第5章 内なる声

第59話 夢精

 金曜日に始まった交際は、三回目の金曜日に幕を降ろした。

 僅か二週間。


 二人の付き合いは、むしろこれから発展して、楽しみや喜びを寄せ合ったり、苦しみや悲しみを分かち合って行きたいと願っていたのに……


 土曜日と日曜日の二日間は、明菜ちゃんの思い出に浸るには丁度好い休日だろうか。あるいは辛過ぎる空白だろうか。


 もしこれが平日でバイトの日に当っていたならば、コンビニ業務など殆ど手に付かず、何故こんな日に仕事などしているのだろうと、僕は暦の巡り合せを呪っていたに違いない。

 それなのに理不尽で自分勝手な僕は、苦しいばかりの回想に追いやった週末を呪っている。

 しなければいけないことがあれば、幾分かは気も紛れただろうにと……



 どきどきしながら灯火のコンサートへ誘った時、OKしてくれた明菜ちゃんは迷いの表情を見せた。


 待ち合わせの段取りを相談した電話では、弾んだ声を聴かせてくれた。

 熱中した二人は三十分も話しこんだっけ。


 グリーン車の階段を上がって来た明菜ちゃんは、僕を見つけてとても嬉しそうな笑顔を見せた。


 乗り継ぎの時や、混み合った電車では、色々話も弾んだし、動く口許や胸の谷間にどぎまぎさせられた。


 コンサートでは知らず知らずの内に、明菜ちゃんを心配させて困らせた。


 天使の様に優しい明菜ちゃんは、僕を赦し楽しいお酒を飲ませてくれた。


 メールも電話も忘れていた僕は、明菜ちゃんに責められイジワルをされた。

 それも今となっては失った宝石の一粒だ。


 二人で食べたラーメンも、ミラノサンドも最高に旨かった。


 お揃いで買ったレザースニーカーは、案外と履き心地が良くて、外出時にはいつも僕のお供をすることになるだろう。


 思い出せば思い出すほどに、二人の交際は短くも濃密で起伏に富んでいた。


 そしてあのラストシーン。

 ドラマチック過ぎて現実感が足りない。残されたのは喪失感だけだ。


 そこに至るには何か理由がある筈だ。

 無い訳が無い。

 別れの理由を追及し、原因に接近して行くと、急激な疲労感に襲われ僕の思考回路は麻痺してしまった。

 実の所、僕は既に理由を知っていて、心の深層に隠しているだけなのかも知れない。


 心身ともに疲れ切った。

 今は暫くの間そっとしておいて欲しいと、内なる自分自身が叫んでいる。

 日曜日の午後になって、僕は漸く眠りに落ちたようだ。

 それが夢の世界だったことは、目覚めた時に初めて知った……




 僕は少し眠った後、夜明け前に目を覚ました。

 ホテルのベッドの中だった。

 隣には本当の初体験しょたいけんを教えてくれたいとしい女が、背中を向けてすやすやと小さな寝息を立てている。


 そっとその首筋に唇を押し当ててみる。

 明菜ちゃんは目を覚まさない。

 僕は調子に乗って布団の中で右手を動かしてみる。

 どこもかもがすべすべとした柔らな肌。

 乳房もウェストもおなかも、明菜ちゃんの全てが愛しい。

 ウェストラインから盛り上がる弾力的なヒップラインを、カーブに沿ってそっと撫でてみる。

 既に抑制の利かなくなった右手は、

ヒップから内股の茂みの奥へと伸びて行き、

その指先は、勝手に秘の谷へと探検を始めていた。

 暫く中指を滑らしていると、しっとりと濡れてくるのが分り僕は強く勃起ぼっきした。

 うに気が付いていた明菜ちゃんは、愛撫に対し反応していたのだ。

 僕は後方からの横臥位おうがいで責め始め、次には明菜ちゃんをうつ伏せにしてバックでゆっくりと責め続ける。

 激しく感じてしまったのか、明菜ちゃんは自ら体位を入れ替え、僕の上へ覆いかぶさった。

 その時僕は何故か目を閉じた。

 軽い重みと、前後の激しい腰の動きを感じながら、次第に感極まって行く。

 目を開くと、僕を激しく責めたてている女は、明菜ちゃんではなく渡瀬奈緒美だった。

 驚くよりも前に、我慢し切れず僕は射精した……



 突然目が覚めた。

 たっぷりと夢精むせいしていた。

 強く後悔した。

 もちろん少年染しょうねんじみた恥ずかしい失敗なんかではなく、僕が明菜ちゃんにしてしまった酷い仕打ちのことを。

 明菜ちゃんが別れようとした理由、それは恐らく僕のせいだ。

 僕はあの三回目の時、明菜ちゃんの顔を一度として見ていなかった。

 渡瀬さんとしていることを想像しながら、

明菜ちゃんと繋がっていたのだ。


 濡れてしまったアンダーパンツをはき替えることも忘れ、取り返しの付かない非道を考え続けた。

 それでも明菜ちゃんは、僕を赦そうとしたのだろうか。

 あの暗号に気づき、もっと早く駆けつけることができたなら……

 いや、あの時二人が会えたとしても、元通りの修復なんてできなかっただろう。

 疑心暗鬼の交際が延長されるに過ぎない。

 それ位決定的な過ちを僕は犯してしまった。

 もう何も考えたくなかった。

 弛緩し切った僕は再び深い眠りに落ちた。

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