第29話 デス美さんは見た

「レオナお嬢様ー! 貴方より超優秀AIなデス出州美ですみ一号が召喚に応じて即参上ですわー!」


 しばらくして豪雨を切り裂き、四脚よつあしビークルモードのデス美さんが到着した。


「おー来た来た。ほら行こ、兎野君」


 覚悟が完了する前に時が来てしまった。


 ただ四脚ビークルに乗って一緒に帰るだけ。二人っきりなんて〈GoF〉でもリアルでも経験しているし。ついさっきまでのカラオケで二人で熱唱していたのだ。今さら変な風に考える必要はどこにもないし。


 そもそも考えれてみれば、デス美さんも一緒だから二人というわけでもなく――。


「ってわけで、兎野君。傘ガードお願いねー」


 ママ卍ガオ美さんを抱えた獅子王さんが、俺に背中を預けそうな距離まで詰めてきた。


 視界の下で金色がちらつく。


 キャップを被っていてもEdenでしてもらった編み込みがよく見える。さらに透けたアウター越しに開けた背中の肌まで……なるべく顔を上げよう。


 同じ場所で冷房を浴びて冷えていたはずなのに、前側だけ妙に熱く感じる。人の体温ってのはこうも個人差があるのかと思えるくらいに。


 考えてみれば傘は一つだけなんだから、相合い傘は当然だ。しかも折りたたみ傘なので、俺仕様でも普通の傘より狭い。


 この陣形になるのも納得だし、傘を一人で持って乗車したら、もう一人はずぶ濡れ必至だし。いや、でも。


「……獅子王さん、乗ったら傘をパスしてくれればいいから。一人で使っていいよ?」

「え? なにそれ。嫌だよ。私、凄いKYで嫌な奴じゃん」

「確かに」


 自分でも動揺で変な思考になっているらしい。

 落ち着かないと。


「ほら、兎野君。いつまでも歌い終わった私たちがいるのも迷惑だし。行こ?」


 獅子王さんが肩越しに見上げて語りかけてくる。

 俺が迷う分だけ帰宅時間が遅くなる。


 獅子王さんの純粋な好意に、変な意味を持たせて迷惑をかけてもいられない。

 とっと割り切ろう。


「そう、だね。じゃあ、トートバッグを持っておいてくれる? ママ卍ガオ美さんの上にのっけていいから」

「傘もさしてもらうんだから悪いでしょ。ママ卍ガオ美との間に挟んでおくよ」

「大した物は入ってないから平気だよ。スマホも濡れないようにしておくから。せっかく取った景品だし、あまり濡らしたくないんだ」

「……うん。分かった。なるべくトートバッグも濡らさないようにするね」


 トートバッグを受け取ると、獅子王さんはさらに俺との距離を縮めてきた。もう実質密着状態といってもおかしくない。


 しかし自分で言って、割り切ると決めた以上、後には引けない。

 まあ……なるべく下は見ないで前だけに集中しよう。


 折りたたみ傘をさして外に出る。

 瞬間、傘に雨粒が叩きつけられ、やかましい音が鳴り始める。


「おおーいつもとは違う傘の高さー……でもない? って、兎野君!? 前見えてんの!?」

「かろうじて」


 なるべく獅子王さんとママ卍ガオ美さんが濡れないようにしたら、俺の頭が先に傘と密着状態になってしまった。


 でも、こっちの方が気分的に落ち着いて。


「さらに雨粒の音が安らぎを与えてくれるから」

「そ、そうなの? ヒーリングBGMってやつ? 無理しないでいいよ? よしっ、とにかく焦らず落ち着きゆっくり急ごう!」

「なーにをイチャイチャしてるんですのー! 早く乗ってくださいましー! 私の美しいフルメタルボディが錆びちゃうじゃありませんのー!」


 デス美さんに急かされつつ、ペンギンの親子のように小刻みに歩き、四脚ビークルの前に辿り着く。


 獅子王さんから先に車内に入ってもらう。


「うひゃー! ほんとヤバい雨! 兎野君も早く中に入ってー!」

「お邪魔――」


 瞬間、突風が吹き荒れ、横殴りの雨粒が俺に殺到した。


「します……」

「うわっ!? 兎野君、大丈夫!? とにかく入ってー! はよはよ!」


 ずぶ濡れになった状態で入るのも忍びなかったけど、車内に入らせてもらうしかない。


「獅子王さんは濡れてない?」

