ある結末の蛇足 むかしむかし、幼馴染で好きだった女との再会

金平糖二式

ある結末の蛇足 むかしむかし、幼馴染で好きだった女との再会

土曜日の昼前、安アパートの自室。

普段であれば、せっかくの休日。惰眠を貪っているところだが……

珍しく、来客があった。

いや、事前にそいつが来ることは伝え聞いていたのだが……

正直な所、半信半疑だった。


ついさっき、訪れて来た目の前にいる女に向けて……

ふう、息を吐いてから、ぼやく。


「まさか、本当に来るとはな。

……もう、十年以上経つのか。

とりあえず、久しぶり、とでも言っておくか」


「……うん、ひさしぶり、だね。……貴裕君」


ああ、と我ながら気のない返事で返す。


この女の名は、尾川 由香。

物心ついたころから、高校の半ばくらいまでは何かと縁があった女だ。

まあ、陳腐な言い方をすれば、幼馴染、というやつだったのだろう。

だった、というのは……面と口先しか取り柄のなく、良いうわさを聞かない……

女受けだけはいい上級生の男に引っかかったあたりで、関りが切れたからだが。


最後に会ったのは、高校を卒業する少し前だったろうか。

俺がよく知る、落ち着いた雰囲気のそれから、すっかり様変わりして

目に見えてけばけばしい外見になり、言動も荒れに荒れていた。

こちらからの必死の説得も、馬耳東風といった具合で聞き流され……

小馬鹿にするような態度で、悪罵と共に絶縁を言い渡されて、それきりだ。


その後、卒業とほぼ同時に、家を出たとか聞いていた。

子供のころから、家族ぐるみの付き合いのあった、彼女の両親……

おじさんとおばさんからは、申し訳なさそうに、何度も頭を下げられたのを覚えている。

あれで、流れていた由香に対する、ろくでもない噂は

粗方事実だったんだな、と察することができた。


だから……何というか、今の状況に対して現実感がない。

目の前にいるこいつとは……もう会う事は無いだろう、と思っていたからだ。


「それにしてもまあ随分と、老け……いや、変わったな。

いや、それはお互い様か」


今現在の由香の風貌は、年齢相応……落ち着いたものだ。

それと一見すると、二十代で通せなくもないだろう程度には、若々しく見える。

ただ……よくよく見ると、色白で綺麗に見える肌にも昔ほどの張りがなく、上手く化粧で誤魔化してはいるが、目元には小皺ができている。


この女は俺と同い年だから、年のころは三十代前半の筈。当然といえば当然か。

俺の記憶にあるこいつの、最後の姿は高校時代の物……

それだけの年月が、過ぎたのだ。


「あの、さ。タカ……貴裕……君」


「……何か?」


こちらの顔色を窺いながら、声をかけて来る由香に

気怠いものを感じながらも応じる。

実際に会えば、何か感じるものでもあるかと思ったが……

自分でも驚くほど気持ちが動かない。


「なんで……会ってくれたの?私、貴方の事……」


「まあ、休みの日に、暇だったら来たけりゃ来ていいとは伝えたが……

さて、何でだったかね。

そいつはお前の娘さんに言ってくれ。

正直、驚いたよ。まだ中学生なんだろう?」


つい先日、仕事帰りに立ち寄ったスーパーで、半額になった惣菜を物色していた際に、二人組の女子中学生に声をかけられた事があった。

揃って、ただ相対しているだけで、どことなく気後れしてしまう程の、かなりの美少女。


一人は、落ち着いた雰囲気の、艶やかな腰まで伸びた黒髪を、ヘアバンドで纏めた少女。

もう一人は、金髪碧眼の、おしとやかな雰囲気を装ってはいるものの……

どこか、腹に一物抱えていそうな……

恐らく、顔立ちからしてハーフか、クォーターの少女。


ただ後者の方は、なんというか、酷く機嫌が悪そうだったな。

俺の事を、終始刺すような視線で、睨みつけてきていたのが、印象に強く残っている。

露骨なまでに、俺の事を警戒していたというか……あれは威嚇だったのだろうか。


最初は面倒ごとか、と身構えて、逃げ腰になったが……

片割れ――黒髪の少女の方が、中学時代の由香に、生き写しだった事に気付くと、驚きで、足が止まった。

彼女に、どうしても話したいことがある、と地面を頭を擦り付けそうな勢いで懇願され、応じてしまったのが運の尽きだ。


「――で、お前さんの一人娘だって、知らされたんだがね。

一緒にいたもう一人のお友達の知り合いだか何だかに、

