四月一日【先生のアノニマ 2(上)〜エピローグ】

 四月一日。午前。

 ローマ・フィウミチーノ空港からの直通便で羽田に降り立った俺は、そのまま公共交通機関で太史学園へ向かった。極秘作戦で久々に世話になった幽霊船ドロシーを下艦する時、インテリから

「『寄り道せずに真っ直ぐ帰って来い』と、真耶提督直々にお達しがあったぞ」

 との御下命を賜ったためだ。

 寄り道っつったって——

 天涯孤独の俺に縁がある所など何処にもなければ、今住んでいる所以外に帰る所などないというのに。

 ——何処に行けってんだよ。

 あくまでも学園から出張扱いで参加した極秘作戦だったが、俺個人としては転属したつもりだった。毎度その場の成り行きで転々としてきた身だ。決まって言える事は、何処へ行っても傍にはいつも三途川さんずのかわが流れていた。だからいつも所持品は必要最低限で、いつ死んでもよいように淡白に生きてきたというのに。いざ作戦から離脱してみて、まさか本当にそこ学園に身分が残っていようとは。紗生子も言っていたが、相談役の思惑という事なのだろう。

 学園周辺まで戻って来ると、昼前になっていた。モノレールと電車を乗り継ぎ、実に約二時間。横田基地近隣の自治体ともなると、羽田からはそれなりに時間を要するものだ。

 それにしても——

 帰りの民間機もエコノミーで、中々渋い任務だった。あくまでも極秘行動という事で、帰りといえども目立たせない、という事なのだろう。流石に身体が

 ——ゴワゴワするなぁ全く。

 相棒のズダ袋を背負って最寄りの駅からとぼとぼ歩き、ようやく正門に辿り着く。と、校内の桜並木に思わず足が止まった。

「桜だったか——」

 校内の東西を中央部で分け隔てる本館の、その奥まった所にある正面玄関までの、一直線の取りつけ道路の左右に、淡いピンク色の花が咲き乱れている。日本ではお馴染みの染井吉野のようだ。何の木だか気にもしていなかったのだが、桜を見るなど何年振りだろう。改めて、日本に帰って来た事を実感させられると、不意に何かが込み上げてきそうになった。

 学園は春休み中だが正門は鍵がかかっていない。学生は休みでも学園職員はカレンダー通りに出勤しているからだろう。グラウンドの方を見ると、運動部が部活動をしており活気があった。出張・・に出た二月中旬は、まだまだ寒かったものだが。天気も良く、春の日差しが麗かで眩しかった。ここ一月半は、鉄や弾に囲まれた生活だった事を思うと何とも平和な事だ。数千km先では、今この瞬間も激戦が繰り広げられているというのに。そのギャップの凄まじさに、一人で勝手に誰かに対して申し訳なく思う。

 校内に入り、正面玄関から職員室に入ると、何人かの目が集まって俄かに感嘆の声が上がった。その声が、

「大変だったねぇ」

「もう大丈夫なの?」

 などと、労うものばかりで、昨年赴任した頃と比べると雲泥の差だ。それにしても、何に対して労われているのか。まさか、出張内容を知っている事はないだろうが。それにしては何処か同情的というか、哀れむような視線も混ざっているような。

 ——うーん。

 どうも、腑に落ちない。

 それはその直後に案内された理事長室で、その部屋の主によって明らかにされた。

「重度の蜂窩織炎ほうかしきえんで入院された事になっていたんです。横田基地内の病院で」

「何です、その病気?」

 皮膚とその下の組織に細菌が感染し、炎症が起こる病気らしい。

「皮膚トラブル、ですか」

 という事は、

「部位、があるんですよね? まさか全身って事はないでしょうから」

 という事なのだろう。ある程度は話を合わせておかなくてはならない。

「それが——」

 と言い淀む理事長が、やっと口にした部位は股部白癬こぶはくせんなるものだった。瞬間で嫌な予感がして、

「股の水虫、って事ですか——って、まさか!?」

 その先を促すと、今度は申し訳なさそうな理事長が首を縦に振る。

「——い、いんきんたむしですか!?」

 よりによって、それをわざわざ入院理由にする理由は何なのだ。通りで気の毒がられた訳だ。

「誰がそんな事を——!?」

「まぁその、主幹先生、と言いますか——主幹先生なんですが」

「私は水虫になった事はありませんよ!?」

 しかもいんきんたむしなどと。想像するだけでも痒くなりそうだ。

「そのご様子では、本当にお身体は大丈夫そうですね」

「当然です! いんきんもありません! ピンピンしてますよ!」

「よかった。——本当に、よろしゅうございました」

 と、今度は途端に泣き出したではないか。

「あ、いや、その——」

「ご無事で何よりでした。シーマ先生」

「——ご心配を、おかけしました」

 紗生子から任務の一端を聞いたのだろう。それにしても、まさか泣かれるとは。婚約者がいる御身だというのに、これでは余計でも横恋慕してしまいそうだ。相変わらずの姿勢の良さで、立って俺を迎え入れてくれたその人は、涙を拭う事もなく嬉し涙にむせながらも、

