婚約破棄は幸せな溺愛生活の始まりでした!?〜冷遇された令嬢は、隣国の王子に見初められて幸せを取り戻します〜

朱宮あめ

第1話・婚約破棄


 それは、国王代理会議のあとに開かれた親交パーティーでのことだった。

 突然、アナスタシアの婚約者であるグルー・マルクが、ホールに響く声で高らかにこう言い放ったのである。

 

「アナスタシア・フレア。この場を借りて、グルー・マルクは貴方への婚約破棄を申し入れる!」

「っ!」


 突然の婚約破棄宣言である。

 当然、それまで賑やかだったホール内はしんと静まり返った。


 楽団たちはそれぞれ顔を見合わせ、音楽を奏でる手を止め、ダンスをダンスを楽しんでいた者たちも動きを止めた。


(婚約破棄……!?)


 婚約破棄を突きつけられた当事者、アナスタシアは驚きで言葉を失い、立ち尽くしていた。

 

 今回婚約破棄を突き付けられたアナスタシア・フレアは、もともと国の南部の広大な領地を所有した貴族、フレア家の令嬢だった。


 美しく輝くような銀髪と銀青色の瞳を持ち、領民にとどまらず、国民から絶世の美女と謳われたアナスタシアだったが、今はかつての美しさの面影すらない。


 継ぎ接ぎで染みだらけのドレス身を包んだ、痩せぎすの身体。ボサボサに伸び切った栄養のない髪。瞳は光を失い、溜まった疲れのせいか焦点もまともにあっていない。


(そんな……)


 かつて国中の視線を集めるほど美しかったアナスタシアがどうしてこのような姿になってしまったのか。


 それには、いくつかの理由があった。

 

 まずひとつは、アナスタシアの父が領主をしていた南部が、度重なる干ばつに見舞われたのである。干ばつによる飢饉ききん、さらに不衛生な環境から発生した流行病はやりやまいによって、領民は次々と命を落としていった。


 領主であったフレア家は責任を負わされることとなり、その結果爵位しゃくいを取り上げられてしまったのである。


 その頃アナスタシアは学生だったため、王都の王立学園で勉学に励みながら寮生活を送っていた。


 本来であれば、王族や貴族の子爵たちが多く通うその学校で婚約者を見つけるはずだったのだが、実家が没落してしまったアナスタシアは学校を退学し、実家へ帰ることとなった。


 フレア家は没落したのちも、領民たちと共に飢饉や流行病による食糧不足などの危機をなんとかしようと尽力していた。しかしその年の冬、例の流行病に両親が罹患。治療の甲斐なく、アナスタシアを残して死んでしまったのである。


 両親を失ったアナスタシアはひとりぼっちになり、絶望した。令嬢であるアナスタシアに、ひとりで生きていく術などない。


 もう死しか残されていない――アナスタシアが途方に暮れていたときだった。


 救世主が現れた。

 王国の王子、グルー・マルクが現れたのである。グルーはがっしりとした体躯とは裏腹に、甘い顔立ちをした同い歳の青年だった。

 そんな完璧過ぎる彼は、学校のクラスメイトだったアナスタシアを不憫に思い、自分の婚約者として迎え入れると言ったのである。

 

 アナスタシアは、グルーからの縁談に心から感謝した。

 グルーはアナスタシアを婚約者として王宮に迎え入れると、再び学校へ通えるよう、はからってくれた。


 また幸せな日々が戻ってくる。そう、アナスタシアは安堵した。

 しかし、それはほんの束の間の幸せだったのである。


 きっかけは、ほんの些細なことだった。

 学校から帰ったアナスタシアが、王宮の門にいた衛視えいしと談笑していた場面を見たグルーが、激怒したのだ。


 アナスタシアとしては、彼が父親の知り合いだったから、少し挨拶をしたというだけのことだった。しかしグルーはそれを聞き入れなかった。


『婚約者としての自覚が足りない』だの、『男に媚びを売るな』だの、散々暴言を浴びせられたアナスタシアは、グルーの豹変具合に恐怖した。

 

 表向きは穏やかで柔らかな印象のグルーだったが、本当はプライドが高く高慢で、さらに嫉妬深く執着的という激しい二面性を持っている男だったのだ。


 それ以来、アナスタシアは王宮の一室に監禁されるようになった。


 学校に行くことも許されなくなった。かといって王宮で自由があるわけでもなかった。高級な家具や調度品で飾られた牢獄の中で、アナスタシアは不自由な生活を強いられた。

 

 グルーがいない間は、メイドたちが部屋にやってきて世話をしてくれたが、これがまたひどいメイドたちであった。


 メイドたちは、グルーの婚約者であるアナスタシアに対し、嫌がらせを始めたのである。グルーから与えられた大切なドレスたちは破られ、燃やされたりした。


 食事は与えられなかったり、与えられたとしても料理の中に虫やゴミが入っていて、とても王宮の料理とは言い難いものだった。

 

 お嬢様育ちのアナスタシアが、こんなものを食べて平気なはずはなかった。けれど、市井しせいの隅っこで奴隷として生きるよりはマシだと自分自身に無理やり言い聞かせて、アナスタシアは涙を飲み込んでその残飯のような料理を口に含んだ。


 もちろん、グルーはアナスタシアがなにを訴えても信じてはくれなかった。それどころか、彼の中ではアナスタシアがメイドたちに辛く当たっているなどという話になっていて、アナスタシアはむしろ罰を与えられた。


 そんな日々がしばらく続き、アナスタシアは次第になにも感じなくなっていった。


 あるとき、騎士たちの噂を聞いた。


 男たちが美しいと絶賛して憧れられたアナスタシアを婚約者に迎えて、グルーはとても誇らしく思っているとの話だった。


 グルーは、美しいアナスタシアを自分の所有物にしたかっただけだったのだ。つまりアナスタシアは、ただ彼の見栄のために囲われたのである。

 

 そしてさらに、悲劇は続いた。

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