やたら鼻の利く私立探偵がいたらしくてな。

その誼で、俺の経歴なり住所なり、生活パターンまで殆どロハで調べてもらって、俺のとこまでわざわざ来たんだと。

それで、お前にどうしても会ってやって欲しいって、言われたんだが、その辺は聞いてないのか?」


「いえ、いきなり、あの子に、貴裕君がここに住んでるからって、住所と日時を知らされて……

珍しく、凄い剣幕で、絶対に今会わないと、後悔するからって……」


俺の問いかけに対し、困惑した様な調子で、答える由香。

今の話は寝耳に水だったのか、ぶつぶつと、状況を小さく声に出しながら、整理しているようだ。


「結衣……あの子、何時の間に、そんな……

それに、ハーフのお友達って、ひょっとして……咲蓮ちゃんが?」


あの娘ら、そんな名前だったっけか。

自己紹介もされたような気はするのだが、良くは覚えていない。

はあ、とため息をついてから……思考に埋没しつつある由香に、声をかける。


「いろいろ気になるのは、わからんでもないが……

俺に話があるから、うちに来たんじゃなかったのか?」


「……あ、そうだよね……ごめんなさい」


由香は、躊躇いがちに顔を上げて、俺に向き直る。


「実を言えば、大まかなところは娘さんから聞いてはいるよ。

彼女の知っている限り……血縁上の父親の事もな」


「……そっか」


由香は、少しだけ寂しげな表情を浮かべると、俺から目を逸らすように再び俯く。

俺に声をかけて来た、由香の娘……結衣、とか言ったか。


彼女から、血縁上の父親が、当時由香をひっかけた上級生で

在学中にはもうすでに自分を孕んでいたらしい、という話は聞いた。

卒業を期に、家を出てそいつに付いていった結果

ようやく本性を目の当たりにして、自殺寸前まで追い詰められ……

誰がしかの助けを借りて、そこから抜け出して

おじさんとおばさんがいる、地元へと戻って行ったらしい、という事も。


一応、裏を取るという意味で、久方振りに俺の実家に連絡をとった。

両親からは今まで碌に便りも寄こさずに

何をしていたんだ、と叱られつつも、話を聞いてみたところ……

それらに、概ね間違いはなかった。


元々、家族ぐるみの付き合いがあった事から、何度か顔を合わせ、話をする機会もあって……

俺の事についても、尋ねられたらしい。

まあ、先に言った通り、この安アパートに引っ越してきた辺りから

碌に実家とは連絡も取っていなかった為……

答えようもなく、そのまま素直に、知らない、と言ったらしいが。


「私に、こんなことを言う資格がないのはわかってるんだけど……

なんで、あんな奴に靡いて、貴裕君の事を裏切っちゃったんだろうって。

あれから、何度も、何度も、後悔して……

今でも夜とか、一人になると、その事が頭によぎるの。

結衣の事は……大事な娘だと思ってるし、育ててきたことに、後悔はないの。

けど……」


「……それを言いに来たのか、態々。

別に、子供のころからの腐れ縁だった、ってだけで、付き合ってたわけでもないだろうに」


由香の娘からは、どうか、母の懺悔を聞いてやって欲しい、と言われてはいたのだが。

正直な所、今更そんなことを言われても、といった感想は拭えない。


今の俺は、所謂キモくて金のないおっさん、と言われるような中小企業に勤める安月給のサラリーマンというやつだ。

このご時世ではさして珍しいものではないし、必要以上に自分を卑下するつもりもないが……

縁が切れてから、十年以上経った後で、態々会いに来る価値もあるとは思えない。


それに、こう言っては何だが……

明らかに、当時の俺と由香は、釣り合いが取れていなかった。

アレにひっかかるまでは、学年でも屈指の優等生ではあった上

周囲の異性から結構な人気を集めていたし……

あのクズの事を抜きにしても、そのうち疎遠になっていたのではないか

と思える程度には俺も年をとった。

当時は随分と煩悶したものだが、それも過去の事だ。


「……ごめんなさい、上手く、まとまらなくて。

何を言ったらいいんだろう。貴裕君と……

いろいろ、会えたら話したい事とか、話さなきゃいけない事とか……

たくさん、あった筈なのに。

えっと、その――」


「ああそうだ、さっき、お前さん、何で会ってもいいと思ったか、って聞いたな。

その理由だけどな」


何故……そんなことをしたのか、自分でも、よくは分からないのだが。

