雷雨が激しく窓を叩く深夜。広美は何度も寝返りを打つがなかなか眠れず起き上る。


「……やっぱりこんなところもういや。私だけでも助かる道を考えないと。だけどどこにいても見張られているんならただ逃げ出しただけじゃ見つかって裕也君達みたいになっちゃう。一体どうしたら」


彼女は呟くとどこかにいいアイデアがないかと思いそっと部屋を抜け出し屋敷の中をうろつく。


「そう言えばここ大きな書斎があったわね。きっとそこにある本に何かいいアイデアが書いてあるはずだわ」


そう思いたつと三階にある書斎へと向かった。


深夜という事で薄暗い廊下を犯人に遭遇するのではないかとびくびくしながら歩きようやくたどり着いた書斎へと飛び込む。


「ひぃっ……」


その時ひときわ大きな音で雷が落ちた。その音に臆病な彼女は悲鳴をあげ身を縮こませる。


「……この屋敷に来てからずっとこんな天気ばっかり。まるで時が止まってしまっているかのように毎日同じ日を繰り返しているみたいな……まさか、そんなことあるはずないわ」


自分自身の考えに可笑しくて小さく笑う。


きっと気がめいっているせいでそんなふうに感じてしまうのだと考えを振り払った。


「……えっと。電気をつけてっと」


電気をつけると書斎の中にある本棚へと目を向ける。


この中になにかいいアイデアが書いてあるよいものはないかと思い探していたが、ある違和感に気が付く。


「……あれ、この本も、こっちの本も何だか古いものばかり」


試しに手に取って製造年月を確認する。するとそこには明治初期に製造されたものであると記されていて他の本も調べてみると全て明治初期に作られたものであると分かった。


「今は西暦一九八六年。つまり昭和六十一年なんだから、もっと最近に作られた本とかがあってもいいはずなのに……」


本棚にある本は全て明治初期もしくは江戸時代につくられた本ばかりで広美はおかしいと思った。


「これは……」


その時古い新聞記事を見つけた。そこには第一次世界戦争について書かれていて新たに軍に配属された兵士達の名前が載っていた。


「第十三番隊隊長……天月志郎の下には月影平米。山野隆利、浅井幸雄。浅井太知が配属されることとなった……天月さん達と同じ名前」


記事に書かれた内容を一部読み上げた彼女はひんやりとした冷たく嫌な思いに冷や汗を流す。


「はははっ。いやいやそんな事は絶対にありえないって……たまたま偶然同じ名前の人よ。同性同名なんてよくある事じゃない」


そう言い聞かせてみるが拭えない不安に胸が騒ぎ立てる。


「……まさか、ね」


「おや、広美さん。このような遅くに如何されました?」


そう呟いた時背後から誰かに声をかけられ彼女は心臓が跳ね上がるほど驚く。その拍子に手に持っていた新聞が床に落ちた。


「すみません。脅かすつもりはなかったのですが。大丈夫ですか?」


申し訳なさそうな顔で彼が謝ると広美が落としてしまった新聞を拾い上げその記事に目を落とす。


「……あ。その、ええっと。不安でなかなか眠れなくて。そ、それで何か本でも読んで眠気を誘おうと思ったんです。だから、全然その新聞なんか見てませんよ」


「ふっ。そうですか。……見て、しまったんですね」


その様子に彼女が慌てて弁解するも志郎は微笑み静かな口調でそう答えた。


「だ、だから見てないってば!」


「知られてしまったのでは……仕方ないですよね」


「浅井幸雄ここに。我等誇り高き第十三番隊。例えこの身がかき消されようとも隊の名において任務を遂行いたす」


悲鳴に近い声で喚く彼女の言葉など聞こえていないかのように彼が言うと幸雄がそっと現れ広美の前へと歩み寄って来る。


「お、お願い。こ、こないで!」


悲痛な声で訴えるもむなしく彼女の前へとやって来た彼は、手にしていた何かの液体が満たされた瓶のふたを開けて中身を彼女へとぶちまけた。


「き、きぁあっ」


その時背後の扉から少女の悲鳴が聞こえ志郎達は振り返る。


そこには由紀子の姿があり彼女は部屋を抜け出した広美の後を追いかけてきたようである。


しかし見てはいけない現場に遭遇してしまい思わず悲鳴をあげてしまった。そのせいで自分がいる事がばれてしまい彼女はしまったといった顔で硬直する。


「おや、見てしまいましたね?」


優しく微笑む志郎の笑みが怖くて彼女は凍り付いたかのようにその場から動けなくなってしまう。


「浅井太知ここに。我等誇り高き第十三番隊。例えこの命途絶えようとも隊の名において任務を遂行します」


「っぅ……」


静かな口調でそう宣言した太知の言葉に由紀子は悲鳴をあげる事もなく息を飲み込んだ。


外ではまるで嵐の前の静けさのように先ほどまで鳴り響いていた雷鳴も激しい雨もぴたりとやんでいた。


 翌朝。目が覚めた洋子は由紀子と広美の姿がないことに腹を立てていた。


「私一人だけのけ者にして二人して逃げ出したに違いないわ」


怒りのままに彼女達を探そうと外へ出ようとしたその時……。


「きゃあっ!」


