カンザキズムー神崎由紀都初期作品集ー

神崎由紀都

悪の組織の戦闘員



    1・秘密結社『悪の組織』


 子どもの頃から、悪の組織にあこがれていた。

 次々怪人を生み出す資金の潤沢さ。世界征服の大きな野望。次々打ち出される作戦、組織力。俺にとっては正義の味方よりも断然悪の組織だった。

 なにせ、正義の味方はボランティアで、いったいどこからお金を得ているのかわからない。きっと正義の味方の仮面を被って、裏では相当な悪さをしているに違いない。……そう小学生のときに作文で発表し、先生たちを唖然とさせて以来、俺は悪の組織に入ることを夢見ていた。中学を出、高校を出、一応大学も卒業して……だが悪の組織が堂々と悪の組織の看板を掲げているはずがないことに気付いてしまった。いや、かなり前からわかっていたはずだったが、それを認められなかったのだ。


 で、現在――。

「……ねぇ」

「きえぇぇい?」

「そこの段ボール〝ブラック・デビル号〟に今のうちに運んでおこうよ」

「きえぇぇい!」

「いやいや、それ意志の疎通できないよコヤマダくん」

「オヤマダです」

「あ、ごめん。というかしゃべっちゃってるよ」

 ――ところが運のいいことに、俺は秘密結社『悪の組織』の戦闘員になっていた。『悪の組織』のホームページ(!)を、俺は発見してしまったのだ。

 悪の組織がそのまんま秘密結社『悪の組織』なのは勘弁して欲しかったが、ホームページの「ヒト科戦闘員急募 初心者歓迎」の文字につられてしまったのだ。「怪人不足」叫ばれる昨今、悪の組織もホームページを開設している。

 できる、そう俺は思った。競合他社な悪の組織、たとえば『ネオ・ガリバ帝国』や『ザイクス』なんかは一芸持ちで「365日二十四時間働ける怪人」とそのまま怪人向きだから、俺には難しい。なにしろ俺はひょろ長で、おちょぼ口で、坊主で、不細工で、なにをやっても上手くいかない。そんな人間だったから。そんなどうしようもない俺でもなれる悪の組織の戦闘員は、天職かもしれなかった。

「コヤマダくんは戦闘員何年目だっけ?」

「オヤマダです。一年目っす」

 まかない代わりに出された〝悪煎〟と言う名のえびせんを頬張りながら、俺は言った。真っ黒なえびせんで、中央には『悪』の焼き印が押され、光の加減で文字が浮かび上がる。『悪の組織』の人気商品だ。キャッチコピーは〝君も悪に染まる〟。 

 天職――そう俺は思ったが、『悪の組織』の戦闘員としての経歴は、まだ一年ほどしか経っていなかった。それに死神伯爵の手による怪人化つまりは改造も、これは『悪の組織』に入ってわかったことなのだが「学」が必要なものらしい。『悪の組織』も、他の組織と呼ばれるものと同じように、いわゆる学歴社会だ。

「そうかぁ、もう一年も経っちゃうんだ。はやいよねぇ」

 俺のような一年坊主に比べ、のほほんとした表情のコジマさんは『悪の組織』戦闘員歴十年の大ベテランだ。戦闘員歴十年と言えば相当長いキャリアで、だいたい一番初めに正義の味方にやられてしまう戦闘員としてやってゆくのは大変なことなのだ。

 任務に失敗すれば責任を取らなければいけないのはどこも同じだ。俺が『悪の組織』に入る前は、頻繁に〝没シュート(解体)〟と〝自バック(自爆)〟があったようである。コジマさんはそれらをくぐりぬけてきた。現在、『悪の組織』の総帥・死神伯爵は「戦力の喪失にしかならない」と〝没シュート〟を廃止。また〝自バック〟も禁止された。そして〝世界征服〟資金調達のため『悪の組織』キャンペーンと称して、〝悪煎〟を売ったり、地元のヒーローショーに怪人を送り込んだりしている。もちろん一般人である中の人相手に本気で戦ってはいけないのは鉄則だ。

