蛇喰鷲の紋章の下に

如月十八

序章 少年と 猫と少女と 調査局

「そのスキルだとうちの仕事は難しいかなぁ」


 ここは王都ミリアムにある、とある雑貨店。

 そこの店主は少し困った顔でジュリオを見ると、


「ごめんね、他を当たってください」


 申し訳なさそうに頭を下げた。

 ジュリオはどうにか「ありがとうございました」と口を動かすと、手荷物をまとめて雑貨店をして、通りへと出る。

 年末節ねんまつせつを間際にひかえて、様々な飾りつけや行き交う人々できらびやかなメインストリート。

 誰もが楽しそうに過ごしている中、絶賛就職浪人中――只今ただいまので14連敗目――のジュリオは、一人ため息をついて空を見上げた。


 季節は12月の冬。街の雰囲気は明るいが空は曇天どんてんで、アカデミーの気象予測では夕方から雪が降るらしい。


『王都の冬は冷えるらしいよ』


 送り出してくれた両親の言葉を思い出す。

 今頃さとは冬の準備で忙しいだろうか、皆元気にしているだろうかと、望郷ぼうきょうの念がふとよぎる。


 ジュリオ=レイクウッドは18歳。

 ラケント大陸に存在する4つの国の内、クァトル王国の辺境へんきょうの名もなき郷から立身出世りっしんしゅっせを夢見て王都までやってきた、ありがちな若者の一人である。

 だが、早くもその夢は破れそうだった。

 王都に着いてはや1か月、路銀ろぎんきかけているというのにいまだに職が見つからない。


(うーん、やはり特技が無いのがいけないんだろうか?)


 ジュリオ自身は茶髪茶目、中肉中背で、白いシャツの上にベージュ色の革のベスト、灰色のズボン。フードが付いた紺のチェスターコートを着ている。王国では別段珍しくない、特徴のない若者なのだが、剣術や魔術といったいわゆる冒険や日常生活に使えるような技術スキルを持ち合わせていない。

 暮らしていた郷には剣士も魔術師もいなかったため、仕方ないといえば仕方ないのだが……

 遺跡探索や魔物の討伐とうばつを主として行う冒険者になるにしても、これではパーティに入れてくれるはずもない。

 そんなことを考えていると、ぐぅ、と腹の虫がなった。同時に小さく「ニャー」と猫の鳴き声。


「――そうだな、とりあえずご飯でも食べて考えるか」


 ジュリオは視線を荷物に向けてそうつぶやくと、目についた酒場兼飯屋に向かうことにした。




 ◇◆◇




「キャー!」


 突然、あたりに女性の悲鳴が響く。


「引ったくりよー!!」

「なんだなんだ!?」


 にわかにあたりがざわめくと、喧噪けんそうの中から一人の男が走ってくる。手には女性もののバッグ。

 その後ろからはピンクの長い髪を2つに分けてゆるく三つ編みにした少女が長杖ロッドを片手に男を追っている。


「そこの人、そいつを捕まえて!!」


(引ったくり……ようは泥棒どろぼうか)


 自分に向けたと思われる言葉を受けて、ジュリオは男の方へと向き直った。

 腰を少し落とし、低く構えて男の動きを見る。男との距離は15メートルほどか。


「「あ」」


 男は前方のジュリオが邪魔じゃまをする気だと察したのか、走るのを止めて壁をよじ昇ると、今度は屋根を伝って逃げ始めた。


「……都会の泥棒は器用だなぁ」


 しばし呆然ぼうぜんとして、男を追っていた少女と目を見合わせる。淡いみどり色のひとみが印象的だった。

 見た目からすると少女はジュリオと同じ歳くらいだろうか、清潔せいけつそうな白のブラウスに茶色のビスチェドレス、その上からレースで縁取ふちどられた青色のボレロをまとっている。足には白のニーソックスに鹿革しかがわのニーハイブーツ。

