第10話 男子高校生の性

〔1〕


 僕のプロローグは終幕を迎えた。


 早朝、僕は洗面台の前に立つと紺色こんいろの制服を羽織り赤色のネクタイを首に締めた。決してナルシストではないがこうして制服を着ている自分を見ると少しだけ高校生なのだなと実感し、少しだけ頬を緩ませた。


「まーくん!まだかかるの?」


 玄関から僕を呼ぶ永愛の声が聞こえた。壁にかかった時計を見ると、学校まで直通のバスが停留所に来るまで15分前となっていた。


「ごめん!今行く!」


「早くしないと遅刻しちゃうよ?」


「ネクタイの結び方難しくって‥‥」


 少しいびつだが拳縛こぶしばりになってしまっていた頃に比べればだいぶマシになった方だ。今はネクタイの長さの調整に苦労しており、長すぎたり短すぎたりと中々標準の丈になってくれない。


「それじゃいこっか」


 ————


 ———


 ——


 —


「そう言えば先生は?」


「先に行ったよ。職員会議があるんだって」


「そっか」


 バスの中僕たちは他愛のない会話をして学校への道中を楽しんだ。車内は僕たちと同じ校章を胸に縫われた制服を着用している学生が多く、各々スマホをいじったり友人と会話をしたりなどして時間を潰している。


 時折男子生徒の目線がこちらに向けられるがおおよそ見当がつく。顔立ちが整っており男子が理想とするルックスを持つ永愛のことだ、きっと隣に座っている僕のことを目の敵にしているはず。そういった視線は彼女の隣にいるうちに分かるようになってしまった。  


———まもなく北ノ森高校前。北ノ森高校前です。現在車内が大変混雑しておりますので、慌てずゆっくりお降りください。


 アナウンスを耳にし、ふと車窓から外を見ると多くの高層ビルやオフィスが立ち並んだ景色が広がっていた。東京都世田谷区の中央にある北ノ森高校は以前学園都市として栄えていた多くの私立高校や大学、専門学校を廃し大規模な敷地に建設された。全国に鳳凰学園系列の高校は4つ設置されていることは以前話したが、その中でも北ノ森高校は間違いなく敷地の広さはNo. 1だ。


「これが校門‥‥なんだか違う世界に通じる入り口みたい」


 永愛ちゃんだけじゃない。たった今バスから降りた学生全員が校門の前で棒立ちしている。それだけに校門から広がる景色は壮大で、見る者全てを圧巻させた。


「やっばお城!!ねぇねぇ!お城あるんだけど!」


「入学式の時あんなのあったか!?」


 全員の視線を持っていく空中城。それは現代における物理学を反して確かに宙に浮いていた。見たところガスを使っているわけでも風力を利用しているわけでもないため、文字通りタネも仕掛けもどこにも見当たらない。


「あら、みなさんそんなところで何をしてらっしゃるのですか?」


 全員の視線が空中城に固定されていたからか、背後から迫る女性に誰も気が付かなかった。背格好は永愛ちゃんほどで、艶のかかった長い金髪を後ろに縛り上げている。以下にもお嬢様、淑女といった雰囲気を醸し出していた。


「ホームルームが始まってしまいます。入学初日から遅刻は不味いのではありまして?」


 我に返った学生達はスマホや腕時計を見るなり、鞄を抱えて駆け出した。実際に時刻はホームルーム開始10分前を指しており、学校の構造も把握していない新入生たちにとっては十分焦らせる時間帯だ。


「貴方達も—————おや、日ノ森さんではないですか。ごきげんよう」


 僕に一瞬視線を移し、永愛に一瞥すると丁寧な言葉遣いと作法で頭を下げた。


「おはようございます、栗栖坂くりすざか先輩。いつもこの時間に登校なさっているのですか?」


「えぇ、毎朝お仕事が入っていますので。といっても本当はもう少し早めに上がれるのだけれど」


 自己紹介もなく唐突に始まった会話は、僕を置いてけぼりにしていく。少なくとも僕との接点はないため、永愛ちゃんが僕のいない時に知り合った先輩だろう。となるとこの人がどんな人なのかはおおよそ検討がついてしまう。


「それでこちらの男性は————あら?」


 真尋と栗栖坂の視線が交錯する一瞬。永愛は途端に僕の手を引くと、強引に栗栖坂との距離を離した。 


「え、ちょ!永愛ちゃん————って痛い痛い痛い!!」


「すみません先輩。ホームルームが始まってしまいますので私たちも教室に向かいますね。それではまた」


 なんの合図もなくいきなり合気道の技を入れられた僕は抵抗の術もなくそのまま永愛ちゃんの手に引かれるがまま、記念すべき校舎への一歩を無駄にしてしまった。


「昨日の十席会議で校舎内はあらかた紹介したし、把握していると思うのだけれど。そんなにその子が大事なの?日ノ森さん」


 そうして彼女は不敵な笑みを浮かべると、彼女らの後に続いて校舎へと姿を消した。


〔2〕


「さっきの人永愛ちゃんの知り合い?」


「‥‥‥」


 返事がない。聞こえてなかったのかな?


「永愛ちゃんさっきの——————」


「ねぇ、さっきどこ見てたの?」


「‥‥ごめん」


 この異様なオーラは長年隣にいて直感的にわかるようになってきた。この感じは入っちゃったかな、”永愛ちゃんヤンデレモード”。こうなると始まるのがそう、尋問だ。


「何を謝ってるの?」


「えっと、その‥‥見てたことです」


「誰を?」


「さっきの、先輩」


「どこを?」


「‥‥‥」


「どーこーを!?見てたの!?」


「顔です」


 こうなると本当に辛い。永愛ちゃんにとって都合のいい解釈をするまでこの尋問は止まらない。


「それだけ?大きいおっぱいも見てたよね?というかあわよくば僕に話しかけてくれないかなって期待してたよね?」


「見てないし!してない!!ほんとにその、綺麗な人だな〜とは思ったけどそれだけだから!」


 確かに制服のブレザーの上から見ても分かる豊満な胸だったけど、そんなこと言ったら本気で殺される!


「ふーん」


「と、永愛ちゃん?」


 尋常じゃないほどの殺意が込められた視線を向けられた瞬間、天井からチャイム音が鳴り響いた。


「もうすぐホームルームが始まっちゃうしこの話はまたあとで、ね?」


「あ、ははは‥‥うん」


 男に生まれた以上女性の体に興味を持ってしまうのは仕方のないこと。女子高校生ならば尚更で大きな胸や尻、ムッチリしている太腿ふとももなど意識しなくとも視界に入ってしまう。そんな普通の男子高校生としての権利が今まさに目の前で失われた瞬間であった。

 


 





 

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