「お陰様で学園は何事もなく、平穏そのものでした。みんなあなたのお帰りをお待ちしておりました。シーマ先生」

 と、豊かな慈愛で暖かく迎え入れてくれた。その躊躇しない意思表示に、思わず抱きしめたくなる。

 ——い、いかんいかん。

 そんな事をすれば、紗生子に何をされたものか分かったものではない。この状況は目の毒、気の毒だ。

「桜が凄いですね」

 と、慌てて話題を変えても、

「ここ数日で一気に咲きまして。まるで何かの瑞兆のように。あなたのご帰還を察していたのでしょう」

 やはり情緒的になってしまう。

「——あ、いけませんわ。私が足止めしていては、また何を言われるか分かりません。さあ、お早く」

「は?」

奥様・・が、首を長くしておいでですよ」

 かと思うと、突然ぶつ切りにされて追い出されてしまった。

 ——やれやれ。

 となると、次は上司・・の部屋へ帰らねばなるまい。

 本館から主幹教諭室がある北校舎二階までは、広い学園敷地を思えば目と鼻の先だ。春休み中だがそれでも生徒達はそれなりに在校しており、その僅かな距離を移動する間だけでも、指を差されてはくすくす笑われた。

 な——

 何なんだ、この所業は。確かに口外出来るような出張ではなかったが、かといっていんきんたむしで入院とは。余りにひどい。

 なるべく生徒に出くわさないよう早足で魔女の城主幹教諭室へ急行すると、腹を立てた勢いでノックもせず中に入ってやった。が、そんな事をしても万全のセキュリティーを誇るそこでは、何をやっても紗生子に筒抜けだ。案の定、俺が口を開く前に、プレジデントデスクの御大尽椅子にどっかり埋もれている紗生子が、

「おぉ帰ったか。たむし男」

 この言い種だ。

「ちょっと——!」

「まぁそう怒るな。ちゃんと悪かったと思っている」

 俺が憤るのを謝罪で被せられたが、それでも顔は謝っていない。小刻みに震えており、今にも噴き出しそうではないか。

「立派な名誉毀損ですよ!?」

「流石に少しは法に明るいな。まぁ聞け」

「その——!」

 言い種、本当に何とかならないのか。思わず怒鳴りそうになったが、それで紗生子がこたえる訳もなければ逆ギレされるのが落ちだ。盛大に嘆息して鬱積を吐き出すと、久し振りに紗生子の机の三分の一にも満たない貧相な自分の事務机の付属椅子に、ズダ袋と一緒に座った。

「そういうところが心配だったのさ」

「はあ?」

「君は滅茶苦茶な人生を歩んでいる割に、普段の所作が几帳面だ」

「何を訳の——」

 分からない事を。と、また怒鳴りそうになるのを嘆息して吐き出す。

「股部白癬は重度ともなると入院を要する。感染力も強いから面会謝絶の理由としても不自然じゃない。だが軽快すればすぐに退院する事も出来る」

 何かと理由づけには都合がいい感染症なのさ、と流石に専門的な解説をする紗生子が、

「それに、余計な女を引かせるには不潔が一番だ。とくれば語感的に、いんきんたむしのインパクトが手っ取り早い」

 と、それこそまさに余計だと怒鳴りたくなるような、忌々しい一言をつけ加えてくれた。何の企みか知らないが、失笑しながらも明らかにし始めるその言い訳のような説明が、相変わらずの高飛車振りで一々癇に障る。稀有の美貌を誇るというのに、理事長の応対と比べると天地の差だ。それにしてもこの美女が、失笑を我慢するへの字口・・・・でいんきんたむしなどと。世間の男共が知ったら何と思うだろうか。こんな女に踊らされている男という生き物のバカさ加減に、同族ながらに幻滅する。

「この出張・・は、そういう意味ではちょうどよかった」

「何が、ですか?」

妙な虫・・・を追い払うためさ。私の旦那のな。いくら素朴で可愛らしくとも、いんきんたむしになって噂が派手に拡散されたような男に尻尾を振る女は、そうはいないだろう?」

 してやったり、と言わんばかりにご満悦で、カラカラ笑っては飽きもせず俺の神経を逆撫でし続けてくれたものだ。要するに、例によってハニートラップ対策だと言いたいらしい。それは分かる。確かに職務柄を考えると、その細やかな配慮は有り難いぐらいだ。が、それでも、