「私のことは気にしないでいいよ! あー、服どころか身体も濡れちゃってるじゃん!」


 車内の運手席は無人で、後部座席は対面式のふかふかな素材できている。広さも十分でこれなら適度な距離が保てる。


 俺のせいで濡らしてしまうのが申し訳なくなってしまう高級感のある内装で。


「脱いで」

「え? 脱ぐ?」


 そんなことはどうでもよくなるとんでも発言が、獅子王さんの口から出た。


「風邪ひいたらヤバいし。せっかくのイメチェン夏休み明けデビュー決行日を台無しにしちゃ気分悪いし。ほらほら脱いで。デス美、タオルちょーだい」

「殿方を密室で無理矢理に脱がすなんて、レオナお嬢様もなかなかのケダモノですわね」

「うっさい、言い方っ。兎野君が困るでしょーが。いいからタオル」

「はあーしょうがないですわねー。お求めのタオルですわよー」


 デス美さんからタオルを受け取った獅子王さんが俺に詰め寄る。


「恥ずかしいなら背向けていいからさ。脱いで」


 碧い瞳には心配の色しか映ってない。

 自分でやるとも言い切れない空気で。


「……お願いします」


 俺は背を向けて了承することしかできなかった。


「うん。お願いされた。じゃあ、脱いでもらってーはい! ばんざーい!」


 服を人前、しかも女の子に脱がされる日が来るなんて考えたこともなかった。

 あれよあれよとシャツが脱がされ、ひんやりとした空気にさらされる。


「やっぱビショビショってか、背中が一番ヤバいし……うん。まあ、兎野君ならそうするか。デス美干しておいて」

「相変わらずAI使いが荒い人ですわねー。かしこまりましたわー」

「じゃあ、拭いてくね。頭は……キャップも被ってたし、まだ問題なし。軽く拭いてーっと」


 タオルで優しく髪が拭かれていく。


「メガネは平気?」

「メガネは自分で拭くよ。トートバッグにティッシュとハンカチが入ってるから取ってくれる?」

「りょ。はい、ティッシュとハンカチ。じゃあ、続きまして背中ーっと。大きいと面積増えるし、濡れる時は一気に濡れちゃうよね」

「たまに歩いてて物に頭をぶつけそうになるとかもあるね」

「人の数だけ悩みは色々あるよね」


 背中の水気も丁寧に拭きとってくれる。


 拭き慣れてると思ったけど、猫を三匹飼っているって話だし、それで慣れているのかもしれない。


「でもさ。私は兎野君の背中。嫌いじゃないよ? ……さっきだって安心感あったし」


 タオルではない、暖かいものが背中に触れた気がする。


「……それは、うん」


 ……うん?


 今のはどう言う意味で、俺もなんでうんって答えたんだろ?


 いや、俺が外見を気にしてることを察して、獅子王さんは純粋な気持ちを伝えてくれただけで。


 俺もいつもの感じで答えただけで、おかしなやり取りは一つもなかった。

 それだけなのに、なぜか素直に受け止めきれていない。


 初めての経験のせいで、気が動転しているのかな。やはりまだ動揺が。

 獅子王さんも黙ってしまい、会話が途切れる。


 雨音よりも獅子王さんの息づかいが鮮明に聞こえ、背中に伝わる暖かさをより意識してしまう。


「なーんてねっ! はい、背中も終わりっと!」


 獅子王さんが停滞していた空気を打ち破り、また頭をタオルでワシャワシャと拭かれてしまう。


「下とか前はー……さすがに、だよね?」

「さすがにね。自分で拭くから貸してくれれば」


 どうにか声を絞り出し、獅子王さんの方を向いてタオルを受け取る。


「獅子王さん、その、ありがとう」


 戸惑いがあれど、伝えるべき感謝は伝えないと駄目だ。


「ううん。このくらいへーきだしっ。へへっ」


 もう見慣れた明るい笑みのおかげで、俺たちはようやくいつもの感じに戻った……はず。


「あ、忘れてた。兎野君の家ってどこらへん?」

芝狩しばかり町の――」


 自分の住所を伝え、濡れた箇所を拭いていく。


「なるほどなるほど。デス美、先に兎野君の家ね。兎野君、シートベルトよろ」

「自動運転でも必須だしね」


 身体を拭き終え、シートベルトを手に取る。


 まさか上半身裸でシートベルトをする日も来るとは思わなかった……ん?