甲高い悲鳴が聞こえ洋子は一瞬怯えて動きを止めた。


しかし声が聞こえた方へと向かえば広美か由紀子があげた悲鳴であり、何かを発見したのかもしれない。そう言い聞かせ声が聞こえてきた方へと駆けて行った。


一方早朝に目を覚ました春香はあまりにも早く起きてしまった為一人でいるのが不安で落ち着かず。志郎達の下を訪ねようと三階にある志郎達の部屋へと向かっていた。


「あら?」


志郎達の部屋へと向かう途中にある書斎の扉が開かれていてもしかしたら彼等のうちの誰かがいるかもと思いそっと中を覗いてみる。


「っ、広美、さん?」


しかしそこにいたのは広美で、彼女は春香から背を向けた状況で書斎の椅子に座り込んでいた。


「……」


声をかけたけれど無視されているのだろうと思いしばらく様子を窺うが一向に悪口を言うことも動くこともなく嫌な沈黙が流れる。


「ひ、広美さん。おはよう御座います……」


このまま逃げだすこともできたが後で仕返しされるのが怖くてそっと彼女の方へと近寄り声をかけた。


それでも彼女の返事はなくてそこで春香は違和感に気付いた。


「広美さ……き、きゃあっ!」


回り込んで顔を見た彼女は張り裂けんばかりの声で悲鳴をあげ後退る。


広美は何か液体でもかけられたのか喉をかきむしり血塗れになったまま、息ができなくなった様子で、苦しみの表情を浮かべて死んでいたのだ。


亡くなった時たまたま椅子に座るような形で死んだため座り込んでいるように見えたのである。


「広美、由紀子どっちか知らないけど私今ものすごく機嫌悪い……ちっ。なんだ、地味子か」


「春香さん。どうしました?」


その時扉の方から洋子の声が聞こえてきたかと思ったら悲鳴をあげたのが春香であると分かり不機嫌そうな顔で嫌味を言う。


志郎もすぐに部屋へと入ってきて春香の様子に何かあったと察して側へと寄って広美の姿を確認する。


「広美。ふざけんのはやめてよね」


「……洋子さん。申し上げにくい事ですが、広美さんは……」


機嫌が悪いままの洋子の言葉に志郎が言いにくそうに口を開くが途中で黙り込む。


「……きぁあ!」


まさかと思い彼女が広美の側へと寄って様子を窺うとその姿に一気に血相を変え青ざめ悲鳴をあげた。


「春香、あんた……あんたが広美を?」


「違います。強い毒薬の匂いがします。おそらく瓶か何かに入っていた毒薬を浴びさせられたのでしょう。そのような物はこの館にはありませんので、春香さんが持っていたとは考えられません。ですから犯人がこの屋敷に侵入した時に持ち込んだのでしょう」


春香を睨み付け今にも彼女を罵り殴りそうな勢いの洋子へと瞬時に違うと志郎が伝えた。


「それより洋子さん。由紀子さんの姿がありませんが、ご一緒ではないのですか?」


「朝起きたら二人の姿がなくて。それで私はてっきり私だけのけ者にして逃げだしたんだと思って……」


彼の言葉に冷静さを取り戻した洋子が静かな口調で語る。


「皆を呼んできます。手分けして屋敷の中を探しましょう」


志郎がそう言うと部屋から出て行ってしまい気まずい空気の中、春香は洋子と視線を合わせないようにと怯えながら身を縮こませた。


それから暫く経ち皆で屋敷の中を探していたが由紀子の姿は確認できず一度食堂へと集まることになる。


「一階の部屋を全てくまなく探しましたが何処にも姿はありませんでした」


「二人で手分けして探したが、いなかったぜ」


真男と総司が見てきた事を志郎に報告した。


「部屋にも戻ってなかったわ」


「二階も全ての部屋を確認したが、部屋に入った痕跡も残っていなかった」


洋子が言うと平米もそう答える。


「庭の方にもいませんでした」


「屋敷の裏手側まで探したが、いなかった」


春香の言葉に続けて一緒に探してくれた裕次郎も話す。


「三階も俺と太知と隆利三人で手分けして探しましたが何処にもいません」


「四階の倉庫になっている部屋もすべて調べたのだがね、姿は確認できなかったぞ……」


幸雄の言葉に続けて輝夫も答えた。


「そうですか。一体由紀子さんはどこへ行ってしまわれたのでしょうか?」


「もしかして、拉致されたとか?」


深刻な顔をした志郎の言葉を聞いていた洋子がある可能性に行き当たり口に出して伝える。


「まだそうとは考えられません。もう一度屋敷の中を捜索してみましょう。犯人に拉致されたのだとしたらこの屋敷のどこかに隠されているのかもしれませんから」


志郎の言葉に再びみんなで手分けして屋敷の中から外まで由紀子を探して回ることとなった。


「き、きぁああっ」


雨が降りしきる薄暗い海猫亭にもう何度聞いたか分からない悲鳴が響き渡る。


悲鳴が聞こえてきたのは四階の更に上。屋根裏部屋を見つけた洋子が発したものであった。


現場へと駆けつけた春香達が目にしたのは、壁に背をつけた状態で座り込み、縄で体と手を縛られた状態の由紀子の姿で、恐怖を浮かべた眼光はひん剥いたまま、まるで瞬きを忘れたまま息を引き取ったようだ。


