吸魂鬼とやらに求婚されてるが、俺はお前が好きじゃない
月白輪廻
吸魂鬼とやらに求婚されてるが、俺はお前が好きじゃない
疲れた身体を引き摺って、ボロアパートの扉を開ける。今日も今日とて満身創痍だ。
あのハゲ専務、現場のことも考えずにばかすかばかすか案件取って来やがって。取って来た所でてめぇは仕事しねぇだろ。
なのに昇給もなければ、ボーナスなんて給料の半分だ。
馬鹿馬鹿しくてやってられない。だからといって退職届けを出しても、上司に揉み消される。
いっそ会社ごとハゲ専務とクソ上司を燃やしてやろうか。
内心ぼやきながらアパートの鍵を締めた。ボロ故にサムターンのガシャンという音が大きく響く。
深い溜め息を吐きながら適当に靴を脱ぎ捨てる。揃えるのすら面倒臭く、靴の片方があらぬ方向へ転がった。
切削油独特の匂いがこびりついた作業着を脱衣場で脱ぎ、パン一のまま手洗いうがいをした。
洗面所の鏡に、俺のヒョロガリの貧相な身体が映った。色も生っ白く、筋肉もない。必ずシックスパックになってやると意気込んでいるものの、如何せんインドアのため、現実になるのはいつのことやら。
そのまま部屋着を求めてパン一で彷徨く。通りすがりに台所のコンロにヤカンをセットし、今夜の晩飯の準備をした。
湯を沸かしている間、その辺に落ちていた適当なトレーナーとハーフパンツに着替える。ふとトレーナーの胸の辺りに、赤いシミがあるのに気付いた。
ラーメンの汁が跳ねたのか。これは洗濯だな。
台所に再び戻り、ラックから晩飯を物色する。
味は選び放題だ。定番の醤油、味噌、豚骨、シーフードに、激辛や期間限定の味もある。塩ヤキソバなんてのも良いかもしれない。
俺は悩みに悩んで、激辛のカップラーメンを手に取った。矢張イライラしている時はこれだ。
立ち上がりカップラーメンのフィルムを取って蓋を開けた所で、甲高い音が湯の沸騰を告げる。
湯を注ぎ、蓋を閉めてその上に箸を置くと、六畳一間に戻る。ここから三分待たねばならない。
六畳一間の俺の城には、座布団並みに薄っぺらい万年床と、折り畳み式のテーブルが部屋の真ん中に鎮座していた。
布団を座布団代わりに腰掛けると、晩飯をテーブルの上に置いて、いそいそと携帯を取り出す。昨日のアニメの続きを観なければ。確かこれで最終話のはずだ。
一途な健気系ヒロインが闇堕ちして、それをクズ主人公が利己的な理由ながらも救うのだ。予告ではそんな感じだったが……取り敢えず主人公よ、キャラブレだけはしてくれるなと願いつつ、再生ボタンを押した。
壮大なオープニングが始まり、そこそこクオリティの高い作画でキャラクター達が動く。俺はオープニングは飛ばさない派だ。
真剣に眺めていると、アニメのオープニングも終わり、ラーメンも丁度良い頃合いだった。
一時停止ボタンを押して、俺はラーメンの蓋を開ける。見た目からして辛そうだ。俺は頬を緩めながら、箸を差し入れた。一度かき混ぜないと粉末が固まっている部分があるため、味が均等にならない。
無言でかき混ぜ、そしてラーメンを啜った。
あ、汁がトレーナーに掛かった。いやどうせ洗うし良いか。オレは真っ暗になった携帯の電源ボタンを押し、アニメを再開させた。
一心にカップラーメンを貪り、アニメを観る。
クソみたいな一日の中で、この時だけが俺にとっての幸福な時間だった。
そんな至福に浸っていると、何やら隣家の犬が騒がしい。俺の楽しみを邪魔しやがってと、犬相手に恨みがましい気持ちになる。
俺は携帯の音量を最大にした。
『私を救ってよ……!嘘でも良いから、私だけを見てるって言ってよ!!』
『黙れ。俺に命令するな。俺は、俺のためにしか動かない』
「あー……闇堕ちするとヤンデレのパターンか、ありがちだな。俺ヤンデレはなぁ、美味しくいただけないんだよなぁ」
口の周りを赤くしながらぶつぶつぼやく俺は、端から見たら大層気持ち悪いだろう。自覚はある。
三十手前で彼女もなく、むしろ彼女いない歴=年齢の俺は着実に魔法使いへの道を辿っている。最近では「ここまで来たらなるしかないか、魔法使い」と開き直りつつあるので、重症だ。