 どー考えても——

 底意に悪戯心を感じるのは気のせいなのか。

「世間の女共がそっぽを向いても、私という唯一無二の理解者にして絶世の美女がいるんだ。文句はなかろう?」

 と言われたら、

 ——むぅ。

 答えようがない。悔しいが、紗生子の美貌に落ちない男はいないだろう。俺もその一人だ。

「どうした? 返事は?」

「はあ」

「相変わらず気の抜けた返事をするな君は。久し振りに妻と再会したというのに嬉しくないのか?」

「半月ちょっと振りですから。そこまで感慨深くないというか——」

「これはまた、何とも随分な言い方をするな。さてはロシアの女にでも引っかかったか?」

「んな訳ないでしょ!?」

「どうだかな。君の見た目と中身のギャップは中々秀逸だ。大抵の女はそれだけで落ちる。それを天然で繰り出しているところがまた罪だ」

「罪って——」

 何だそれは。人をいんきんで辱めておいて、挙句の果てに罪人扱いとは。一体全体それをどの口が高らかに抜かすのか。どういう思考回路が頭の中に存在しているのか。呆れて物も言えないとはこの事だ。

「まぁいい。遊びに行けるような任務じゃなかったしな。それについての追及は不要という事にしておこう」

 結局何故か、俺が詰問されて落ち着いてしまった。これぞまさしく魔女の真骨頂、紗生子マジックだ。

「あなたは——」

 旦那が辱められる事で自分も辱められる事が我慢出来るのか、と言いかけてやめた。その辺を怠る紗生子ではない。紗生子自身に中傷の矛先が向かえば容赦ない反撃が待っている事ぐらい、校内の者は理解している。結局は俺だけがバカにされる構図だ。言うだけ詮無い。

「そう拗ねるな。これぐらいせんと、君は水面下でそれ程人気があったという事だぞ。何せ気安さとお手頃感では他の追随を許さんレベルだ」

 また微妙なフォローだ。褒めているのかけなしているのか、今一つ分かりにくい。

「どれ、コーヒーでも淹れてやるからそんな狭っ苦しい所で縮こまってふててくれるな。いつまでもいい男がみっともないぞ」

 それどころかしまいには説教だ。一人で頭に血を上らせているのがバカらしくなってきた。

「ろくに休めていないだろう? 少しソファーで休め」

「はぁ、そりゃすいません」

 また一つ息抜きして、言われた通り応接ソファーに移ると、紗生子が甲斐甲斐しく給湯スペースに移る。確かにふて腐れ続けたところで何も変わらない。とりあえずその背中に、

「そういえば、クラークさんはどうされたんですか?」

 と尋ねてみた。

「春休みに入った途端に帰国した。休み一杯はアメリカだ」

 またハイジャックされないように、また密かに横田から軍機で帰ったらしい。それに合わせて例によって、他のエージェント達には休暇を与えたようで、通りで気配を感じない訳だ。相変わらず紗生子は留守番をしていたらしい。

「マイクも国へ引き上げたそうだからな。気になったんだろう」

「大丈夫だったんですか? 陸も激戦でしたし」

「ああ。マイクは手堅い仕事をするからな。それでもアンのヤツも流石にすっ飛んで帰ったモンだ」

「そりゃあ心配でしょう」

 最愛の人間が戦地から帰って来るとあらば、誰でも飛んで行くだろう。

「心配なら同行すればいいんだ」

「そりゃ無茶ですよ。あなたじゃあるま——」

 と言いかけて、慌てて止めた。まさか俺が心配で押しかけて来た、とか。紗生子の有り得ない乗艦は、実は紗生子の我儘だったとしたら。それを察したらしい紗生子が、

「同行が無理なら、せめてさっさと結婚すればいいのさ。私のように」

 と、わざとらしく鼻で笑った。因みに紗生子はそれを両方やっている。その行動力ではそれこそ他の追随を許さない女だ。思い立ったら躊躇しない、如何にも紗生子らしい事ではあるが。

「まぁあの二人はちょっと年の差もあるし難しいか」

「アメリカは児童婚にはうるさいですからね」

 一八歳未満の児童による婚姻は、アメリカでは州によって異なるものの、一般的には親の同意があれば可能だ。しかし男の年齢が高い場合、性の搾取を疑われ良い印象を持たれない。マイクが何歳だか知らないが、少なくとも三〇は超えているだろう事を思うと、二人の恋路は厳しいといわざるを得なかった。