頭からは血が花火の様に散っていてよく見ると銃弾で打ち抜かれているのが分かる。


「きぁっ」


「春香!……」


その見るも無残な死に姿に悲鳴をあげた春香は一瞬気を失い崩れる。その姿に側にいた裕次郎が慌てて体を支え立たせた。


その後部屋の中を調べたが犯人の姿は確認できずその場を後にすることとなり、倒れてしまった春香は裕次郎に支えてもらったまま部屋まで送り届けられベッドに寝かされる。


「眠れないかもしれないが、具合が悪い時は起きているよりは寝ているほうがいい。ゆっくり休め」


「はい。ご心配とご迷惑をおかけしてしまいすみません……」


心配そうな顔で覗き込んでくる彼へと春香はか細い声でそう答えた。


裕次郎はしばらく彼女の側で様子を見ていたが、自分がいては眠れないだろうと言って、頭をあやす様にやさしく一撫ぜしてから部屋から出ていく。


一人きりになった部屋で眠れるわけもなくただ薄暗い天井を見詰め続けた。


 それから時は経ち窓を叩く雨粒はますます激しくなり、雷雨がうなりをあげる真夜中。


「何で私がこんな目に合わなきゃならないのよ。まったく……こんなとこ来るんじゃなかったわ」


洋子は薄暗い部屋の中で海猫亭へと来てしまった事に愚痴をこぼしていた。


「全てはあんな地味子と組まされたせいよ。じゃなきゃこんな事にはならなかったはずよ」


苛立たし気に春香へ対して不機嫌な気持ちをそのまま吐き出す。


「そもそも私達だけで来るはずだったのに、先生が勝手にあいつなんかと組ませたから……。そうよ。あいつさえいなければ私達がこんなことに巻き込まれなくてすんだはずだわ。……そうだわ、あの地味子さえいなくなれば私だけでもここから逃げられるんじゃないかしら?」


ふと思った事に口の端を吊り上げる。


「地味子がさっさと消されればいいのよね。そうよ、そうなれば私だけは助かるのよ。第一何であいつがいつまでも生き残ってるのかしら。おかしいでしょ? あんな地味で目障りな奴が何時までも残ってるなんてさ。……もしかして。信一郎さんじゃなくて本当は最初に殺される予定だったのは、地味子だったんじゃないかしら?」


思い浮かんだ言葉を声に出してみるとそんな気がしてきて彼女は更に口を開く。


「きっとそうだわ。でもまちがって信一郎さんが死んじゃったから今度こそって感じで、二番目に殺されるはずだったのは春香だったに違いないわ。だけど先に孝弘さんが来てしまったから、犯人は孝弘さんを殺すしかなくなったのよ。きっとそうよ。犯人の狙いは最初から春香一人で、私達は何の関係もなかったのよ。だけど予定が狂っちゃってあいつが生き残っちゃったからそれで犯人は焦ったんだわ。だから他の皆も殺されてしまったのよ」


勝手な憶測が飛び交う中、洋子はきっとそうに違いないと思い、そうだそうだと自分自身の言葉に納得する。


「ああ~。私は何も悪くないのに、地味子のせいでこんな怖い思いをしなきゃならないなんて最悪~」


独り言を零しこの場にいない春香へ対して嫌味を吐き出す。


「全く……。神様がいるなら呪ってやりたいくらいだわ。ああ~神様。私は何にも悪くないです。ですからはやくあの目障りな地味でうざったい春香をとっとと私の前から消し去ってください」


