舞台の境界線
バラック
第1話 舞台の境界線
受付の女性が示したのは、長く、白い通路だった。
心療系の相談室というのはどうやら外部と離れたところにあるようで、行きと帰りが別々なのが主流らしい。
「どうぞ」
突き当りの部屋に入ると、応接室のようなテーブル・ソファのセットが一つ。片方に髪の長い女性が座っていた。
「半沢さん、37才、奥様と高校生の娘さんが一人。県内の銀行にお勤めで、そのことでのご相談、ということでお間違いないですか」
私は同意し、準備していた言葉を滑らかに流した。
銀行で営業を続け10年以上になる。ユーモアを交えて状況を伝え、相手の反応を見ながら言葉を選ぶことができるようになったのは、髪に白髪が見え始めたあたりだったろうか。
「私は大学生まで野球を続けていました。それこそ毎日野球だけのことを考え続けましたが、今ではそれも誇りに思っています。一方で想像は難しいかもしれませんが、私たちにとって『出世』というのは、高校野球における甲子園と同じくらいの悲願なのです」
女性は頷き、時折相槌を打ちながら私の話を聞いていた。
「しかし、年末の選考において、チームワークの部分で評価が良くないようで……とくに部下から「厳しすぎる」というように思われているようでして。学生時代は友人の輪で苦労したことはなく、とても楽しかった記憶があります。むしろよく昔を懐かしむくらいなのですがね。その点を少し相談に乗っては頂けないかと思いまして」
支店長から「カウンセリングにでも行って話を聞く姿勢でも学んで来い!」と指導されたことは伝えなかった。
「そうでしたか。それでは、今日はゴールを決めましょうか」
ゴール?
「何か……そうですね。半沢さんがこのカウンセリングで変化を感じられるような……」
「例えば……部下からの話しかけられ方が変わったとかですか?」
「そうですね……勿論それもいいんですが、半沢さん自身の変化があると……」
「そうですね……」
考え込む私を待つように、女性は何も言わず、視線を窓に外していた。
「少し、考えてみます」
女性はその言葉に頷き、立ち上がった
「金木犀の香りがしますね」
「そうですか、すみません。私はそういうのが分からず……」
「……それでは、また」
促されて部屋を出た。帰りも長い廊下が続いていた。
※※※※※※※※※※※※※※※
「傘、持ってないの?お母さんは?」
相談室の出口で、雨に濡れていた男の子は、私の声を聞くとふらふらと立ち上がった。
「おじさんは折り畳み傘もあるから、使いな、あげるよ」
私から傘を受け取ると、彼は会釈をし、そのまま駅の方へ向かっていった。
「そうですか、確かに雨が振っていますね」
彼女はちらりと窓をみた。
「それで、いかがですか」
「えぇ、少し、自分の話をしながら、どのような変化が自分にあるのかを考えたいと思います。少しでも変化があれば、部下からの評価も変わってくるでしょうから」
彼女は深く頷いた。
自分が言ったことは間違っていなかっただろうことに、私は少し安心した。
「それでは、今日は半沢さん自身のお話を?」
「そうですね、とはいえ、実は今日は話すことを用意してはいないのですが……」
先ほどの少年のことを思い出した。
「ここには、小さい子も来るのですか」
「えぇ、ですがあまり他のクライアントのことはお話しできないので……」
「それは、そうですね……」
「では、少し私の子どものころのお話をさせてください」
そうして私は自分の幼少期から今に至るまでのことを話した。
勉強も運動もそれなりにできた小学生。部活ばっかりで野球のことしか思い出のない中学・高校・大学生。大学推薦で銀行に就職し、今に至ることなど……
「用意してない、とおっしゃっていましたが、流れるようで、とても分かりやすく聞くことができました」
「いえ、それは先生が上手く聞いてくださるからだと思いますよ」
私は苦笑しながら答えた。
「ところで、今の話は色々な所でお話されています?」
「えぇ、まぁ。何か問題でも?」
雨の音が聞こえる。また強くなってきたのだろうか
「いえ、あまりに上手にお話されるものですから。それで、今の心の感じはいかがですか?」
「正直に言えば、あまりよくありませんね」
「そうでしたか。それもまた、一つの半沢さんの変化かもしれませんね」
「また、来ます」
私が立ち上がると、女性も立ち上がって窓を開けた。雨は止んだようだ。
「少し、宿題をお願いしてもいいですか?」
「宿題?」
「えぇ。次回に是非、半沢さんが『今まで一番心が動いたこと』を教えてください」
「それはなぜ?」
間髪を入れずに答えた。イラっとした言葉に聞こえたかもしれない。
「まぁ、出来たらで結構です。ほら、雨が止んで夕焼けが綺麗ですよ」
※※※※※※※※※※※※※※※
受付時間を間違えたようだ。待合室で待たせてもらっていると、先日の男の子とその父親らしき男性とすれ違った。
私に気付いた男の子は、男性に耳打ちをし廊下へ向かっていった。
男性は男の子を見送ると。私の方へ近寄ってきた
「この前、傘を貸してくださった方ですか」
「えぇ、まぁ。でもビニール傘なので。そのまま差し上げますよ」
「申し訳ありません。ありがとうございます。実は息子がそのまま振り回してしまって壊してしまったもんで、どうしたもんかと思いまして」
そんな子には見えないが、男の子というのはそういうものなのだろうか。
