第29話 血の味

「いいのか? 逃がしちまって」


 梶くんの姿が見えなくなると、私たちのやり取りをだまって見ていた杏くんがそう言った。


「仕方ないよ。いくら何でも護衛対象の杏くんをこんなところに一人残していけないもん」


 と、いまだ床に転がっている男たちを示す。


「あー、そうだな。……悪ぃ」


 周りを見て納得した杏くんに謝られて“ん?”と疑問を浮かべた。


「悪いって何? 杏くんが謝ることじゃないよ? 今は梶くんを追うことより杏くんを安全なところまで連れて行く方が大事ってだけだし」

「でも、元々は俺が捕まったせいだろ? みんなに迷惑かけたし……」


 説明しても謝る杏くんに、私はしっかりと言う。


「それは違うよ。杏くんが捕まったのは私が同級生に敵がいた可能性を考えていなかったのが原因だし」

「でも」


 尚も食い下がる彼に私は「謝らないで」と止める。


「謝るのは私の方なんだよ? ちゃんと守れなくて……怖い思いをさせて、ごめんなさい」

「望乃……」


 平気そうに見えるけれど、杏くんだって怖かったはずだ。

 捕まって、大人の男たちに囲まれて。


 梶くんのことだって、杏くんから見たら同級生に裏切られたようなものだよね?

 つらい気持ちもあるんじゃないのかな?


 それでも周りの人に迷惑かけたって落ち込むあたり杏くんらしいけれど。

 杏くんって家族思いだし、けっこう情が深い人だもんね。

 でも、だからこそ。


「謝るより、お礼がいいな」

「お礼?」

「うん。失敗して杏くんを連れ去られちゃったけど、ちゃんと助けに来たでしょう?」


 ちょっとおどけて言うと、杏くんは困り笑顔だけどやっと笑ってくれる。


「そうだな。助けに来てくれてありがとう、望乃」

「うん、どういたしまして」


 お礼の言葉を受け取った私は、杏くんが安心できるようにニッコリ笑顔になった。



 数分後、突入してきたハンターたちにこの場を任せた私は杏くんを連れてビルから出た。

 騒ぎにならない様に入ってきたときと同じく裏口から出ると、突然杏くんが「いってー」と声を上げる。


「え? どうしたの?」


 前を歩いていた私が振り返ると、杏くんは右手首をおさえるように掴んでいた。


「いや、さっきからなんか痛いなって思ってたらちょっと切れてたみたいでさ」

「え? ごめん、腕の拘束こうそく外したときかな?」

「どっちかって言うと拘束されたときかな? 血、固まってたし」


 それを今気になって触ってしまい、傷口がちょっと開いてしまったらしい。

 小指側の手首に、血が赤い線を描いている。


「あー、こういうの地味に痛いよね」


 痛そーと見ていると、杏くんがジッと私を見ていることに気づく。


「なに? どうしたの?」


 見られている理由が分からなくて聞くと、杏くんはゆっくり口を開いた。


「いや、望乃になめてもらえば治るかなあって」

「……まあ、治るとは思うけど」


 柊さんのケガは治ったし、多分治ると思う。

 でも別に杏くんの血をなめたいとは思わないんだけど……まあ、ものは試しってことで。


「……じゃあ、ちょっと試してみよっか?」


 確認も込めて問いかけるように言ってみる。


「お、おう」


 杏くんは緊張ぎみに傷口を差し出してくれた。

 だから、私も杏くんの手を取ってそこに顔を寄せる。

 柊さんのときみたいに甘い香りはしない。

 特に口にしてみたいとも思わないけれど、私がヴァンパイアだからかな? 抵抗もなかった。


 よし。

 私は杏くんの傷口をパクリとふさぐようにして軽く吸い、なめる。


「……」


 甘くは、ない。

 みつの様なとろける感じもない。

 柊さんの血ほど美味しいわけでも、血液パックほどまずいわけでもない。

 まあ、血の味だなって感想。


 柊さんの血みたいに甘くないのは、やっぱり柊さんが私の“唯一”だから?

