多分、本が好きでたまらない


「帰ってくれ」

「なんで。久しぶりに話そうよ」


 嫌だ。その日はそう断ったけれど、彼女はまた会いに来た。


「ストーカーはやめてくれ」

「遊びに来ただけだし」


 昔話をしに来たようにはとても思えない。彼女は笑顔一つ見せなかった。


「もう帰るから。ついてこないでよ」


 これ以上、彼女の顔を見たくなかった。そのはずだったのに。


「なんで勝手にあがってるんだよ」

「別にいいじゃん。友達だし、元部活メンバーでしょ? OB会だよ」


 これだから嫌なんだ。人の空間にズケズケと入り込まないでくれ。

 

 アパートの一室。一間にテーブルと座布団が2つ。友人すらあげなかった家に、昔のクラスメイトが躊躇いもなく座り込んでいる。立花秋音改め、橘シュウ。期待の新人作家。ウケた世代は幅広く、小説界隈では話題にあがっている。あれから新作が出ていないらしいが、珍しいことでもないだろう。数年越しに新作が発売される場合もある。


「無理やり追い出されたらあがらなかったよ」

「力ずくは犯罪になる。だいたい男が不利だし、というか追い払っても明日にでもまた来ただろ」

「あーバレた?」


 諦めはいいが、しつこさはある。それはとうに昔、味わった。


 彼女は変わったように思う。肩書きは当然、高校での快活な雰囲気はあまり感じられない。すっかり大人びていた。


「仕事はいいのか」

「今のところはね。本、読んでくれた?」

「……」

「そうだよね。1回、読んでくれたもんね」


 いつの話だ。


「けーくん、まだ小説書いてる?」

「まだ、か。俺は一度も書いてるとは言ってないはずだが」

「今更隠したってバレてるよ。まだ本のそばにいるからさ、書いてないにしてもって思うんだ」

「それはたまたま近くでバイトの募集が」

「本が嫌いになった人はそんなことしない」


 紙とインクの匂い。電子では感じられない感触。この家はそんな空気が流れている気がする。


「本棚に本がたくさん置いてある。大学で使うような専門書だけじゃなくて、ライトノベルや純文学まで」

「まだ、書いてるの?」


 それには、答えられない。


 新刊が出て本屋に赴く。店頭に置かれた本にはその店独自のポップが貼られている。一押しポイントがずらりと並び、読者の生の声が期待させてくれる。手に取って持ったときの重みが実感させてくれる。