 以前は商社マンだったコジマさんも、離婚やハードワークと心も体もぼろぼろにされ、魔が差したのか会社の金に手を出した。そんなときに『悪の組織』に出会った。そのとき死神男爵(出世したのだ)はこう言ったという。

「善と悪は手のひらとこうのようなものだ。切っても切り離すことはできない。最近はクリーンとか絶対正義でなければならない風潮だがね。だが正義には悪が必要だし、逆にわれわれ悪の立場にしてみれば、正義が必要になってくる。『全部正義』『全部悪』じゃ、息が詰まるようだろう。だが相応にしてみんな正義に目が向く。――その中で、だ。たとえ一人でも、悪になってみないか?」

「――いやいや、よく考えてみなよ戦闘員だよ。戦闘員を十年続けているんだよ。そもそも自慢できることじゃないでしょう。この年になってくるとしんどいし」

 と、言うコジマさんだが、商社マンだったときより充足感があるという。

 確かに炎天下の中でも全身タイツ状の戦闘服に目出し帽の姿で戦うのはしんどい。

 そう、しんどい。

 でも俺はここでやっていけると確信していた。

 それは彼女がいるからだ。悪の組織の偶像アイドルが。

 ――歓声があがる。拍手の音。

 それが始まる予兆だった。

「さ、行かなくちゃね」

 と、コジマさんは気合を入れる。

 始まるのは体力勝負の現場だからだ。


「はぁい。みんなを悪にぃ~、そめあげる! みんなのココロの中の小悪魔チャンこと、リリンで~っす!」

 ……始まった。「うおぉぉおっ」と人波がうごめく。

 俺たちは群がる汗臭い野郎どもの波を押し返す。対岸のコジマさんの姿も見えない。この状態でリリンを見ることは不可能だった。

「ほらぁっ! もっと私に断末魔の叫びを聞かせろぉぉお!」

 豹変したリリンの煽りに、再び「うおぉぉおっ」と歓声が上がった。

「リリン様お慈悲を~!」

 ステージによじ登ろうとする一人の男の額を、リリンはヒールの先で踏みつける。先にはハンコが仕込まれていて、〝悪の刻印〟をつけるという凝った作りの代物だ。

「リリンはねぇ、も~っとみんなの断末魔が聞きたいな~。というわけでぇ~さっそく〝悪堕ち〟歌っちゃいまぁ~す!」

 リリンは『悪の組織』最年少幹部である。

 推定五〇〇歳の悪魔。それで最年少だ。ゴシックロリータがぴょんぴょん飛び上がるたびに、ぷるんと揺れる巨乳。半分は白い肌で、半分は褐色の肌。悪魔のトレードマーク、巨大な牡羊のようなツノ。ゆるふわのサイドバングとツインテール。目元にはピエロのように涙の痕が結晶化したセルリアンブルーのきらきらした宝石のつらなり。二重人格でいつもの甘ロリモードから女王様モードに突入すると、暴力的で手が付けられない。

『悪の組織』に入ったのも、このリリンが決め手の一つだった、と言ってもいい。俺はそれを恥ずかしいとも思わない。夢くらい見たっていいのだ。なにか化学反応が起こることを期待したかったのだ。


「悪にいっ~なりたいか~っ♪」

(ハイッ ハイッ ハイハイハイッ!)

「悪に、染めてあげる♪」

(ハイッ ハイッ ハイハイハイッ!)


