後ろに立つ者
森本 晃次
第1話 第1章
表に出ると、まだ寒さが残る夜の街は、閑散としていた。風が吹き付けるビルの谷間に飛び出してみると、さっきまで暖房の入った事務所にいたと思っていたのが、かなり前だったように思えるほどの気温差だった。
ただ、もう一度あの部屋に戻ろうとは思わない。仕事を一段落させるために、集中していた部屋では、すでに暑さ寒さの感覚はマヒしていて、事務所というものが、どれほど集中力を高めることができるものかと、表に出ることで再認識するのだった。
石田信義は、仕事に限らず、部屋に関しては特別な感情を持っていた。
部屋というものは、ただ密閉された空間というだけではない。密閉された空間に、時間の感覚が加味されることで、思ったより時間を長く感じたり、逆に短く感じたりするものだった。
会社のオフィスでもそうだ。集中している時は、どんなに長い時間だと思ってもあっという間に時間が過ぎている。特に残業になった時の、夕方六時以降などは、ほとんど時間の感覚がなくなってしまうほどだった。
ただ、逆に自分の部屋にいると、時間が長く感じられることが多い。部屋にいる時は、ほとんど何も考えないようにしているわりには、気が付けば何かを考えていることが結構ある。そんな時、
――なかなか時間が過ぎてくれない――
と感じてしまうことが多いのだ。
逆に自分の部屋にいる時でも、あっという間に時間が過ぎたと思う時があった。漠然とテレビを見ている時などがそうで、テレビを見ていると言っても、テレビがついていて、目で追いかけているというだけのことだった。何かを考えているつもりではいるのに、気が付くと、何も覚えていないのだ。
――何も考えていなかったんだ――
と思うと、時間があっという間だったと感じる。
それは何も考えていなかったと思わなければ感じることのないもので、少しでも何かを考えていたと思う時は、あっという間だったという感覚はない。ただ、あっという間だというのは、普段がなかなか時間が過ぎてくれないという思いがあるために、余計短く感じてしまうものなのかも知れない。
前の日までもずっと遅くまで仕事をしていたので、家に帰れば、シャワーを浴びて寝るだけという毎日だった。そんな日には時間の感覚など感じる暇もなく、
――時間に追われている――
という思いが働くだけだった。
若い頃は、どんなに仕事で遅くなったとしても、家に帰って寝る前に読書をする余裕があった。一時間ほどであるが、本を読んでいるうちに襲ってくる睡魔に逆らわずに眠りに就くことが、心地よさでもあったのだ。
それをいつ頃から忘れてしまったのだろう?
今では読書どころか、シャワーも億劫だ。着替えすらせずに、ベッドにグッタリとして、そのまま眠ってしまうことも多くなった。
――年齢には勝てないのかな?
今年四十五歳になる信義は、四十歳を超えたあたりから、それまでとは明らかに体調に変化が表れたことに気が付いた。
仕事に対しては相変わらず、オフィスの中で時間を感じさせない。表に出ている時の方が、細かい時間を刻んで行動できる。車の運転をするので、
――どの時間、どの道を通ると混まないか――
などということも計算に入れて行動している。営業という仕事をしているのだから、それくらい当然ではないかと思っていたが、今の若い連中は、細かいことは気にしないようだ。
とは言っているが、自分が若い頃も同じだったような気がする。先輩社員は、
「お前たちはいい加減だ」
と、いつも苦言を呈していたが、それでも営業成績が悪くなければ、それ以上文句を言われることはない。
もうすぐ年度末を迎えるが、それまでに済ませておかなければいけない仕事だっただけに、一段落したことは、感無量の気持ちであった。
若い連中は連れだって祝杯を挙げると言って、賑やかに会社を後にしたが、管理職関係は、少し仕事を整理してから、後は個人個人、帰って行った。
まだ部長は仕事をしているようだったが、
「お先に失礼します」
と言って、信義は会社を後にした。
昨日までは、少し暖かかった。
――春がすぐそこまで来ているんだな――
と感じたが、今日は吹いてくる風の強さのせいか、
――まだ寒さが残っていたようだな――
と、感じさせられた。
それでも仕事を終えた満足感から、それほど辛いとは感じない。しかし、最近まで仕事が一段落していない間は、体感に関してはマヒしていたように思っていたので、風を感じることは、悪いことではなかった。むしろ、頭を冷やすにはちょうどいいのだ。
このまま駅まで行けば、最終電車には間に合うはずだ。
しかし、その日は、最終電車の混雑の中に身を投じる気がしなかった。仕事が一段落したことで、明日は休暇をもらったことも手伝ってか、普段しないことをしてみたいと思うようになっていたのかも知れない。
かと言って、どこに行こうという当てはない。眠くなれば、駅前のネットカフェでもいいだろうし、ビジネスホテルに泊まるのも悪くないと思っていた。
ビジネスホテルへは、今までに何度か宿泊していた。
やはり仕事で遅くなり、最終電車に間に合わない時、事務所で仮眠する気にもなれないことがあった時など、ビジネスホテルに泊まることがあった。
ビジネスホテルは、さほど広いとは思わない。ただ寝るだけなのに、家に帰ることを思えば、何となくワクワクした気分になるのはなぜであろうか。
フロントでチェックインするまでが、ワクワクした気分である。部屋に入ってしまうと、そこから先は寝るだけだという感覚に戻ってしまう。なぜワクワクするのか、自分でも分からないままなのが不思議だった。
朝食は、パン、コーヒー、ゆで卵のバイキング形式の朝食だ。大したことないものなのに、またワクワクしてしまう。新聞を読みながら朝食を摂っていると、落ち着いた気分になるのだった。
もっとも、普段は朝食を摂ることはない。それもあるからなのかも知れないが、ほとんど出張のない仕事なので、出張に行ったような気分になれることが、新鮮な気持ちにさせてくれるのかも知れないと思った。
その日は、ビジネスホテルの予約をすることもなく、とりあえず、駅前まで行ってみた。
やはり思った通り、駅に向かう人を見ていると、皆最終電車に乗るつもりのようだ。当然のことながら、満員電車となるだろう。
彼らの横顔を見ていると、
――俺も、あんな顔をしていつも電車に乗っていたのかな?
