未知と闘争としての世界

在存

0:送り火


 タバコのけた臭いがする暗い一室で、無機質なアナウンサーの声だけが、電球のついたり切れたりする空間を頼りなげに満たしている。


 昨日も五人殺してきた。私が告白すると、あなたはソファーに座り、ブラウン管テレビに目をやったままで言った。


「大丈夫、おまえの──レナの名前は報道に出ていないよ」


 そんなの今さら心配するまでもないことです。


「わかってるけどな。いやまあ、改めて私の立場ながらに思う訳だよ。何でもない一日をだらだらと過ごしたいだけなのに、おまえみたいな少女でさえ、絶えず何かを成さなきゃいけないっていう構造。相変わらずうんざりするものだね」


 そうでしょうか。発展も衰退もしない安定を手に入れるために戦わなきゃいけないというのは、義務を通り越して倫理だと思いますけれど。


「人間は根本のところでそこまで強くないんだよ。やっぱりおまえは愛のない奴だ」


 怒られた。言いすぎだったと思い、急いで頭を下げる。


「気に負うなよ。人間がギリギリまで怠惰でいられるのも、おまえたちが重い腰をあげて未知を解明し続けてきたおかげなんだから──レナという少女はとうの昔から背負ってたんだ」


 そういって、今度はわらわれてしまった。


 怒ったりわらったり──私を「愛のない奴」と称するあなたの思惑は、しかるに解明できたためしがない。私という人間は根本のところで、知らないことを知ろうとするのがそこまで得意ではない、つまり、人として欠陥品なのだ。


「それじゃあ現代人の九割九分が欠陥ってことになってしまうよ。行きすぎた自罰は他方で、今風と言えなくもないが──話を戻せば、おまえも私も含めた人間の思惑などいまや、二次方程式よりも自明に一般に解き明かされている──というのは、もはや繰り返すまでもないだろう」


 思惑を支配する、九十八種の感情。

 私たちが何に喜び、どうして苛立っているのかなんて、還元された要素の並べ替えでしかない。


 だから、私たちも含めた世界に未知なんてあるはずもないし、あってはならないんだよ──と、目の前の女性は言う。


「おまえは堂々と、すべてをわかったフリをし続けていればいいんだ。おまえは何も悪くない。万が一未知があったとあらば、殺して解明バラして、なかったことにしてしまえばいい。世界がそういう風につくろわれていて初めて、九割九分の怠惰な人間が安心できる──うんざりだが、それを生きがいにできうるおまえは、愛がなくて、強くて、特権的だよ」


 私なんかよりも、と。




 でもやっぱり──やっぱりわからないんです。


 あなたがどうしてそうやって、私を許すことができるのか。


 こんな私を許せるのは、世界にたったひとりしかいないはずなのに。




 あるいは、と思い返す。わからないのは彼女らも同じだと。


 例えば、怒情を失くしてしまい。悲喜こもごもに未知を殺し続ける現役女子高生の彼女。


 例えば、恥情を忘れてしまい。唾棄すべき卑しさで未知を貶め続ける新人声優の彼女。


 例えば、表情を奪われてしまい。人知れず理由を探しながら未知を壊してゆく脚本家の彼女。



 また例えば──私のことをどこまでも許してくれる、世界でたったひとりの、愛のかたまりのような彼女。




 彼女がどのような義務で、倫理で、笑いかけてくれるのか。そんな疑問を打ち明ければ、あなたは「笑うのも怒るのも恥じるのも、果ては愛するのも、全部全部全部がいくつかの感情要素の配列に過ぎない。現象に過ぎない。だから疑う事自体が徒労なのだよ」、そんな辺りのことを得意の強弁で語るだろう。