「そんなんじゃない、と証明すれば良いだけなんだがなぁ」

「世論をどう味方につけるか、ですね」

 アンは大物政治家の娘であり、何かとゴシップにつき纏われやすい宿命だ。

「アンはそれが出来る地位と知恵を持っているだろう。何をぐずぐずしてるのか、私にしてみれば歯痒いがな」

「そんなモンでしょうか?」

 やりたい放題の紗生子の価値観では、大抵の女はぐずに見えても仕方ないだろう。

「そんなモンだ。難しく考えなくてもいい事を、無理矢理難しくするのは凡人の悪癖さ」

 呆気らかんと笑ってみせる紗生子は天才過ぎて、俺の思考回路では到底ついていけない。正確にはついていく気がないのだが。

「そういえば、法律婚も海将補もバレてましたよ」

「それもだな。凡人は現実を認めたがらない」

「はあ?」

 現実も何も、嘘で塗り固めているのは紗生子の方ではないか。

「真実は人の数だけある。だが事実は一つだ。真実の愛も人の数だけあるんなら、他人にとやかく言われる筋合いはないのさ」

「——まぁそう言われればそんな気もしますが」

 話をはぐらかされたり戻されたり。のらりくらり。まるで何処かの国の議会の答弁のようだ。つられて合わすのがバカらしい。それならをこっちも、思いつくままに吐くだけだ。

「そういえばCCのスマホ、システムクラッシュしたままで——」

 結局CCの貸与品は持ったままだった。原隊復帰するのなら、まず真っ先に修復するべきだろう。

「君は普段はホント几帳面だな。生真面目と言うか小物と言うか。慌てずとも後で再設定してやる」

 そう言う紗生子は豪放磊落に見えて、実は常に胆大心小だ。無茶苦茶な事も多いが紗生子の中ではそうではなく、大抵は周りがついて行けないだけの万緑一紅だ。極秘作戦中などはまさにそうだった。

 今更だがCCの物は、タイミングを見計らって民間郵便で全返却するつもりだった。それがまさかの紗生子の襲来で、その機会を逃した、というか出せなくなった。遁走を疑われて痛罵される事を怖がり、それを持ち続けた裏側で、何かを期待する気がなかったといえば嘘になる。

 ——結局。

 指輪も持ったままだ。まあ元の任務を続行するのだから、結果的にそれでよい事になるのだが。

 それこそ——

 今更だが、黙ってコーヒーを淹れる所作など惚れ惚れして困るような女が、何故俺なんかに擦り寄ってくるのか。未だに理解出来ない。それこそ実は、極秘作戦時に使っていた紗生子のコールサインの如く、悪い夢ナイトメアなのではないか。

 あるいは——

 既に何処かで死んでしまっていて、非現実を漂っているとか。

 ——やっぱり眠いなぁ。

 帰りの飛行機は、流石に熟睡には程遠い旅だった。その疲れが妄想を掻き立てるのだろう。と同時に、ご無沙汰だった上質の芳香が漂ってきては鼻をくすぐられ、現実に呼び戻された。

 ——故郷の何とかかよ。

 とでも言わんばかりのコピルアックの香りが、脳内に怪しく立ち込めつつあった幻想を鮮やかに消し去ってくれる。それを美しい手つきで作っている紗生子が、

「今日は何の日だ?」

 背中を向けたまま、矢庭に話題を転じた。

「エイプリルフール、ですよね。——あ」

 そうだ。その日は一応、俺達偽装夫婦の偽装結婚記念日だ。

「——でしたね」

「忘れていただろう?」

「ええ、見事に」

 そのついでに、追加でもう一つ思い出した。それをやはり紗生子が口にする。

「合わせて君の誕生日だろう? 三五回目の」

「よくご存じですね。俺の誕生日なんて」

「私のついでなのさ、実は」

「は?」

「私も誕生日なんだよ。今日は」

「ホントですか!?」

 こいつは驚いた。一年三六五日しかないとはいえ、同じ誕生日の知己を持たない俺としては、それはちょっとした衝撃だった。が、

 ——待てよ。

 国の諜報機関のエージェントである紗生子のそれは、本当の誕生日なのか。そもそもが、何ちゃってエージェントの俺でさえ偽名を使っているのだ。それが紗生子程の者なら何処までが事実なのか、分かったものではない。

