◆◆ 002 -強欲な妹は知識を求める-(1/4)◆◆

 じょぼぼぼぼ。

 役目を終えた熱湯がキッチンのシンクに注がれる。

 ぼんっ、と音が弾ける。

 シャカシャカとカップやきそばの容器を揺すり、中の麺の感触を容器を通して感じ取る。

 上々だ。

 長年作り慣れた達人ともなれば、揺らした感触で麺の仕上がり具合がわかるのだ。

 居間のちゃぶ台の畳に座り、ぺりぺりと容器のフタを剥がす。

 むわっと湯気が立ち昇り、その真上から粉末ソースを注ぎかける。

 すると立ち昇る湯気からソースの香りも立ち昇る。

 ややツンとする酸味のある香りが鼻孔を突き抜ける。

 極上だ。

 備え付けの小袋に入っていた青のりも振りかける。

 ソースの交じり合った磯の香り。

 ああ、もうこいつぁまいっちんぐ。

 笑顔がとろけ、じゅるりとよだれが口の端からこぼれ落ちる。

 シャキーンと手元の箸を高く掲げ、おもむろに極上に仕上がったカップやきそばの中に差し入れ、そして滝を逆流させる昇竜のごとく高々と麺を持ち上げた!


『おいしそうですね』


 ふと持ち上げた昇竜麺の向こうには一枚のフリップに書かれた文字が見えた。

 さらに目を凝らすとフリップをちゃぶ台に立てている、全身を黒い装束に身をまとった男……、たぶん男が座っていた。

 俺は驚きのあまり、とっさにカップ焼きそばをその身で隠した。

 頭部は黒い頭巾で顔は黒い薄布で確認できない。

 そう、黒子だ。こいつはテレビや漫画でしか話を聞いたことはないが、確かに黒子ではないか。

 その黒子は今、新しいフリップを取り出し黒いマジックでキュッキュッと文字を書いている。

 トンと立てられたフリップにはこう書かれていた。


『私の事は気にしないでください』


 気にするわ。めっちゃ気にするわ。

 カップ焼きそばを食べようとしたその向こうに、いきなり黒子の男が座ってたら気にしない方がどうかしてるぞ。

 俺は心の中で主張しつつも、出来立てのカップ焼きそばをずぞぞぞぞと啜った。

 うむ、こんな状況でもカップ焼きそばは変わらずうまい。


「あー、黒子さん、来てたんだね、声かけてよ、もう」


 トントコトンと二階から降りてきた妹が黒子に声をかけた。


「……この人、お前の知り合いか?」

「そうよ、この人、黒子さん。今日、わざわざ来てもらったんだよ」


 知り合いであってほしくなかった。そんな兄の心をいざ知らず、我が妹は黒子の隣に腰を下ろした。


「さ、あにぃ。挨拶しなさいよね」

「ほんはむわ」


 俺はカップ焼きそばをはむはむしながら、「こんにちは」と挨拶した。

 黒子はあらかじめ用意していたのか、フリップを取り出し、ちゃぶ台にトンと立てた。


『黒子です。どうぞ私の事はおかまいなく』


 かまうわ。めっちゃかまいたくなるぞ。どう考えてもその場違いすぎる黒装束は構わなければいかんだろ。なんなら今すぐ警察に構ってもらいたい。

 黒子は続けて、別のフリップをトンと立てた。


『私はあやしいものでありません』

「うそつけぇ!」


 絶叫が口の中のやきそばとともに放出される。ちゃぶ台と黒子に青のりとソースと焼きそばがショットガンとなって振りかかった。


「あにぃ! お客さんに失礼やろ!」

「いや、どう考えてもこいつはあやしすぎるだろ! どっから出てきたんだ、この場違いな生き物は!」


 もはや人間と呼称することすら躊躇われる存在。

 キュッキュッ、トン。


『もちろんお母さんのお腹の中です』


 俺は黒子の答えを無視して話を続ける。


「お前の友達なのかよ」

「うん、知り合い」


 妹は黒子に降りかかった焼きそばをティッシュで拭き取っていく。

 おかしい、俺の妹がこんなに他人の世話ができるわけがない。

 食っちゃ寝食っちゃ寝で怠惰を具現化した女とも呼べぬ存在、それが我が妹であるはずだ。

 よく見たらちゃんとパジャマじゃなく、少ない服の中からそれなりに見栄えのする服装、髪型も整えられ、サマになっていた。さらに自堕落な生活で荒れた肌をきちんとメイクして整えている……だと?

 おかしい。

 俺は率直な意見を心の中でつぶやきながら、残りの焼きそばをずぞぞぞぞと啜った。

 やわめの麺と青のり、ソース、かやくのキャベツが混然一体と口の中で踊り、魅惑の世界を形成する。

 しかし、俺は目の前の黒子と、降りかかった焼きそばをティッシュで拭き取り、ごめんなー。と謝る妹に妙に胸がざわついて、その魅惑の世界に浸りきることができなかった。


『慣れてますので平気です。どうぞお気になさらず』


 黒子のそのフリップは妹の抗議の視線と共に向けられた。

 俺は仕方なしに、すみません。と頭を下げたのだった。

 人はあやまれるうちにあやまっておかないと、いつしかあやまることすらできなくなってしまうのだ。


 * * *


 俺と妹、そして黒子と呼ばれる人間?の前には麦茶がそれぞれ置かれていた。


「それで本日、我が家に訪れたのは何用でしょうか」


 俺は目の前の黒子に問いかける。

 どういうわけか、若干時代劇口調になってしまった。

 黒子はマジックでフリップに書き込み、トンと立てる。


『私は妹さんに呼ばれて、やってまいりました』


 知ってるわ。さすがにわざわざ言われんでもわかっとるわ。


「あにぃ。この人、AIに詳しいんやで」


 ほんとかよ。


『それほどでもありません。聞かれたことをお調べしてお答えできればと考えております』


 なんだろう、このむずむずする感じ。

 フリップでキュッキュッと文字を書き終えるのを待っているからだろうか。というか、何で会話にいちいちフリップを使っているんだ?


「あんた、しゃべれないの「あにぃ! なんてこというの!」


 俺の問いかけを怒鳴って遮るは我が妹なり。


「ごめんね、黒子さん。あにぃはこんな人間なの。どうかゆるして」


 そしてすぐさま、手をついて妹は黒子に謝罪する。

 えっ、悪いの俺? フリップでやりとりするより会話した方が早くね?


「……声出せないなら出せないで、言ってくれよ」


 俺は色々、察したので、何かがおかしいと思いつつも一応謝罪する。

 あやまれるときにあやまらないと(ry


『ではお二人は何が知りたいのでしょうか?』


 タン、と黒子のフリップ。


「うち、AIの事が知りたいんや」


 またこいつは漠然とした問いかけを。というか、あれから何も調べてないんだな、我が妹ながら怠惰な奴だ。


『では、直接AIに訊いてみてはいかがでしょうか』


 俺と妹の時が止まる。

 AIにAIの事を訊く? そんなことができるのか?

 黒子は自分が座っている隣の畳をパンと強く叩いて、畳を空中回転させて裏返す。

 裏返った畳の上には一台のノートパソコンがあった。

 黒子はちゃぶ台の上にノートパソコンを置いて、モニターを開けた。

 色々とツッコミたいがツッコまないからな? キリないし。

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