ふたりが笑った日
坂岡ユウ
わたしが恋する君 - 前編
ふたりは高校が同じで、吹奏楽部で同じパートを担当していた。高校卒業後は特に親交はなかったが、お互いの関係に心残りがあった。
委員長の松田がグループに貼った投票の締切が迫るごとに、二人の焦りは深まった。遥希は相変わらず参加を決めかねていたし、明日菜も遥希の様子を伺っていた。学生時代から遥希のことをよく知る親友、
遥希は内心気が気ではなかったが、投票最終日の夜になって、酒の力を借りながらようやく投票した。遥希は投票後すぐに寝落ちして気付かなかったが、時を同じくして、明日菜も投票を済ませた。普段、明日菜は酒をあまり飲まないが、この日は遥希と同じように、酒を飲んでいた。
翌日、かつてのクラスメイトたちは遥希と明日菜が揃って「参加」に投票したことを話題にしていた。二人はあくまでも隠し通しているつもりだが、親友の颯太や花鈴はもちろん、ほとんどの人が知っている共通の話題だった。共通の友人に相談をしていたこと、二人がなんらかのペアワークで会話を交わすごとに耳を赤くしていたことなど、どんなに鈍感な人でも気付けるようなネタが多すぎたのだ。
だが、当の本人だけは周囲の噂に気付かないまま、飲み会当日がやってきた。
「よう、遥希。元気にしてたか?」
「おう。こっちはあまり変わらない。仕事はきついけど、なんとかな」
駅からの道中で最初に遥希と話したのは、やはり颯太だった。颯太はサッカー部に所属していたバリバリの体育会系で、吹奏楽部の遥希とは住む世界が異なると周囲からは思わがちだが、好きなアイドルがたまたま同じだったこともあって意気投合した。
「そういえばさ、ほら。こいつと付き合ったんだ」
「えっ、ほんとに?」
颯太が遥希に写真を見せる。そこには花鈴とふたりで撮った写真が映っていた。
「気付かなかったの。プロフも集合写真なのに」
学生時代と変わらないボソッとした話し方で、花鈴が颯太の腕を組む。
遥希はふたりの姿を見て、内心「羨ましい」と感じていた。彼にとって、学生時代からの恋情を成就させた二人の存在は憧れそのものだったからだ。
「俺は結局合コン三昧でさ」
「仕事、仕事で、プライベートなんかないよ」
「クラスで人気者だったあの子は結婚したんだっけ?」
「知らない。インスタも繋がってないし、連絡先も持ってないから、わかんない」
颯太と花鈴の様子を見たクラスメイトたちが、次々と口にする言葉。遥希たちの後ろを部活時代の仲間と歩く明日菜は、あの頃と同じように、やはり唇を噛んで黙り込むしかなかった。
「ちなみに、明日菜はどうなの?」
クラスメイトのふたりが、明日菜に質問する。明日菜はしばらく悩んだ後、こう返してみた。
「私に恋人がいるって知ったら、みんな驚くでしょ?」
明日菜の答えに、クラスメイトたちはニヤついた。学生時代は「楽器を吹くのに邪魔だから」と短く切り揃えていた髪を伸ばした今の明日菜は、ほとんどの男子にとって恋愛対象に変わっていた。そんな明日菜がおそらく恋をしていたであろう遥希と見比べながら、クラスメイトたちは撮るに足らない近況報告を続けていた。
こうして、遥希と明日菜たちの一行は、委員長が予約した居酒屋に到着した。
「それでは、これから先のみんなの幸せを願って、乾杯!」
「乾杯!」
机の上には山のように置かれたおつまみと、お酒たち。委員長が選んだ店は、地元では「いつもの」と呼ばれるほどの人気店だった。
遥希と明日菜は隣同士や向かい同士にはなれず、学生時代に仲の良かったグループに挟まれる形になった。遥希は枝豆を頬張りながらも明日菜の様子を伺い、明日菜も仲間の「あの作曲家の曲が難しかった」だとか「部長が失恋したらしい」といった話を聞きつつも、遥希の様子を伺っていた。だが、二人ともあまり酒に強い方ではなく、すぐに頬を赤らめてしまった。
「おい、遥希。もう顔が赤いぞ。酒、弱いのか?」
「明日菜もめっちゃ弱いんだ。カシスオレンジで酔うなんて」
日本酒まで入り、すっかり出来上がった颯太と花鈴がふたりを揶揄う。人が良い委員長は二人をたしなめるが、次第に委員長もハイボールをおかわりしているうちについスイッチが入ってしまった。