自分はなんて哀れで可哀想なほど不幸なのだろうと嘆いた。


「本当に貴女という人は……救いようがないくらい醜い存在ですね」


「え?」


急にかけられた怒気を含んだ声に驚いて扉の方へと顔を向ける。


そこには志郎達がいて憤りを通り越して無表情になった顔で佇んでいた。


最初に声をかけたのは志郎だと思われるが、いつもの穏やかな表情ではなく冷たく凍てつくような瞳で洋子を見ている。


「「彼女」の為と思い、躊躇っていたが……さて、これ以上はワシも堪忍袋の緒がきれそうだ。皆の意見を聞きたい」


「「彼女」のためなら、ボクはいつでもこいつを……覚悟はできてますよ」


「君が「あの子」を泣かせたんだから、今度は君が涙を流す番だね」


「ち、ちょっと。さっきから何を言ってるのよ。あ、あの子って誰の事? まさか……」


怖い顔で睨み付けてくる輝夫や見下した様子で見つめてくる真男と総司。彼等の言葉に例えようのない威圧感に恐縮しながら洋子が尋ねる。


「ワタシ達の大切な小雪さんを散々いじめたんです。今度は貴女が苦しむ番ですね」


「こ、小雪って誰よ? そんな人知らないわよ!」


凍り付く様な笑みで見つめられ言われた志郎の言葉に彼女が喚いた。


「あんたが知る必要はない。これから先もずっと……ね」


「君がやってきた行い全てが君自身へと返るだけさ。まあ、苦しみの中で怖い思いをすることだね」


「っ……こ、来ないで!!」


平米と隆利が言うと彼等はゆっくりとした足取りで洋子の下へと向かう。


例えようのない恐怖に震えあがりながら、彼女は必死に振り絞った声で制止をかける。


だが志郎達が足を止めることはなくそのままゆっくりとした足取りで洋子の目の前へとたどり着く。


「宮野裕次郎ここに。我等誇り高き第十三番隊。例えこの魂ごと消し去られようとも隊の名において任務を遂行する」


裕次郎が感情のこもらない顔で宣言した。彼等の瞳は怪しく紅色に光り輝いている。


「き、き……きゃあああっ」


彼女の悲鳴は轟く雷鳴の音にかき消されて、その声が部屋の外へ聞こえることはなかった。


 翌日。あれから何度も寝返りを打ってもなかなか眠れなかった春香は、そのまま朝を迎えてしまいこのまま一人で過ごすのも心が落ち着かず、そっと部屋を出ていく。


「……さすがにこんな早朝。誰も起きていないから大丈夫よね」


何処で犯人が見張っているか分からないが、こんな朝早くなら寝ているだろうと自分に言い聞かす。


「そういえば、この海猫亭って結構大きな屋敷よね。せっかくだから探検してみようかしら」


思い至ってさっそく実行に移した。……というよりも現実逃避でもしないと気持ちが落ち着かないと言ったほうのが正しいかもしれない。


客室があるのは建物の西で、食堂は一階の大広間の隣。東側にお風呂場があるがそれ以外の所は行ったことがない。


早速一階から順番に見て回ろうと決め階段を下りていった。


「一階は大広間に食堂。それから管理室……あら、こんな所に地下階段が」


はじめてきた時は分からなかったのだが、地下へ続く階段があり、どうして今まで気づかなかったのだろうかと不思議に思う。


「地下には何があるのかしら」


好奇心に駆られた春香は、犯人が見張っているかもしれないことなどすっかり忘れて、まるで幼子の様にわくわくとした気持ちで一歩を踏み出し地下階段を下りていく。


薄暗いだろうと思っていた地下には電灯がついていて、しっかりと周りが見えた為足元に注意を払う必要はなかった。


「こっちは倉庫になってるのね。じゃあこっちは……っ」


その時閉ざされた扉の中からただよう生臭い臭いに息を呑む。


「この中に何かいるの?」


重たい鉄の扉の前で足を止め急に襲ってきた不安に声を震わす。


「……」


暫くそこで躊躇い、引き返そうかとも考えた。


「で、でも。誰かが怪我をしてるだけかもしれないし。だとしたら私が助けなくちゃ」


いまにもここから逃げ出したい気持ちを抑え、恐る恐る扉の前へと近寄る。


「……ごくん」


生唾を飲み込み意を決して扉に手をかけ引き開けた。


重たい鉄の扉のはずなのに簡単に開かれたその部屋の中には異様な空気が漂い、生臭い悪臭が鼻につき春香は顔をしかめる。


「……」


薄暗い部屋の中を首ごと振って周囲を観察した。


「っ……」


すると一つの人影が床に転がっているのが見て取れ、それが洋子であることに気付くと恐怖におびえる。


「……」


脅かしてからかうつもりなのではないかと思い、しばらく様子を遠くから伺っていたが一向に起き上がる気配がない。


「……よ、洋子さん。どうされたのですか」


遠慮がちに声をかけてみたが彼女の返事はなく変わらず黙したまま床に転がっていた。


「……?」


流石に変だと思いそっと洋子の側へ近寄る。


「……き、き……きゃあああっ!!」


悲鳴をあげると腰を抜かしその場にしりもちをつく。逃げ出そうと思ったが足が震えて立ち上がる事ができない。


目の前に転がる彼女の姿から目を背けたいのに、凍り付いたかのように動かない首は洋子から視線をそらさせてはくれなかった。


なぜなら洋子の死に姿があまりにも残酷だったからである。


床に倒れて動かない彼女の体は強い憎しみを込められたように何度も何度も切り裂かれ、死んだ後もそれが終わることはなかったのを痛々しい傷跡が物語っていた。


「うっ……うっ……」


「春香さん」


彼女の死体を見詰めていると気持ちが悪くなって泣きながら口元に手を当て吐き気を必死に抑え込む。その時優しく声をかけられ右肩にそっと手を乗せられ春香は背後へ振り返る。


