第6話

 ――『魔人』。


 今、時代を大きく担い、左右せしめん存在。それらを掌握する者はそれ即ち、巨大な力を得る。物理的にも、権力的にも、政治的にも。


 そんな、『魔人』や『魔神石』と密接にかかわる組織は数多く存在すれど中でも際立って強大で、世界的に影響を与えるどころかその気になれば世界を混沌の渦に叩き落としかねない勢力を有した五つの組織がある。


 一つ、『ルースト』

 一つ、『メタトロン』

 一つ、『紅桜会』

 一つ、『D・D』

 一つ、『アンジュ』


 以上の五つが世界でも群を抜いて有名な組織だ。


『ルースト』は『魔人』に関する警察のようなもので、『魔人』に関する案件を解決し、市民の生活を護ることが主な目的である。


『メタトロン』は『魔神石』の製造及び収集を行い、強力な『魔人』を創り出すことで戦力の増強を図っている。その目的は不明であるが、今のところ市民に危害を加えるような行為は確認されていない。


『紅桜会』は『魔人』に関する商売で経済界を牛耳っており、『魔人』の傭兵の派遣業も行っている。


『D・D』は非常に危険なテロ、及び殺し屋の集団として裏社会の人間に恐れられている。


『アンジュ』は平和維持活動を旨とした団体であり、世界各国で無償のボランティア活動を行っている。『ルースト』と違い、自衛以外の戦闘行為を一切行うことは無い。


 各々が超強力な『魔人』を有しているが、中でも別格の怪物が存在するのが『ルースト』。


 その『魔人』の名は、国風遥。


 人類の最終兵器と名高いその人間。齢は二十七。女性である。


 各々の組織で小競り合いが生じるのは日常茶飯事であるがしかし、どの組織も正面から『ルースト』に喧嘩を売るようなことはしない。


 何故なら、彼らは知っているからだ。『彼女』がどれほどの力を有しているか。そして知らないからだ。彼女が未だ明らかにしていない『魔人』の力が如何ほどのものか。


 遥がその気になれば全ての組織を物理的に破壊することは不可能ではないだろう。それを知っているからこそ、どの組織も『ルースト』に直接喧嘩を売る様な愚は犯さない。


 無論各国の首脳、要人も同じことだ。世界が顔色を窺う程の『魔人』。それが国風遥の正体。


 世界の頂に立っていると言っても過言では無いその女性。


 そんな、一般人とはあまりにもかけ離れた世界に身を置くその女性。


 そんな、名高い女性が今、その身分に合い相応しくない古びた神社に身を置いていた。




 ――下着姿で。




「というわけで。しばらくこの子を預かってくれ」


「いや、ちょっと待て。さも必要な説明は粗方済ませたみたいな体で締めくくろうとするな。まだ何もわけを聞いてねーぞ」


「気にするな。どの道、お前に選択肢など無いのだから」


 腰まで届く、沈みかけの夕陽のように紅い髪。妖艶さと猛々しさの混じった真紅の瞳。男顔負けの高身長に、程よく肉付いたウエスト。レースがあしらわれた黒い淫靡なブラウスから覗く軟らかな塊は今にも零れそうな勢いだ。ぱっちりと開いた大きな目は快活さと無邪気さが見て取れる。風呂上がりなのか、女性の頬は仄かに紅潮し、その肢体には珠のような水滴が残っていた。


 絡まった髪をフェイスタオルで解しながら微かに口角を吊り上げているこの女性こそ、国風遥その人だ。


 神主である青年はと言うと呆れた表情を浮かべ、人の顔ほどある巨大なお椀に炊き立ての白米を詰めながら来客をもてなす準備を始めていた。


 部屋の真ん中に陣取っている卓袱台の前には、ゆったりとした白いブラウスに黒と灰色のチェック柄のスカートを着た人形。もとい、まるで人形のように華奢で可愛らしい少女が俯きがちに正座していた。


 飴細工のように艶やかなブロンドの髪に晴天を切り抜いたような金春色の瞳。手足は細く睡蓮の花弁のように色白で、見た目は子供だが子供らしくない仄かな妖艶さが佇まいから感じ取れる。