「本当の誕生日なんだ。これは嘘じゃない。他は嘘かも知れんが」

 そんな俺の疑念をあっさり読んだ紗生子が、少し振り向いて悪戯っぽい笑みを浴びせてきた。

「年度始めの日なのに、前年度生だからな四月一日生まれは」

「同級生に四月二日生まれのヤツがいて。子供心に出遅れ感が半端なかったのを覚えてますよ」

「特に幼少期は、成長速度が日数に比例しやすいしな。まぁ私は別に苦にならなかったが」

 と、淹れたてのコーヒーを二つ持った紗生子が、一番出入口に近い最下座席に座る俺の前に一つ置くと、自分はやはり議長席に座る。その給仕の礼のついでといっては何だが、

「すいません。何も用意してませんでした」

 とりあえず謝っておいた。別に偽装なのだから不要だとは思うが、一応だ。

「まぁそれなりに・・・・・大変な出張だったんだ。私もそこまで鬼じゃない」

「はあ」

「来年は忘れるなよ」

 やはり偽装でも、何かいるらしい。

「来年——」

 と言いかけて、思わず淀んだ。またウクライナに戻っているかも知れない。別にそこに限らず、何処で呼ばれるか分からないのが俺という人間だ。

「少なくとも後二年。アンが卒業するまでは、君の籍はここ・・だからな。例え今回のような出張・・があったとしてもだ」

「はあ」

「ホント冴えない返事をするなぁ君は。奇遇にも同じ誕生日の美女と夫婦だってのに。世の男が聞いたら説教モンだぞ?」

 そういえばそれで、

「佐川先生が以前、結婚記念日を聞いて笑ってましたよ」

 それを思い出した。

「主計ちゃんは私の誕生日を知ってたからな」

 これ以上は余計な事を言わさんようにせんとな、とコーヒーを啜った紗生子が、

「台湾の新学期は九月だったんだろ?」

「ええ」

 唐突にそこを突く。第二の故郷であるそこでは、年度の真ん中である四月一日に出遅れ感はなかった。それを言いたいのだろう。

「私も学生時代はアメリカだったからな」

「そうなんですか」

「ああ。日本にいた時以上に誕生日を気にした事はないな。アメリカは飛び級も頻繁だし、私は飛びまくってた事もあるんだが」

 それは紗生子のイメージと合致する。何せ嘘かホントか知らないが、医者で弁護士。加えてアラサーで海自三佐なら官僚キャリアだ。

 そんな女が——

 何故、スパイごっこで俺の連れ合いになってしまったのか。それも何だか好き好んで。

「私は用意しておいたんだがな」

「は?」

「結婚記念日と、君の誕生日プレゼントだよ」

 かと思っていると、また急に話を巻き戻された。

「え? そうなんですか?」

 それは、マズい。何で帳尻を合わせられるか分かったものではない。かといって、もう断れないだろう。

「昼飯はまだだろう? 花見弁当をこさえておいたんだ」

「あ、いいですね」

「だろう? 天気もいいし、後で花見でもしながら一緒に食うとしよう」

「夫婦ですからね」

「分かってきたじゃないか」

 用意したのは弁当だけ、らしい。

 それだけなら——

 後で何か適当な返礼をすればいいだろう。が、何を買えばいいか

 ——分からん。

 そういう事には疎い俺だ。

「返しはいらんぞ。大した手間じゃない。昨日今日で作った程度だからな」

「そんなに手間をかけたんですか!?」

「手間と言うレベルじゃない」

「そんな事ないでしょう?」

「片手間だがな」

「いや、それに甘えて貰いっ放しじゃ、世の男共の説教どころか罰が当たりますよ」

 何せ大変な器量持ちだ。それに任務上の偽装夫婦の事ならば、財布や手間にはきちんとした返礼をするべきだろう。本当の夫婦なら、また違った返し方もあるのだろうが。

「君も言い出したら聞かないからな。そこまで言うならもう面倒だ。記念日も誕生日も全部一緒に手っ取り早く貰う」

 と、さばさばした口調は、まるで男女が逆転している。かと思うと、猫のようにするりと俺の傍に擦り寄って来て、

 ——あっ!

 という間に、また唇を奪われてしまった。流石に二回目だ。逃げようとしたが、頭が動かない。それもその筈で、腕を回されてしっかり後頭部を固定されていた。完全に動きを読まれている。

 な、な、な——

 鼻には媚薬コーヒーコピルアックとは比べものにならない程の芳香が押し寄せ、唇には甘い吐息のようなものが絡んできて。そのショックで全身が痺れて動けない。これでは頭をロックされるまでもなく、されるが儘だ。

 しばらく口を弄ばれていると紗生子が身体を預けて来て、今度は只ならぬ柔らかい物が胸に当たり始めた。ソファーの背もたれがなかったら、そのまま床に倒れていただろう。

 どのくらい経った頃か、

「ふふふ」

 紗生子が何かを堪え切れないように、小さく噴き出し始めた。次第にその声が大きくなると、ようやく解放される。

「随分と力が入ってるな。慣れてないようだ」

「そ、そりゃそうでしょ」

「そういえば、いつも鼻血を出してたしな。今日はどうした?」

「し、知りません」

 今日は鼻の奥よりも、頭が眩んでいる。情けないにも程があるが、俺はこの年まで女を知らないのだ。その半分放心状態で小さく溜息を吐く子供の俺の横にいる魔女が、

「まさか初めての相手だったか?」

 と、悪戯っぽく覗き込むその妖艶さがまた只ならず。思わず生唾を飲み込んでは、つい顔を背けて逃げるという拙さだ。とても中年男のやる事ではないし、笑いたいヤツは笑えばいい。そっち・・・はそれこそ、学園の生徒達の方が余程経験値が高いだろう。そういう多少はあってもよさそうな当たり前の事の大抵を、俺は置き去りにして生きてきたのだ。今更どうしようにもない。

「いや、それは悪かったな。大事なものを奪ってしまったようだ。私としては光栄の極みだが。ホント可愛いな君は。ははは」

 と、今度はその紅唇が俺の耳に触れたかと思うと、

「今年はこれで許してやる」

 と言った。

「なんで、なんで俺なんです?」

 混乱寸前の頭が精一杯の、これまた拙い言葉を吐く。頭の中の何処かにいる別人格の俺が、その余りのひどさに打ちひしがれる中で、

「直感だ」

 紗生子の答えは明快だった。

「前にも言ったぞ?」

「は?」

「私はノーマルな女だ」

 だからどうした。

「その女が、好みの男を前に抑えられなくなるのは自然の摂理だろう」

 聞き間違いではないのか。只ならぬ女傑が俺の何処を見てそれを抜かすのか。ますます意味が分からない。紗生子のそれで落ちない男はいないだろうが、俺の気持ちは、初めては、どう扱われたものか。