「……大丈夫ですか?」


「天、月さん……」


そこには志郎がいて心配そうな顔で彼女を見ていた。


「悲しいですか?」


「……嫌なこといっぱいされたけど、でも、死んでほしいと思ったことは一度だってなかった……うっ……うう」


「……春香さんは優しいんですね」


尋ねられた言葉に素直な気持ちを伝えると志郎の胸に顔を埋めて涙する。


そんな彼女の様子に困ったような顔をして春香の背を優しく撫ぜてあやす。


「……行きましょう」


「でも……」


暫くそうしてあやしてくれていた志郎だったが遠慮がちにそう声をかけられる。しかし春香はここから動くのをためらった。


「……春香さんに悲しい思いを沢山させてしまい申し訳ありません」


「え?」


白状するように呟かれた言葉に彼女は驚いて彼の顔を見やる。


「天月さん……何を言ってるんですか。まさか……」


「……行きましょう」


志郎の言葉の意味を考え行き付いた答えに春香は困惑した表情で彼を見詰めた。それには答えずに春香を優しく立ち上がらせ階段を上り大広間へと向かう。そこにはこの屋敷の住人達がそろっていて、春香の姿を見た途端申し訳なさそうな、でも寂しそうな顔をして彼女を見詰めた。


「……天月さん達が、犯人だったんですね」


「……ワタシ達はあの日。すべてを失い、そして全てを呪いました」


志郎から数歩離れたところで立ち止まり静かな声で言う。その言葉は決して彼等を責めるような意味は含まれていなかった。


輝夫達の下に辿り着き足を止めた彼がどこか遠くを見つめて語りだす。


その言葉を彼女は黙って聞く。彼等が犯人だと気付いた後もなぜか不思議と恐怖を感じることはなかった。


「そうそれはあの時。この三島海岸で起こった悲劇……とでもいえばいいのでしょうかね」


志郎が語り始めたのは第一次世界戦争のあの三島海岸での接戦の日々の事だった。


 ――小雪の亡骸を抱え込み暫く悲しみに暮れていた志郎はそっと彼女の体を地面に横たわらせる。


「「「「「「「「「…………」」」」」」」」」


皆無言で立ち上がると武器を手に取り一心不乱に駆け出した。


「はぁああっ」


「うぁああっ!」


「やああっ」


襲い掛かる銃弾や手りゅう弾を避けながら、志郎を筆頭に平米と隆利が後に続いて、向かってくる敵を一人また一人と斬り倒す。


「はっ」


「やっ」


「ふん!」


彼等の後から総司と真男に輝夫が続くと、残った兵士達を斬り捨てていく。


「はぁっ」


「やぁあっ」


「ふん……」


浅井兄弟が息の合った連携で敵を斬り倒していくと、背後から裕次郎がついて行きながら援護する。


時にはこちらも手りゅう弾や銃弾を使い相手を次々と討ち取って、討ち取って……しかしいくら倒してもきりがない。敵はどんどんと増え続ける。しかし一向に援軍はこなかった。


