第44話 母の気持ち、父の気持ち

「美澄さん、ちょっといい?」

「はーい」

「じゃあ、僕は父さん待ってるから」

「わかった」

 外に出て行く太郎坊を見送って、控え室に戻る。

 そこには母親2人が鏡を持って、自分の顔を真剣に覗いていた。

「胡一郎さん、どうしたの?」

「母さんたちが美澄さんに化粧して欲しいって聞かなくて……」

「あらぁ、だって一生に一度の娘の晴れ姿なのよぉ。私も綺麗にしておかなくちゃ」

「そうそう。一生ものなんだから綺麗にしなくちゃね」

 はしゃぐ母親たちに、胡一郎も絹子も苦笑する。時計を見ると、まだ時間はたっぷりとある。

「それはかまわないですが……時間もまだありますし」

「じゃあお願いしていいかしら?」

「はい。どちらからします?」

「綿子さんからどうぞ」

「じゃあ私からお願いしますわぁ」

 綿子と呼ばれたのは、絹子の母親だった。母親同士は名前で呼ぶほど、仲がいいらしい。

「どこか気になるところとかありますか?」

「頬のシミかしら……」

「コンシーラーで隠していきましょうね。顔の色味も少し明るくして、口紅も明るい色にしましょう。今日は写真を撮られることも多いでしょうし。胡一郎さんのお母様もそうしましょうね」

「助かるわ。気になってたの」

 綿子の頬にコンシーラーを塗って、上からファンデーションを重ねる。それにパウダーをはたけば、気にしていたシミは見えなくなった。

「どうでしょう?」

「あら凄いわぁ! 珠子さんもやってもらうといいわよぉ」

「シミって厄介なのよねぇ。うちの人みたいに」

「そうそう」

 話の内容が胡左衛門と柴助になると、2人とも笑い飛ばしている。今、ここにいないことが不安ではないのだろうかと思って口に出すと、返ってきたのは思いがけない言葉だった。

「お2人は、旦那さんたちが来ると信じてるんですか?」

 綿子の口紅を引いていると、その口元が楽しそうに形を描く。

「だって、絶対来るんですもの」

「え?」

「一人娘、一人息子の晴れ姿の日に来なかったことなんてなかったもの。ねぇ、珠子さん?」

「ええ。最後には来るのでご心配なく」

「来るタイミングをはかりそこねてるだけですよぉ」

「そうです。ちゃんと晴れ着も用意しておきました」

「子狸の頃から変わってませんわ」

「子狐の頃からも変わってません」

「お付き合い長いんですね……」

 綿子の化粧直しを終えると、今度は珠子だ。絹子と同じようにシミを消してやって、細面に合いそうな色の口紅を引く。

 たったそれだけなのに、2人の母親は嬉しそうに鏡に見入っていた。

「まぁ、シミが全然気にならないわ!」

「そのコンシーラー? っていうの? 凄いわ」

「私、買おうかしらぁ」

「私も」

 2人に美澄が化粧品の説明をしていると、外からがやがやと賑やかな声が聞こえてきた。

「親戚の方々がお着きになったんですかね?」

「ああ、これは……」

「ええ」

 ピンときたように、2人の母親が悪戯っぽく笑う。

「?」

 控え室から襖を開けて、外を覗くと、太郎坊と雷鳴坊が歩いてくるのが見えた。

「太郎さん、お義父さん!……あっ」

 太郎坊と雷鳴坊の後ろには、モーニングを着た胡左衛門と羽織袴姿の柴助がいる。

 どう説得したのか分からないが、雷鳴坊の自慢気な顔が連れてくることに成功したと物語っていた。

「凄いです、お義父さん。お2人を連れてくるなんて!」

 美澄がそう賞賛すると、雷鳴坊の後ろからうなるような声が聞こえてきた。

「騙されたんじゃい! この天狗に!」

「ホテルを譲るなどと甘言に騙されるとはな」

「なにを言う。きっかけが欲しかっただけだろうに。その証拠に、私が行ったときは、着替えておったぞ」

 そんな声をききつけてか、珠子と綿子も控え室から顔を出す。

「あら、あなた、いらっしゃったのね」

「思ったより早かったわね」

「わ、綿子!」

「珠子……」

 今にも雷鳴坊に噛みつきそうだった2人は、妻の姿を見て大人しくなった。もう完全に力関係は見えた。

 なにも言えなくなった胡左衛門と柴助の沈黙を破ったのは、後から出てきた胡一郎だった。

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