第二章:眼差す人形(4)

 目覚めたのは、柔らかなベッドの上だった。

 見上げている天井が、いつもより高く感じる。

 ゆっくりと上体を起こすと、まるで長い間背負っていた荷物を下ろしたように、体が軽いのを感じた。

 まだ少しぼんやりとした目で、リオは周囲を見渡す。

 自分の部屋ではない。落ち着いた色調の室内は八畳程度の広さで、自分が寝ていたベッドと小さなテーブル、椅子、アンティーク調の卓上ランプ以外に調度品がない。

 その椅子に座っていた誰かが、目を覚ましたリオに向けて優しく笑いかけた。


「目、覚めたみたいだね」

「……あ」


 リオの中で、様々な記憶がフラッシュバックする。

 悪夢の種を飲み込んだ後、意識を失ってから目覚めた彼女は、夢うつつのままに着替えてマネージャーの車に乗り込み、ライブ会場へと向かった。

 現実と夢の境界が曖昧なまま立ったステージの上で彼女が見た光景は、目だけが爛々と輝く人々の群れだった。無遠慮な視線たちが、彼女の体を突き刺し、心まで蹂躙するかのように見えた。

 そして彼女は――怪物となった。


「わたし……わたし……みんなに酷いことを……!!」


 そう言って両手で顔を覆うリオを、椅子から立ちあがって近づいたマリィがそっと撫でた。


「大丈夫、みんな無事だよ。あんたは、最後までプロだったんだ」


 泣き崩れるリオの頭を抱き、マリィは落ち着くまで彼女の背をぽんぽんと叩いた。





 怪物となったリオを倒した後、砕け散った悪夢から外に出ると、観客やライブのスタッフたちは全員気を失って会場に倒れていた。

 マリィはリオが人間の姿に戻ったのを確認してから、上階のパブの店員に事情を説明して警察と消防に連絡を入れてもらった。その後再びライブ会場に戻り、リオの意識を伴って廃夢へと帰った。

 ノードレッドによると、密閉された会場での二酸化炭素中毒ではないか、などの憶測が飛び交っているらしい。幾人かは病院に運ばれていき、リオの本体も意識不明として入院となっている。

 病院に運ばれた数名は人の下敷きになったりと怪我をしていたようだが、命に別状のある人間は一人もいなかったという。

 思い返せば、マリィが怪物と戦っている間、怪物は悪夢に閉じ込められた他の人間を襲うことはなかった。更に言えば、怪物の攻撃は全てマリィへの反撃だった。

 最初から、怪物に攻撃の意思はなかった。


「神性に顕現してからも、本人の意思は残るものなのかな」


 廃夢に帰った後、軽く報告をした際にノードレッドに訊いてみると、彼は事もなげに言った。


「マリィも、神性に顕現しつつ意思を保ってますよ?」

「いや、まぁそうなんだけど……なんて言うか、あんな姿になっても、リオは客に手を出さずにいたからさ」


 中心部にいたのは辛うじて人の形を保ってはいたものの、大部分は巨大な怪物になっていたから、てっきり人としての意思はないものと思っていた。

 そう言うと、ノードレッドは苦笑いのような曖昧な表情をする。


「正直に言えば、神性の力にてられれば普通は正気ではいられません。マリィが意思を保っているのは、あくまで神性の出力をペンダントで絞っているからです」

「リミッターみたいなもんか」


 マリィの理解に首肯しつつ、彼は推論を述べた。


「リオにとって、アイドルという職業意識が最低限のリミッターだったのでしょう。強い方です」

「……そうだね」


 だからこそ、彼女は不安や恐怖を全て自らにぶつけた。

 誰一人にも転嫁することなく、全てを貌のない少女として引き受けた。

 もし自分がそうなったら――不安や恐怖に押し潰されそうになったら、全てを自分で引き受けることが出来るだろうか。

 そんなことを考えていたマリィに、ノードレッドは爆弾を放り投げた。


「では、リオにも『星の智慧派』の捜索を手伝っていただきましょう」

「……は?」


 思わず胡乱な返事をしてから、マリィはノードレッドに噛みついた。


「ちょっと待ってよ。リオはアタシと違ってまだ生きてるでしょ? こんな危ないことさせられないよ」

「ですが、リオは既に神性の力を一度受け入れています。放っておけば、またいつ顕現するか分かりません。マリィと同じように、ペンダントでコントロール出来ればその危険性はぐっと抑えられますよ」

