@konitan2023

第1話 蔵の記憶

日本海側の豪雪地帯にある祖父の家には、蔵があった。すでに使われていなかったため、鍵が掛けられていたが、勲(いさお)は時々、祖父の箪笥から鍵を盗み出し、忍び込んでいた。


日中でも、蔵の中は天井近くにある観音開きの窓を除けば、光が差し込む場所がなく、薄暗い。


勲は薄暗く静かなこの蔵という空間が好きだった。蔵は一定の空間を区切っており、その内部には、設計者の思想により一つの秩序が形作られている。


そのため、ある種の統一感、静けさがあり、心安らぐ空間となっている。彼はこの雰囲気に堪らない安心感と幸福を感じていた。


一つの完成された世界がそこにはあり、勲にとって蔵は、彼の箱庭、自らの小宇宙そのものでもあった。


叶うならば、永遠にこの場所にいたい。

そう感じることもあったが、祖父や両親に見つかり、その静寂は度々打ち破られた。


彼は蔵に入るなという祖父や両親の叱責をただ黙って聞いていたが、その後も度々、蔵に侵入しては、1人の時間を味わっていた。


人は変化より、日々変わらない生活、状況を好む生き物のようで、叶うならば永遠に同じ状況が続くことを望むものであるらしい。


仏教用語で言う「諸行無常」とは、こうした人間の性質をもとに、諸物は無常であるにも関わらず、人間は常つまり、常に変わらないことを志向するが故に苦しんでいることを指しているそうである。


殆どの人間は、変わらないもの、安定を望みつつも、社会の変化を受け止め、徐々に自分の在り方、人生の方向性を修正していく。


中国では、自分の希望を満たせず、不本意な方向転換を図る際、没法子(メーファーズ)つまり仕方ないと言って、諦めるそうである。


日本人は戦前戦後通して、諦めやすい中国人を馬鹿にしていたらしいが、大陸の様な政治的な変動の大きな地において、こうした諦観、柔軟性は科挙官僚から大衆に至るまでに通底する生き残るための知恵だった側面もある。


一方で、世の中には変化を受け止めることができず、無常に抗って生きようとする人間も少なからずいる。


勲、彼もその1人である。

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