第30話 りゆう

「良い月じゃの」


「そうだね」


 ひかるが来てから、縁側を増築した。子どもたちも空を見るのが好きだった。ぼくも気づけば見ていた。


「明日も仕事じゃろ? 良いのか、このような時間まで起きていて」


「なんとなく空を見たくなってね」


「あまり無理をするでないぞ」


「ひかるもな、熱帯夜といえど冷えるとよくない」


「気にかけずともよいのに、そなたは」


 しばし、心地よい無言のひとときが流れる。まだ夏はこれからだというのに、鈴虫が鳴いている。


「答えなくてもいいんだけど、どうしてここに来たんだ?」


「気遣いありがとう。たいした理由ではないのじゃ」


 月がひかるを照らしていて、それはこの世からほんの一瞬だけ離れた空間があるように思えた。柔らかに微笑むひかるの口が開かれた。


「この国に生きる人の手本たれ。我が家の唯一にして絶対なる基準。わらわはそうあり続けた。じゃが、生涯に一つだけのわがままを通させてほしいと願った」


「一つだけのわがまま?」


「うむ。誰も知らぬ地で心置きなく旅をさせてほしい。それがわらわのわがままよ」


「期限はあるの?」


「ない。じゃが、いつまでもとはいかぬ」


 ひかるがただ一つのわがままを通すために、どれだけのことを成してきたのか、ないようである期限はいつまでなのか、どれも違う。ぼくがひかるに言えるのは、これだけじゃないかな。


「ゆるりとね」


「ゆるりとな」


「ぼくはもう今の話を忘れたから」


「ふふっ、そうなのじゃな」


「うん。ひかるはひかるだ」


 月はただただ美しく夜空に浮かんでいた。

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