第133話 奈緒美の告白3

 昔のことなのだ。

 僕は意識して柔らかに訊いてみる。

「そしたら?」


「土曜日の休みに、隣町の産婦人科へ連れて行かれた」


「付き添いはしてくれたんだ」


「うん。でも、後で分かったけど、親戚の子って医者には言ってたみたい」


「ひどい奴だな」


「こどもができたから、その時の私は、これで先生が結婚してくれるもんだと思ってた」


「中三の始めで田舎町だったら、そんな認識なのかな」

 僕は皮肉を込めてそう言った。


「そうだね、、、

 卒業したら結婚するのって訊いたら、自分には妻も子もいるって、その時初めて教えてくれた。

 生徒たちの前では独身の振りをしてたから、ただただびっくりして、何も考えられなくなった」


 素直で疑いを知らない、無垢な女子中学生が、妊娠して初めて知る不倫の真実。

 これが奈緒美のことじゃなければ、僕もあっさりと同情していただろう。

 当時の奈緒美の気持ちをんで考えるべきなのだ。


「ひどいな、それは」


「結局は中絶することになったんだけど、両親にはこっぴどく叱られた。

 姉には話さなかったらしくて、何も言われなかった。

 両親は先生の家へ乗り込んで行ったらしいけど、中三の娘の不祥事は結局伏せることにして、先生とは示談になったらしい。

 もうあの人には決して近づくな、忘れなさいと言われて、その後は両親とも私に優しかった。

 中絶手術の時、もう少し遅かったら大変なことになったって言われて、その時教えてもらったのが、初期中絶と中期中絶の違い。

 後になって、自分でもその違いについて勉強したの」


 そういうことがあったんなら、妊娠にも中絶にも詳しくなるだろう。

 老人がやけに病気に詳しかったりするのと似ている。

 自分の身にふりそそぐことが無かったら、奈緒美もそうしたことにそれほどまで詳しくならずに済んだろうに。


 しかしながら、これは、昔こんなことがあったと、奈緒美が僕に告白する。

 そんな単純な構図ではなかったのだ。

 この時の僕は告白の内容に驚いて、何かもやもやしていただけだが、

妊娠して、中絶しなくてはならない女性の苦しみを僕に理解させ、明菜ちゃんの中絶の不安を少しでも軽減させる為に、僕にレクチャーする意味があったことを、後になって知るのだった。



「そういうことか」


「同じ初期中絶でも、十数分で終わる吸引法だけ済むものと、十二週に近づくと掻爬そうはが必要になることもあるの」


 術式じゅつしきがそこでも違うのか。

 吸引という響きは、手術より軽い処置みたいなものを感じるが、掻爬というのは良く聞く方法だった。


「掻爬は、あそこに鉗子かんしとかの医療器具を突っ込んでき出す手術だよね」


「そう、下手な医師だと、子宮を傷つけたりすることがあるから安全とは言えない。

 吸引法でも絶対安全とは言えないけどね」


「子宮に傷をつけたら、後遺症が出そうだね」

 やっぱり女性側にばかり負担があるのだ。


 こんな際どい話をしてる僕たちの周りでは、昼食をワイワイと楽しむ人達が溢れていた。

 空きテーブルを探す人も目につく。

 僕はわざと、ハンバーガーとフライドポテトを食べかけのまま放置していた。

 周囲からは、これから展示のどこを回ろうか、そんな話をしているカップルだと思わせたかった。



「そうね。

 他には術前処置じゅつぜんしょちが必要になることがあるわ」


 また初めて聞く言葉だった。

 僕はオウム返しに訊いた。

「術前処置?」


「手術しやすくするために、数時間前から子宮の口、子宮頸管しきゅうけいかんを広げて柔らかくする処置をするの。

 私が行った病院では、掻爬手術をするって言われて、前日夕方から入院して術前処置をすることになった。

 海藻を加工した棒を、何本もあそこに突っ込まれるのよ。

 突っ込まれる時は、麻酔なしだから痛いの。

 それが水分などを吸ってだんだん太くなるの。

 私にはそれも辛かった」


「そんな恐ろしい術前処置をやったのか」


「若過ぎたから、子宮頸管が狭くて硬いんだって。

 途中からは、じわじわと無理矢理に広げられる感じがした」


「大変だったんだな」


「うん。

 もっと大きな、近代的な設備のある病院へ行っていれば、吸引法で術前処置も必要なかったんじゃないかって、後で勉強して分かったわ」


 聞いているだけで疲れてくる。

 そんな目にあったことなど、絶対に話したくない筈だが、そこまで僕を信頼してくれているという事なのだろう。

 そう思えば、何となく嬉しかった。


「もう引きずってないの」


「最近は悪い夢を見なくなった。

 智也のお陰かな」


 その言葉を聞いたからか、もう奈緒美はトラウマを克服したものと理解して、僕は大胆になった。


「少し訊いても良いかな」


「うん」


「中学生の時、お祭りでその先生の家族と何かあった」


 思い切った質問のつもりだったが、意外にも奈緒美は平然としている。


「ああ、木村くんから聞いたの」


「まあ、あいつの作り話かもしれないけど」


「私にそんな噂があるって教えてくれたがいたけど、私、中三の時は夏祭りには行かなかったから。

 でも先生の奥さんが、短い階段に落ちたというのは本当みたい。

 小さな男の子同士で喧嘩になって、自分の子を守ろうとした時に落ちたって」


 噂ばかりで、真実を知る者がなさそうだったのに、祭りに行かなかった奈緒美が何故そんなことを知っているのだろう。


「それは誰に聞いたの」


「先生から」


 僕はそれを聞いて唖然とした。

 もう近づきたくもなかったのではないのか。

 あ、いやあの男に近づくなと言ったのは、両親だったか。


「それって、手術でひどい目に合った後の話だよね」


 性懲しょうこりもなく、また奈緒美に接近を図るとは、どこまでクズなんだ。


「うん。

 今、妻は入院してるから、また家に来ないかって言われたけど、もう先生のことを信じられなかったし、怖かったから断ったけどね」


「ひどい奴だな」


「そうだよね」


 奈緒美はそう言って、下を向いた。

 つらい過去を思い出させるのは、やはり酷だな。

 そう思ったが、もう一つ確認しておきたいことが残っている。


「お祭りの噂話は、実際に起きた事実に、誰かが意図的に、尾ひれを付け加えたってところかな」


「うん、そうかも」

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