 昼が来た。

 桜並木の下で、花見がてら昼食を突いている姿は他にもチラホラ見かけるが、それぞれ間隔が開いており、お互いの声や音は遠い。

「どうした? 食わんのか?」

「え?——いや」

 紗生子が作ったという花見弁当は三段重ねの重箱で、まるで何処かの名のある料亭謹製のおせちのようだった。紗生子の料理の腕前は、冬休みにも堪能しており実証済みだ。これを紗生子が作ったと言うのなら、間違いなくそうなのだろう。丁寧で美しい出来映えは見事としか言いようがなく、手を出しにくいのも事実だったが、問題はそれではなく。

「そんなに慄く程の事じゃないだろう?——初接吻・・・ぐらいさっさと済ませておかんか全く」

「ぶっ!」

 出た、この言い種。人の大事なものを奪っておいて、盗人猛々しいとはまさにこの事だ。お陰様でまだ何処か上の空で、手口がおぼつかないというのに。加えて、わざとらしい日本語の言い回しが余計に生々しく、それが一々癇に障る。

「だいたい初めて・・・は、ガエータの別れ際に済ませただろうが」

「あれは一瞬だったので!」

「まぁ確かに今日のは長かったが、だからといってだなぁ——」

 そうとも。殆ど舌が絡むようなフレンチキスというヤツだったのだ。痺れ薬でも仕込まれたかのような衝撃で、と思ったところで、

 ——まさか。

 本当に仕込まれたのではないか、と思ったのは一瞬だ。紗生子はそんな姑息を弄するような女ではない。特に男に対して色事で卑劣を働くなど、プライドが許さないだろう。

 要するに、紗生子は完璧過ぎるのだ。顔だけを突いて見た目だけを取り繕って後は適当な、そこら辺の女とは違うのだ。才色は言うに及ばす、智勇兼備にして精妙巧緻。一部の隙もない出来過ぎる女傑は、どう考えても俺とは釣り合わない。横に並んでいるだけで、その劣等感の半端なさだ。要するに、俺が据わっていない。そういう事だ。

「免疫がないのも大概にしろ全く。大の男がいい加減無粋だぞ」

 しまいには、いつも俺が怒られて終局だ。それは分からないでもない。ないのだが、内心嬉しくない訳がないものの、表面上は紗生子が一方的にやっているそれは言うなれば強制わいせつだ。せめて同意を取りつけて欲しい、と思うのは我儘なのか。

 何かこれって——

 アンから借りた少女漫画によくある、ウブな乙女の葛藤のようだ。まるで自虐ネタの時限爆弾と知らずにせっせと自分で仕掛けておいて、うっかりそれを誤爆させてしまったかのような自問自答。思わず天を仰いで静かに苦悶する俺に、

「分かった分かった。今度からはきちんと同意を求める。全く我儘だな」

 紗生子がまた、謝っているのかけなしているのか分かりにくい、謝罪のようなものをした。

「——まぁ、誕生日と記念日という事で、今日のは・・・・収めます」

「何だか少女漫画の乙女みたいだなぁホント。として心配だぞ流石に」

 俺が少し歩み寄った隙を縫って繰り出される、いつもの容赦ない一突きに

「ぐ」

 と、またへこむ。

「冗談だ冗談! ホント君は可愛過ぎるな」

 すぐに笑い飛ばしてくれた紗生子が、

「しかし夫婦ミッションもあるかも知れんというのに、困ったモンだ」

 と、聞き逃せない一言をつけくわえた。

「な、何です? それ?」

「何って聞いての通りだ。夫婦という特性を活かしたミッションさ。まぁ校内から出る事が殆どないから恐らくないとは思うが、先の事など分からんのが世の常だしな」

 まあそう深く考えるな、とまた悩ましい事を吹っ掛けておきながら、その張本人は着々と手口を動かし、勝手に美膳に舌鼓を打っている。

「恩着せがましく言う事じゃないが、まぁこれでも君のためにそれなりに腕を振るって作ったんだ。そろそろ機嫌を直して摘んでくれ」

 紗生子なりの、分かりにくい配慮のようなものが語感に滲んできたので、

「——はい」

 少しずつ折れてやる。

 ——やれやれ。

 改めて自分を振り返ると、今度のこれはまるでツンデレの乙女だ。考えれば考えるだけ土壺にはまるようで、いい加減割り切る事にした。紗生子からすれば、悪気は少しはあったのだろうが、嫌でやっている訳ではないのだろうから、残るは