「颯太も花鈴も羨ましいな。尾関さんも、守屋さんも、大沼さんや増本さんまで……」
クラスメイトたちは、学生時代はとにかく真面目な印象だった委員長がここまで酔い潰れている姿にドン引きするしかなかった。
そんなこんなで、何度目かの料理がやってきた後、なんとなく席を変えてみようかということになり、ついに遥希と明日菜は隣同士になった。というより、クラスメイトがそうさせたのだ。
遥希も明日菜も、最初は簡単な世間話を交わすだけだった。二人とも、大いに緊張していたのもある。
お調子者の森田と田村が様子を伺うが、遥希は枝豆を食べるばかりで一向に本題に入ろうとしないし、明日菜は飲み過ぎで顔をどんどん赤くする始末で、ついには寝ぼけているような仕草を見せ始めた。
「おいおい、これはまずいぞ」
「せっかく呼んだのに、主役が寝たら企画倒れじゃんか」
森田の一言に声を反応したのは、高校時代はフォークソング部でいつも教室にギターを持ち込んでいた井上だった。井上はあの頃と変わらない軽い調子で、明日菜に話しかけた。
「明日菜ちゃん。最近どうよ?」
しかし、明日菜は反応せず、井上に寄り掛かってしまった。遥希はかろうじて意識を保っていたが、明日菜と井上の戯れを見ても枝豆を摘むばかりで、止めようとはしなかった。
井上はなんとか明日菜を引き剥がし、遥希の方へ身柄を引き渡そうとした。
「湯浅くん、明日菜を頼むよ」
「え、困るよ。井上さんが面倒を見るって言ったよね?」
「そんなこと言ってない。とにかく、遥希、パス」
遥希はしぶしぶ明日菜を椅子に座らせた。明日菜はすでに酒で酔い潰れた状態だが、委員長やクラスのお調子者たちのように、他の誰かに迷惑をかけるようなタイプではなかったのが救いだった。
飲み会がひと段落してきた頃、明日菜は自らがすっかり酔い潰れてしまったことを自覚した。そして、隣に遥希がなんともいえない顔で佇んでおり、ずっと介抱してくれていたことを察する。
明日菜は遥希の背中をそっと叩き、ウーロン茶とピーナツを交互に流し込んでいた彼の意識を向けさせた。
「明日菜、やっと起きたか」
「いろいろ、ほんとにごめん。ありがとね」
「別にいいんだよ。でも、めっちゃ気持ちよさそうに眠ってた」
「もう。恥ずかしいじゃん」
ようやく始まった遥希と明日菜のやり取りを、クラスメイトたちは固唾を呑んで見守っていた。遥希は居心地が悪そうにしていたが、まだ明日菜が寝ぼけていたこともあり、そこを動こうとはしなかった。
遥希は明日菜に水の入ったグラスを渡した。
明日菜はまだ寝ぼけていたが、とりあえず水を口に含み、深く息を吸った。
「いつも、私は遥希に助けてもらってたよね」
「急に何を言い出すんだ?」
「高校に入学したばかりの頃、道がわからなかった時に助けてもらった。吹奏楽部に入ってからも、他の人よりも上達が遅い私をずっと庇ってくれた。ペアワークもそう。誰にも話しかけられない私を、いつも迎え入れてくれてたよね」
明日菜は慎重に言葉を選びつつも、ゆっくりと話していった。
しかし、遥希はまだ明日菜が急に思い詰めたような表情で話し始めたことに、理解が及んでいない様子だった。
「困っている人には手を差し伸べるのが当たり前じゃないかな」
「でも、そんな、ね。そんな遥希を見ているとね……」
ついに、明日菜は言葉を紡げなくなってしまった。遥希は状況が飲み込めないまま、未だにぽかんとしている。
そんな二人を見ていたクラスメイトは、静かに頭を抱えていた。あまりにもつれない様子の遥希に対して、クラスメイトたちと盛り上がっていた颯太は、助け舟を出すために席を立とうとした。だが、それを花鈴は制した。
「どうして、止めるんだよ」
「ここは湯浅くんが頑張らないと意味がないよ」
「でも……」
花鈴は颯太を強い視線で引き留めた。颯太は恋人の気迫に押され、再び元の席に座るしかなかった。
だが、次に言葉を発したのは、意外にも遥希だった。
「ゆっくりでいいよ。明日菜のペースで話して。ゆっくりでいい」
遥希のそんな様子を見た花鈴は、颯太の方を見ながら頷いた。
明日菜に声をかけた遥希の様子は、とても穏やかに見えた。それと同時に、なにかを決意したかのように、右手の拳を強く握っていた。