 でも、“唯一”なら相手をすっごく好きになるはずだよね?

 私の柊さんへの感情は、お母さんがお父さんに向けるほどの強さはないと思うんだけど……。


 まあ、恋か憧れかはもうハッキリしているんだけれどね。

 なんにせよ、直接なめてこれだけ違いがあるってことは柊さんが“唯一”である可能性は高いんだと思った。


「……なぁ、まだか?」

「へ? ああ、ごめん」


 謝って手を離すと、耳を赤くしながらすっごく嫌そうな表情を浮かべる杏くんが見えた。


「……それ、どんな表情?」

「いや、なんつーか……普通に恥ずかしいのと、望乃に何やらせてんだ俺?っていう自己嫌悪的な感じ?」


 じゃあなめて治してなんて言わなきゃいいのに。


「まあでもサンキュ。本当に治ってる。おかげで痛くなくなったわ」

「どういたしまして」


 お礼の言葉にあいさつを返すと、杏くんは「そうだ」と慌ててつけ加える。


「今のこと、兄さんには内緒な?」

「え? 傷をなめて治したこと? 別にいいけど……」


 別にわざわざ言うつもりはないし。


「良かったー。バレたら俺、兄さんにお仕置きとかされそうだからさ」


 ホッと気の抜けた顔をする杏くんがおかしくて笑う。


「なにそれ、どうして柊さんが杏くんにお仕置きなんてするの?」

「そりゃあ……いや、俺から言うのは野暮やぼってやつだよな」

「もっとわけが分からないよ」


 ハッキリ答えを言ってくれなくて今度はさすがにムッとする。

 でも、杏くんはやっぱり答えてくれなくて「まあいいだろ」と話を終わらせてしまった。


「とにかく行こうぜ。今ならまだパーティーも間に合うだろうし」

「むー」


 杏くんの対応に不満はあったけれど、確かに彼の言う通りだった。

 日は沈みかけて今は夕方。

 準備を始めるのは遅くなったけれど、パーティーが終わる前には参加できる時間だ。

 逆を言うと、これ以上時間をつぶしていたら間に合わない。


「分かった。行こう」


 不満で唇をとがらせたまま、私はまた歩き出した。


***


 パーティーにはやっぱり遅刻しちゃったけれど、大事な契約発表には間に合った。


『この契約は、多くの子供たちに明るい笑顔を届けることが出来ると信じています。具体的には――』


 柊さんたちのお父さんのスピーチを二人は尊敬のまなざしで見つめてる。

 私はそんな彼らを温かい気持ちで見ながら、メイドとして護衛の仕事を続けていた。


 パーティー中に何かあるかもしれないと警戒していたけれど、特に何事もなくパーティーは無事に終わる。

 そうして屋敷に帰ってから、美奈都さんと旦那さんにあらためてお礼を言われた。


「望乃ちゃん、杏を助けてくれてありがとう」

「いえ、そんな。私のミスで一度は連れ去られてしまったんですし……」


 美奈都さんからのお礼の言葉を私は素直に受け取れなかった。

 最終的には助けることが出来たとはいえ、一度は連れ去られてしまったから。

 杏くんに怖い思いをさせてしまったし、美奈都さんたちを心配させてしまった。

 護衛任務をまっとう出来たとは言えないもん。


「それでも君が杏を助けてくれたことに変わりはない。それに、君がいたからこそすぐに杏を助けることが出来て、契約発表も無事終えることが出来たんだ。……感謝しているよ」


 落ち込む私に、旦那さんは柊さんと同じ色の目を優しく細めてお礼を伝えてくれる。

 そこまで言われたら、感謝を受け取らないわけにはいかなかった。


 失態はおかしてしまったけれど、この笑顔を守ることは出来た。

 完璧とは言えないけど、これで護衛任務は終了なんだ。

 少しのさびしさを胸に、私は最後に笑顔で言う。


「私もみんなを守ることが出来て本当に良かったです。護衛依頼、ありがとうございました!」

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