そんな中彼等は必死に戦って戦って、彼等を突き動かすのはただの怒りと憤りだけ。それだけ彼等にとって「彼女」は家族も同然な仲間だったのだ。


「やあっ」


「ええい」


「はあっ」


向かってくる敵を斬っては捨てる。そんな接戦が二日くらい続いたのだろうか、いくら怒りのままに戦っていても多勢に無勢。十三番隊は次第に追い込まれていく。


いつの間にか志郎達はバラバラになっていて一人で敵の集団の中で戦い続けた。


「ぐっ……」


銃声の音が響き渡った。敵を切り捨てる事に気を取られていた輝夫の左胸にそれは見事に命中する。彼はここまでかと諦め、その場に崩れるようにして倒れ込んだ。


「……すまない。ワシはここまでの様だ」


心臓の音が弱まっていくのを感じながら彼は呟き目を閉ざす。


その頃森の中で敵と対峙している総司は敵の血にまみれた刀を振りかぶり続けていた。


「やっ。はっ……でゃあ」


がむしゃらに敵を倒していた総司の下に手りゅう弾が投げ込まれる。


「っう!」


それに気付き何とか避けたと思ったその時左腕全体に激痛が走った。


見やると熱風にやられ焼けただれ黒ずみと化した左腕があり、これではもう刀を握ることはできない。


彼は膝をつきその場でもがき苦しみ、そしてこのまま死んでしまうのかと自嘲気味に笑った。


生き残ったとして左腕から腐っていきやがて体まで腐敗するだろう。そうなればもう死んだも同然である。


「こんな死に方じゃあ、あの子は喜ばないな……ははっ」


自分を嘲笑い彼は死の瞬間を待ちそのまま瞳を閉ざした。


総司がもがき苦しみながら死を待っていた頃、森から離れた海岸では平米が敵と戦っていて、拳銃や刀で必死に応戦している。


「やぁあっ」


一体何人目の敵かも分からないくらい、相手を斬り捨ててきた。その時平米の下に一人の兵士が斬りかかってくる。


「ぐぅ……っ」


斬られたことにより隙が生まれそこを付こうと動く相手に、彼はもう気力だけで立ち刀を振るう。何とかその兵士を倒すことに成功するも、次々と敵が襲い掛かって来る。


「くっ」


気力だけて戦っていた彼の腹部へと敵が十字型に剣で切り裂いてきた。


彼は悔しげな顔で相手を睨みやったまま崩れるようにその場に倒れ込む。


平米が動かなくなったことを確認した敵兵達はその場を去り陸地への侵入を開始した。


時を同じくして近くの岸で戦っていた隆利は真男を見かけ、敵を斬り倒しながら後を追いかける。


「真男……一人で無茶なことしなきゃいいが。邪魔だ。どけっ!」


真男の下へ向かいながらもこちらへ攻撃してくる敵兵達をなぎ倒していく。


「っ」


その時背後に気配を感じ慌てて振り返る。目の前には敵兵がいて応戦しようと動く彼よりも素早く相手の剣が襲い掛かった。


「うっ……真男……すまない」


自分はもうお前を助けには行けない。悔しい思いを胸に息をするのも苦しくなって頭からその場に倒れ込んだ。


彼の右首の動脈には深い切り傷ができていて留まることを知らない血の海は切り傷から地面へと流れていく。真男せめてお前だけは……と願いながら彼は息を引きとる。


彼の祈りも届かず浜辺にやってきた真男は単身で敵の根城である船へと向かっていた。


「あそこをつぶせばすべては終わるんだ」


だからボクがあそこをつぶせばいいのだと。真男は自分の考えに力強く頷き海の中へと入る。


「つう」


その時遠くにいる敵の船から銃声音が響き渡った。


その一つが彼の眉間へと命中する。真男は最初何が起こったのか理解できなかった。いや、理解する前に息絶え浜辺に近い水の上に横たわり血を流す。


その後相手の死を確認しに船から降りて来た兵士が敵と見間違え子供を打ってしまった事に、罪悪感を覚え真男の遺体を浜辺に横たわらせ花を手向け祈りを捧げた。


真男が浜辺に浮かび沈んでいたころ幸雄は一人森の中で敵と対峙していた。


「いつの間にか皆とはぐれてしまったか……だが、俺一人でもできるだけ多くの敵を倒してやる」


彼が周囲を見回し仲間が誰もいない事に気付いたが、敵を倒すことに集中する。目の前にはたくさんの兵士がいるが何人も斬り捨てたり拳銃で撃ち殺したりしながら戦場を駆け抜けた。


「敵がいない?」


その時目の前まで迫っていた敵が突然途切れたことに彼は違和感を覚える。


「しまった……」


これは罠だと気付いた時にはすでに遅く目の前に投げ込まれた物がさく裂すると辺り一面が明るい陽の光に包まれたかのように輝く。それを目にした彼の目は腐る様に溶け落ち、身体も痛みすら感じない程焼き尽くされる。あるいみ幸運だったのは大きな岩が側にあったがためにかき消されることなくその影へと飛び込めたことだろうか。しかしここまで酷い怪我を負った彼はもう息も絶え絶えで仲間を守ることも弟を守ることもできない悔しさにただれた唇をかみしめる。


そのころ森の奥で敵と戦っていた太知は相手を斬り伏せながら進み続け、いつの間にか洞窟の中へとはいっていた。


「ここから早く出なくては。敵はまだ地上にいるのだから」


焦りで集中力がマヒしていたのだろう。彼が入った洞窟の出入り口は敵兵により爆弾で壊され閉じ込められてしまっていた。


「今の音は……しまった」


ここでこれが罠だと気付いたところですでに遅く、彼の足元から毒々しい色の煙が立ち込める。


「く……苦い。これは毒!?」


毒ガスが洞窟内に充満しはじめとっさに口を覆い隠し他に出口はないかと洞窟内を彷徨い歩く。毒ガスにより辺りは暗闇に閉ざされるが岩肌に手を付け位置を確認しながら奥へ奥へと歩く。しかしどんなに歩いても明かりすら差し込まない。出口などあるはずもなく彼は徐々に毒に侵され息苦しさを感じ始めた。


「のどが痛い……かゆい。腫れているみたいだ」


とっさにかゆくてかきむしってしまった所から赤い滴が落ちる。ただれた肌をかきむしった為血が出てしまったのだ。


「ごめんなさい。ぼくが至らないせいで……隊長。兄さん……皆……ごめんなさい」


彼は懺悔するように謝り続けると力が入らなくなった体が這いずり落ちる中もはや自分は死んでしまうのだと思うと悔しさと悲しみで胸を震わせる。


「母上……親不孝な息子をどうかお許しください」


最期に自分達の事を心配しながらも見送りだしてくれた母親の顔を思い浮かべながら涙にぬれる頬を拭う力すら入らない身体を寝そべらせ静かに息を引き取った。


浅井兄弟が死を遂げているころ裕次郎は一人敵の陣の中に囲われていて、拳銃や刀爆弾などありとあらゆる武器を使い敵を倒していく。


「……状況は不利。だが、オレを誰だと思っている。俺は兵長だぞ。こんな時の戦い方だって熟知している」


仲間と離れ離れになった状態でも冷静に判断を下し一人で多くの敵と対峙し続ける。


「オレ一人だからと油断したか。いや、それとも何か作戦でもあるのか」


周りの敵を一掃し終えるとふと考えを巡らせる。こんなに簡単に相手がやられてくれるとは何かあるのではそう考えた時辺りには自分だけで遠くに敵の気配を感じて彼は気が付く。


