【短編】言葉抽出装置

結城 刹那

第1話

 カクテルパーティー効果を知っているだろうか?

 カクテルパーティーのような騒がしい場所であっても自分の名前や興味関心がある話題は自然と耳に入ってくるという心理効果のことを言う。


 その効果に類似した機能を持つイヤホンを、今俺は耳につけている。

 折りたたみ財布サイズのイヤホンケースにアルファベットの刻まれたキーボードが付けられており、入力するとスクリーンに文字が表示される。


 イヤホンは半径1キロメートル以内で聞こえた声を収集し、その中に入力した文字を発した声があれば、その声を集中的に耳に伝えてくれる。声の抽出を停止したい場合は、ケースの『停止ボタン』を押せば、また別の声を抽出してくれる。


 昼の中庭でベンチに腰を下ろし、空の景色を眺めていた。

 ノイズキャンセリングがかかっており、外界の音は聞こえてこない。無の静寂に包み込まれ、なんだか難聴を患った気分だった。


「まあ、俺の噂をしている奴なんているわけないか」


 たまたまネットで見つけて面白そうだから買ってみたものの、正直言って有用な使い方が全くわからなかった。俺の名前を入力し、抽出を図ってみたのだが、30分経っても一件も拾うことはできなかった。


 クラスでは影の薄い存在である俺のことを昼飯時の話題なんかにはしないだろう。もしかすると気になる女子の声を聞くことができるかもと妄想を膨らませていたが、所詮妄想にすぎなかったみたいだ。


「桐谷先輩っ」


 すると入力された『きりたに』と言う文字に反応し、イヤホンを通して俺の耳に声が聞こえてきた。沈黙を破る突然の声に驚く。瞳孔が大きく開くのを感じる。しかし、次の瞬間には瞳孔は細くなり、訝しげな様子で目の前に映る少女を見た。


 紺色のロングヘアに成長の乏しい痩せ細った体。それでいて、目は強気に鋭い視線を俺に浴びせている。「先輩」と口にはするが、卑下するような視線は俺に対して一ミリもそんなことを思っていないようだ。


 俺はため息をつきながら、イヤホンを外すとケースにしまった。

 姫宮 京香(ひめみや きょうか)。俺の一個下の後輩で、家が隣同士のため互いをよく知る間柄だ。せっかく、俺を噂している人が現れたかと思ったら、ただ単に呼ばれただけであったことを残念に思う。


「いつもみたいに、優兄と呼んではくれないのか?」


 そうすれば、機能が働かずに下手な期待感を抱かずに澄んだのだがな。


「いやよ。学校でまでそんな呼び方をするなんて。恥ずかしい」

「中学の頃は普通に言っていただろう。まあ、二年生くらいから先輩呼びに変わったけど」

「人間は学習を通じて成長するのよ」

「それで何か俺に用か? 京香がこんなところに来るなんて珍しいな」

「いつも一人で、中庭でお昼を食べている桐谷先輩を慰めてやろうかと思って」

「なんだ、そんなことか……もう一年以上この生活を送ってるんだ……慣れたもんだよ」

「悲しい慣れだね……ねえ、桐谷先輩。今日ってなんの日か分かる?」

「今日……」


 京香の誕生日ではないし、俺の誕生日でもない。他の誰かか……いや、思いつかないな。別にバレンタインやクリスマスといった特別な日でもない。


「さあ、皆目検討もつかないな。何かあったか?」

「うんうん、なんでもない。そっか……桐谷先輩は分からないのか……」


 京香は自分に呟くように小さな声で言うと、何事もなかったかのように済ました表情を見せる。


「そろそろ帰るね。いつまでも一人でいたらダメだよ。もうすぐ大学受験も始まるんだし、高校での思い出を作ってもいいんじゃない?」

「もう遅いよ。今さら頑張ってもどうにもならないさ。大学で頑張るよ」

「それ、中学の時も同じこと言ってたよ。はあ、本当にどうにもならない人だな」

「ほっとけ」

「はいはい、それじゃあ、またね」


 京香は背を向けて歩くと後ろでにこちらに手を振った。可愛らしい容姿とは裏腹に制服にポケットを突っ込んでいる様子はチャラい男のように見える。あれがなければ、可愛いんだがな。そうは思いつつも、ボーイッシュになった原因は俺にあるのだから何も言えない。


 昔は家でよく一緒に遊んでいた。その際に、アニメや特撮ヒーローといった男子中心のメディアを見せ続けたせいで、彼女の心には男ものが浸透している。だから、たまに同じ女子との会話で困ることを話していた。


 とはいえ、俺が孤独から抜け出せないのと同様、あいつも今から乙女になることはできないだろう。それでも彼女なりにうまく友達とやっていけているのだ。なら、なんの問題もないはずだ。


「それにしても、優兄か……『ゆう』で入力したら、もしかしてヒットするかもしれないな」


 そう思い、イヤホンケースの画面に書かれた『きりたに』を『ゆう』に変える。再びイヤホンを耳につけて、静寂の空間へと足を運んだ。


「ねえ、聞いた? ゆうくんのこと」


 すると数分後、『ゆう』と口にした女子の声が聞こえてきた。俺の予想通りだ。まさか俺は外から優くんと呼ばれているとは。案外、人気だったりするんじゃないか。


「知らないの? 優くん、明美に告ったんだって。明美のやつ、今日の朝、すごい陽気に話してたの。いいなー、イケメンでサッカー部のエース。私もそんな人に告られたい」


 だが、すぐに幻想であったことに気がつく。まあ、何百人と生徒がいれば、優なんて名前が被っているのも無理はないだろう。

 ため息をつきながら、イヤホンを外す。結局、俺のことを話してくれる人なんて世界にはいないみたいだ。


 なんだか、真に孤独なのを知ったからか、心が妙に寒くなってゆくのを感じた。

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