 ——好意か。

 といえる訳で。紗生子からのそれは、世の男からすればまさに贅沢な悩みというヤツだろう。その実情は、あの女好きのテックですら恐れる魔女なのだが、傍目から見れば空前絶美の類の絶世だ。それこそいつまでもぐずぐず言っていては、紗生子ではないが羨む周囲を敵に回し兼ねない。

「しかし相変わらずですね、主幹は。躊躇されない」

 というか我慢しない。忍耐の概念が欠落している。

「君と同じさ」

「は?」

 俺は人の唇を強引に奪うような事はしないのだが。

「桜と同じ事をやっているだけだ」

「桜、ですか?」

 ますます分からない。

「花の命は短い。桜は特に、散り際の儚さと美しさでは類がない。死生観の教材として、これ程優れたものは中々ない」

 つまり、

「——ひょっとして何かご病気でも?」

「人の話を聞いてたか? それとも何か? 君は死病にでも取り憑かれてるのか?」

 ではないらしい。

「いえ」

「ではもし明日をも知れぬ命なのだとしたら、君はどうする?」

「え?——いや」

 別に何も。慌てず騒がず、抗うだけだ。俺はそういう日々を長期間送ってきた。大体が、

「——同じ明日は来ない。明日はない命かも知れない。そうだろう?」

 俺が言いたかった事を、紗生子が紗生子なりの解釈で被せてくれた。

「それは私も同じだ。我らは市井の民とは比べものにならない程、地獄に程近い所で日常を生きている。常に身の回りがシンプルな君の死生観は、共感する部分が多い」

 と言った紗生子が、

「淡白に生きる誰かさんに代わって、私がアグレッシブに面白おかしくしてやってるのさ」

 得意気に鼻で笑う。

 しっかしまぁ——

 この口の悪さは何とかならないのか。これさえなければ、紗生子は本当に完璧なのだが。と思っていると、

「望んでいい筈の将来を失った、全ての生あるもののために、自らの生を疎かにしない。そういう事だろう?」

「まあ——」

「今『それを先に言え』と思っただろう?」

「——そうですね」

「素直で結構だ。生憎私は捻くれているからな」

 紗生子が一人芝居の種明かしまで、全部やってくれた。

「ウクライナでは、それなりに際どかったからな。ガエータでの別れ際程度の抱擁では、とてもじゃないが足りなかった。我らに明日はないかも知れない。なら今日何をすべきか。自分の感情に向き合えば分かる事だ」

 それが簡単に出来る紗生子は、良くも悪くもやはり凄い女だ。俺を始めとする大多数の凡人は、普通それに死ぬまで悩むのだ。自分の本心に嘘をつかない自我の強さは、如何にも唯我独尊の紗生子らしい。

「許せとは言わん。だがそれなりに動揺させた事については、やはりきちんと謝罪をしておく。悪かった」

 と、今度はいつぞやも感じた戦国時代の姫将軍のようだ。はっきりいって、良くも悪くも器が違う。何故このような人物が、現場で使い回されているのか。俺のような、下層のギリギリ士官をやっているような人間と、夫婦ごっこをやっているのか。本人はそれで満足しているのか。それを今の拙い俺が、どの面をして聞けばよいのか。

「どうした? やはり許せんか?」

 と、まるで媚びず、へつらわず、揺るがない態度で言われてしまっては、つけ入る隙などまるでない。

「何だかもう清々しいです」

 他に吐ける言葉はなかった。

「きっぷの良さはいい女の条件の一つだ。その分誰かさんがいつもぐじぐじしてるがな」

「勉強になります」

「今日ぐらい勉強はいいだろう。いいから食ってくれ」

「はは」

「何だ?」

「いえ、何でも」

 結局、最後はいつも丸め込まれてしまう。失笑が漏れるのは最早必然だった。

「私に隠し事とは随分な態度だが、まぁ今日に免じて許す」

「有り難くその配慮に甘えます」

 しかしそれにしても、これが夫婦の、それも結婚二年目に入ったそれの会話なのか。話している内容は痴話喧嘩のようなものなのだが、会話構成が独特過ぎて、思い返すとつい笑えてくる。その妻の方はアラサーの筈なのだが、その口振りは詐称した提督の風格と何ら違和感を感じない。