「あれも母を失くしてしまってからずっとあんな感じでしたが、あの日だけ突然、家に帰ったら暴れてしまって。とはいえ先生に言わせるとカウンセリング中はいつも暴れてるし、でもそれはいい傾向だともおっしゃってはいたのですがね。母を事故で失くしたのは自分のせいだと考えているようで」
ギクッとした。そうか、余計なことを言ってしまったな。
「またお会いするかもしれませんが、そのときは、また」
父親は待合室から出た。
できれば会わない方がお互いの為なような気もするが。
※※※※※※※※※※※※※※※
「うーん、誤解しないように敢えて言いますが、ただ暴れて私に暴力を振るっているのではなく、過去の自分を叩こうとしているケースもあります」
女性は手を組んだまま答えた。なぜか今日は楽しそうに感じる。
「そういうこともあるのですね。なぜ暴力を?」
「それはお答え出来ません」
沈黙が流れた。
「先生は今日楽しそうですね」
「そう見えますか。それで、いかがですか?『宿題』の方は」
「……いえ、特に思いつかず……」
「そうでしたか、良かったです」
「……『良かった』とは?」
思わず語気が強くなったが、女性の雰囲気は変わらなかった。
「いえ、半沢さんは普段から冷静で、一方で話し方にもユーモアもある。おそらく聞き手のことを観察し、相手に合わせて話もできる」
「何が言いたいのでしょうか」
イライラする。
「たぶん、部下や奥様からは『本音が見えない』とも言われているのでは?」
「それが何か問題でも?」
言葉に出てしまう。怒りの波を止めようとしても、女性はその堰を崩していく。
「その反対に半沢さんは人のことを丁寧に、正確に観察していらっしゃる。これは恐らくですが、野球部のころからそうなのでは?」
「違います」
違う。
「誇りに思っている野球部時代ですが、もしかしたら試合に出れずに『観察』する立場にいた。そしてそれを引け目に思っている」
「違う」
違う。
「もしかしたらですが、楽し気に話されていた学生時代も、具体的なエピソードが出てこないことを考えると、クラスの輪に入れていなかったのでは?」
「オレが違うといったら違うだろうが!!」
思わず叩いた机から水の入ったグラスが落ちた。
女性のトーンは変わらない
「それが本音ですか?」
記憶が蘇る
レギュラーミーティングを外から眺める自分の疎外感
自分だけが綺麗なままのユニフォームの洗剤の匂い。
引退試合の観客席の座席の熱さ。
廊下の窓越しにみた放課後にクラスの男女が楽しく喋っている様子と、その奥にある夕焼け。
惨めさ。
「今日はここまでにしましょう。またお待ちしていますよ。よければこの傘をお使いください」
傘?雨なんて降っていないが。
女性は、訝しむ私を笑顔で見送った。
「傘が必要になると思いますよ」
外に出た。日が傾き始めている。空を見上げると、ほほに雫が伝わる。
確かに傘が必要になるかもしれない。
※※※※※※※※※※※※※※※
「半沢さんは、どうしてウチの廊下がこんなに長いのは想像つきますか」
私は前回のカウンセリングから、夏季休暇が残っていたのをいいことに、五日間の休みを申し出ていた。繁忙期ではなかったし、制度上取得しなければいけない休暇のため、突然の申請でもあったが、上司もそれをすんなり受け入れた。
自分と向き合う、というと陳腐だが自分にはそれが必要なことに思えた。それは出世とは限らず、今後の自分にとっても意味があることに思えた。
「いえ、全く」
見当もつかない私を、女性はまた楽しそうに見ていた。
「変身、ですよ」
「変身?」
「そう、廊下を歩きながら、時間を使って、みんな変身するんですよ。いい子を演じる優等生も、おおらかに見せたい経営者も、母親を失った悲しみを誰かに押し付けたい子どもも、人と深く関わらないようにするサラリーマンも。廊下を歩きながら変身し、また変身して帰っていくんです」
「わかるようなわからないような……」
「また、自分を客体視できるのも廊下のいいところですね」
「そうですかね。あまりわかりませんが」
変身。客観視。確かにそうかもしれない。この廊下で気持ちを切り替える。そして自分をオーバーホールして、また廊下で組みなおす。
私は女性のネームプレートを初めてみた。がいまいち読めない苗字だった
「先生は、なんてお名前なんですか?」
「あれ、初めて聞いてくれましたね。でも、まぁいいでしょう。もしかしたらもう私は必要ないかもしれません」
女性は立ち上がると窓に向かっていった。
「人を観察する、というのはこの仕事をする上でとても重要なスキルです。一方で思春期時代にその経験がない人は、深い面で共感できないかもしれないと考えています。もしかしたら半沢さんにも、こちらの世界で活躍できる素養があるかもと思いますが、ご興味はありますか?」
なんの申し出だろう?
少し笑ってしまった。
「いや初回に申し上げたように、この世界では『出世』が一番の関心事項です」
女性も笑いながら答えた
「そうでしたか、でしたら名前は教えずにおきますね」
そういうと女性は帰りの廊下のドアを開けた
「では、これで最終回になります。今までお疲れ様でした」
「あれ、何の香りでしょうね」
ドアを開けると、花の香りがした。
「先生、これは蝋梅ですよ」
舞台の境界線 バラック @balack
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