鬼に金棒

まさまさ

第1章 復興

第1話

 人の死を確認する方法。


 いつか、小さな町の本屋で目に付いた、そんな表題の冊子。その内容がどんなものだったかを彼女は思い出していた。


 あれは何時だったか。とある祝日。春を目前にした淡い温もりと穏やかな陽気。気まぐれに立ち寄ったパン屋にて、出来立てのクロワッサンを齧りながらその本をゆっくりと、艶やかな長い指で捲っていた。


 店内に流れるジャズの、陽気でいて穏やかなリズム。天窓から差し込む日差し。それらに混じり、コーヒーの香気と出来立てのパンの芳ばしい香りが彼女を包み込む。


 何と穏やかで、平和なひと時だろうか。店内で愚図る赤子の声すら心地良い環境音となって鼓膜を撫でる。


 せっかく買った本ではあったが、その場の雰囲気に毒され『読む』というよりは『見る』という行為に重きを置いてしまっていたせいで内容がかなり朧だ。どちらかというと、その時口にしたアメリカンコーヒーとクロワッサンの風味の方が鮮明に思い出せる始末。


「……ふん」


 自分の記憶の頼り無さについ乾いた息が漏れる。少しばかりの良い思い出に一瞬浸った後、彼女は紫煙を吐き出した。


 無垢のカカオのような苦味に続き、メンソールの強烈な清涼感が鼻を突く。しかし、その効果はほんの一瞬。彼女の周囲一帯を取り巻く臭気の渦から逃れることは出来なかった。


 強烈。硝煙に混じりあらゆるモノが焼け焦げた臭いが一帯を包み込んでいた。この事態を予想し臭気を紛らわせる為に持って来た煙草もまるで役に立っていない。


「酷いな、コレは」


 眉間に深い谷を刻み、濁った溜息を吐きながらそう呟いてしまうのは無理も無い。


『隊長。生存者は確認できません』


『こちらも同じく』


『皆殺しですね……』


「どうやらそのようだな」


 耳に装着した通信機に、睡蓮の花弁のように色白な指をあてがい、温い息を漏らす。


 彼女は今、地獄と表現するに相応しい場所に佇んでいた。ここは、とある医療機関である。


 外面は病院ではあるが、その実は表に出せない危険な実験を行っている研究施設であった。


 その施設に乗り込み、関係者を一人残らず拘束することが彼女の今回の『任務』であった。が、結果は失敗。いや、失敗か成功か判断出来る状況にすら立つことが出来ていなかった。


 彼女とその部下がその施設に到着した時、既に施設内の人間はその殆どが息絶えていた。亡骸は統一性無く、あらゆる箇所に『散乱』していた。一目で見て、他殺であると分かる形相で。


 とある者は体中を鋭利な刃物のような物で切断され、ある者は四肢及び胴体が不気味な方向にねじ曲がり、ある者は銃火器で体中をハチの巣にされ、ある者は原形を留めぬほど焼け焦げ、ある者は心の臓を繰り抜かれ……。


 多種多様な惨死体のパレード。歴戦の強者である彼女でもこれには顔を歪める。一応生存者を確認すべくあらゆる部屋を確認して回っているのだが、重い扉を開く度、胸の痒みが増すばかりであった。


「……ふぅ」


 捜査を開始して半刻。彼女は自分が担うエリアの最後の部屋の扉を前にして安堵にも似た溜息を吐き出す。どの部屋も、確認するだけ無駄であった。開く度に、玩具箱に赤いペンキを流し込みシャッフルしたかのような様相。


 半固形上の血液がこびり付いた取手を握り、重々しく扉を開く。


 この部屋も例外ではなかった。散乱した肉片。割れた花瓶。裂かれ、紅く染まったカーテンに、切り裂かれたベッド。そして、死体。


 無意識の内に、彼女は舌を鳴らしていた。


 彼女の眼下で壁に背を預け、頭を垂れていたのがまだ年端も行かぬ少女であったからだ。腹部に成人男性の握り拳程はあるであろう巨大な穴がぽっかりと開いており、其処を中心にして彼女の周りに血の池が出来ている。


 ほぼ絶望的ではあるが、念の為脈の確認を行うべく、彼女は血塗れの手で物言わぬ少女の腕を掴んだ。


「うがぁ!」


「っ?」


 突如、少女が瞼を開き、小さな握り拳を彼女の頬に打ち付けてきた。


 が、深傷の為かその威力は皆無に等しい。


「お前!生きているのか?」


 自分の頬に打ち付けられた拳を優しく両手で包み、顔を覗き込む。が、返事は無い。微かに開かれた双眸からは虚ろな蒼い光が窺えるのみ。どうやら、最後の力を振り絞っていたようだ。


「む!」


 と、ここで彼女はある違和に気付く。全身が朱に染まっていたせいで最初は気付かなかったが、近くでよくよく少女を観察すると、空洞の上。心臓に位置する箇所に、鈍く光る紅い宝石のような菱形の物体が……。


「『魔人』だったか……。いや、それよりも......」


 全てを察した彼女はインカムに向ってぼそぼそと呟くと、一分も経たぬ内に血塗れの白衣を纏った救護班が到着した。


 担架で運ばれていく少女を見送りながら、彼女は再び煙草に火を点け、静かに呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る