 走りづめだったせいか、少女は肩で息をしている。


「感心してる場合じゃないか」


 ジュリオは持っていた荷物の一つ――キャリーケース――を地面に降ろすと、


「ミィ、行け」


 そう言ってキャリーケースの扉を開けた。

 出てきたのは銀毛に白靴下模様の猫。

 するりとキャリーケースから抜け出すと、「ニャー」と一鳴きしてジュリオの体を登ると肩から屋根へと飛び乗った。そのまま男を追い始める。

 ジュリオもそれを追って街路がいろを走り出した。屋根伝いに進む男を下から追いかける。少女もあわてたようにその後ろから付いていく。


 やがて逃げていた男は狭い路地の境目にきた。家と家の間の路地を渡ってしまえば下からでは家が邪魔でもう追いつけない。

 逃げ切れる、そう確信した男は思い切って路地をぶ。瞬間、男の横合いから機をうかがっていた銀色の猫――ミィが飛びかかった。

 猫にまったく気づいて無かった上に空中ではけようもなく、バランスを崩された男は、


「うわぁぁ!」


 路地へと落ちていく。

 ――重い物の落ちる音があたりに響いた。


 ジュリオと少女がその場に到着すると、


「ニャッ」


 完全に昏倒こんとうした男の頭上でほこらしげに鳴く猫。


「よくやったな、ミィ」


 ジュリオはそんな猫をでてやると、男の横に落ちていたバッグを拾って少女へと差し出す。


「えーと、これでいいかな?」

「ご協力ありがとうございます、無事に取り返せました!」


 少女は嬉しそうにバッグを受け取る。


「あ、わたしは王立おうりつ調査局ちょうさきょくのフィリア=ラーズデルといいます」

「王立調査局?」

「ご存じありませんか?」

「田舎から出てきたばかりでして」

「そうですか。なんというか……警察の仲間です。わたしはまだ見習いですが」


 少し恥ずかしそうに笑うフィリアと名乗る少女。


「なるほど、警察ですか。自分はジュリオ=レイクウッドです」


 ジュリオはフィリアと視線を合わせて手を差し出す。フィリアも手を伸ばし、二人は握手あくしゅを交わした。


「えーと、この気絶した男はどうしたらいいでしょう?」

「警察の詰所つめしょまで運びます。とりあえず手錠てじょうを掛けておかなきゃですね」


 ポーチから手錠を取り出し、てきぱきと動くフィリア。


「で、そいつを君一人で運ぶ気か?」


 そこへ声が後ろから掛かる。

 二人が振り向くと、銀髪をアップスタイルにし、品の良い黒のコートとふち無し眼鏡めがねをした中年と老年の境目の女性――その立ち姿からは厳格げんかくさと威風いふうにじみ出ている――が立っていた。


「局長!」

「よくやった、フィリア」


 そうフィリアという少女に声をかけ、ジュリオの方を向く。


「それにジュリオ君といったか。私は王立調査局局長をつとめるヴァイオレット=クローチェだ。君には聞きたいこともあるが――こんなところで立ち話もなんだ、その男を運ぶついでに一緒に来てくれないか?」


(局長、ということはフィリアの上司か。つまり警察だな。『街では警察には逆らわないこと』だったか)