「高校時代も、これまでも、遥希と一緒にいるだけで、私は素直になれる。それと同時に、なにかをしようとしなくったって、自然に笑顔になっている私がいるんだ。ねえ、遥希。こっちを見て」
これまで、明日菜は時折下を向きながら話していたが、ここでまっすぐ目を合わせた。
遥希もそれに応え、しっかり明日菜の方を見つめた。
「みんながいる場でこういう話をするのは正直恥ずかしい。でも、ここで言わなきゃ、一生言わずに後悔しながら、いつかアパートのベランダで
明日菜は再び、深く息を吸った。
「私、遥希のことが好き。好きで、好きで、たまらない」
告白を受け、遥希は一瞬目をつぶった。だが、すぐに明日菜の方を向き直して口を開いた。
「僕も、あの頃は言えなかった。ずっと言えなくて、悲しくて、切なくて、やりきれなくて、今日まで来てしまった。でも、僕も明日菜と同じ気持ちなんだとわかってから、ようやく素直になれた。僕でよければ、一緒に育てさせてください」
遥希が明日菜にそっと微笑んだ瞬間、明日菜はあまりの嬉しさに遥希を抱きしめていた。
「おめでとうございますー!!」
ふたりが抱き合った時、井上がついつい大声で祝福した。
それと同時に、ふたりの様子を見守っていたクラスメイトたちがわっと沸いた。特に、高校時代から恋愛相談を受けていた颯太と花鈴は、ふたりが勇気を出して想いを伝え合ったことに涙を浮かべながら拍手していた。
「おい、颯太。これは一体どういうことなんだよ」
いきなりの騒ぎに沸き始める店内に、遥希は戸惑いを隠せない。明日菜は遥希が恥ずかしがっているのを傍目に、ずっと遥希を抱きしめ続けていた。
だが、遥希が恥ずかしさに気を取られているのに気付いた明日菜は、ぎゅっと遥希の首を掴み、目を合わせさせた。
「遥希。私のことだけ、見ててよ」
「みんな見てるし、こういうことは家でしない?」
「今日くらい、いいじゃん。付き合い始めたばかりだから」
この一言に完全に理性を失った遥希は、明日菜に完全に身を委ねた。もはや、ふたりは周りのことなんて何も見えてはいなかった。クラスメイトはふたりの告白に赤面するばかりだったが、他人の視線なんて今はどうでもいいようだった。
明日菜はみんなが見ていないふりを見計らって、遥希とファースト・キスまで済ませてしまった。
遥希の変貌ぶりに驚いた颯太は、花鈴にこんな言葉を残した。
「俺、あいつがこんなに変わるなんて思ってなかった」
花鈴は颯太の言葉を「待ってました!」とばかりにこう投げ返して見せた。
「あんたもそうだったよ。颯太くん」
「いや、違う。俺に限っては、そんなことは断じてない!」
「付き合う前までは格好良い人だと思ってたのに、付き合ってからはあんな冗談とか、こんな失敗とか……」
「おい、もういいよ!」
颯太の大声に、クラスメイトたちは爆笑した。結局、のちに颯太の生態系はクラスの女子にバレてしまうことになるが、それはまた別の話。
「みなさーん。じゃあ、そろそろ会計しましょうか!」
クラスが盛り上がっている中で、いきなりやってきた委員長の大声。
高校時代の聡明さは過去のもの。すっかりイメージが変わってしまった委員長の一声をきっかけに、同窓会は幕を閉じた。
予想よりも高くなった会費に慄きつつも、ひとまず支払いを済ませ、店を出た御一行。
遥希は明日菜と手を繋いだまま、颯太はクラスメイトと戯れ合う花鈴を笑顔で見守っていた。
クラスメイトたちの多くは行きと変わらない様子で、人によっては二次会で夜の街に消え、途中のマンションに帰宅する者もいた。一部は酔い潰れて覚束ない人もいたが、そういった人たちは、だいたいラグビー部やアメフト部の連中が介抱している。
最寄駅でさらに二手に分かれた後、今日の飲み会は正式に解散となった。
クラスメイトたちが乗る普通電車は、無事、定刻通りに駅を後にした。
この時、明日菜は繋いだ手を離し、クラスメイトに大きく手を振った。遥希は恋人の後ろ姿を穏やかな目で見つめていた。
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