 ……洗脳作戦ライブのあとも、片付けなどでなかなか忙しい。戦っているときよりむしろそのあと、後片付けの時間のほうが長い。汗まみれになりながら、会場に捨てられた洗脳用ルミカライトや、手すりに取り残された、なんだかイカくさくていやな予感しかしない赤いタオル、踏みつぶされた紙コップ、などを分別してゴミ袋に放り込んでいた。いくらこちらが悪の組織だと言ったところで、最低限のルールを守らなければ、大きな正義のルールを打ち破ることはできない。

「美しく 折り目正しく 世界征服」

 が、死神伯爵のモットーだった。

「――ねぇ、戦闘員さぁん」

 と、聞き覚えのある甘え声に振り向くと、ステージの袖からリリンが顔を出し、もじもじしながら、「こっち、こっち」と手招いているのだ。

「リリンねぇ、ヒト科の戦闘員さんに相談したいことがあるんだけどぉ? ちょっとい~い?」

 戦闘員はなかなか名前を覚えてもらえない。だがこれも悪を引き立たせるための刺身に添えられた食用菊、ハンバーグの上のパセリ的運命なのだから仕方がない。

「戦闘員オヤマダをお呼びしましたか! 戦闘員オヤマダ、リリンちゃんのお役にたてるならば何なりとご相談ください! 戦闘員オヤマダは――」

 不自然なくらい戦闘員のあとに「オヤマダ」と選挙カーのように織り込んで、リリンのもとにあわただしくはせ参じた。

 俺は期待に胸を膨らませていた。裏手に連れ込まれると、根拠のない確信まで生まれて俺は浮足立った。たくさんの戦闘員の中から俺が選ばれた。うだつのあがらなかった俺にも、一つくらいチャンスのようなものがあったっていい。そう、チャンスが。

 ――ねぇ耳、貸して。リリンは甘ったるい声で、こう耳元で囁いた。俺はリリンの口元にわくわくしながら改まって顔を近づける。

「リリンねぇ。恋しちゃったかもなのぉ」

「……えぇ~!」

 俺は思わずマスオさんみたいな声をあげた。

 これは聞き捨てならない。〝みんなのココロの中の小悪魔チャン〟ことリリンが、「恋しちゃったかもなのぉ」なのだ!

「こ、恋って、まじすかリリンちゃん!」

 ――だ、誰と。と俺は思わずリリンの肩を掴んで揺さぶった。

 またこそこそ耳打ちして、リリンが顔を赤らめたのに対し、俺は青ざめ途方に暮れ、絶望し、世を呪った。

「あのねぇ、死神伯爵には内緒だよぉ。それはねぇ、シャイニングマンレッドなんだぁ~。きゃ~言っちゃったぁ~!」

 よりにもよってリリンの恋した相手が、あの憎きシャイニングマンだったのだ。しかもリーダ格のレッドに。

 ……シャイニングマンは、俺たちの敵だった。

 シャイニングマン。やつらは正義の味方の風上にも置けないやつらだ。『悪の組織』の怪人として自ら進んで改造を受けながら、その力を「正義のため使う」と『悪の組織』の技術を盗んで逃亡、勝手に正義の味方シャイニングマンを名乗り『悪の組織』に宣戦布告した。改造を受けたその点で、やつらは『悪の組織』の片割れのような存在だった。

 だが、リリンにはそんなことは関係ない。すでにうっとりとした夢見心地の表情をしている。

「レッドってとぉっても素敵なの。アツくてぇ、それでズバっと怪人たちを倒しちゃうのぉ。それを見てるとリリンねぇ、ここがね、なんだかきゅ~ってしちゃうの。これって人間の世界で『恋』って言うんだよね、戦闘員さん? リリンは五〇〇年くらい生きてきてこんなこと初めてだもん。心臓がばーんって、爆発しちゃいそうなの」

〝自バック〟は、まだリリンの中で息づいている。俺にはそれが気がかりだった。もしもこのことで〝自バック〟が爆発したら。

「だめっすよリリンちゃん! 奴らはどうあがいたって俺たちの敵ですよ! それに知ってますか。レッドって残念系イケメンなんですよ~! 『人のいないところでは鼻くそをほじくる習性がある』という報告が、西日本支部から――」

 一瞬にして空気が変わったのに気が付いた。つりあがったリリンの目は目標=俺を捕捉した。

「リリン様だ、無礼者ッ。気安くさわるなッ!」

 打って変わって女王様モードに豹変したリリンの力強い回し蹴りを腹に受けて、俺は吹き飛ばされた。〝悪煎〟の段ボールがなければ、壁に打ち付けられて死んでいたかもしれない。

