◆◆ 005 -色欲の兄は悶々と日々を過ごす-(1/4)◆◆
じょぼぼぼぼぼ。
キッチンに注がれるカップ焼きそばのお湯。
……俺は永い夢を見ていたような気がする。
よくは思い出せないが、それはとてつもなくよくない夢。
果たしてどんな夢だっただろうか。
念じて、虚空に思い浮かべる。
どうぞ。
声に呼ばれた俺は、辺り一面が白い個室に足を踏み入れる。
待ち受けるは五人の何者か。
準備されていた椅子に座る俺を、五人は一斉にその眼光で射抜いてきた。
ぼこんっ。
注がれたお湯の温度変化でシンクが歪んだ音。
俺は正気に帰る。
全身から吹き出す汗。ぜえぜえとままならない呼吸。
全身を襲う寒気はまさに冬のオホーツク海。
決しそれは思い出してはならない夢。
全身の細胞が、一粒一粒が、強く俺の身体に訴えて来ていた。
俺はペリペリとフタを剥がす。わきあがる湯気とゆであがった焼きそばとかやくの香り。
「へへへ、口では逆らえても、身体はすっかりゆであがっているじゃねえか」
俺は添付されている液体ソースをかけ、焼きそばと混ぜ合わせる。芳醇なソースの香りが湯気と一緒に立ち昇った。
「ほら、ほら、ほら。くくく、もうこんなにソースとお前が混ざりあってる。抵抗したって無駄なんだよ、まだわからねえのか」
俺は仕上げにマヨネーズの小袋をカットして、それを焼きそばに回しかける。
「くらえ! マヨ・ビームっっ」
小袋の切り口からほとばしる白い液状の物体が、ゆであがってソースで黒く染まった焼きそばに純白の化粧を施した。
「どうだ、全部出してやったぞ。これで満足か?」
白い液状の物体をその身に受け、焼きそばから立ち昇る湯気は、熱を持ったマヨネーズの芳香も漂わせながら、俺の鼻孔を刺激してきていた。
◆◆ 005 -色欲の兄は悶々と日々を過ごす- ◆◆
俺は舌なめずりをしながら、台所から居間へと赴く。
途端に俺の鼻孔を妙に甘ったるい芳香が刺激した。
……何か、いる。
暗闇の中に潜む何者か。
軽快する俺の前にちゃぶ台に座っている黒装束に身を包んだ、謎のいつものがいた。
『よっ、元気してた?』
……誰だ、お前。
あまりにもなれなれしい物言いに、俺は疑惑の視線を向ける。
新しい電子パッドに切り替わったのか、文字自体が繁華街のネオンのような目に優しくない光を放つものになっていた。
『あ、ごめんよ、挨拶が遅れて。初対面だったね』
文字が自動で切り替わる。光もパラパラと目に優しくない。つーか、ずいぶんとハイテク仕様になったな。前回と今回とで何があった。
俺は甘ったるい芳香の中で、丹念に作り上げたカップ焼きそばソース味マヨビームがけをずぞぞと啜る。
『おっ、うまそうなの食べてるじゃん。ソース焼きそば?』
俺は返答の代わりにずぞぞっと啜る。
『しかもマヨビームぶっかけ! いいねえ! 俺も好きだよ』
褒められると悪い気はしない。
『俺、やっぱソースが好きなんだよね。唐揚げにもソースかけるし』
……そうなの?
『もちろんレモンもいいし、醬油もいい。特に醤油は大根おろしがあると最高』
わかる。揚げ物はさっぱりと食べたい。
『そしてソース。とんかつ、フライに合うのであれば、もちろん同じ揚げ物の唐揚げにも合わないわけがない。しかして焼きそば、
……焼きそばはともかく、
俺の表情を見て取ったのか、黒子は電子パッドにパパパっと続きの文字を映し出す。
『そう思うだろ? 俺もそう思ってたんだよ。でも酸味とコクが良い味だすんだよ。
一通り文字を映し出し、スタン!と音を立てて電子パッドをちゃぶ台に立てた。
黒いマスクの向こうでは自信満々のドヤ顔が透けて見えるようである。
「んで、ソース黒子さんよ。今日は何の用だい?」
俺の問いかけに黒子はずいっと身を乗り出す。ついでにパチリと居間の照明のスイッチも入れた。
今日の黒子はいつもの黒装束ではなく結構パリッとした高そうなスーツを着ていた。顔は相変わらず頭巾だが。
『いやいやお兄さんよ、用が無くちゃ来ちゃいけないのかい?』
「来ちゃいけねえってこたぁないが、そもそもおめぇさんらは何のために来てるんだい?」
つられて、俺もちゃぶ台座りの江戸っ子しゃべりになった。
『世の中、色々あるよなぁ? こっちは真面目なのに、全然相手には届かなかったり。一方的に上から目線で四の五の言われてさ。残酷だよな』
……わかる。
「……そうだよな、俺もこの前、夢でひどい目にあったよ」
『俺とあんた、きっといい友達になれそうだよ』
ずいっと身を乗り出す黒子はパッドの背面で文字を書き込んでおり、それを表面にそのまま表示しているようだった。便利になったもんだな、おい。
『ちなみにどんな悪い夢を見たんだい?』
……俺は言われるがままに見たはずの夢を思い返す。
だが、思い出せない。暗闇の中にぼやけて、それが果たしてどんな夢だったのか。見上げる照明の光に全てかき消されたかのように全てが白くかき消えていた。
『わかった、もういい。つらいことがあったんだな』
黒子がトン、とパッドを置いた音に、俺は自分が泣いていたことに気づいた。
なぜだか止まらない涙に俺はとまどう。
なんで俺は、こんなあやしさ極まりない黒子を目の前にしてグスグス泣いているのだろうか。
『早く食べな。せっかくのおいしい焼きそばが冷めちまう』
俺はずずず、ぞぞぞと焼きそばをかきこむ。その焼きそばは、ソースとマヨネーズと涙の味がした。
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