【金曜更新】厄年奥様、あやかしホテル奮闘記
天原カナ
第1話 運命は突然に
佐伯美澄が天堂美澄になった話しをしようと思う。
33歳になったばかりのときだった。
まず年明けに美澄が勤めていた会社が倒産することが決まり、職がなくなった。
美容部員として働いていた美澄は、他のブランドにいくこともできず、いわゆる事務仕事もしたことがないため企業への就職に二の足を踏んで、結局実家のある山口県に帰ることにした。
それから怒濤の不運が美澄を襲った。美澄だけというのは語弊があるかもしれない。美澄の家族全員に、不幸が降りかかったのだ。
実家に泥棒が入って、金目のものを盗まれる。
父親が鎖骨を骨折。
母親が財布を落とす。
極めつけは弟の航平の結婚が破談になったことだ。
結婚式場まで決めてあとは結婚式の日を待つだけだったのに、相手の女性は弟を振って別の男性と結婚することにしたらしい。
そんな立て続けの不運に、家の中は薄暗かった。
せめてもの救いは死人が出なかったことだが、弟などは死人のような顔で数週間過ごしていた。そんな次は何が起きるのだろうと全員が戦々恐々としていた中、父親が一言言ったのだった。
「天狗様に相談しよう」
「天狗様!?」
神社や寺に相談するのならまだしも、天狗という言葉に美澄は驚いた。
美澄の実家のある山口県と島根県の県境にある港町は、あやかしが住んでいるという噂がある。美澄自体あやかしを見たことはないが、暗黙の了解のように、あやかしは人間のふりをして存在をしていて、その正体を聞くことは失礼であると言われて育った。
だから天狗がいてもおかしくはないが、それがどこにいるのかを父親が知っていることに驚いたのだ。
「天狗様ってどこにいるの?」
「天堂ホテルってあるだろ? あそこのオーナーは天狗様だぞ」
「それってみんな知ってることなの?」
「おお。若い奴らは知らんやろうが、俺らくらいから上の世代はみんな知っちょるぞ」
「そうやって口伝いに教えていくものなのよ」
お茶を淹れていた母親が三人分の湯飲みを持って、やってくる。一緒に持ってきた煎餅は休みのたびに傷心日帰り旅行をしてる航平のお土産だ。
「うちの不運は美澄の厄年のせいやけんね。しっかり相談してきて頂戴」
「そんな私のせいみたいな」
「女の33の厄年を舐めちゃダメよ。しっかりお祓いしたと思ったのに……」
「お祓いしたからこれで終わってると思ったら怖いよね」
あははと美澄が笑うと、ギロリと母親に睨まれた。
「笑い事じゃないわよ。お母さん車こすったんよ」
「大破する事故じゃないだけよかったやないの」
「いつか大破するっちゃ。お父さん早く天狗様のとこに行って頂戴」
「お、おお。土曜日に行ってくる。美澄も来るか?」
「土曜は剣道の稽古」
「剣道の稽古と厄年どっちが大事なんよ」
「だいたい天狗様に聞いてわかるものなの?」
「困ったときは天狗様に聞くってここらじゃ決まっとる」
「初耳」
土曜の剣道の稽古は絶対行くと思いながら、美澄は煎餅に手を伸ばした。
両親は天狗様への土産をなににするかという話しで盛り上がっている。
なんでもいいからこの立て続けに起こる不運をどうにかしてくれと、美澄はぼんやりと思った。
*****
ダンっという床を踏み込む音。竹刀がぶつかる音。それに人々の奇声とも思える声。
剣道道場は今日もにぎやかだ。
美澄の趣味の一つに剣道がある。
小学校入学した年に始めて、今でも竹刀を握る。毎朝の素振りはかかさないし、週末は道場にも通っている。それは東京にいたときも変わらなかった習慣だ。
一緒に始めた航平はさっさと止めてしまったが、美澄はのめり込むように竹刀を振った。
この道場は美澄が大学入学で上京するまで通った場所だ。師範もよく知っているし、帰ってきた美澄がまた通いだしたら嬉しそうに向かい入れてくれた。
「美澄、今日も精が出るのう」
「どうも」
稽古が終わって防具を片づけている美澄に、師範が声をかける。6歳のときからの付き合いだから、お互いに慣れたものだ。
「土曜にうちに来るなんざ、デートしようって相手はおらんのか?」
「師範、それセクハラですよ」
「東京でも誰もおらんかったんか?」
「お疲れさまですー」
「ええやないか。久しぶりなんやし」
「特に彼氏はいませんよ。いたら帰ってきませんし。身軽なもんです」
「お袋さんたちは結婚をやいの言う年頃やろ」
「まぁ、そうですね」
実際厄年の不運のことと同じくらい結婚のことも言われる。いつになったら結婚するのか、相手はいないのか、エトセトラエトセトラ。航平が結婚目前の頃はあまり言われなくなっていたが、破談になってからはまた言われるようになった。