 去ってゆくリリンの小さなお尻を眺め、俺がぼんやりと思い浮かべたのは、シャイニングマンレッドとリリンがいい仲になる、という情景だった。もしかしたら、レッドとリリンならお似合いかもしれない。なにしろ俺は全身タイツで、目出し帽で、「きえぇぇい!」と奇声を発し、ひょろ長で、おちょぼ口で、坊主で、なにをやっても上手くいかないオナニストで……考えれば考えるほど勝ち目がない。

 ――えぇいレッドめ。

 悔しくて、情けなくて、歯ぎしりして。俺は何年かぶりに涙を流した。

「……食べなよ、コヤマダくん」

 一部始終を目撃していたのだろう。どこからかコジマさんがやってくると、起きあがれずにしゃくりをあげて泣く俺に〝悪煎〟の袋を差し出した。

「オヤマダっす。……コジマさん絶対わざとでしょう?」

 コジマさんは意味ありげににやりと笑い、俺の口に〝悪煎〟を放り込んだ。

「悪い夢なんか、食べちゃえばいいんだ」


 2・悪にも『掟』と言うものがある


 ――その日『悪の組織』はシャイニングマンから挑戦状が届く、と言う異例の事態に揺れていた。

 しかも指定されたのが、一般人の多いパルテノン多摩だったことが、死神伯爵を激怒させた。

「ついにシャイニングマンは正義と悪の間に交わされた『掟』を破り、挑戦状を、しかもパルテノン多摩などという指定付きのものまで送りつける暴挙を犯した。これは許されないことだ!

 しかし、我々は『掟』に従い、この戦いを受けてたたねばならない! 『正義の味方から黙って逃げてはいけない』からだ。しかし……それにしてもだ、せめて推敲ときれいな字は心掛けんか、くうぅぅッなんばらひでぶぁっ!」

 死神なんて恐ろしい名前がついているが基本的に温厚な性格の伯爵が、送りつけられた挑戦状を目にしてわなわな震え、死神らしい血色の悪い土気色の肌も真っ赤に染まって、ついに挑戦状を引き裂いてしまった。『掟』を破ったこともさることながら、伯爵は誤字脱字と字が汚いことが許せない。どうやらシャイニングマンは、あまり文才がないらしい。

 敬礼のコマネチ風のポーズで「きえぇぇい」と雄たけびをあげながら(しかし、『悪の組織』はもう少し別の敬礼の仕方を考えなかったのだろうか)こんなことは前にもあったのか、と、隣りで同じポーズを取るコジマさんに尋ねた。

「いやぁ、新しい展開だよねぇ」

 うーん、とコジマさんは唸る。

「今回は本気で『悪の組織』をつぶす気なのかもしれないねぇ」

『掟』――があった。

 それは別に契約書のきちんとしたものではなく、不文律・習慣法のようなものだった。たとえば『正義の味方が変身しているときに、悪の組織は攻撃を加えてはいけない』とか『悪の組織の壮大な計画を正義の味方はバカにしてはいけない』とか、そう言った簡単なものだ。

 しかし、シャイニングマンは『掟』を破って平気でいる。最近も『悪の組織』北海道支部の戦闘員が、突然シャイニングマンにぼこぼこにされた。それも地元のヒーローショーで〝悪煎〟を売っている最中に、だ。

 吸血鬼の怪人ドラキュリオさんも、病院から貰った輸血パックを手にホクホクしながら家路につくおり、後ろからシャイニングマンに足蹴にされたらしく、大切な栄養補給源である血を失うことになった。