 そんな両親の言葉を思い出して、ジュリオはうなずいた。


「わかりました」

「そう言ってくれるとありがたい。では詰所まで行くとしよう」


 そう言うと女性――ヴァイオレット――はコートをひるがえして歩き出した。


「あ、待ってくださいよ局長……ああ行っちゃった。もう、せっかちなんだから」


 フィリアはヴァイオレットからジュリオの方に振り返ると、


「レイクウッドさん、すいませんが少し待っていて下さいますか? このバッグを被害者の方に届けてきますので」

「どうぞ行ってきてください。それと自分はジュリオで大丈夫です」

「わかりました、ジュリオさん。では行ってきますね」


 一礼するとフィリアは路地を走っていった。ほどなく戻ってくる。


「お待たせしました、では詰所まで案内しますね」

「お願いします。それじゃミィ、おいで」


 キャリーケースの扉をジュリオが開けると、ミィはそこへ入って丸くなった。


「さっきも思いましたけど、賢い猫ちゃんですね」


 その様子を見ながら感心したように言うフィリア。


「こいつとは長い付き合いですから」


 扉を閉めながらそう言うと、ジュリオはフィリアと二人で昏倒した男の肩を挟むようにして持ち上げる。


「えーと、こうですかね?」

「そんな感じで。では行きましょう」


 男をかつぐと、二人は先行したヴァイオレットを追って歩き始めた。




 ◇◆◇




 警察の詰所つめしょは歩いて10分程のところにあり、男が結局目を覚まさなかったため、特に面倒なこともなくジュリオとフィリアは男を警察に届けることができた。

 階下でフィリアが引ったくりを引き渡すための書類と格闘している間に、ジュリオはヴァイオレットに3階にある応接室らしき場所に通された。

 ジュリオがソファに座ると、ヴァイオレットも向かい合わせになったソファに座る。


「さて、改めて名乗るが私はヴァイオレット=クローチェ。王立調査局おうりつちょうさきょくという警察の――まあ上位組織で局長をしている者だ」

「ジュリオ=レイクウッドです」


 普段から人の上から話す事に慣れていることを感じさせる話し方に、ジュリオは態度たいどを改める。


「ジュリオ君、先程は見事だった。引ったくり犯を捕まえようとするその意思、犯人をらえるために猫を操るその能力。素晴らしい」

「……ありがとうございます」


 ヴァイオレットが何を言いたいのか分からず、生返事になるジュリオ。ヴァイオレットはそれに構わず、


「君は調教師テイマーかな?」


 と問う。


「いえ、職業ジョブ通訳士インタプリターです」

「ほう、通訳士か。今時珍しいな。500年ほど前にこの大陸の言語が統一され、大陸歴が新大陸歴になって以来、役目を終えてほとんどいなくなったと聞いたが」

「そうみたいですね、面接でもよくそう言われました」

「それで、どうやって猫と意思いし疎通そつうを? 通訳士だけに猫の言葉が判る、とでも言うのかな?」


 からかうような口調でヴァイオレットが言う。


「そうです。一応猫に限らず他の動物や魔物の言葉も扱えますけど」


 そうジュリオが真顔で返すと、ヴァイオレットは目を細めた。鋭いといっていい眼つきになる。


「つまり、先程は君が君の猫に引ったくり犯を追ってもらうように言い、それに君の猫は従った、と」

「そこまで細かいことは言ってませんが、大体その通りです」


 キャリーケースからそうだと言わんばかりに「ニャー」と鳴き声がする。

 それを聞いてヴァイオレットは、


「そうか。昔の優れた通訳士は動物と話せたらしいが、共通語が広まるにつれそうした通訳士は減っていったと文献ぶんけんにはあったな……。君も嘘を言っているようには見えない」


 ひとつうなずいた。少し考えるように視線を宙に向けると、


「察するに君は王都に来たばかりで、今は求職中といったところか。面接と口にしていたが」

「はい、王都に来て1か月ほどちますが苦戦してます」

「動物と話せるということを誰かに話したことは?」

「……そういえば無いですね。そこまで話が進む前にお断りされてました。そんなに珍しいんでしょうか、通訳士は」


 不思議そうなジュリオの疑問に、


「そうだな、とても珍しいといえる。動物、魔物と話せる通訳士はここ100年以上現れていないはずだ。ゆえに通訳士というと、共通語になる前の古語を話せる人物を最近ではす。普段では全く無用の技術スキルだな」

「そうだったんですね。どうりで通訳士と名乗っても反応が悪い訳だ」


 その言葉にジュリオは得心した。

 ヴァイオレットは姿勢をあらためてひざの上で指を組むと、


「そこで君に一つ提案がある。――王立調査局に入る気はないか?」


 そう切り出した。


「ええとその、良いんですか? ありがたい話ではありますが、警察になるには適正てきせい試験しけんみたいのがあるって聞いたことがあります」


 いきなりの展開に、困惑こんわく気味のジュリオ。


「先程の件を見れば捜査官見習い程度には問題ない。無論、法律などの各種規則は覚えてもらうが」

「はあ」

「それに、動物と話せるというのは捜査への影響が大きい」

「一応お断りしておきますが、話しかけても相手がこたえてくれるかどうかはまた別の話ですよ? 動物も魔物も気まぐれなので……」

「そうか。しかし会話できるかもしれないという機会チャンスがあるだけで十分だ」


 断じるヴァイオレット。


「それに、君の可能性はそれだけではなさそうだからな、ジュリオ=君」


 いわくありげな目でジュリオを見つめる。


「……」


 沈黙したジュリオを尻目に、


「さて、問題ないようなら早速明日から局へ来て欲しい。待遇たいぐうだが階級は捜査官見習い、一番下の階級からだ。給金は月に金貨27枚、もちろん賞与、昇給どちらもある。休みは週に1から2日、残業有り、事件によっては連日の泊まり込みも有りうる。家に関してだが、今は宿やど暮らしだな? 関係者用のりょうがあるので、そこに入ると良いだろう。場所はあとでフィリア捜査官見習いに案内させる。ここまでで何か質問は?」

