わたしの、正体。

壱単位

前編 わたしは、葵。


 『……というわけで、今日は更新、ちょっと遅くなるよ。連載をまってくれてるみんな、ありがとね! らいりん友のみんなは、わたしの、宝物です。それじゃあね、みにゃん!』


 ちょうどここまで書いたときに、娘の莉奈りなが二階から慌ただしく降りてきた。ジャージ姿で、おおきなザックを背負っている。二年生になり、女子サッカー部でレギュラーになってからは、週末はほとんど練習だ。


 「今日は部活のあとで、芳香よしかと出かけてくるから。ごはん、たぶん外で食べてくる」


 「あっ……そう、おかね、大丈夫?」


 「まだある、大丈夫。おかあさんは今日、お仕事?」


 「ううん、きょうはちょっと、お友達と出かけてくる」


 莉奈はぱっとかおを明るくしてくれた。


 「ええっ、珍しいね! よかった、楽しんできてね!」


 じゃあね、という感じで手を振って、ぱたぱたと出てゆく。


 わたしはもう一度パソコンに向き直り、保存ボタンをおして、画面を閉じる。


 莉奈は、よい子に育ってくれた。


 たくさん、たくさん、辛い目にあわせて、さびしい思いをさせて、それでも、まっすぐ素直に、育ってくれた。


 莉奈の父親がいなくなったのは、彼女の十三歳の誕生日の、少しあとだった。いちばん、難しい時期。あの子は、それでも、泣かなかった。わたしはそのことで、救われもしたし、煉獄にも堕ちた。


 おちたけれど、結局、あの子に助け上げられたんだと思っている。


 どうすれば報いることができるのかわからないままに、ふた親の役目を演じつづけて、気がつけばあの子は、わたしよりもずっとおとなになっていた。


 生活を支えるためのしごとはしんどかったから、わたしはあの子に、甘えたんだと自覚している。ときおり、ごめんね、というと、あの子はいまどきの若者ことばで、こう、応じてくれた。


 みにゃっ! こっちがごめんだよお、いつもありがと、だいすきだよ。


 そのことばがわたしは忘れられなくて、ネット上、つまり、らいりんでの口癖になってしまった。


 小説投稿サイト、ライティングアンドリーディング。略して、らいりん。書く、読む、のどちらも楽しむことができるそのサイトに、わたしは夢中になっている。


 高校生のころ、小説を書くことが趣味だった。が、社会に出て、家庭をもって、そうしてそのかたちが普通でなくなるにともなって、そんな趣味をもっていたことすら、忘れていた。


 どういうきっかけなのか、自分でもわからない。昨年の十二月、雪がつもりはじめたその朝、朝食のあとかたづけをしている最中に、ふいに、やってきたのだ。


 わたしを、だして。あなたのとおい記憶から。そばで、歩かせて。


 むかし考えていたおはなしの、主人公。わたしとはまったく違う、靭くて、でもとてもよわいひと。子供のような純粋さをもって、泣きながら、わらいながら、自分の宿命に立ち向かってゆく。そんな存在。


 夢中になって文字に起こした。その朝にらいりんに登録して、午後三時ころには、第一話をアップしていた。


 ただ、いまのわたしが、結婚と生活に失敗をしたわたしが、それを綴ることは、まちがっていると感じていた。だから、ちがうわたしに書かせた。


 らいりんの上でのわたしは、本名の青菜あおなをもじって、あおい。十七歳の高校生ということにした。そのおはなしを構想していたのがそのころだったから、ふさわしいのではないかと考えた。厚かましいことだったが、気にしないようにした。


 主人公は、とくべつな能力を発揮して、たくさんの困難を乗り越えてゆく。その道中ではなんにんもの仲間に恵まれてゆく。わたしの願望も、織り込まれていた。


 そのおはなしを、気に入ってくれたひとが、なんにんかいた。


 らいりん上でやりとりをするひとを、らいりん友、というらしい。わたしが特に親しくしてもらっていたらいりん友は、四人、いた。


 ぜんいん、高校生ということだった。


 ももちゃんは、いつもわたしを……葵を、褒めてくれる。あおいちゃん、すごいね! わたし、こんなおはなし、ぜったい書けない!