「正義の味方、とくにシャイニングマンみたいな『掟』を忘れたヒーローからしてみりゃ、僕たちは『戦う相手』なんて言う高尚なものじゃない。消耗品なんだ。だってそうじゃないか? 『本当に正しい正義』を僕たちみたいな悪が邪魔しているってことで『正義のために』僕たちを倒すんだ。でも悪いことっていくらでも思いつくけど、正義って曖昧なもんだよね。それで僕たちがみんな倒れたあと、その曖昧な正義ってやつが充満する。僕はいやだよそんなの。息が詰まっちゃうよ」

 よっこいせ、とコジマさんはおじんくさく立ち上がり、軽く伸びをした。

「僕たち戦闘員は、みんなちっぽけで力も弱いけど、どっちかに傾いちゃった時のバランサー、分銅みたいなもんなんだ。僕はね、いつまで続けられるかわからないけど、悪に徹するつもりだよ。戦うつもりだよ。さぁっ、それ行こうコヤマダくん!」

 きえぇぇい。と、コジマさんは奇声を発して『コマネチ』のしぐさをした。コジマさんはなんだかかっこよかった。俺は元気を取り戻して「だからオヤマダですって」と叫びながら、先を行くコジマさんのあとを追った。

 ――パルテノン多摩。

 正式な名称は多摩市立複合文化施設。

 シンメトリーの荘厳な神殿のデザインは、確かにパルテノン神殿を思わせるものがある。

 それは俺にとって懐かしい場所、思い出のある場所だった。近くの大学に通っていた時に、俺は多摩センター駅で、アルバイト先の居酒屋「坊ッちゃん亭」の広告入りティッシュを配っていたからだ。

 一緒にティッシュを配っていたサイコやろうが、ミュージシャン志望だった。どちらの夢も、はたから見ると突拍子もなくて叶いそうになかった。サイコ野郎は、町田町蔵大好き人間で、「メシ喰うな!」をアカペラで歌ってそこらじゅうを走り回っては、たびたび「善良な市民」に通報され、警察に捕まっていた。

 俺は悪の組織に入りたい人間として、この警官を蹴り上げる必要があったような気がするが、生憎悪の組織の居所を知らない。その時はただのへたれ学生だったし、それにサイコやろうは絶望的に歌が下手くそだったから助ける気も起こらなかった。でも、サイコやろうは、本当に楽しそうで自由だった。

 そんな記憶も、今は爆炎に吹き飛ばされる戦闘員たちのゲロと汗と涙と鼻水と、そして血の海に塗れている。

 次々と戦闘員たちは吹き飛ばされていた。のっけからやつらは最終兵器シャイニング・ボンバーを戦闘員に使用するという『掟』破りな方法で俺たちを倒していった。そして大見得を切ったところで、どこまでも俺たち戦闘員は刺身に添えられた食用菊、ハンバーグの上のパセリ的運命を演じていた。

(いけぇっレッド、そんなやつらみんなやっつけろ! レッドガンで撃ち殺せ!)

(きゃあっ。ブルーさま麗しぃ~。あっくそなにやってんだよ! ブルーさまに盾突いてんじゃねぇよザコが!)

(やれっ。殺しちゃえ! そうだグリーンブレードで引き裂け!)

 そんな「善良な市民」たちの心無い声が聞こえる。

 辺りを見まわすと、一人の戦闘員が「善良な市民」たちに足蹴にされている。それがコジマさんだと気が付くのには時間がかかった。なにせ目出し帽姿で一人一人の顔などわからないものだから。

 観衆はやはり正義の味方のシャイニングマンびいきだ。しかし、このたくさんの声を聞いていると、いったいなにが悪でなにが正義なのかわからなくなりそうだった。

 俺は匍匐前進の要領で、コジマさんのもとに到達した。すでにコジマさんは虫の息。それでもニヤリ、と笑った。俺はとにかく「善良な市民」を払いのけ、コジマさんをずるずると安全そうな柱の蔭まで引きずる。