「そうか……今まで倒した敵は全てただの捨て駒……オレをここにおびき寄せるための作戦か……くそっ」


やられたと思った時にはすでに遅く自分の足元には地雷爆弾が転がっており少しでも刺激を与えればすぐに炸裂する。そんな状況の中敵が遠くから何かを投げつけてくる様子が目に飛び込んできた。


「ちっ……すまない。俺を許すなよ」


小さく舌打ちすると悲しみと悔しさと憎しみと怒りに瞳にじんわりと涙が溢れる。きっとこれが最期の感情となるだろうと悟りながら戦死した小雪へと小さく謝った。


瞬間地雷爆弾の上へと手りゅう弾が投げ込まれ辺り一面の地雷がさく裂する。悲しみと怒りの涙は零れる間もなく熱で消え失せ体中が醜く焼けただれ溶け落ちていく。


たまたま裕次郎が立っていた場所が地雷からずれた場所だったので、完全に灰にならずに肉体が残ったことは奇跡と呼ぶしかないだろう。

彼は焼けただれて痛みに苦しみながらその場へと頽れた。


仲間達が誹謗の死を遂げていった中。一人残った志郎は拠点である海猫亭を護るべく三島海岸の原っぱで敵と対峙し続ける。


いくら斬っても斬っても途切れる事のない兵士の数に、苛立ちと焦りが生じ始めた。


(こんな事で焦っては敵の思うつぼです。木下殿に笑われてしまう)


そう思い直し冷静に敵を観察し、相手の隙をついて斬り伏せていく。


「くっ」


暫くそれが続いていたその時背中に鋭い痛みを感じた。


前の敵だけに集中していた彼は背後から忍び寄って来ていた敵の気配に気付けなかったのだ。


痛みに顔を歪ませその場に倒れ込む。


「……小雪さん」


自分はどうやらここで死ぬのだと悟り、戦死した少女小雪の下へ行けるのだろうかとふと考える。


「……」


任務を遂行できなかった。小雪が守ろうとしたこの海猫亭のある三島海岸を護り切る事ができなかったと、その無念さに胸を震わせながら静かに目を閉ざした。


空では激しさを増した雨に交じって雷鳴が響き渡っている。


そうして十三番隊の全員が死んだあと、彼等が願った援軍が三島海岸へとやってくるが、とても遅すぎる到着であった。


援軍は数千万の兵を引き連れ、新たに入手した爆弾などを使い僅か三日という速さで敵軍を滅ぼしたが、志郎達がその勝利を見ることはできないまま一週間にも及んだ三島海岸の戦いは幕を閉ざす。


十人の尊い命が犠牲となった。彼等の遺体は海猫亭へと戻されそこで簡単な葬式が行われ、屋敷の裏に遺体は埋められる。こうしてすべては終わったかに思われた。しかし、この後には続きがあったのである。誰も知らない志郎達の悲しくて虚しいだけの物語が……。――


 なぜ遠い昔の話を始めたのか春香には分からなかった。だけど第一次世界戦争の時この場所も戦場になったことを知り、そして十名の兵士が命を落としたことを聞いてなぜか胸が締め付けられるように痛む。


「……ワタシ達は国のため立派に戦い抜いて死にました。しかし、ワタシ達は願ってはいけないことを願いました」


「……」


志郎はそう言うと春香を優しくも悲しそうな瞳で見やり再度口を開く。


「ワタシ達は願いを叶えるために死した後悪魔に魂を売りました。そしてワタシ達は今もこうして死した身体で生きてこの海猫亭に住み続けています」


「……死んだ後も?」


意味が解らず春香は不思議そうな顔をして彼等を見やる。彼等にはちゃんと体温があり、その温かい優しい手で何度も自分を抱きしめたりあやしたりしてくれていたのに、それなのに死んでいるとはとても思えなかった。


「小雪さんを守れなかった。ですから今度こそワタシ達は貴女を守りたかったんです」


「えっ」


志郎の言葉に彼女は不思議そうに目を瞬く。


「ワタシ達はただ「貴女」の幸せだけを願いました。その為ならこの魂を悪魔に売ることだって躊躇いはしませんでした。もう二度と「貴女」の側にいる事ができないと分かっていたとしても、後悔はしておりません」


「君を守れなかったあの日からおれ達は全てを呪って死んだあと怨霊となったのかもしれない。だけど、君がここにきておれ達は救われた」


「春香さん。貴女は生きて、生き抜いて……今度こそ幸せになって欲しい」


「それがボク達の願いです」


「大丈夫。洋子ちゃん達は死んでない。ごうを断ち切っただけさ。すべては夢儚く淡い夢さ。現に戻れば記憶はなくなる。だけど、君だけは覚えていてもらいたい。なんて、わたし達のわがままなんだけどね」