 

 黒虎くんは、おとこらしい語り口で、それでも葵のかく話を面白がってくれる。ももちゃんに同意、俺もだよ、主人公がまさか、あの敵役の……ああ、これ以上はネタバレ!


 紅緒さんは、男性なのか女性なのか、わからない。とにかくいつも葵にラブコールをくれるひとだった。一人称は、僕。ねえ、あおいちゃん、いいかげん僕のこと、べにちゃんって呼んでくれないかなあ?


 シロさんは、いつも眠そうにしていて、文字だけのサイトなのにその妖艶な微笑みが見て取れる、不思議な雰囲気の女子だった。ふふ……あおいちゃん、あなた今日、とっても綺麗よ、わたしには、みえる、の。


 四人は、わたしの……葵のかいたおはなしにいつもコメントを書いてくれて、ログノートという、らいりん上で近況をつたえる場所にも、ひんぱんに遊びにきてくれていた。


 わたしは、ここは夢の世界なんだろうと、叶えられなかった想いを叶えてくれる、とくべつな場所なのだろうと理解した。


 だから、四人をはじめ、かまってくれるみんなを、大事にした。みんなもわたしを大事にしてくれた。


 うれしくて、夢中でおはなしを書いて、たくさん交流して、四人とはもはや親友とよべる関係になったと思っている。


 そうして、先日。


 『ねえ、そろそろみんなで、おふぱしない?』


 言い出したのは、紅緒さんだった。わたしのログノートのコメント欄に、ぽこん、という通知音とともに、書き込まれた。


 『あっ、いいね。みんな、おうち近所らしいもんね』


 ももちゃんが即座に応じる。


 おふぱ、という言葉がわからなかったわたしは、葵に尋ねさせる。


 『ふなっ? おふぱ、って、なに?』


 『なんだよ、あおいさん、そんなことも知らないの?』


 『くろとらくん、その言い方は、ひどい、と、思う……あおいちゃん、ねえ、きに、しないでね』


 『ひゃわわ、シロさん、ちがうって。ちゃんと説明しようとおもっただけ。あのね、オフパって、オフラインパーティ。要するにネット上で知り合ったみんなが実際に集まって、わいわいやろう、っていうやつ』


 『あら、そういう、もの、だったの……』


 『なんだよ! シロさんもしらねえんじゃん!』


 あはは、という笑い声がきこえるようなノート上のやりとりを前にして、だけど、わたしは固まっていた。


 実際に、会う……?


 その四人とは、それとなく住んでいる場所をおたがいに伝えあっていた。たまたまおなじ県内だということもわかっていた。


 だけど、ほんとうに会うことなどないだろうと、思ってた。


 だからずっと高校二年生の葵としてふるまったし、精一杯わかい言葉づかいで、高校生どうしの友情をたのしんでいたのだ。


 『……あおいちゃん? どうかな?』


 紅緒さんに呼びかけられる。しばらく悩んで、精一杯の抵抗をこころみた。


 『……あっ、うん、いいね! でもあたし、かわいくないからなあ。みんなに会う自信がないよお』


 『なにいってんだよ! あおいさんが可愛くなかったら、俺なんて創世の黒熱暴竜ブラックドラゴンだよ!』


 『くろとらくん、なんでそこで自分アゲしてるの! でも、わたしもあおいちゃん、会ってみたいなあ』


 『わたしも、あって、みたい。きっと、すっごく、素敵って、思う』


 そのあともしばらく押し問答が続いたが、けっきょく、押し切られた。断るための上手な理由が、なにもなかった。


 無理に断れば、わたしの居場所、らいりんがダメになると思ったのだ。


 パソコンを閉じてしばらく、わたしは、ちいさく震えていた。


 そうして、今日がその、約束の日だった。


 午後二時、みんなが馴染みのある駅のすぐそばの、カラオケボックス。


 そこが待ち合わせ場所だった。 

 

 

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