「コジマさん! 腹から血出てますよっ。手当てっ。そうだ手当てしないと!」

 手当てできるものを探す俺を「慌てるな」と、コジマさんは手振りで制した。

「このくらいなんともないよ。それよりも、やっぱり……今回は本気でつぶしに来ているらしいね。

 見たかやつらのやり方を。こんな人の多いところで……しかもこんなそこらの戦闘員にだよ、いきなりシャイニング・ボンバーを使うなんて……。しかも、やつらは人がなにかを憎む力を見事に利用しているよ。コレは一本……取られた。敵はシャイニングマンばかりじゃないんだな。イタタ……」

「怪人の皆さん、まだ来ないんですか? 俺らじゃどうやったって……」

「あぁ、そう言えば……」

 今回の戦いには主要な怪人さんと幹部たちも打って出るということだった。それが、この状態になっても誰も来ない。

「よっしゃぁぁあ!」

 と、おそらくレッドのものであろう勝どきの声が聞こえた。

「――これで正義は勝ったな。怪人どもをみんな首都圏ガイキョウ放水路で一網打尽にできた。楽なもんだぜ!」

「首都圏外郭放水路だ。まったく漢字くらい覚えろよレッド、いい年して」

「ほ、ほんと、ば、ばかだよな、れ、レッドは」

「おまえも正義の味方として、その太ったからだと、噛む癖、直さなければいけないのではないか? 確かにレッドはバカだが……」

「んだよ。バカバカ言いやがって。わかりゃぁいいの、わかりゃ」

 俺は自分の耳を疑った。聞き違いだと思ったのだ。怪人さんたちが、別の場所ですでにやられている、とやつらは言うのだ。

「ホント『悪の組織』の怪人たちなんてチョろいやつばっかり。みんな馬鹿みたいに引っかかるんだもん。ちょっとパンツ見せたらさ」

 と、ピンクがおかしそうに笑う。

「それにさあ、ねぇあの女怪人憶えてる? 勝手に自爆しちゃったヤツ」

〝自バック〟を内蔵しているのは、古参の幹部に限られている。禁止されても古いものだからどうしても取り出せない場合があった。

〝自バック〟があったということは、やつらはやはりあの言葉のとおり幹部から先に首都圏外郭放水路で片付け、小物をここで掃除しているということになる。反則もいいところだ。強いやつから先に倒すなんて。『掟』を踏みにじり続けるシャイニングマンらしい。

「あぁ、マジこんなのまで渡されてさ」

 レッドは手に可愛らしい薄ピンクの封筒のようなものをひらひらさせていた。手紙のようだ。『悪』の印のついたロウが二つに引き裂かれている。手紙の端には血が滲んでいるようだ。緑色の血が。

 レッドからその手紙をぱっと取りあげて、ピンクは誰にともなく読み上げる。

「手紙とかイマドキださくない? マジきもくない? 【シャイニングマンレッド。わたしはあなたに恋しちゃいました。あなたが戦っているのを見ると胸がきゅんてして、苦しくて、でも温かくなります。これは人間の戦闘員さんから恋というものだと聞きました。恋なんて、五百年生きてきて初めてです。この気持は捨てたくありません。お願いです。リリンといっしょに〝悪堕ち〟してくれませんか リリン♡】  

 ぷぅっ、なにこれチョーうける。【胸がきゅん】って、動悸のせいじゃない? ロリばばぁざまぁ」

 おそらくその手紙は、五〇〇年生き続けてきた彼女なりの、精一杯の想いだったはずだ。そして俺には送られないであろうもの。

「バカだな……。勘違い怪人のことなんかさ――」

 レッドは手紙を取り返し、すぐさま丹念に細かく破り捨て「ふん」と笑った。

「好きになるはずないだろ?」

 ――俺の中でなにかが弾けた。『掟』を踏みにじり、乙女の純情を踏みにじるシャイニングマン。そしてただそいつらの曖昧な正義の側について、コジマさんをぼこぼこにした一般人にも、俺は許しがたい怒りを覚えた。

