第22話 憧れる目

「いけない。立ち話をしている暇はないわよ。さっそくとりかかりましょ。レオナちゃん、言ってた写真を見せてくれる?」

「はーい。参考の写真がこれなんですけど」


 獅子王さんがこの前武琉姫璃威ヴァルキリーで撮った写真を猪原いはらさんに見せる。


「この雰囲気に合うようにして、目がちゃんと見えるくらいの長さでお願いしたいんですけど」

「あら二人とも楽しそうね。妬けちゃうわ。しかし、男前ね……って、待って」


 朗らかな猪原さんの雰囲気が硬くなる。


「貴方、まさか武琉姫璃威で働いてる?」

「え? はい、そうですけど」


 まさかここでその名前が出るとは思わず素っ気なく答えてしまった。


「なにキンちゃん、エスパーだったの?」

「違うわよ。この制服を見れば一目で分かるわ。これが……鷹城たかじょうベルの作品だってね」

「知り合い、なんですか?」


 なにやら深刻な雰囲気だし、もしかして険悪な関係だったらと不安に思い、つい聞いてしまった。


「そうね。思わせぶりなことを言ったのは私だし、黙ってるわけにいかないわよね」


 猪原さんは懐かしむような口調で言う。


「元カノよ」

「え? 嘘? 鷹城さんと付き合ってたの?」

「ええ。十五年も前の話だけど。ベルは私の憧れで理想だった。彼女がいなかったら、今の私はいないくらいに」

「けど別れちゃったの……?」


 獅子王さんにとって男女間の色恋沙汰は、色々と思うことがあるはずだ。さっきまで明るい雰囲気がなくなってしまった。


「ベルに相応しい存在になるためにね。独立して自分の店を持って、そして――」


 猪原さんが今まで抱いてきた思いをなぞるように呟き、


「そう! いつか熱闘大地に出てプロポーズすると決めたのよ!」


 男らしく叫んで沈みそうな空気を一瞬で吹き飛ばした。


 熱闘大地は様々な分野のプロフェッショナルに密着取材し、毎週一人にフォーカスを当てて紹介する長寿ドキュメンタリー番組だ。


「でもまだ撮影交渉のベルはならないわ。あ、今のは別にベルにかけてるわけじゃないわよ?」

「……そーなんですね。じゃあもし、熱闘大地に出演する時はカットモデルに立候補いいですか?」

「えー? レオナちゃんずっとは真顔できないでしょ? 絶対ピースするし。バラエティじゃないのよ? 頼むにしても桜ちゃんでしょうに」

「くっ! さすが現役JKモデルには勝てないか!」

「貴方も一応読モでしょ」


 猪原さんの思いに当てられて獅子王さんの顔にも明るさが戻っている。


 というか、獅子王さん読者モデルやってたんだ。夏休みのバイトっていうのもそれなのかな。


 ただ今はそれよりも聞きたいことがある。


「猪原さん。もう鷹城さんとは会ってないんですか?」

「リアルはね。スマホで連絡は取り合ってるし。普通に交流してるわよ」

「なんだか不思議な関係ですね」

「そうね。しかし、ベルはこんないい男の子の話なんて一度も……そうよ、名前。レオナちゃんったら、友達の男の子としか言ってなかったから。貴方、お名前は?」

「すみません、言い忘れてしました。兎野真白です」

「兎野……? って貴方まさか、兎野ゆう穂狼月ほろづき綺羅々きららの息子さん?」

「はい、そうですけど」


 またしても予想外の名前に素っ気なく返事してしまった。


 優は父さんの名前で、穂狼月は結婚する前の母さんの旧姓だ。

 確かに鷹城さんを知っているなら、俺の両親のことを知っていてもおかしくない。


「ふぅー今日は恐ろしい偶然が重なるものね。この目、どこかで見た気がしたから。しかし、そう……。こんなにも成長した同級生の子と対面するほど年月が経っていたのね。どうりで最近コスメのノリが悪い気がしてたのよ。もうおじさまじゃない」


 知り合いの子供の高校生という俺を見たせいか、猪原さんが露骨に気落ちしてしまった。


「キンちゃん、大丈夫だって! 今はイケオジだってまだまだ最前線で戦えますって!」


 獅子王さんが慌ててフォローに入る。


「……そうっすよ、店長! まだまだイケますよ! 店長は俺たちの女神なんですから!」

「そうですよ! 私たちの店長はイケイケですよ! ヴィーナスに栄光あれ!」


 最高無敵のイケオジヴィーナスですよ! と我慢できなくなった店員さんたちまで励ましに入った。


 こういう時、俺は輪に入るのが苦手だ。


 なんて言えばいいのかすぐに思いつかないから、傍観者として徹することくらいしかできない。


 ただ無理に入る必要もないと思うし、眺めること自体も嫌いじゃない。

 猪原さんが励ましの声に応え、手で場をなだめる。


「みんな、ありがとう。そして、ごめんなさいね。私のつまらない身の上話なんて聞かされて。はい、今度こそ気を取り直しましょ。

 このお店の主役は私たちじゃないわ。ここは迷える子たちを最高に可愛く、美しく、気高く、可憐に、一歩前に踏み出せるよう手助けをしてあげる秘密の楽園。始めましょうか、真白ちゃん」

「はい、お願いします」


 猪原さんに促され、椅子に座る。


「カットする前に、一度実物を見せてもらっていい?」


 トートバッグから伊達メガネを取り出し、サングラスの代わりにかける。


 鏡越しに見える猪原さんの雰囲気が一気に変わった。

 引き締まった真剣な顔つきになる。


「やっぱりいい男ね。けど、それは私にとって。真白ちゃんにしてみれば、素直に受け取れないのよね。覚悟はいい?」

「……はい。思い切ってお願いします」


 伊達メガネをかけてもやっぱり緊張は解けない。身体が強ばっている感じがする。


「兎野君、荷物預かっておくよ」

「あ、ごめん。お願いするね」


 獅子王さんにトートバッグを渡すと、なぜか中身を漁られてしまう。


「大丈夫でございますぞ。私がしっかり後ろで警護してあげますから、お坊ちゃま。どうかね? BGっぽい?」


 俺のサングラスをかけて、クイックイッと何度も上下に動かして見せてきた。

 それだけ気持ちが楽になる。


「確かにBGっぽい。俺がBGって思われるのも納得したよ」

「でしょー? じゃ、キンちゃん。よろしくお願いします」


 獅子王さんが下がっていく。


「ええ。BGに取り押さえられないようにしっかりやらないとね」

「よろしくお願いします」


 伊達メガネも預け、素顔に戻り、前を向く。

 猪原さんが動き始めた。


 洗髪し、水気を拭きとり、髪が切られる。

 髪を切る音だけが聞こえる。

 暗い視界が明けていく。


 ――俺は人の顔を見て話すのが怖いし、目を合わせて気持ちを伝えるのが苦手だ。


 だけど、例外もある。

 たった一つ目を離せないもの。


 自分が情熱を注ぐことに全力で挑み、他のことは一切眼中にない、そんな目。


 母さんがマンガを描いてる時、父さんが料理をしている時、鷹城さんが服と向き合っている時。


 そして今、猪原さんが俺を通して、一つの完成形を目指している目。

 俺が、憧れる目だ。

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