 事の始まりは約四半刻前。


 午前五時。未だ夢の世界を遊泳している睦月の部屋の障子が勢い良く開かれ、二人は姿を現した。一人は『風呂を借りるぞ』と一言吐き捨て慣れた足取りで脱衣場へと向かい、残されたもう一人の少女は暗い表情を浮かべたま黙って部屋の隅に座り込んでしまった。


 その間僅か十数秒。しかしして、睦月は特に驚きを露わにすることも無く布団から這い出し、布団を仕舞い、卓袱台を引き摺り出して座布団を三枚用意し、その内の一つ。なるべく弾力があって座り心地の良い一枚へ、素性の知れぬ少女を誘導した。


 そして、淀み無い動きで台所へ向かい顔と手を洗った上で朝食の支度を始めたのであった。


「ええと……。お、あったあった」


 豆腐を刻む睦月の横で冷蔵庫から缶ビールを取り出し間髪入れずその場で開けると、肉厚な唇で吸い付き、湿った喉を艶めかしく起伏させる。こうして横に並ぶと二人の身長はほぼ同程度であることが確認できる。


「あれ?今日は休み?」


「いや。今日は夕方からイギリスに出張だ」


「いや、酒飲むなよ」


「毎日世界平和の為に身を粉にしているのだ。酒の一つや二つで文句を言われる筋合いは無い」


 そう言われては睦月も返す言葉が無い。遥は勝ち誇ったように鼻を鳴らしながら空いた座布団へ大きな尻を下ろす。


「はい。どうぞ」


 ありあわせの朝食を少女の前へ並べていく。椀を一つずつ置く度に少女が小さく会釈する愛らしい姿は、年増の女に波立たされていた睦月の心を鮮やかに彩った。


「いきなり来られたもんだから大したものは用意できないけど。ま、食べなよ」


「い、いえ。あ、すみません……」


 一瞬睦月と視線が交錯する。すると、少女は耳を朱に染め再び下を向いてしまった。膝の上ではスカートを摘まんだり離したりと悩まし気に指が動いている。


「おい、鰆の塩焼きはどうした。それにこの味噌汁、ワカメが入っておらぬぞ。私が来る日は入れておけとあれだけ言っているだろうが」


「作っておいてもらって何だその言い草は。飯抜きにするぞ」


 半目を作り、頬を膨らませ、子供染みた表情で味噌汁の入ったお椀を突き出してくる遥を一蹴する睦月。


「……で、どういう事情なわけ?」


 大盛りの白米を口に掻き込み、幾度か咀嚼した後に熱々の味噌汁で腹に流し込むと、水玉模様が可愛らしい寝間着姿の青年は問う。


 豆腐を箸で摘まみ器用に口に運んでいた少女は睦月の言葉にピタリと手を止め、怯える小動物のように瞳を弱々しく輝かせる。遥はと言うと、隣の青年と同じように白米を豪快に掻き込んでいた。