「許さぁぁあんッ!」

「だめだよ、オヤマダくん! 勝てっこないって!」

 残された力を振り絞るかのように、コジマさんは飛び出そうとする俺にしがみ付いた。

「悪に徹して戦うって言ったのはコジマさんじゃないですか!」

「そうだ。だが、こんな状態じゃ単なる犬死だ。僕たちがただの戦闘員だってことを忘れちゃいけないよ!」

 紙吹雪が舞っているのに気が付いた。俺の足元に引っかかった紙片には、リリンの涙の痕、結晶化したセルリアンブルーの宝石がこびりついていた。

 それはリリンの心の欠片だった。

 俺は、コジマさんを振り払った。

「あっ、バカ! オヤマダくん! 戻るんだ!」

「きえぇぇい!」

 一人躍り出た俺を見て、あいつらは驚いたというより、むしろあきれ返っているようだった。

「なんだ、まだ戦闘員が生き残っていたのか」

 と、クール・ガイを決め込むブルー。

「なぁにアレ、ヒョロヒョロじゃない」

 と、俺を指差してげらげら笑うピンク。

「いや、油断させようとしているのかもしれない。新たな怪人かもしれない」

 と、どこまでも冷静なグリーン。

「ゆ、油断させようとするなんて、と、とんでもない悪者だを……だよな」

 と、噛みまくる小太りのイエロー。

「ヨシッみんな、シャイニング・ボンバーでさっさと片を付けようぜ!」そして改造などされなければ、チャラい残念系雰囲気イケメンに終わっていただろうレッドが叫ぶ。

 亞空間ゲートが開き、そこからレッド・ピンク・ブルー・イエロー・グリーンのどぎつい原色の組み合わせからなる巨大なシャイニング・ボンバーが出現し、その発射口が俺に向けられる。

 だが、

「いや、やっぱりこれじゃだめだな。みんなっ!」

 五人はそれぞれ頷くと、あっさりシャイニング・ボンバーを投げ捨てた。

「出でよ! シャイニング・ビークル!」

 五人がいっせいに掛け声をあげるとまたもや亞空間ゲートが開いた。大きな地響きを立てて姿を現したのは、ごてごての装飾品をまとったデコトラ(デコレーション・トラック)だった。コンテナ部分にはシャイニングマン五人それぞれが描かれ、スピーカーから流れる音楽に合わせて左右に吊り下げられた電飾がチカチカ光り、前方部分には空気抵抗を軽減するためのエアロパーツ、「ロケット弾が発射される」という北海道支部からの報告があった筒状の装飾品が取り付けられている。シャイニングマンの品性を疑うような代物だ。

 五人はあわただしくシャイニング・ビークルに飛び乗ると、クラクションの重々しい音とともに急発進して、俺のほうに突進してくる。


 oh! シャイニングマ~ン♪ 

 yes! シャイニングマ~ン♪

 

 投げ捨てられたシャイニング・ボンバーは、まだ亞空間ゲートに回収されないまま地面に転がっていた。俺は急いでそいつに駆け寄り、持ち上げようとするのだが、非力な俺ではどうしても持ち上がらない。こちらが焦るうち、シャイニング・ビークルは、地響きを立てて近づいてくる。


 oh! シャイニングマ~ン♪ 

 yes! シャイニングマ~ン♪


 俺もシャイニングマンのように、死神伯爵に土下座でもして頼んで改造してもらえばよかったかもしれない。改造人間五人に対し、ひょろ長の一戦闘員でしかない俺では、戦いを挑むには圧倒的に分が悪かった。

 しかしそれでも俺はやるしかなかった。掟を忘れたシャイニングマンたちにきっちりお灸をすえてやらなければいけない。いや、こんな自分でも少しくらい傷跡を残せることを証明したい。

 少なくとも『悪の組織』とシャイニングマンとの戦いの期間はあと半年あるから、時間稼ぎくらいには延ばしておかないといけないだろう。

 俺がやらねば、誰がやる。

 なにより、俺は悪の組織の戦闘員なのだ。


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カンザキズムー神崎由紀都初期作品集ー 神崎由紀都 @patchw0rks

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