「春香ちゃん。前に言っただろ君が望むのならば皆の事も俺達が守ると」


「悪魔との契約はここに訪れた者の魂を捧げる事。その代わりにぼく達はここにこうしていつづける事ができたんです」


「だけどもう、そんなのは終わりにする。春香がここに来たことでオレ達の目的は呪いのまま生き続ける事ではなく、君を守ることに変わったのだ」


「……オレ達はたとえ地獄の底に落ちたとしても、君の事を見守り続けているよ。だから春香ちゃん。いつまでもオレ達のこと覚えていて……」


口々に別れの言葉を述べる彼等の姿が光の中に包まれて遠くなっていく。


「っ、待って。逝かないで!」


春香は必死に呼び止め手を伸ばした。


「これを差し上げます。ですからどうか、どうか今度こそ「幸福」を掴んでください」


「いや、いやだよ。逝かないで! 私を一人にしないでぇえっ」


志郎がそう言って一輪のカスミソウを手渡す。それをしっかりと受け取った彼女だが悲痛な思いで叫び大粒の涙を流した。


「っ」


全てが光に飲み込まれ目を開けていられなくなった春香は思わずきつく瞼を閉ざす。


「はっ……」


次に目を開けると雨上がりの空の下、寂れて廃墟と化した海猫亭の玄関前に立っていた。


「お、雨が上がったみたいだな」


「いや~。一時的なもので助かった」


空を仰ぎ見て嬉しそうに信一郎が言うと孝弘もカメラを抱え直し話す。


「さっきまでのは、夢?」


死んだはずの彼等が生きていて、しかも何事もなかったかのように普通に会話している姿を見て、まるで白昼夢でも見ていたような思いで春香は呟く。


「そんじゃ、雨も上がったし僕達帰りますんで」


「え? 肝試しはしないのですか……」


真一の言葉に耳を疑い春香は尋ねる。


「肝試し? ああ、それね。そんなのやめたよ。だってここ歴史的に有名な海猫亭だぜ。そんな所で肝試しなんかしたら親に怒られるって」


「そうそう。ぼく達雨宿りしながら話してたんだけど、ここって昔兵士さん達が戦って死んだ場所でしょ。そんなところ面白半分で入ったら、その兵士さん達が悲しむかなって思ってね」


「?」


出会った時の雰囲気とはまるで別人のように真面目でよい子になった彼等の様子に不思議に思い目を瞬く。


「俺達もそろそろ取材しに戻るか」


「ああ。海猫亭の悲しい歴史を記事に出して、皆に戦争の悲惨さを知ってもらわないとならないからな」


「えっ」


最初は怪奇現象の謎を調べに来たと言っていたはずなのに、内容が変わっていることに再び春香は驚いた。


「それじゃあさ、私達も早いとこレポート終わらせましょう」


「そうね。いつまでもここにいてもしかたないし。行きましょうか」


「春香ちゃん何してるの? 置いていくわよ」


「えっ……は、はい」


いじめていたことが嘘だったかのように優しく話しかけてきた洋子の言葉に戸惑いながらも返事をする。


「やだ、私達友達なんだから、いつまでも敬語なんか使わなくていいのよ」


「春香ちゃんは謙虚だから仕方ないわよ」


「ねえ、さっさと終わらせて四人でプールか海に行こうよ」


彼女達の様子を見て戸惑いながらも春香は総司の言葉を思い出す。「業を断ち切っただけさ」とその言葉の意味は彼女達の悪いところを断ち切り、本来あった純粋で優しい心を取り戻させたのではないのかと。


「……夢、じゃない」


彼女達のありえない変化と手に確りと握りしめているカスミソウを見詰めてそっと呟いた。


それから家に帰ってきた春香はずっと手が付けられなかった祖母の遺品の整理を始める。


「あら、これは……」


戸棚の中から古いアルバムが出てきて、興味本位で中をめくって見てみた。


するとあるページにおさめられた写真を見て春香は驚く。


そこには軍服姿の志郎達とカスミソウの花束を持った袴姿の一人の少女が皆笑顔で写っている写真があって、その女性の顔を見た時春香は全てを思い出した。


「……そうだったんだ」


その写真に写っている少女こそ志郎達が死した後でも守りたいと願い続けた女性。生まれ変わる前の春香だった。彼女は小さいころから雨が怖かったのだが、その理由がずっとわからずにいた。だが小雪や志郎達が命を落としたあの三島海岸での接戦は雨が降り注ぐ日に終わった。つまり大切な人達の命が喪われたのは雨の日の出来事で、だからこそ奪われるという恐怖を感じており春香は理由もわからずただただ雨が怖かったのである。


「親が適当につけた名前だと思っていたのにね」


小雪……彼等が言っていた少女の名前。そして自分の名前は春香。女の子の名前なんか数多もある中で季節を選び、冬が春になった。こんな偶然があるのだろうか? と考えてみる。


「有り難う……私、絶対に幸せになってみる。だから、どこかでずっと、ずっと……」


ぽたりと写真の横に雫が落ちる。自然と涙が出ていた春香の顔は穏やかに微笑んでいた。

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