画面では、主人公がヒロインにえげつない猛攻を仕掛けていた。顔面もグーパンで殴っているし、どう見ても主人公の方が悪役だ。
大丈夫か、このアニメ。
つい止まってしまっていた手を、慌てて進める。
このままではいけない。ラーメンの一番美味い時を逃してしまう。
豪快に麺を口に含んだのと、部屋に一つしかない窓ガラスが吹っ飛んだのは同時だった。
「いったぁ~……あの怪力野蛮ペチャパイ女、よくもやってくれたわね!!」
ガラス片を撒き散らしながらささくれ立った畳に転がっていたのは、真っピンクの髪をツインテールにした女だった。
十代後半位か。街を歩けば十人中十人が振り返るだろう可愛らしい容姿に、そこそこ大きい胸と張りのある尻を申し訳程度の布で覆い、皮のジャケットを羽織っている。
厚着すべきはそこじゃないし、「Are you 痴女?」と尋ねたくなるような服装だ。コスプレイヤーにしても少々過激過ぎるような気がする。
「何この床、枯れ草じゃない。貧しい家ね」と、日本の文化でもある畳に文句をつけながら、身体を起こした女とばっちり目が合った。
「……あっ、アンタ魔力持ちじゃない!丁度良かったわ、アタシと結婚して!」
「……何言ってんだ、この女。頭おかしいのか?」
「何ですって!?」
「あ、ヤベ本音が。えっと、どこの病院から?」
「違うわよ、失礼な人間ね!アタシは吸魂鬼よ!」
俺は無言で携帯を手に取ると、警察へ通報しようとした。だが女が聞いたこともない言語で何事かを呟くと、携帯は弾き飛ばされ廊下に転がった。
―――画面割れてたら、マジでこの女警察に突き出す。
仕方なしに、俺はこの危ない女を落ち着かせるべく、話を聞いてやることにした。興奮した動物も人間も、刺激しないのが一番だ。
「アンタ誰。結婚って何、つーか窓ガラス、どうしてくれんの。あと畳、掃除してくれるんだろうな」
内心穏やかではないため、喧嘩口調になってしまう。矢継ぎ早に言うと、女が「あー、もうっ!一辺に言わないでよ!!」と地団駄を踏んだ。
止めろ。ボロアパートは少しの物音も響くんだ。両隣の住民から苦情が来るだろ。
「窓なんて簡単に直せるわよ、ほら!」
ヤケクソ染みた口調で女が指を鳴らすと、畳の上のガラス片が浮き上がり、まるで時間を巻き戻したように元通りになっていく。数秒足らずで、割れていたのが嘘のように罅一つなく綺麗になっていた。
「アタシ位になると、こんなことも出来ちゃうのよ」
女が得意気に胸を張った拍子に、比較的大きい部類に入るそれがわざとらしく揺れた。
目のやり所に困り、俺は視線をさ迷わせた。
「吸魂鬼って?」
「アンタ、そんなのも知らないの?人間の生気や魂を吸う、所謂悪魔よ」
「……何たってその吸魂鬼さんが、こんな所に?」
「アタシ達吸魂鬼には、七つの一族があるの。その七つの一族の代表を決めるのに、アタシ達は選んだ人間と結婚して、ライバル達と戦うのよ。アタシはその内の一つ、ロセウス家のメロよ」
「結婚っていうのは……」
「こっちの世界だと何て言ったかしら、えっと、約束?契約?そんな感じね。どう?アタシと結婚する気になった?」
マイワールドの設定が確り練られている。俺は考えることを放棄した。
仕事をしている時より、どっと疲れた。段々頭も痛くなってくる。
「例えば、例えばだぞ。俺がお前と……契約したとして、俺のメリットは?」
メロと名乗った女は、俺の問いにきょとんとした顔をした。
「何言ってんのよ、アタシみたいな美少女と結婚して、一緒にいられる。それが一番のメリットでしょ」
「もう通報だな。決定。お巡りさーん」
俺は廊下に吹っ飛ばされた携帯を求め、メロに踵を返した。しかし彼女が再び理解不能な言語で何かを言うと、俺の身体はまるで石のように動かなくなる。
「その板。何だか知らないけど、見る人間皆持ってるってことは、凄い機能があるんでしょ?させないわよ、アンタはアタシと結婚する!これは決定事項!魔力持ちの人間なんて、そう簡単には見付からないんだから。こんなチャンス、逃すものですか!」
