不良のマーヤさんは僕にだけ甘い
とら猫の尻尾
ねこ・ネコ・猫にゃん
僕は幼い頃から病気がちで、入院生活が小学校へ通うよりも長かったのではと思うほどに入退院を繰り返してきた。
それでも中学校に入る頃には入院日数は減ってきたのだけれど、今度は人間関係のトラブルで不登校になってしまった。
そんな僕には小中を通じて学校の楽しい思い出なんてものは何一つ存在しない。
でも勉強することは嫌いじゃないし、本当は友達も作りたかった。
だから地元を離れ、新たな環境である清林高校で、僕は再出発を決意した。
不幸体質――
まったく、これほど僕を端的に表す言葉は他にはないだろう。
入学前日の夜、僕はぜん息の発作により緊急入院した。そしてようやく登校したときには、クラスの人間関係は大方でき上がっていて、そこにはコミュ力ゼロの僕なんかが入っていく隙は残されていなかった。
そんなわけでGW明けの5月8日。
僕は今日も今日とて母の手作り弁当をバッグに忍ばせ、人目に付かない場所を探して、体育倉庫の裏を歩いているのである。
チッチッチッ――
舌を鳴らす音が聞こえて、僕は足を止めた。
「やー、また会ったニャン。今日も元気そうで何よりニャにより」
フェンス越しに猫と楽しそうに戯れている女子生徒がいた。彼女は同じクラスの阪本
「おまえ、昼飯のときに狙って来るニャン? まったくよぉー、そんな目で見られると、あたしはほっとけねーぜ。うーん、なんか食い物あったかなぁ?」
彼女はそう言いながら前屈みに立ち上がりスカートのポケットに手を入れる。校則を完全無視した超ミニスカートがふわりとまくり上がって、まったくもって目のやり場に困る僕。
いや、困るべきはそこじゃ無い。
彼女は絶対に関わってはいけないタイプの相手なんだ。
僕は身をかがめ、そそくさとこの場から立ち去ろうとした。
次の言葉を耳にするまでは――
「あ、さきイカあるじゃん! おまえこれ食うか? おー、スゲー勢いで飛びついてくるぅー」
「だ、駄目だァァァ――!」
思わず僕は叫んでしまった。
そして後ろを振り返る。その一瞬うちに彼女は間合いを詰め、僕の腹部に拳をねじ込んでいた。
「――ッ!?」
猛烈な痛みに襲われる。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
死ぬ?
僕死んじゃう?
反射的に腹を抱えてうずくまろうとした僕だけれど、彼女の手が僕の胸ぐらを掴み、逆にグイッと引き上げられてしまった。
「い、今の見てた!? やっぱ見てたよねぇぇぇー!? 聞いてたよねぇぇぇー!?」
彼女はそう叫びながら、僕の頭をガクンガクンと揺さぶる。
「頭をぶん殴って記憶を消すしかないようね」
そんな悪魔のようなセリフを吐きながら、彼女は左手で僕の胸ぐらを掴んだまま右拳を振り上げる。
もうダメだ。
頭を殴られたら絶対死ぬ。
死ぬ以外の未来が僕には想像できない。
――いや、それはもう『未来』とは言えないんじゃないだろうか?
そんな冗談めかしたことを考えている時点で、僕の頭はもはや末期症状。
思い出が走馬灯のように浮かんできた。
母さんに『丈夫に産んであげられなくてごめんね』と泣かれたときはキツかったな……
父さんが『一人で抱え込むな』と母さんの肩を抱くのを見た時はもっとキツかったな……
ああ……いつの日か普通の学校生活を送れるようになって、僕はもう大丈夫だよと二人に言ってあげたかったな……
思い返せば本当に後悔ばかりの人生だった。
でも、最期にこれだけは――
「阪本……さん……ゴフッ」
僕は息絶え絶えに言葉を伝える。
「猫には……ゴフッ……さきイカをあげては……ゴフッ……駄目だからっ」
「んなっ!?」
彼女は切れ長の目を見開いて驚きの声を上げた。それが猫の豆知識に対しての反応か、それとも腹パン一発で死にそうになっている僕に驚いているのかは分からない。しかし、この一瞬の間が僕に幸運を引き寄せる。
校舎の方から学ラン姿の三人組が近づいてきたのだ。
「よー、マーヤ。カツサンド売り切れだったぜー」
「代わりにカレーパン買ってきたけど、これで良い?」
「ってかそいつ、誰? マーヤおまえ喧嘩してんの?」
マーヤ……まあや……阪本
彼女のことを親しげにそう呼ぶ彼ら三人は、その姿を確認するまでもなく不良仲間だった。
工事現場の作業員が履くようなダブダブのズボンで、学ランの上着はマントのように肩に羽織り、シャツのボタンを外して胸をはだけている。完全無欠の不良男子だ。
まったく我が身の不幸体質が恨めしい。
幸運を引き寄せるどころか、不良が増えただけだったとは!
この学校って不良の人口密度がちょっと高過ぎない?
ところが阪本さんは仲間の声にビクッと肩をすくませたかと思えば、次の瞬間には反対方向へと駆け出していた。そう言うと他人事のように思われるかもしれないけれど、腕をガッとつかまれた僕も一緒に走らされている。
三人組の声を背中で聞きながら、阪本さんは走る走るぐいぐい走る。
僕の呼吸はどんどん苦しくなっていく。
校舎の周りを半周ほど回ってようやく止まった頃には、もう息絶え絶えの瀕死の状態だった。
肉食獣は安全な場所に獲物を運んで食べる習性があるという。彼女のこの行動がそれと同じ原理に基づいたものならば、僕はこれから食べられてしまうのだろうか?
そんな馬鹿なことを想像するほどに僕の思考力は低下していた。命は風前の灯火だった。
ふらふら状態の僕の背中を校舎の壁にドンと押しつけ、彼女は顔を寄せてくる。
標的を定めた肉食獣のギラついた瞳が近づいてくる。
た、食べられる!?
僕はこれから食べられちゃう!?
僕はギュッと目をつぶった。
耳元で彼女の荒い呼吸音とゴクリと唾を飲み込む音が鳴る。
耳に熱い吐息がかかり、もはやこれまでかと覚悟を決めたその時だ。
「ね、猫のこと……誰にも言わないでいて欲しいんだけど……」
「ふえ?」
阪本さんは顔を真っ赤にしてふるふると振るえていた。
それを見た僕の口から出たのは、断末魔ではなく間抜けな声だった。
「だ、黙っていてくれるなら……あ、あたしは何でもするから……」
「なな、な、なんでも!?」
彼女の口から出た言葉に僕はひどく動揺した。
理由はよく分からないけれど、彼女は自分が何を言っているのか分からないほど、動揺していることだけは分かった。
「あ、あたしは……何をすればいい……かな?」
僕は本当に馬鹿だ。
理由なんかどうでもいいだろ!
見返りなんか要らない。
この秘密は墓場まで持っていってやる。
他人に知られたくない秘密の一つや二つ、誰にでもあるのだから……
「僕は――」
本当に馬鹿だ。
彼女にそれをきちんと伝えなければならないのに……
僕の視界は暗転し、意識がプツリと途絶えてしまったのである。
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