 と、何気なく摘んだ箸初めの筍が

「うわ! うまっ!」

 衝撃的な美味だった。

「雪中の筍だ」

 普通は有り得ない事や孝心を示す故事成語だが、

「湯通ししただけの刺身仕立てだ」

 本当は生でも食べられる物だそうだが、収穫後の時間経過を懸念して最低限の調理を施した、とか何とか。

「本当に雪の中から収穫されたそうだ。縁起物で貰ったのをとっておいたのさ」

「何かそれを聞くと——」

 簡単に食べてしまう事が憚られる。

「遠慮するな。それともやはりスパルタ仕込みに徹した方が良かったか?」

「いえ! そんな事ないです!」

 筍など何年振りか。台湾時代以来、彼これ約二〇年は経っているだろうか。懐かしくて泣けてくる。

「そうだ。筍で思い出したが——」

 俺が出張する原因となった真純拉致事件における渦中の人、不破具衛氏俺の兄と、相談役の実娘高坂真琴氏の婚約が決まったらしい。

「そうなんですか!?」

「合わせて妊娠も発覚してな」

「出来ちゃった婚ですか?」

 兄も中々やるものだ。あの高坂の姫を孕ませるとは。俺なら相談役が怖くてとても出来ない。確かにこれぞ雪中の筍だ。

「実に跳ねっ返りの真琴らしい」

 と、何処か紗生子も感慨深そうだが、まあそれは別の話だ。一悶着あったそうだが。

 するとそこへ、

「美味そうだなぁ」

 真純拉致事件の元凶となった高千穂外相の実息、隆太が通りがかった。部活帰りらしい。食堂が春休みに合わせて春季休業中であり、基本的に実家に帰らず寮に入り浸っている隆太は、飯を都合する日々が続いている、とか何とか。

「買い出しがてら花見でもしようかと思ったら、ご夫妻がいらっしゃった訳で」

 一応目で紗生子の意向を伺うと、紗生子が目で頷いた。

「——摘むか?」

 それが自分の首を絞めるとは。

「いーんスか!? うわ、うんめぇ! 主幹先生の手作りですか!? シーマ先生羨ましいっスよ! こんな綺麗な奥さんが料理上手って反則っス!」

「お前、少しは遠慮しろ!」

 と言う間も、重箱の中身はみるみるうちに目減りしていく。

「あんまりいーモン食ったらいんきんに悪いですよ⁉︎」

「やかましい!」

 すると他の剣道部員も通りがかり、ほんの一時期ではあるが顧問代行をしていた俺に声をかけて来たのを適当にあしらう訳にもいかず。呼び寄せると、あっと言う間に折角の美膳が空になってしまった。

「お、お前ら——」

「流石に食い盛りだな」

 本当に見事に綺麗さっぱり平らげてくれたもので、残ったのはバランやおかずカップだけ。

「あちゃー、どうしますか? 食堂も休みでしょう?」

「店屋物でも頼むとしよう」

「何かすいません」

"ゴチになりやした!"

 と、声を揃えて帰り始める部員達に、

「はは、作った甲斐があった。気をつけて帰れよ」

 と、上機嫌で見送る紗生子のその顔が、瞬間的に動悸を引き起こさせてくれた。

「どうした?」

「い、いや、ご機嫌麗しいご様子なので——」

「そうか? いつも通りだが」

 と言った紗生子が一息後、しらじらしくつけ加える。

「君が帰って来たからだろうな。千鶴に鼻歌を聞かれて驚かれた」

「は、鼻歌!? ですか!?」

「ああ、私は記憶にないんだが」

 俺の知る紗生子は、絶対にそんなキャラではないのだが。知らない者がそれを見れば、きっと目を奪われた事だろう。

「何の歌だったんでしょうね?」

「愛○テーマじゃない事だけは確かだろう」

「そ、その節は、どうも」

 あれから一月半だというのに、まだ根に持ってらっしゃるらしい。

「こ○にちは赤ちゃんかも知れんぞ?」

「なっ——」

 何だそのわざとらしい歌は。初接吻の次は操まで奪おうという悩ましいアピールか何かか。

「真琴の妊娠の事を聞いたからな」

「あ、そ、そうでしたね。そういえば」

「ん? 何かおかしいか?」

「い、いえ。別に」

 何故の姑息だこれは。前言撤回だ。

「まぁ今はそういう事にしておこうじゃないか」

 ふふ、と悪戯っぽい声が、昼間だというのに嫌に艶っぽく耳を撫でる。

「妻の笑顔は夫の甲斐性によるところが大きいからな」

「はあ」

 笑顔というか、をペット感覚でいじり倒して楽しんでいるだけではないか。

「今年度もお守りアンの警護で落ち着かない日々だからな。我らは精々仲睦まじくやるぞ」

 例によってわざとらしく小ネタ・・・を挟んでくるので、

「そうか、今日から新年度でしたね。早いなぁ」

 さらっと躱してやった。

「返事は?」

「主従は三世さんぜという事ですね」

「まぁ今はそういう事にしといてやるか」

 日本で新年度を迎えるなど、本当に久し振りだ。思えば昨年度は、結婚に戦争に、激動の一年だった。その流れが続いている今年度は、

 ——何がどうなるんだろ。

 それこそ主従は三世の如く、より深みにはまるのだろうか。

「それにしても、相変わらず妙な日本語を知っている米軍人だ」

 満開の桜の下で嘯いた魔女の雰囲気が、俄かに和らいだ。

「その分だと、もうショックからは立ち直ったようだな?」

「体たらくですみません」

 謝りついでに覗き見たその悪戯っぽい顔が、何故か理事長の柔和な笑顔と被ったような。きっと記念日マジック、という事なのだろう。


               終

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