第3話・救世主


「――お待ちください」


 すっと空気を切り裂く鋭い刃のような声が、ホールに響いた。

 

 ホール中の視線が、一斉にそちらへ向く。グルーは眉を寄せ、声の方を見た。

「これは、どういうことです……?」


 そこにいたのは、黄金色の髪に真紅の瞳を持つ、ハッとするほど美しい青年だった。


(綺麗なひと……彼は、たしか)


 アーサー・レグール。

 隣国の第一王子である。くっきりとした二重、輪郭はシュッと流れるように優雅。国民からも絶大な人気を誇るうら若き王子だ。


 アーサーは眉を下げて、突然の事態に困惑しているようだった。

 

「あぁ……これは、アーサー・レグール王子。みっともないところをお見せして申し訳ありません」


 グルーはお得意の王子スマイルを顔面に張りつけて、恭しくアーサーへ頭を下げた。


 アーサーは静かにその様子を見つめると、アナスタシアに視線を向けた。アナスタシアはまっすぐなその視線から逃れるように、サッと目を逸らした。

 

「……お話によると、グルー王子はこちらのご令嬢との婚約を破棄されるおつもりなのですね?」

「あ――えぇ、まぁ。彼女には、私なりにいろいろと尽くしてきたつもりだったのですが……いやしかし、王族の一員になるという自覚があまりにもないものですから、ほとほと困り果てていて」


 グルーはそう言って、肩をすくめる。それを見たアナスタシアは呆れを通り越して、もはや感動すら覚えた。


(私……困らせてたんだ、このひとのこと)


 それは申し訳なかったな、と他人事のようにそう思った。


「……まぁ、とは言っても、彼女が泣いて詫びるなら許してやらなくもないのですがね。彼女の親族はすべて流行病で死んでいて、どうせ行く宛てもないでしょうし。まぁ、こんな様子では正室としての責務は果たせそうにありませんし……仕方がないので、これからは側室として可愛がってやろうかと」 


 グルーはそう言って、くつくつと笑った。


(側室……?)


 アナスタシアは呆然とグルーを見上げた。


「側室……ですか」


 アーサーは小さく呟いた。その顔はライトの影になっていてよく見えない。


 アナスタシアは、拳をぎゅっと握り締めた。


(そう……そういうこと)


 納得した。

  

 つまりグルーは、それが狙いだったのだ。いくら美しいとはいえ、高慢なグルーがなぜ没落貴族の娘なんかを婚約者としたのか、ずっとおかしいと思っていた。


 だが今、グルーの勝ち誇った顔を見てようやくわかった。

 グルーは、アナスタシアを側室にしたかったのだ。この国随一の美しい女を、二番手として自身の傍に置くこと。それこそが目的だった。


 可哀想なアナスタシアを、心優しい次期国王のグルーは婚約者として迎え入れる。その後、王宮入りしたアナスタシアの悪い噂を流し、困り果てていると周囲に相談し……そして今回とうとう婚約破棄を突き付けた。


 そして、絶望したアナスタシアをやはり見捨て切れなかったグルーはもう一度、泣いて縋るアナスタシアに手を差し伸べる……そういう筋書きだ。


 なんて心優しいひとだろう。素晴らしいひとだ。


 そうして、周りはまんまとグルーの罠にはまるのだ。


「なにか言いたいことはあるか、アナスタシア」

「言いたいこと……でございますか」

 

 グルーは、アナスタシアが泣いて縋るのを待っているのだ。

 

 アナスタシアは唇を噛み締め、泣くのを我慢した。悔しさで手が震えた。


(私は……本当は、こんなひとに頼りたくない。でも……)


 それでも、天涯孤独の身であり、頼る者のいないアナスタシアには、グルーに頼って生きる道しか残されていない。


「……グルー様……私は……」

 観念して口を開こうとした、そのときだった。

「――アナスタシア様」

 

 アーサーが、アナスタシアへ歩み寄った。

「――?」 

 顔を上げたアナスタシアに、アーサーは柔らかな笑みを向けた。

 

「唐突ではございますが、アナスタシア様。よろしければ、僕の妻になっていただけませんか?」

「……え?」

 突然の告白に、アナスタシアはきょとんとして固まった。 

「つま……?」

 

 アーサーはアナスタシアの前にひざまずき、手を取る。

 

「私は、ずっと前からあなたを好いていました。しかし、あなたはグルー王子と婚約された身……。私には手の届かないお方でした。ですが、今は違う。グルー王子と婚約破棄なさるのなら、ぜひ、私の元へ来ていただきたい」

「なっ……アーサー王子、あなた、なにを……」


 グルーが慌てて口を挟むが、アーサーは気にせずアナスタシアに愛を紡ぐ。アナスタシアはぽかんとして、アーサーを見上げていた。


「愛しております、アナスタシア様。私が、必ずやあなた様を幸せにすると誓いましょう」


 真っ直ぐ、アナスタシアだけを見て紡がれる言葉。アナスタシアの瞳から、涙があふれた。

 

「……ですが、私なんて」

 アーサーが首を横に振る。

「私なんて、というのはいけません。あなたはとても美しいですよ。見た目だけでなく、心も……。そうだ。礼を伝え忘れていました。以前、妹を助けてくださったことを覚えておいでですか」

「妹さん……? あなたの?」 


(いつのことだろう……)


 アナスタシアは首をひねった。


「私の妹はまだ幼く、以前この国に来訪したとき、ひとり森の中で迷ってしまったのです。そのときお助けくださったのが、当時まだ貴族のご令嬢として領民に慕われていたあなたでした。あなたは私の元へ、愛する妹を導いてくださいました。そのときの光景が、頭から離れません。あなたはまるで、湖から現れた女神のようで……」


 アーサーはふっと笑った。


「あれから、私はずっとあなたを探しておりました」


 アーサーはアナスタシアを見つめ、眩しそうに目を細めた。

 

「見つけられてよかった」


 あまりにも優しい眼差しに、アナスタシアは頬を染め、俯く。


「……ですが、私は婚約破棄された身。こんな私が、一国の王子様であるあなたの妻だなんて……」

「私はあなたがいい。あなたしかいりません。私の国は日差しが強く、痩せた土地……。昼間はとても外には出られません。国民はきっと地下に資源があると信じ、毎日地下を掘り進めていますが……未だ見つからず、貧しい。でも、あなたが私を……私の国を選んでくれたら、国民はきっと喜ぶ」


 きゅうっと胸が締め付けられた。こんなにまっすぐな言葉をもらったのは、人生で初めてのことだった。


 このひとなら、きっと幸せになれる。アナスタシアは確信した。アーサーの手を握り返し、頷こうとした、そのとき。


「ま、待て! アナスタシア」

 ホールに、せっぱ詰まった声が響いた。

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