郎坊の手が、美澄の額に触れる。
「朝より下がってる気がするけど、まだ熱いね」
「そっか」
「汗かいてるから着替えて」
「うん」
「お湯で濡らしたタオルも持ってきた」
そう言って太郎坊が洗い立てのパジャマとタオルを差し出してくる。
「僕、お粥とってくるから、それまでに着替えててね」
「わかった」
今来ているパジャマを脱いで、温かいタオルで拭く。寝ている間に汗をかいていたらしく、首元がぐしょりと濡れていた。それをタオルが冷めないうちに手早く拭いた。そうして新しいパジャマに着替えると、すっきりとした気持ちになった。
「美澄さん、着替えた?」
「うん」
美澄が返事をすると、お盆を持った太郎坊が寝室に入ってくる。お盆の上にはお粥の入った茶碗と黄桃の入った器が乗っていた。
「お粥食べたら、薬飲んでね」
「ありがとう。このお粥、太郎さんが作ったの?」
「ううん。おヨネお婆ちゃんに頼んで作ってもらった」
「仕事を増やしてしまったわね」
「そんなことないよ。みんな心配してる」
「それは、早く治さなきゃね」
「うん」
白粥の上にはおヨネが漬けたという梅干しが、丁寧に種抜きされて乗っていた。一口食べればまだ温かく、そして少し塩気があった。
「美味しい……」
「うちでは風邪のときはおヨネお婆ちゃんのお粥って決まってるんだ」
「そうなんだ」
「ご飯食べて、桃食べたら、薬飲んでね」
「わかった」
梅干しが混ざった白粥は、酸っぱさも塩気も風邪を引いた口にちょうどよく、完食するには時間がかからなかった。
「風邪が治ったら、出雲に行こうか」
空になった茶碗を避けて、桃を食べようとしていた美澄に、太郎坊が突然そんなことを言い出した。
「出雲?」
「そう妖怪がみんな行くあの出雲」
「太郎さんもなにか行きたい用があるの?」
「そうじゃないけど、僕たちは出会ってすぐ結婚したから、デートとかまともにしたことないじゃない?」
「確かにプロポーズから結婚まで会ったのは式の準備だったわね」
事が早く進みすぎて、デートなんてしたことがない。結婚しても二人で出かけるのは、近くの大きなスーパーくらいだ。
「デートしようよ」
「出雲に?」
「うん」
「いいわよ」
「下関の海響館に行くのもいいし、映画を見に行くのもいいね。結婚前にできなかったデートをいっぱいしよう」
「水族館に映画館ね、定番だけどいいんじゃない」
「定番なことしてないからね」
こんな田舎じゃデートスポットも限られているが、それでもデートとして行ったことないから新鮮だ。
「とにかく今度の休みは出雲に行こう」
「そうね」
「出雲大社に参って、荒木屋のお蕎麦を食べる」
「荒木屋?」
「知らない? 出雲蕎麦の有名なお店」
「初めて聞いた」
「じゃあお昼はそこで食べよう」
桃を食べ終えたら、市販の薬を飲む。その間じっと太郎坊に見られていて、錠剤を飲み込むのが少しだけ大変だった。
「風邪なんて何年ぶりかしら……これも厄年のせいかな」
「出た、美澄さんの厄年のせい」
「だって、もう何年も風邪なんてひいてないのよ」
「この生活に慣れてきて気が張ってたのが緩んだんだよ。この家の誰も骨折してないし、財布もなくしてない。僕は結婚できた」
「うん」
「さて、ご飯も食べたし、薬も飲んだ。ゆっくりお休み」
「眠れるかしら」
「風邪薬は眠くなるから大丈夫だよ」
そう言う太郎坊を信じて、ベッドに横たわる。太郎坊の手が美澄の頭を撫でる。その手のせいか、お腹いっぱいになったせいか、眠気はすぐにやってきた。
またあの太郎坊とどこかを歩く夢を見たいと思いながら、美澄は意識を手放した。
美澄の熱は次の日にはすっかり下がって、仕事に戻ることができた。
【金曜更新】厄年奥様、あやかしホテル奮闘記 天原カナ @amahara_kana
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