「んむ……。ちょっと待て……」


 空になった丼を机に投げ、味噌汁で流し込む。そこには世間がテレビや雑誌を通して目にするクールで凛々しい彼女の姿は無い。所作だけ見れば力士だ。


「実に分かりやすい話だ。この少女をここで預かってほしい」


「うわぁ。分かりやすいなぁ。……可否は兎も角として、理由ぐらい聞いておこうか」


 意地悪な笑みを浮かべる遥は傍に放り投げてあった紅いコートのポケットから少し潰れた煙草を取り出すと徐に口に咥え、目を細めた。


 ……が、続けてライターを取り出そうとコートに手を突っ込んだ瞬間、彼女の唇が摘まんでいた煙草は瞬きする間に消え失せる。


「禁煙」


「……チッ」


 彼女の眼前に突如として差し出される煙草。その先端は若干湿っている。紛れも無く遥が咥えていた煙草だ。


 これに目を丸くするのは謎の少女。余りに自然な速さ、決して目で追えなかったわけではないが、意識の割り込む余地の無い鮮やかな動きに目を奪われてしまった。


「ふん……。なに、簡単な事だ。この少女は私がとある任務中に保護したのだが行く宛が無いのだ。だから、しばらくの間お前が面倒見てやってくれ」


「いや、それって俺に頼むような事か?」


 冗談だろと言いたげに鼻で嗤い、味噌汁を啜る。


「良いではないか。弟子が出来たと思えば。これを機に、『道場』を再興してはどうだ?」


 軽く放たれた馴染みの女性の言葉は、睦月に重くのしかかる。先程までの諦念とは違い、明らかな嫌悪感が目つきの鋭さから窺い知れる。


「バカバカしい。色んな意味で、問題有りだ」


「そうか?素材は申し分ないと思うぞ?ホレ」


 言うより早く、遥の手は少女の服の裾に出が伸びていた。


 その手は無理矢理少女の衣服を捲り上げ、滑らかで張りのある肌。小さなへそ。そして成熟期特有の膨らみかけの胸があわや数ミリという所まで暴露されてしまった。


 突然の出来事に羞恥で顔を染める少女。それを目の当たりにした睦月も一瞬、身体が強張る。が、しかし、その背徳感と罪悪感は、一瞬で消え失せることとなった。


「魔人か……」


 露わになった少女の柔肌。胸の僅か下に、微かに煌めく朱。


 魔人の証である魔神石が淡い光を放っていた。


「あ~、取り敢えず、服を戻して。嫌がってるだろ」


「ん?あぁ、すまんな」


 言葉とは裏腹に全く悪びれる様子も無く遥が手を離すと、魔人の少女は慌てて裾を掴み、目に大粒の涙を浮かべながら恨みがましそうに遥を睨む。


 睦月は静かに首を横に振り、口に含んだ白米を味噌汁で喉に押し込んだ。


「その子が魔人なら、余計にルーストの管轄じゃないのか?俺みたいな一般人に任せて良い案件じゃないでしょ」


「何だ、やけに渋るじゃないか。お前らしくない」


「名前すら知らない初対面の女の子、しかも魔人をいきなり連れて来られて預かってくれ。そんな無茶なお願いを快諾するとでも思ってんの?」


「快諾までは流石に思っていないさ。だが、お前なら渋々了承してくれると思って今日ここに来ているのだ」


「渋ること前提の問題を持ち込まないでくれるかなぁ……」


 ねっとりと嫌味の籠った視線を向け、空になった食器を重ねると無茶な依頼を持ってきた女性の眼前に置き、目を合わせながら親指で台所を指した。


 その無言の命に、絶世の美女と世間的に名高い女性は不敵で好戦的に腕を組みふんぞり返る。


「ほほう……。この私に?このルーストの最高戦力と名高い私に?各国の首相ですら進んで頭を垂れる私に皿洗いをさせようと?良い度胸ではないか、睦月よ」


「分かった。もう遥さんには二度と飯作らない」


 十数秒後。世界最強の魔人と名高い女性は台所でスポンジを泡立てていた。


「あ、食後の茶も頼むよ。俺とこの子の二人分ね」


「……ウム。洗う。洗うから、またご飯を作るのだぞ?」


 凛々しい声で情けないおねだりをする女性を後目に魔人の少女へと向き直る。その青年の目は遥とやり取りしている時のそれとは違い、年相応の朗らかな優しさに満ちていた。


「面倒でしょ?あの人」


「え?あ……、えと……」


 不意に明るい笑顔で問われ、答えに詰まる。熟練の技師によって練磨された宝石を思わせる蒼の瞳が、緩やかに揺れた。


「キミ、名前は?」


「えっ?あっ、な、名前……。えっと……、名前は……。『メア』、といいます」


「はいはい、メアちゃんね。俺は楢西、楢西睦月って名前だ。よろしく」


「あ、よろしくお願いします……」


 ぎこちなく辞儀して見せるメアに、悪くない感情が芽生える睦月。


「歳はいくつ?」


「こ、今年で十六歳になります」


