別の世界

見知らぬ森の中に、絶はいた。


さっきまでの白い部屋と、品のいい男はどこかへ消えた。


辺りを見まわし、近くにあった池で顔を洗う。


冷たい水が肌に触れる感覚はリアルで、絶は自分が生きていると実感した。


水面に映る自分の顔は、現世とは違う。黒い髪に黒い瞳の日本人である点においては同じだったが、顔の特徴などはまるで違う別人だった。


よく見ると着ている服も、いつの間にかワイシャツに学生ズボンだったものも、中世のヨーロッパ人が身にまとうような服に変わっていた。更に、腰には剣もある。


絶は剣を抜き、刃をじっくりと眺めた。鋭い刃に、木々の隙間から差し込む光が反射している。


重厚感もあり、それはまるで本物同然だった。


絶は剣をしまい、もう一度辺りを見まわすが、森が広がっているだけ。


鳥の鳴き声と、風に揺られる木々の音だけが聞こえてくる。


そして絶は、ふとポケットに手を入れたときに、何かが入っているのに気がついた。


「トランプ…?」


ハートの7のトランプカードが一枚、絶のポケットに入っていた。


「ふっ…、ふざけた場所だ…。」


絶にとってそこは異常だった。


自分の容姿がまったく知らない誰かになり、服装は中世のコスプレ、本物同然の剣。さらに辺りは現代では考えられない程自然豊かな場所に、ポケットにはトランプカードが一枚。


もはやここは自分が元いた普通の世界ではない。絶はそう思った。


死後の世界かなにかなのかと考えた絶は、拳を近くの木に向かって叩きつけた。


何度も何度も、力一杯に。


そして皮が捲れ、血が出た頃に木を殴るのをやめた。


痛み。それを絶は感じていた。


痛みという感覚。生きているという証明。


絶は自分が今生きていることを認めると同時に、自分はなぜ死んだのに生きているのかという疑問を抱いた。



あの晩、絶は確かに死んだ。


とある組織とのギャンブル。


勝てば1000億という大金が手に入るが、負ければ命を失うギャンブル。


組織のNo.2の男に挑み、絶は敗れた。


その勝負において、敗北=死の関係にあり、そこに逃げ道はない。


だからあの男に牌を倒された瞬間に、絶の死は確定している。


そして、ベッドの上で首に麻酔を打たれて意識を失った絶は、間違いなくその後殺されている。


それなのに、なぜかあの奇妙な白い部屋で目覚め、そこで意味のわからない事を言われ、気がつけばこの森にいた。


全てが理解不能。不可解の連続だった。だが、絶はそれに関してまったく違和感を感じていなかった。


今目の前に起きている生の実感。それだけが現実であり、信じるに値するもの。それ以外がどんなに異常であろうが関係はない。


絶にとって、もはや先程までの一連の出来事などどうでも良かった。



絶は木の下で横になると、目を閉じた。


今は疲れた。とにかく眠い。


あの晩の8時間に及ぶ死闘。


身体的疲労ではなく、とにかく脳が働かないくらいまで疲労していた。


今は寝る。ただそれだけ。


だが、あいにくな事に、絶が眠りについてからしばらくして、一人の男の声と腹部の痛みによって、絶は目覚めることになった。


「起きろカス!」


絶が目を開けると、そこには4人の男女の姿があった。髪の色こそ派手な人物もいるが、染めているだけ、全員日本人のようだった。


絶が起き上がろうとすると、男の一人が絶を蹴り飛ばした。


そして他の連中がそれを見て笑い出す。


すると蹴り飛ばしてきた赤い髪の男が絶にでかいリュックサックを放り投げた。


「おら、とっとといくぞカス野郎。早く荷物持って着いてこい。」


「おい、誰だてめーら…。」


絶は赤い髪の男を睨みつけてぼそっと言った。


「あ?なんだ急に?頭いかれたのか荷物係のクソカスくんがよぉっ…!!」


絶は赤い髪の男に再び蹴り飛ばされた。


絶は赤い髪の男を睨みつける。


「は?んだよその目はよぉ…。調子に、乗るなカス!!」


男は絶に腹を立て、何度も何度も蹴り飛ばした。


絶は蹲りながら、ひたすら蹴られた。


「おいジェイク。そんなやったら死んじまうぞ。」


「別にいんじゃないかしらこんなやつ死んでも。どうせパーティーにいても足手纏いなだけだし。」


「だっはっはっはっはっはっ…!!メアリー、お前がパーティーに誘ったくせによく言うぜ。」


絶を蹴る赤い髪の男の後ろで、蹴られる絶を見ながら談笑するロン毛男とポニーテール女。


「あの、それ以上は…。」


一人のか細い女の声で、男の蹴りは止まった。


「は?なに?」


「…。」


声の主は、そばかすの、前髪が重たい黒髪メガネの女だった。


「今なんか言った?」


絶を蹴っていた男がそばかす女に詰め寄る。女は黙っている。


「おい、なんか文句あんのかブス。」


「…。」


「チッ…、だんまりかよ。気色わりーな。」


赤い髪の男はイライラしながらそばかす女にそう言った。


「なぁジェイク、そろそろ麗しの洞窟いこーぜ。早く依頼終わらせないと今日中に報酬受け取れねーぞ?」


「わーってるよ。ったく、このお荷物供がイライラさせっから…よっ!」


赤い髪の男はそばかすの女を蹴り飛ばした。蹴られたそばかすの女はたちまち地面に転んだ。


「よしざこども、とっとと立て。出発だ。」


赤い髪の男はそう言って歩き始める。その後に続いて、ロン毛とポニーテールの奴らも歩き出す。


絶がなんとか立ち上がろうとすると、先に立ち上がったそばかす女が絶に手を出した。


「大丈夫…?」


気を使い手を伸ばすそばかす女を無視して、絶一人で立ち上がった。


そして、前を歩く連中について行く。


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