 追ってる作者の新刊だけでは物足りず、その店でお勧めされている本も手に取ってみる。ぺらぺらと捲る質感、その手が止まらない衝撃。これは面白いぞ、と内から沸き立つ心。


 その日、その時間、その瞬間にしか得られない衝動に、我々読者は駆られていく。


 大学の専門書を読んで頭を悩ませる。レジュメの作成、レポートや論文の提出。


 それでも、気付きを得て知識が脳に溶け込む感覚は最高の一言に尽きる。ああ、こんなにも本が好きなんだな、と再確認させてくれる。


 中でも小説は、誰かに創りあげた世界にのめり込む感覚が好きでよく読んでいた。人の数だけ世界が広がっている。そこに名作も駄作も関係ない。


 立花秋音にしか生み出せない世界。咲良恵にしか生み出せない世界。


 その時代に生きる人にしか表現出来ない皮肉。その時代に生きる人ではなくても理解出来るソレ。


 物語は、時代を超えて人に伝播していく。


 間違いない。断言出来る。俺は、本が大好きだ。けれど、だから言える。こよなく愛するものだからこそ、それを汚したくない気持ちがある。


 俺は、咲良恵の作品が大嫌いだ。

 人に苦言を言われたくらいで信念を曲げる、咲良恵の作品が大嫌いなんだ。


 もう小説は書いてない。もう、書きたくない。

 俺は、自分の世界を書きたかった。それを否定されて、つまらないと陰で言われて、辛かった。辛いと思ってしまった。


 つまらなくていいのに。小説は、書いてる自分さえ楽しければそれでいいんだ。


 自分の中にある面白さを表現して、日常を詩的に表現して。それでよかったんだ。


 いつからか、評価を欲しがって小説をWebサイトにあげるようになった。いつからか、プロを意識してコンテストに応募するようになった。

 試行錯誤を繰り返した。こう書いた方がウケるんじゃないか。この展開の方が喜ばれるんじゃないか。他人からの評価を気にして小説を書くようになった。


 評価を貰えなくなって、つまらないと言われて、書く気力が失せてしまった。


 彼女の作品からはそんな邪な感情は感じなかった。稚拙ながらに自分の世界を表現する純情さに俺は惹かれた。そのとき俺は気付いた。


 俺は、立花秋音の作品が好きなんだと。でも同時に、完成した彼女の作品を読んで直感した。これは、面白い。紛れもなく名作だと。


 顧問にそれを伝えて、文化祭に出してもらうよう図った。そうしたら案の定、評判はよかった。


 文化祭の学校誌に掲載された作品が学校外に広がってゆき、瞬く間に小説界隈に轟いた。


 小説がつまらなくなった。自分の世界が閉じてしまった。


 将来が不安になった。進学、就職、この先の人生を一体どうやって生きていけばいいんだろう。きっと普通の人はここらで諦めて普通の道に進むんだ。


 書籍化の話は早かったという。

 それを予感して、その話を聞いて、俺は素直におめでとうと言えただろうか。嫉妬なんか、しなかっただろうか。


 ふと思い出したのは、俺が小説を書くようになった始まりの日のことだった。

 アイデアを吐き出して、「俺は天才だ」ってくらい楽しく書いていたあの頃のことだ。



 ◇



 会話は長くは続かなかった。

 打ちつける雨風の音に、外に洗濯物を干していたことを思い出した俺は急ぎ取り込んで片付けた。幸い、風で飛ばされたものはなかった。


 天気予報によれば、この雨は局所的なものですぐに晴れるという。それまで、彼女はここで雨宿りをさせてくれとのこと。さすがに断れない。


 あと数時間ほど降るであろう雨の間、いったいどう時間を潰せばよいのだろうか。いっそ傘でも渡して出ていって貰った方がよかったのではないか。


 暇つぶしの提案をしたのは俺ではなく、彼女の方だった。


「わたしの新作、まだプロットの段階だけど読んでもらえない?」


 渡されたのはいつか見たような紙の束だ。


「もう俺がアドバイス出来ることなんてないだろ」


 つい口をついて言ってしまった。

 すると彼女は、バツが悪そうに目を逸らして誤魔化すように笑った。


「実はあれから書けてないんだよね」


 どうして。そう訊く前に、彼女は言った。


「わたしの作品が嫌いになった」


 とりあえず読んでみて。それからは何も言わずに黙りとしていた。


 少しの興味が募って、俺はおとなしく読むことにした。枚数はそれほど多くない。図なども用いられており、数十分もあれば全体像は掴めそうだ。


 3年前のあの日より、ずっと技術が向上している。曲がりなりにも、俺は小説を勉強してきた。そのつもりだったけれど、俺が創作で使うプロットよりも遥かに質が良い。


 ジャンルはセカイ系。内容はいわゆるボーイミーツガール。

 序盤は要所に意味ありげなセリフや場面を散りばめ、主人公の心の溝を埋めながらラストシーンでは出会った少女と世界の謎が解明されていく。よくあるやつ。でも、こういうのが好き。


 世界と少女。どちらを選ぶか。その選択に迫られたとき、走馬灯のように頭を巡るのは出会った頃から今までの幸せ。


 世界を守るには彼女を壊さなければならない。一方で、彼女を守るには世界を壊す必要がある。


 このジレンマ、すごくいい。面白い。

 元からSF系が好きなことは知っていた。けれど、彼女にしては、とも思った。


「どうだった?」


 俺が読み終わったことに気づいて、彼女はそっと尋ねてきた。


「面白かったでしょ、それ」

「自尊心が高いな。虎になるぞ」

「そうだね。なれるなら、虎にでもなりたいかな」


 冗談のつもりだったが、彼女はまた力なく笑った。


「それ、あたしっぽくないでしょ」

「そう言われてもな。一作しか知らない」

「確かにそっか」

「だけど、お前っぽくはないなと思った」

「どっちさ」

「どっちもだよ」


 俺は出来ない。自分の外にある面白さを自分の中に昇華させて質の高い作品を作ることが出来ない。けれど、彼女は出来る。実際、俺が出したアイデアを作品内に取り入れていた。


 そのアイデアを面白いと思うから取り入れたのではなく、自分が好きなアイデアだから入れた。そう言っていた。


 このセカイ系の作品は、明らかに大衆に向けられた作品のように感じた。

 層は広く、普段から小説を読まない人でも気軽に手に取れるような。書籍化した映像作品とでも言うべきか。世界観に入り込みやすく、得るべくして人気を獲得するような作品。


 あのときと異なると思ったのは、様々な場面で有名作を意識したような手法が用いられているからだった。だから、技術レベルが高い。これは、小説家『橘シュウ』の作品なんだと思い知らされた。