学生時代は剣道一筋、社会人になってからは仕事一筋で、恋人ができても「仕事と俺どっちが大事?」と聞かれて、「仕事」と即答するような状態だった。
そうやって今まできたら、恋愛耐性のない佐伯美澄という三十路女が出来上がってしまった。
「美澄もそういう時期がきたら嫁にいくんやろな」
「どうでしょう」
師範はもう一人の親、親戚のおじさんのような存在だ。散々怒られたし、同じくらい褒められた。
そんな人にしんみりとそう言われたら、否定しにくい。
実家に帰ってきてみたら、地元に残った同級生はみな結婚していた。田舎は男も女も結婚が早い。
「ここだとみんな結婚して、余ってる独身男性なんていませんよ」
「そやなぁ。うちの息子も早々に結婚したもんな」
「そういうことです」
「でも誰かおるやろ。美澄は器量も悪くないんやから」
「東京ではセクハラって言われますよ」
「世知辛い世の中やなぁ」
がははと笑って師範は、帰ろうとしている小さな子たちに声をかけにいった。
挨拶する幼気な声が道場に響く。
かつては美澄もそういう声をして、挨拶していた。誰にも負けたくなくて大声で挨拶して、師範に褒められたこともある。
負けず嫌いはその頃からだ。
試合に負ければとにかく泣き伏したし、勝てば満面の笑みで帰って来れた。
だが、この厄年の不運だけはどうにもならない。
会社が倒産したことは悔しいが、一社員である美澄がどうこうできる話ではなかった。こんな田舎で美容部員の募集などほぼなく、東京にいたころでは考えられない安さの月収の求人案内を見ながら、ため息をつく日々だ。
勝ち気な性格も負けず嫌いな性格も健在なはずなのに、今は成りを潜めている気がした。
週一回通っている剣道の日だけは、それが顔を出して発散できる貴重な日なのだ。
稽古も終わり、防具の片づけも終わったから、そろそろ帰ろうとスマートフォンを見ると、父親からメールと着信が入っているのに気がついた。
「至急電話するように」
ただそれだけ書いてあって、用件も理由も書いていない。
防具を棚に仕舞って、竹刀を持つと、美澄は道場の外に出て、リダイヤルを押した。
「もしもし。美澄だけど」
「もしもし。稽古終わったか?」
「うん。今終わった」
父親は今日天狗様に会いに行っているはずだ。そこでなにか言われたのだろうか。それなら帰ってからでもいいはずなのに。
「美澄、今から天堂ホテルに来い」
「は?」
「天狗様が美澄を直接見たいと仰ってるんだよ」
「でも、私行く意味あるの?」
「あるある」
父親について行かなかった美澄の代わりに、写真を預けてある。それではダメだったのだろうかと不思議に思いつつも、相手は天狗なので逆らわない方がいいだろう。
「分かった。すぐ行く」
「できるだけ早くな」
「うん」
道場は家から歩いて10分ほどだ。だけど父親の言い方では家に帰って竹刀を置いて来る時間も惜しそうだ。
バス停はここから近いし、美澄はこのまま行くことにした。
ちょうど稽古終わりの子たちが乗るバスが来る時間だ。それに乗れば天堂ホテルには行ける。
美澄は道場に一礼すると、急いでバス停へと向かった。
どうせ道場に行くだけだからと手近なワンピースを着てきたが、失礼にはならないだろうか。でも、胴着で家から道場に通う日もあるから、私服であるだけよかったと思うことにした。
バス停に行くと、ちょうどバスが到着したところだった。東京と違ってすぐ次のバスが来るわけではないから、このタイミングの良さに美澄は心の中でガッツポーズをした。
後ろから乗り込んで、番号札をとる。4番と書かれたそれに不吉なものを感じながら、一番後ろの席に座る。同じ道場から乗った子が2人、最初から乗っていたのが3人。土曜の昼にこの人数は少ないなと思いながら、美澄は窓の外を見る。
通っていた中学。母親御用達のスーパー。航平が通っていたスイミングスクール。それらを通り過ぎながら、バスは海沿いを走り抜ける。
前は海、後ろは山という小さな町をぐるりと回るこのバスは、この町の生命線のようなものだ。だが実際は車を持っている家庭が当たり前で、バスに乗るのは学生や老人がほとんどだった。
ふと思いついて美澄が鞄を開ける。
今日は胴着の入っているトートバッグとは別に、財布などを入れているショルダーバッグを持っていた。
その中に入っていた小さなトワレの瓶を取り出して、少しだけ指に垂らした。
それは実家に帰るとなったときに友人がくれたものだ。剣道して汗をかいていたので、それで匂いが抑えられたらいいと思った。柑橘系の香りが美澄の周りを支配する。剣道の防具の匂いではなく、よい香りになってほっとした。
これで遠慮なく天狗様に会えると思いながら、窓の外を見た。
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