次第に途切れ途切れになって、尻すぼみになりつつある由香の言葉を遮って、告げる。


「娘さん、まだ中学生なのにかなりしっかりしてたよ。

お前さんが気に病んでた事についても、気付いてた。

それで……ちゃんと、母親をやれてるんだなって」


お袋から、四苦八苦しながらも、こいつが子育てしていたらしい事は、聞いていた。

当人の強い希望があったらしい、とはいえ――

娘がかなり良いところの私立の中学に合格するところまで行ったそうだ。


「で、まあ……頑張ったんだな、って。

ああ、何て言ったらいいのかね。俺も上手くまとめられないんだが」


少なくとも、縁が切れたころの由香は、堕ちる所まで堕ちていた。

はっきり言ってしまえば、まあ……馬鹿女、と言って差し支えない程に。

それを考えれば、ここまで立ち直ったのは、本当に大したものだと思う。


後は……最近、ただ一人で過ごす、ルーチンワークの繰り返しに疲れて

多分ずっと、死ぬまで、俺はこのままなのか……

という事が、頭によぎるようになったという事も、あるのかもしれない。


要は、俺も年をとった、という事なのだろう。

十年ほど若ければ、怒りのままに感情をぶつけて、拒絶するだけだったのかもしれないが。

この年齢になれば、嫌でも見えてくるものはある。


「タカ……ちゃん……あの、私、その……

もし、よかったら、なんだけど……」


由香は目から涙をじわり、と滲ませ……昔の呼び名で俺を呼んで。

私と、もう一度、と言いかけたところで……

ぎゅるりと腹の虫を鳴かせる。

時間を確認すると……そういえば、もう昼になるんだったな。


「……腹、減ってるのか?」


「その、今日、久しぶりにタカちゃんに会うんだ、と思ったら……

緊張しちゃって、食欲湧かなくて……

一応それでも何か食べなきゃって、朝ご飯、軽いもので済ませてきたんだけど……ごめん」


気恥ずかしそうに答える由香の姿に、気が抜けてしまう。

ふう、と息を吐いて……頭をがりがりと、搔きむしりながら立ち上がる。

何というか、いろいろと取り繕うのが、馬鹿馬鹿しくなってきた。


「これから、昼飯にするつもりで、昨日のカレーの残りを温め直すつもりなんだが。

何か最近多めに作っちまうんだよな……食ってくか?」


「タカちゃん、自分でご飯、作れるようになったんだね。

それに、この部屋……古いけど、ちゃんと整理されて、掃除もされてるし。

……うん、ご馳走になるよ」


とはいえ、自炊を再開したのも、部屋の定期的な掃除に手をつけ始めたのも、ここ数か月からの話だ。

そのきっかけは、思い出せない。

単に、面倒だから適当に済ませるのをやめただけなのか。

どうせ、忘れてしまうぐらいだから、大した理由ではない……筈だ、おそらくは。


「じゃ、ちょっと待っててくれ。

米は研いで炊飯器にタイマーでセットしてあるし、そろそろ炊ける筈だからな。

後は適当に、冷蔵庫の野菜を刻んでサラダにして添えるぐらい――」


「あの、それ、私も……手伝っても、いいかな」


由香の言葉に、いや別にそれくらい一人で、と言いかけて……

そういえば、中学の時までは、休日、偶に親が留守の時に

彼女が昼飯を作りに来てくれた事が、しばしばあった事を思い出す。


「えっと、じゃあ……頼めるか」


うん、と台所に向かう俺の隣に並んでくる由香。

醒めている、とも少し違うが……

昔程、焦がれるような感情が湧き上がってくることは、最早ない。


俺は、もう、十代のガキでもないし、由香にしても恋に恋するような年齢でもないので、当然と言えば当然かもしれない。

それにこいつは、客観的に見れば、痛い目を見なければ、自分の馬鹿さ加減を自覚できなかった……ろくでもない女だった時期があったのも、間違いはない。


けれど、酷く懐かしいものを思い出してしまったのも、事実だ。

だからまあ――これくらいはいいか、と思ってしまった。


結局、その日はそのまま、由香と一緒に作った昼飯を食べて。

取り留めのない話題で、だらだらと話し込み、別れる事になった。


ただ、その後も、由香とはちょくちょく会うようになり

気が付けば、こいつと半年ほどで籍を入れる運びとなったのは……

また別の話、ということになるのだろう。

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