第11話 あやかしホテルの社員食堂

「美澄さん、今からお昼休みでしょ? 僕もだから一緒に食べよう」

「いいけど、美也さんは?」

「私は馬に蹴られて死にたくないので、少し時間をずらします。どうぞお先に」

 笑いをこらえながら、美也がそう言う。

 小さい頃から見ている太郎坊のこんな姿は、面白い以外の何者でもないらしい。

 今までは美也や栄子と昼休みを取っていたが、太郎坊や美也がそういうならと、美澄は先に取ることにした。

「じゃあお先にお昼いただきます」

「はい、ごゆっくり」

 美也に見送られて事務所に入る。昼休みをとっているのか、平花の姿はなかった。そこを抜けると従業員用の休憩室などがあり、さらに奥に行くと調理場の横に従業員用の食卓がある。従業員の中にはここに住んでいる者もいて、朝から晩までここで食事をする者もいるらしい。

 太郎坊や美澄も昼食はここで取ることになっている。

「おヨネお婆ちゃん、お昼二つ」

 太郎坊が調理場にそう声をかけると、米とぎ婆のおヨネがひょっこりと顔を出した。

「おんやぁ、坊ちゃん今日は奥さんと一緒かね?」

「そう、一緒にお昼食べるんだ」

「そりゃあいい」

「今日のお昼なに?」

「牛丼と味噌汁だよ」

 台の上にお盆が二つ用意されて、その上に牛丼がそれぞれ置かれる。それに味噌汁がついてくる。

 牛丼と味噌汁。

 これが今日の天堂ホテルの従業員用昼食だ。

 お盆を持って、空いている席に座る。他には雷鳴坊と櫻子が先ほどの言ったとおり一緒に食べており、平花が隅で1人で食べている。のっぺらぼうはどうやって食べるのだろうかと思っていると、ちゃんと小さな口があってそこから食べていた。

 別のテーブルでは、仕入れ担当の海坊主の潮と豆腐小僧の東吾と送り雀の青次が何事やら話ながら食べている。

 その横のテーブルに美澄は太郎坊と一緒に座った。

「おヨネ婆ちゃんの牛丼美味しいんだよね」

「太郎さん、牛丼好きなの?」

「好きだよ。でも昼は丼ものが多いから、家では違うものが嬉しいな」

「そっか。そうだよね」

 忙しい厨房の合間をぬって作られる従業員用の昼食はだいたい丼ものなどが多い。先週は天丼やピラフがメニューに上がっていた。それに汁物がつくのが定番になっているようだ。

「「いただきます」」

 手を合わせてそう言うと、太郎坊さっそく牛丼を頬張った。美澄はついてきた味噌汁を少し啜ると、ふと今朝のことを思い出した。

 飲んだ味噌汁は櫻子のものとも美澄が味噌を入れたものとも違って、これはこれで美味しい。ようは人それぞれの味噌汁の味があるのだろう。

「美澄さん?」

「ううん。味噌汁の味って人それぞれなんだなって思って」

「そうだね。でも美澄さんの味が僕は好きだよ」

「本当はね、一人暮らしのときは、みりんを少しだけ入れてたの」

「佐伯の家ではそうだったの?」

「ううん。本で読んでそれから入れるようになったの。家族でそれをやるのは私だけ」

「じゃあ今度はそれをやってみて。飲んでみたい」

「太郎さんの好きな具は?」

「蕪」

「時期じゃないね」

「たまねぎの味噌汁も好きだよ」

「美味しいよね」

 美澄が牛丼に手を着ける。しっかりと煮込まれた牛肉は柔らかくて、たまねぎはとろとろだ。甘辛いたれがご飯に染みて美味しかった。

「美味しい……」

「でしょう? 卵入れても美味しいんだよ」

「それ絶対美味しい!」

「おヨネ婆ちゃんに卵もらってこよう」

「いいの?」

「牛丼のときはいつももらってるんだ」

 太郎坊は立ち上がると、そのまま調理場にいるおヨネに声をかけた。

「おヨネ婆ちゃん! 生卵二つ頂戴!」

「あいよ!」

 そうするとそばで食べていた潮や東吾たちが「坊ちゃんずるい!」「おヨネさん、こっちにも生卵!」などと言って卵を求める列ができた。

「用意してるよ、牛丼に生卵は欠かせないだろ?」

 にやりと笑って、おヨネが卵を1人ずつ渡していく。大人しそうな平花もしっかりと卵をもらっているあたり、毎回牛丼のときはお決まりのやりとりなのかもしれない。

「はい、美澄さん」

 太郎坊が生卵を渡してくる。それをテーブルの角で割って牛丼に流し入れる。牛丼と混ぜて食べると、味がまろかやかになってさらに美味しく感じられた。

「美味しい」

「よかった」

「ありがとう」

「いつものことだから」

「そっか」

 美澄が礼を言えば、なんでもないように返ってくる。太郎坊の優しさに触れた気がして、美澄は小さく笑った。

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