「あたしはね。わたしの作品が嫌いなんだよ」

「大人になったな」

「うん、そうかも。前にね、自分が書きたいものを書いて担当の人に送ったら、これじゃ売れないからダメって返されたの。酷くない?」


 俺は自分の外にある大衆的な面白さを貼り付けて失敗した。きっとそれらを纏め上げる才能がなかったんだと思う。でも彼女は面白い要素の詰まった作品を書くことが出来てしまって、成功させるだけの技量があった。


「SFものはね、たまたま噛み合っただけなの。程よく大衆向けで、小説好きにも刺さった。でも、拘りすぎたら売れないの。そしたらね、書くのがつまらなくなった」


 あんなにも楽しそうに書く姿を見てきた反面、笑顔の消えた彼女からは紙にペンでアイデアを書き殴る姿も、文字を打ち込む姿も想像つかない。


「『アリとキリギリス』って知ってるよね」


 突然に彼女はそう繰り出した。


「夏の余りある時間を遊んで暮らしたキリギリスと、冬を凌ぐために使ったアリの話だよね。知ってるけどそれがどうかしたか」

「けいくんはさ、アリとキリギリス、どっちが正しいと思う?」


 どっち、か。時間を将来を見越して計画的に使ったアリ、その時々を楽しむために使ったキリギリス。どちらが正しいかと言えばそれは間違いなく。


「アリかな。結局キリギリスは冬の間アリの世話になったんだ。そうはならないようにっていう教訓を込めた作品だろ」

「でもあたしはどっちも正しいと思ってるんだ」

「どっちも?」

「うん。確かに、アリに迷惑をかけたキリギリスは良くないよ。でも、時間をその場を楽しむために使ってもいいじゃん。アリのように自分だけでなく他の皆のためにも働くのは偉いと思うよ。でもさ、正直自分とその周りさえ良ければどうでもよくない? 比べたってしょうがないことなんだよ。

 あなたは小説家を目指していたわけで、そこに安定した未来は見据えてはいなかったはずなんだよ。ねえ、もう一度書いてみようよ」 


 どうして。


「あたしはさ、あなたの作品が、あなたの創る世界が大好きなんだよ」


 雨はもう、上がっていた。予報より、かなり早かった。


 彼女は最後にそう言い残してから去っていった。

 まるで台風が過ぎるように。今晩は静かな夜が長かった。



 数ヶ月後、小説家『橘シュウ』の作品が刊行された。


 キャッチコピーは「贅沢な恋文」。タイトルは『本とあたし』

 あのセカイ系の話はと思えば、彼女はこれを機に引退を表明したという。だいたいの理由の想像はついた。


 内容は、寡黙な物書きの少年とお喋りな少女のお話。


「あ、この主人公の名前……」


 寡黙な少年は小説の世界では多弁だった。少年が書いた作品を読むうちに、だんだんと少年の人となりが理解出来る仕組み。


 本が大好きだということ。でも、自分のことは嫌いなこと。


 けれど、それでも彼女は最後にこう言った。


「あたしはあなたの作品が大好きだ」と。


 物語はそこで幕を閉じる。これを書いた彼女はきっと笑ってはいなかったと思う。遊び心はなくて、真剣さが伝わってきた。


 立花らしい。そう思った。あとがきの最後にはこう記されていた。


「フィクションではありますが、本心です」と。


 少年の名前は恵だった。

 高校3年生の文化祭。少女がたまたま手に取った文集には素人が書いた文学作品が掲載されていた。その作者はクラスメイトの寡黙な少年。


 放課後見てしまったのは、いつもは笑わない少年が楽しげに一生懸命に文章を書いている姿。それを見てから、少しずつ惹かれていったという。


 その言葉だけでよかったのかもしれない。また、書いても良いのだろうか。今度は、必要としてくれる人のために。大衆のためではなく、自分の書いたものを好きでいてくれる唯一のファンと、なによりも自分のために。


 そう思うと心が軽かった。会ってほしいと伝えるのも簡単なことだった。


「ひとつ聞かせてくれ」

「うん、なんなりと」

「俺の作品、面白いと思うか?」

「今だから言うけど、ホントにつまらないと思う! でもね……」

「うん」

「好きだよ。けーくんの書いた物語! そしてその世界も!」


 晴々とした笑顔で立花がそう言うと、なんだかおかしくなって俺まで吹き出してしまった。


「ねえ、けーくんはあたしの作品、好き?」


 そこだけは自信がなさそうに立花は言った。意趣返しさながら、俺は笑みを浮かべて告げた。


「もちろん。俺は立花秋音の作品が大好きだ」


 内輪ノリだろうか。都合が良すぎるだろうか。別にそれでも俺は構わない。他の人がどう思おうと関係のない話。


 秋風は、とうに過ぎ去っていった。この熱が冷めることは、絶対にないだろう。

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アリとキリギリスの背比べ 貧乏神の右手 @raosu52

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