「あー……」


 矢継やつぎ早に繰り出される言葉に対しジュリオには言いたいことが無いではなかったが、両親の教えである『街では警察に逆らわないこと』を再び思い出すと、


「明日からよろしくお願いします」


 とだけ答えることにした。

 ともあれ職にありつけるのはありがたいことであったし、ヴァイオレットに逆らうのは――説明しづらいのだが、どうにも悪い予感がする――ためだ。

 ジュリオは自分の勘をそれなりに信頼していた。


「よろしい、では明日からよろしく頼む、ジュリオ君」


 二人は握手あくしゅを交わすと、


「細かい話は先程まで一緒だった女の子、フィリアから聞くように」


 話は終わったとばかりに席を立つヴァイオレット。


「たまたま誘われて外に昼食に出ていなければ、君と出会うことも無かっただろう。お互いに運が良かったな」

「そうですね、そうなるよう努力します」


 その生真面目とも言える返事を聞いて、ヴァイオレットは意表を突かれたように一瞬の間を置いてから笑うと、


「是非そうしてくれたまえ。では、私はこれで失礼する」


 応接室の扉の方へと歩いていく。


「こ・れ・で、じゃありませんよ局長!」


 乱暴に開けられた扉の向こうには、書類との格闘を終えたフィリアが立っていた。


「犯人も書類も押し付けて……大変だったんですよ!」


 怒りながらフィリアが言うが、


「そうか、よくやってくれた」


 ヴァイオレットは少しも動じない。逆に、


「そうだ、紹介しよう。明日から君の同僚どうりょうとなるジュリオ=レイクウッド捜査官見習いだ」

「えっ、捜査官見習い!?」


 突然の発言に、フィリアは驚いてジュリオの方を見る。


「あの、先程引ったくりを捕まえてくれた人ですよね? 捜査官見習いって……雇ったんですか!?」

「そうだが」


 平然とヴァイオレット。


「そうだが、じゃありませんよ、たった今会ったばかりの人を雇うなんて!」


 再びフィリアがヴァイオレットに詰め寄るが、


「彼の能力は先程見ての通りだし、そもそも調査局ウチ慢性まんせいの人手不足だ。ちょうど良い拾い物だった」


 冷静に切り返される。


「それは、そうかもしれませんけど……」


 ごにょごにょとつぶやくフィリアに、


「では後は任せるぞ、フィリア。私は会議に行かねばならない、彼に局の場所を案内しておいてくれ。寮にもな」


 そう言い残すと、今度こそヴァイオレットは去っていった。


「はぁ……」


 部屋にフィリアの深いため息が響く。

 色々とあきらめた表情でジュリオの方を向き、改めて笑顔を作って頭を下げると、


「ジュリオさん、さきほどは色々と失礼しました」

「いえ、ごくあたりまえの反応かと。いきなり王立調査局に入らないか? と言われて自分もびっくりしたので」


 ジュリオは苦笑する。


「ですよねぇ。局長はいつもいきなりなんだから……」


 フィリアも苦笑いして頷く。


「とにかく、よろしくお願いしますジュリオさん」

「よろしくお願いします、ラーズデルさん。さっきも言いましたけど自分のことはジュリオだけで」

「ではわたしのこともフィリアと呼んでください」

「フィリアさん」

「フィリア」

「……フィリア」

「それでおあいこです」


 フィリアが晴れやかな笑顔を見せる。


「さて、それじゃあ局と寮に案内しますね」


 そう言って長杖ロッドを手に歩き出しかけたフィリアを、ジュリオはさえぎった。


「すいません、できればその前に――」


 言いかけたジュリオの腹が盛大に鳴る。


「――なにか食べてきても良いですか? できれば猫も入れるお店で」


 ミィの鳴き声が「フニャー」と重なった。

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