 けれど、それでも、私には──


「それを知りたくて、ここに今日も来たんだろう? 知ろうとするのが苦手なはずの、おまえが。

 なあ、この期におよんで、何を思うんだ?──



 あなたはようやくテレビから目を離し、私の方へ首を傾ける。画面の向こうからはパトカーの音割れしたサイレンが聞こえた。私が立ちつくしたまま何も答えないでいると、あなたは何かを告げる代わりに、咥えタバコに火をつけていた。青白い煙は本来、はなむけのことばのはずだった。


「──きょうも私は、未知を殺します。そこに、他意はありません」


 

 あなたは吸い殻もおざなりに手なずけて立ちあがり、一室の窓を開ける。白い日差しと生温かい風が、その白衣に非難でも浴びせるかのように、吹き込んできて──


「今日は糞みたいな晴れハレだなあ」


 お陰でいっぱい人が死にそうだとシニカルにわらう横顔を、もう少しだけ見ていたいと、あえて言うなら私はそう思いました。


 *


 枯れ葉が散る階段をくだって、見慣れた開けた路上に身をほうり出す。


 すっかり老獪な枝をあらわにしてしまった並木の前に、白目を失った少女たちが大勢仁王立ちしていた。



 私の顔をみて捉えるなりいっせいに体勢を構え直し、私に対峙しようとする光景を、流石にぎょっとしながら眺めていた──雪予報の朝に目覚めて、窓の向こうが思いのほか白く積もっていたときのような。きょうはなんだかちょっとだけ、特別な一日が始まるぞっていう無責任な高揚感にも似ていて。


 けれども異様な雪景色っていうのは、いずれ陽に照らされて、溶けて、ほぐれて、明日には何の変哲もない晴れ空を返却してくる。


 つまるところ、私目がけて飛びかかってきた一人の「少女」も、果てはこの私自身すらも──この世界が気もくれない一時の積雪のような存在だ。


 そんなことはずっと、ずっと前から、わかっていたハズなのに──


「いい加減に──死ねえええええええっ!!!」


 右手でぎゅっと握りこぶしをこしらえ、遠くの住宅街を眺める。


 次にまたたくと、空の青いキャンパスに紅い稲妻めいた亀裂が走った。絵の具が染みわたっていくような幻想さは私に場違いにも笑みを浮かばせる。


 上に向けていた目線を正面に戻すと、葉っぱを落とした木々はその輪郭のまま炎をまとって弾けるように泣いていて、怒号とともに私に掴みかかりかけていた「少女」はといえば、実はアスファルトに恨みでもあったのかってくらい勢いよく、ローファーの上に転げ落ちた。彼女が着ていた質素なスウェットは、背中がぱちぱちと燃えて衣が剥げ、蛮勇に似合わない無垢な肌を露わにしていた。


 ふと、目元を違和感が阻む。さっきまで堅く握っていた右手で払う──手のひらに金色の長い髪の毛がまとわりついてくる。私のものではない──何も思わずもういちど、足元に目をやると、「少女」が真っ黒な目から血の涙を流し、呼吸を犬みたいに荒らげている。


「絶対に──」


 ころしてやる、ときみは吐き捨てた。


 人生で何度かけられたか解らない言葉。


「あなたは──何の感情を「組織」にうばわれたの?」


 あえて意趣なんて返してみたくて、必要のないコトを私は訊く。


 きみは馬鹿正直にこたえるかわりに、さっきと同じセリフを愚直に繰り返した。


 ──何度言葉をかけられても、恨まれても、私にできることはたったひとつ。




 私は右手を彼女のただれた背中に押しつけ、からっぽのなかでぬるいさよならを告げた。





 灯油の移動販売のアナウンスが、どこからか割れて聞こえる。


 照りの陰りはじめた空に、子どもたちの帰りを促すチャイムが響いて溶けていく。


 なんでもない特別な一日が、何事もなかったかのように、静かに終わっていく。


 ──ああ、この手にある炎が、少しでも心の中にともっていたのなら。

 だらけたこの世界で、私の存在を、愛を、叫ぶことができたのだろうか。



 ──第一章 過言残暑(前)──


(続く)

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