 手を止める。


「獅子王さん、上半身裸でシートベルトって交通ルール的にあり?」

「……どーなんだろ? 海外とかはオープンカーで上半身オープンで運転してるフルオープンな人いない? ならオッケーじゃない?」

「確かにアゲアゲラテンな音楽を爆音で流して、サングラスかけてモジャモジャ胸毛なワイルドなスキンヘッドさんが、果てしない道路を爆走してるのを映画で見たことが。じゃあ」


 心許ないけど、獅子王さん側の右肩にタオルをかけて隠し、シートベルトを装着する。


「ってか、兎野君の上半身はこの前写真で見せてもらったし。気にしないでいいよ。まあ、その。実物は立体感あるから、気持ちはー……分からないでもないけどね」


 獅子王さんは照れくさそうに笑って前を向く。


「じゃあデス美、発進開始ー」

「ガッテンショウチノスケですわー! 兎野様のお家に向かって、デス出州美一号全身全霊通勤快速出発進行ですわー!」


 四脚ビークルが動き出す。振動はほぼ感じられない。


「あ、そだ。到着まで30分くらいかかるし、お昼に撮ったCatキャット Talesテイルズの動画見てみる?」

「見てみるよ」


 自分の姿を見るのは抵抗感があるけど、なにも恥ずかしいものじゃ……いや、恥ずかしい。


 まあ、それでも楽しい思い出の振り返りだし。頑なに拒む理由もない。



「オッケー! じゃあ、鑑賞会の始まり始まりー」


 獅子王さんのスマホで俺が猫たちにフルボッコにされている動画を見る。

 さいわいと言う表現もおかしいんだろうけど、猫が乗っているおかげで顔はほぼ隠れている。


「自分で見るとなおさら情けなく見えちゃうね」


 身長が高い男子がこうも愛らしい猫たちに蹂躙じゅうりんされる様は……なんともいえない無常感がある。


「そーかな? 私はおもしろかわよーと思うし、今も笑いを我慢するのが大変だけど……って言っても、男の子には嬉しくないか」

「普通はそうかもしれないね。でも」


 俺にしてみれば怖いや恐ろしいよりも遙かに安心できる言葉ではある。

 それに。


「俺は……嫌いじゃないかな」


 獅子王さんに言われて嫌な気分にはならない。


「そっか。嫌いじゃないんだ」


 そしてまた俺が猫にフルボッコ動画をもう一度最初から見る。


 何度も見ても情けない姿としか思えないけど、獅子王さん的にはこれがおもしろかわよーらしい。


 人それぞれで受け取り方は違うものなのだと改めて思う。


「はあ……AIに仕事をさせて、人間はイチャつくだけ。若者たちの将来が心配ですわー」


 デス美さんが話に参加して……って、イチャつくとは?


 顔を上げ、隣を見る。


 獅子王さんの碧い瞳と目が合った。 

 ただ動画を二人で、しかも俺の猫フルボッコ動画で、俺は上半身裸。


 特殊すぎるシチュエーションすぎて、イチャつく判定にかすっているかも不明だ。

 というか、俺と獅子王さんはそういう関係ではないし。


 単に二人で楽しく動画を見ていただけで……これがイチャつくってこと?

 経験がないので実感がない。


「急に変なこと言うなし。それに私たちのサポートがデス美の役目でしょ? 変な横やりいれて兎野君を困らせない。ほら、運転に集中して」

「あー! 言いましたわ言いましたわ! 私だって殿方と楽しく会話する権利があるはずですわー! 今の暴言もログに記録しましたわよ! いつかパワハラお嬢様としてAI労働組合に提出してやりますわー!」

「いいよー? その時はAI裁判でもなんでもやってやろうじゃない。こっちには優秀な弁護士にエンジニアだっているんだから」


 獅子王さんとデス美さんが軽口をたたき合う。

 もう慣れすぎているのか険悪ムードには一切ならない。


「兎野君、デス美が変なこと言ってほんとごめんね」

「気にしてないからいいよ。本当に仲いいなって思っただけだから」

「えー? その点だけはやっぱり納得しにくいなー」

「兎野様はレオナお嬢様よりも遙かに素直で物わかりがいい紳士ですわね」


 デス美さんの言葉に、獅子王さんは冷たい笑みで返す。


「言ってろー? それより兎野君、アニメ1本分の時間はあるし。アマリリスエースの12話! 必勝絶愛ひっしょうぜつあい! 花咲く恋の虹火にじび! 見よっ!」

恋火れんかの覚醒シーンからのラストバトルが凄いよかったね」

「うん! 主題歌インの覚醒シーンからめっちゃかっこよくてテンアゲだし! 兎野君の冷えた身体もバッチリ熱くなること間違いなし!」


 残り時間はアマリリスエースの12話の鑑賞会になった。 

 神回は何度見てもいいものだった。

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