「おお~。若いな。ええと、俺の事はどれぐらい知ってる?そこの女の人から粗方聞いてるよね?」


「あ、はい。何でも屋さん、なんですよね?」


「……」


 どういうことだ。そう言いたげに、鼻の頭に泡が付着している遥へ首を回す。


「ん?間違ってはないであろう?」


 ワザとらしく声を出して笑いながら水の滴る茶碗を乾燥機に移す遥に憮然とした態度で言い放つ。


「何でも屋じゃない。雑務屋だ」


「同じであろう」


「同じじゃない!俺は何でもはしない。出来ることしかやらないんだ。そうやって勘違いする奴が無理難題を吹っ掛けてくるから困るんだよ!特に、アンタがな!」


「ん?そうか?私はそんなに無茶な依頼をした覚えは無いのだが……」


「例を挙げればきりが無い。この前なんて、アンタの部隊の模擬戦闘に付き合わされたじゃないか。しかも相手は魔人の能力有りで俺は素手とか、無茶させるなよ!」


「そう言う割には、しっかりと私の可愛い部下を苛めてくれたがな。で、とどのつまり、無理なのか?メアを預かるのは」


「……これは、真面目な依頼か?」


「あぁ。お前にしか頼めない。お前でないとダメだ。絶対に」


 絶対。その言葉に、睦月の眉が動く。


「……分かった。受けよう。その依頼」


「え?」


 睦月の言葉にいの一番に反応したのは遥ではなくメアであった。危うく、手に持っていた茶碗を落としそうになる。遥はと言うと、特に大きなリアクションはせず、皿洗いを続けていた。


「ただし、条件がある。まず一つ、彼女を預かっている間は、これ以上変な依頼を持ち込まない事」


「うむ。それは約束しよう」


 ふふん、と得意げに鼻息を漏らす遥を前に、疑心に満ちた視線を送るが、ここでその真偽を確かめようとしてもらちが明かないので話しを進めることにした。


「一つ。メアちゃんに関する経費は勿論全額アンタに支払ってもらう。これは依頼の報酬とはまた別だから、そのつもりで」


「文字通り、お安い御用だ。国家予算レベルの金でも都合をつけてやろう」


 再び、得意げに鼻息を漏らす。この条件に関しては十二分に信頼できる睦月であった。なんせ相手は世界的組織ルーストの大幹部だ。高給取りどころの騒ぎではない。


「そして最後にもう一つ。このメアちゃんの扱いは全て俺に一任すること。俺のやり方に口を出さないでくれよ」


「うむ、それも問題ない。全てお前に一任しよう」


「……よし」


 遥の言葉はどうやら、雑務屋を納得させるに足りうる答えであったようだ。


「おお、依頼を受けてくれるか。礼を言うぞ」


「待ってくれ。最後に確認しておかなきゃいけないことがある」


「なんだ……。まだ引っ張るのか。漢らしくない奴だ」


 鼻に付着した泡を指先で拭き取りながら、焦燥感に満ちた苦言を漏らす。


「慎重と女々しいを同義にしないで貰えるかなぁ……。俺が確認したいのは、彼女の、メアちゃんの意志だよ。これはこの子が望んでの事なのか?」


「もちろん、最初は私が提案し、促したことではあるが、おおむねメアの了解は取ってある。問題は無い。何かあったら私が責任を持とう」


「そうか……。そこまで言うなら……」


 一呼吸。肩を落とすと睦月は対面で肩を竦める少女を柔らかな目つきで見つめる。メアはくすぐったそうに肩をくねらせ、仄かに頬を染め、しかし真っ直ぐに睦月を見つめ返した。


「じゃ、まだ色々と確認しないといけないことはあるだろうけど、取り敢えず、よろしくね。メアちゃん」


「は……はいっ!こちらこそ!まだまだ未熟者ですが、頑張ります!」


「おいおい、そんなに気張らなくても大丈夫だよ。気のすむまでのんびりしていけばいいさ」


「だ、大丈夫です!私、どんなに厳しい修行でも付いて行きます!」 


「……ん?」


 と、ここで睦月の表情が強張る。おかしい。メアの返事の方向性がどうもおかしい。確かに彼女は今、『修行』、と……。


「修行?何のことかな?」


「え……、えぇ?」


 青年の言葉をそっくりそのまま返すかのように困惑し、遥に救いを求める視線を必死に送るメア。


「お~い。遥さん?」


 二人の疑念に満ち溢れた視線を受け、尚も不敵な笑みを浮かべながら、彼女は言い放つのであった。


「ま、そう言うことだ。しっかりと鍛えてやってくれ」


 ……と。


「……この女は……」


 がっくりと頭を垂れ、肺の中の空気を振り絞る睦月を前に状況の呑み込めていないメアはただただ、オロオロと澄んだ瞳を泳がせる。


 兎にも角にも、雑務屋に新たな仲間が加わることとなったのであった。

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