「だったら、コントロールだけすればいいでしょ。わざわざ手伝ってもらう必要はない」


 マリィは少し強めに突っぱねる。

 リオには、このままアイドルの道を進んでいって欲しかった。生きて現実を謳歌出来るのに、わざわざこれ以上危ない目に遭わせたくない。

 リオの意識を廃夢に連れ帰ったのは、心のケアが必要だと考えたからだ。事情を説明したら、すぐにでも本体に戻すつもりでいた。

 ノードレッドは何かを思案していたようだが、ややあって真剣な面持ちでマリィに告げた。


「マリィの意思は尊重します。ですが、ここはリオの意思も尊重したいと思います」

「リオの意思……?」


 怪訝な目を向けるマリィに、ノードレッドは一転して微笑んで見せた。


「はい。せっかくここまで来ていただいたのですから。マリィ、そろそろリオの様子を見てきていただけませんか?」


 彼の笑みに不穏なものを感じつつも、マリィは言われたとおり彼女のいる部屋へと向かった。





「やります」

「いやちょっと、話ちゃんと聞いてた?」


 あらかた落ち着いたリオを応接間に連れて行き、ノードレッドから一連の説明と雑な勧誘を受けたリオの即答を受けて、隣に座っていたマリィは思わずツッコミを入れた。

 リオはきょとんとした目でマリィの方を見る。


「わたしと同じように『種』で怪物になっちゃう人を助ける仕事、ですよね?」

「簡単に言えばそうだけど、危ないんだよ? 毎回リオのケースみたいにいくわけじゃないんだ」

「でも、あなたはやってるんですよね?」

「アタシは……もう死んでるからさ」


 リオの反論に、マリィは少し言葉を詰める。改めて自分から口にするのは抵抗感があった。たとえこうして動けていても、覚醒の世界に彼女の居場所はもうない。

 でも、リオにはある。今回のことで多少変化はあるかもしれないが、少なくとも命がけの捜索に参加する意味は無いはずだ。

 そんなマリィの訴えに、しかしリオは首を横に振った。


「わたしのファンでいてくれる人の中にも、誘惑に負けちゃう人、出てくるかもしれません。そうなったら、わたしはきっと自分を赦せなくなる。自分は助けてもらったのにって」

「でもそれはどうなるか知らなかったからで……」

「今はもう知ってしまいました」


 何よりも説得力のある笑顔の証言に、今度こそマリィは返答に窮してしまった。


「それに、わたしはアイドルですから。不安や恐怖に襲われている人も、笑顔にしてあげたいんです」


 自分のことを棚に上げちゃいますけど、と恥じらう彼女に、もはや何も言えることはなかった。

 ノードレッドが何となく勝ち誇ったような顔をしている気がして少しイラッとしつつも、マリィはリオの意思を受け入れた。


「……分かった。それじゃ、これからよろしくね、リオ」

「はい! ……あの、それで、一つだけお願いがあるんですけど……」

「お願い?」


 何故か少し上目遣いのリオにイヤな予感がしたが、取り敢えず聞いてみることにする。

 しばらくもじもじとした後、彼女は囁くように言った。


「えっと……『お姉さま』って呼んでもいいですか?」

「んぐっ!?」


 吹き出しそうになったのを必死で堪え、「何を言い出したんだこの子は」という表情でマリィはリオの方を見た。

 リオは熱のこもった目でマリィを見ながら言う。


「あの時のあなたは、とても凜々しくて、素敵でした。まるでお話に出てくる戦女神ヴァルキュリーみたいで……」

「そ、それはどうも……」

「わたし一人っ子で、あんなかっこいいお姉さんがいたらなって思ってたんです! だから、お願いします!」


 先ほどまでとは打って変わった熱量に、マリィは気圧されたようにのけぞった。

 この子、こんなキャラだっけ?


「まぁ、その……うん、構わないけど……」

「ありがとうございます、お姉さま!」

「近い近い……」


 特に断る理由もなく安易に了承したことを後悔しながら、マリィはリオを落ち着かせて溜息をついた。

 ことの運びはともかく、確かにリオが手伝ってくれるなら自分の負担は減るかもしれない。それに、ノードレッドがいるものの、同年代の仲間がいるというだけで気分が楽になる。

 そこまで考えて、マリィはふと気になることをノードレッドに訊いた。


「でも、リオは覚醒の世界に本体があるわけでしょ? ここに来るときはどうするの?」


 今は病院で入院中だから問題はないが、緊急に廃夢に来なければならないときは本体をどうするのか。まさか置き去りにするわけにもいかないだろう。

 しかし、ノードレッドは事もなげに言った。


「肉体ごとこちらに来ればいいのです。マリィには最初に説明しましたよ? 往来が困難な二つの世界を、容易にまたぐ存在が二つある、と」

「……あ」


 屍食鬼と、神性。

 この二つは、覚醒の世界と幻夢境を自由に往来出来る。

 それはつまり、肉体のくびきに縛られないことを示す。


「屍食鬼は覚醒の世界に移動する際に代理の肉体を必要としますが、神性はそれすらも必要ありません。ですから、マリィと同じく、移動に不自由はしないはずです」

「そっか……」


 条件は、既に整っていたってことか。

 苦笑しつつ、視線を移す。

 きょとんとした目をするリオに、マリィは立ちあがって手を伸ばした。


「今更だけど、愛創マリィだ。改めてよろしくね」

「葉月リオです! よろしくお願いします、マリィお姉さま!」

「う……慣れない……」


 両手でマリィの手を握り、満面の笑みで立ちあがるリオを見て、早くもマリィは後悔し始めていた。



 二人の様子をニコニコと眺めながら、ノードレッドは思案する。

 これで、二柱。

 いや、ようやく一柱か。

 最低でもあと三柱の用意を急がねばならない。

 最後の柱が、朽ちてしまう前に。

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