第2話
名前。
人生を左右する非常に大きなファクターの一つであることはわざわざ説明するまでもないだろう。
さて、ここに一人の少年が居る。名を、神城龍雅(かみしろりゅうが)という。
まるで二次創作の世界に肩まで浸かった中学生が考え出しそうな名前であるが、親も決してふざけて付けたわけではない。元々病弱であった母親と、暴走族上がりであった父親がお互いに足りないところを補い、かつ、良い所を引き継いでほしいという想いを籠め、命名するに至ったのだ。
龍のように強く、荒々しく。かつ、雅な人間であれ。そんな親の愛情が存分に詰まった名前なのだ。
しかし、現実はかくも厳しい。名は体を表すという言葉があるが、この少年の場合残念ながらその言葉通りの人間になることは出来ずにいた。
齢は十七歳。その街で一番大きな高校に通う学生である彼は気弱な性格で、社交性も低い。身長も平均以下。良く言えばスマート、悪く言えば貧相な身体つき。男にしては艶やかなショートヘア。中世的な顔立ちで、動作も怯えた小動物のように頼りない。
大仰な名前の少年が、そのような性格と見た目をしていては悪い意味で好奇の視線にさらされることは容易に想像がつく。実際、少年は学校で苛めを受けていた。スキンシップとは名ばかりの暴力行為や、ジュースや購買への使い走りは日常茶飯事であった。
彼の通う高校。偏差値はそんなに高くないのだが生徒数千二百人を誇るマンモス校であり、理事長の道満傑(どうみつすぐる)は日本でその名を知らぬ者は居ない程有名な政治家である。
また、高位の『魔人』でもある。彼は人間を遥かに超越した『魔人』の力を用いて数多くの人命救助や社会活動に尽力し、市民からの支持を確立してきた。そして、そんな彼の息子にあたる道満栄二(どうみつえいじ)はその学校で名ばかりの生徒会長を務めている。
質実剛健で威厳のある父親とはまるで正反対の性格のその息子、栄二。お調子者で父親の権力を傘に着てやりたい放題の日々を送っている不良。そんな性格のねじ曲がった栄二が玩具として目を付けたのが、他の誰でもない。神城龍雅であった。
虐めっ子の性格からすると、抵抗もせず告げ口もしない龍雅は弄り甲斐のある絶好の獲物であった。
虐めの現場を端から見ている生徒の思いは様々だ。栄二と同じように楽しんで龍雅をからかう者。栄二に気に居られようと一緒になって虐める者。興味が無い者。そして、その行為に嫌悪感を抱く者。大きくはこの四つに分けられる。
が、結局のところ誰も栄二の行いを咎める者は居ない。教師ですら、相手が理事長の息子であるということだけで教師としての矜持を捨て去り見て見ぬ振りに徹している。
この学校は栄二の支配下にあると言っても過言では無く、龍雅はそんな稚拙な王国の主に目を付けられた奴隷のような人間であった。
「おっす!龍雅!飯食いに行こうぜ!」
昼時を知らせる鐘の音が鳴りやむより早く、斜め前の席に座っていた坊主頭の男子生徒が爽やかな笑顔を龍雅に振りまく。
「ほらほら!俺、朝飯食ってないから腹減ってんだよ!早く食いに行こうぜ!」
「う、うん……」
授業中の内容を纏めていたノートにペンを走らせる手を止め、カバンから黒い長財布を取り出しておずおずと立ち上がった。
顔一つ分は背の高い男子生徒に先導され、覚束ない足取りで食堂へと向かう龍雅。
一見して、仲の良い友人同士の何気ないやり取りの一幕に見えるのだが、この男子生徒は決して龍雅の友人などではない。今は笑顔だが、もし先程、龍雅が彼の誘いを断ればたちまち彼の表情は険しくなり、腕や肩を握力に物を言わせて強く握り締め、低く小さな声で凄みながら無理矢理龍雅を連れて行くことになる。
「おっ、きたきた。こっちこっち!」
食堂に辿り着くと、二十人程の男子生徒が集まっている席に誘導される。
今日はどうやら栄二は居ないようだ。若干安心したのも束の間、すぐさま龍雅に虐めの魔の手が迫り来る。
「見てくれよ!今日はこんなの作ってみたぜ!」
一人の男子生徒が少し大きめコップを龍雅に無理矢理手渡した。コップの中には緑と茶色が混ざった不気味な色の液体が入っており、甘酸っぱい異臭が鼻を近づけなくてもはっきりと分かる。少しコップを揺らすと、粘度を感じられる不気味な動きを見せる。
「俺特製のジュースだ!龍雅、飲んでみろよ!美味いぜ?」
ジュースを渡してきた男子生徒のその発言に周りが湧きたつ。皆が濁った笑顔を龍雅に向け、コップの縁に口を付けるのを今か今かと待っていた。
龍雅に逃げ道は無かった。一口、と言っても唇に液体が僅かに触れる程度。唇に付着したそれを舐めると、一瞬チョコレートの甘みが広がったかと思うと、まるで錆びた鉄の塊を舐めたような苦味と酸味が龍雅を襲った。
「っ!」
慌ててコップを口から離す。しかし、傍にいた男子生徒がそれを許さなかった。
「何やってんだよ。せっかく作ってもらったんだから、全部飲めよ!」
坊主頭の男子生徒はそう言い放ちながら龍雅のコップを奪い取り、後頭部を片手で掴み、無理矢理龍雅の口に流し込もうとする。さすがに龍雅もこれには耐えかねたのか、口に含んだ液体を吐き出してしまった。
「うわっ!気持ち悪っ!」
虐めの対象の吐瀉物が自分にかかりそうになり、慌てて身を翻す男子生徒。その拍子に、コップが大きく傾き、液体が辺り一面に広がってしまった。
「あ~あ、きったねぇなぁ。おい、龍雅!ちゃんと掃除しとけよ!」
「……う、うん……」
さも当たり前のように行われる理不尽な扱い。しかし、龍雅はただ従順に命令に従うのみ。厨房から雑巾を借り、自分の吐瀉物と零れた液体をせっせと吹き始めた。虐めっ子グループはそんな龍雅を無視し、各々談笑している。
悔しくない。悲しくない。辛くない。寂しくない。惨めじゃない。
そう思わないことは、一度だって無かった。
だが、どうすることも出来ずにいた。縋る藁さえも彼には見当たらなかった。
「……!」
ふと、とある視線に気付く。
シルクのように滑らかな、腰まではあろうかという黒い長髪と、僅かに紫水晶のような輝きを帯びた大きな瞳が特徴的な少女が、離れた席から龍雅を見ていた。が、龍雅と目が合うや否や、嫌悪感を満面に浮かべ、初夏の爽やかな日差しが差し込む中庭へと目を背けてしまった。
龍雅の目の奥から何か熱いモノがこみ上げる。鼻奥も詰まり、上手く呼吸が出来ない。
「……くっ……」
彼は下唇を精一杯、血が出ない程度に噛み締め、何とか堪えた。
そして、黙々と、昼食の時間を食堂の床掃除に費やすのであった……。
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