近付いて来たメロが、俺の正面で立ち止まった。そして俺が動けないのを良いことに、爪先立ちで顔を近付けて来る。
甘い、菓子のような匂いが鼻を擽る。彼女の香水かシャンプーか、はたまた体臭か。くらりとするような匂いだ。
メロの淡い桃色をした唇が、ほんの数センチの所に迫っていた。心なしか吐息からも甘い匂いがする。
普通の男ならかなり嬉しい展開なのかもしれない。美少女に迫られる等、モテない男ならば数億回は妄想するだろう。普通の男なら。
「さ、せぇ、るぅ、っかぁ!!」
気合いの入った巻き舌になりつつ、意地と気力となけなしの根性で全身をビキビキ言わせながら、俺は固まった身体を無理矢理動かした。
そしてほぼゼロ距離といって良い程俺にくっついているメロの身体を、全力で突き飛ばす。
ヒョロガリとはいえ大の男の全身全霊の力に、少女の小柄な身体はお笑いのコントのように転がって行った。
「いったぁ!!アンタねぇ、こんなか弱い美少女をそんな力一杯突き飛ばす普通!?キス位何よ、生娘じゃあるまいし!!今時の若い子なんて付き合ったら直ぐキスするんでしょ!?」
「それは偏見だろ……」
全身の痛みに息を荒げながら、メロから距離を取って座り込んだ。明日は筋肉痛確定だろう。
そして息を整えた俺は、畳に打ち付けた尻を擦る彼女に、はっきりと言ってやった。
「俺お前が、いや、正確にはお前の顔が、生理的に受け付けないんだよ」
己のことを美少女と断言していた位だ。こんな暴言等、言われたことがなかったに違いない。
その証拠に、メロは唖然とした顔をしながら、珍獣を見るような目で俺を見ていた。
「俺高校の時に、ちょっと好きだった子がいたんだよ。結構可愛くて大人しい感じの、おどおどした。でも俺みたいなオタクとか、そういう大人しい奴ってスクールカーストだと底辺だろ?」
メロがよく分からないという様子で、曖昧に頷いた。未だ心ここに有らずの彼女を尻目に、俺の熱弁は続く。……久し振りに思い出したら、何だか腹が立って来た。
「その子、可愛くて頭も良かったからさ。クラスのカースト上位の顔だけ能無し馬鹿女に、事ある毎にマウント取られてて、しかもそいつのやり口がまた滅茶苦茶陰湿だったんだよな。お前、そいつに顔がすっげー似てんだよ。だから生理的に無理。他を当たってくれ」
胸の前で大きく✕印を作り、俺は温くなってしまったラーメンの残り汁を捨てるため、流しに立った。
空のカップを潰し、ゴミ袋に捨てる。そしてその足で洗面所に行き、歯を磨いた。この隙に携帯も拾う。
戻ってみると、メロはまだ呆然と座り込んでいた。
余程自分の容姿に自信があったのか、ショックが大きいらしい。
俺は彼女の存在を無視して、少し早いが布団に入る。さすがに可哀想なので、電気は消さないでやった。せめてもの慈悲だ。だから早く出てって欲しい。生憎俺は明日も仕事だ。暇ではない。
「……何でアタシがいるのに、寝る体勢になってるのよ!」
「チッ、復活しやがった……」
俺はメロに背中を向けたまま言ってやる。
「だから、お前の顔が生理的に無理だから、契約できない。これ以上訳分かんねぇこと言うなら、マジで警察に突き出す。早く出てけ」
「~っ!!」
メロは立ち上がると、先程直した窓を再び割って出て行った。右隣の部屋の壁が、ドン!!と強く叩かれる。
「クソ女……玄関から出てけよ」
割れた窓を塞ぐ気力もなく、俺はそのまま寝落ちた。
その後、メロの契約者だと勘違いされた俺は、何故か吸魂鬼の代表を決める戦いとやらに巻き込まれ、怪力野蛮ペチャパイ女と、くっ殺女騎士系吸魂鬼やら、巨乳お耽美百合お姉様といった個性と性癖が大渋滞したような奴等と争う羽目になるのだが……この時の俺には知る由もない。
そしてその中で結局、なんやかんやあってメロとの仮契約をしてしまうのだが、夢の中の俺にはそんなこと一切関係ない話だった。
吸魂鬼とやらに求婚されてるが、俺はお前が好きじゃない 完
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