と思うと、複雑な気持ちだった。
自分では、そんなつもりはないのに、改めて第三者の目で見ると、まったく違った印象を与えられることがある。それを思うと、信義は今日最終電車に乗らない気持ちになったのが正解だったように思えたのだ。
――たまに、第三者のような目で見るのもいいものだ――
それが気持ちの余裕から来ているものだと思っていたが、
――本当にそうなのか?
という思いがあったことも拭いきれない。
その日は水曜日で、まだ週の半ばである。週の半ばというと、電車もそれほど多くないという感覚だったが、こんなにたくさんの人が駅に向かっていると思うと、不思議な気がした。やはり普段とは違う目が働いているのかも知れない。
週の半ばというと、本当は一番疲れが溜まりやすい時だった。
帰り着くまでは気が張っているので、さほど意識はないが、辛いのは木曜日の朝だった。目が覚めているのに、起きるのが億劫なのだ。そんな時、
――本当に目が覚めているのかな?
と感じさせられる。
目が覚めるということがどういうことなのかを考えさせられる。
身体を起こして、動けるようになるまでは、まだ寝ていると考えるべきなのか、それとも、意識の中で、
――目を覚ました――
と感じた瞬間から目を覚ましたと見るべきなのかを考えていた。
もし、前者であるならば、木曜日は目を覚ましていないことになる。惰性で身体を動かして、実際に目が覚めるのは、部屋を出てからになることも少なくないかも知れない。
――何が身体を突き動かすのだろう?
と考えるが、突き動かすというよりも、やはり惰性と、毎日の習慣が身体に沁みついていて、動かすのではなく、
――動かされている――
と考えると理屈には合う。
しかし、この理屈はサラリーマンの悲哀を感じさせるようで、本当はありがたくないと感じていたのだ。
その日は、駅までは行ってみたが、電車に乗る気は最初からなかったように思えた。人の多さに、最初は帰るつもりだったのが決意が鈍ってしまったのだと思ったが、どうもそうではないようだ。
一つはお腹が減っていたのもあった。
ファーストフードもいいが、ファミレスも悪くない。駅前の通りには、二十四時間営業のファミレスがあった。深夜というのに学生が多い。うるさい連中もいるかと思い、食事をしたらすぐに出るつもりで中に入った。
想像した通り、まだ学生が結構いた。しかし、日付が変わる前にほとんどの人が帰って行き、人はまばらになった。
――これならいいかな?
信義はそう思い、前の日に買っておいた文庫本をカバンから出して、読み始めた。
注文したものが来るまでのしばしの間だけだったが、何もしないで待っていると、なかなか時間が過ぎてくれないのに対し、本を読んでいると、あっという間に過ぎる気がした。しかも、お腹が減っていると言っても、中途半端な空き具合であった。読書をしていれば、なぜか腹が減ってくる。時間があっという間だということに何か関係があるのかも知れない。
関係があるとすれば、集中していると、他を意識することがない。自然と空腹に導いてくれるというよりも、自然な状態に戻してくれるという感覚になるのかも知れない。そう思うと、少しカバンが嵩張ったとしても、気にすることはなかった。
――さっき感じたオフィスで感じる時間と似たようなものだ――
と思うと、一旦考えることを中断しても、結局一つの考えに立ち返ってしまうことになるようだ、それは一本の線で結ばれているからだとも思うが、それよりも、堂々巡りを繰り返していることで、見えなかったまわりが見えてくるのではないかという考えに繋がっていくことになると感じていた。
普段であれば、コンビニ弁当を買って、その場で温めてもらって、コンビニで食べる。家に帰ってからテレビを付けたとしても、見ているかどうか、その時の気分次第だった。テレビに集中しているつもりでも、違うことを考えていることが多い。ハッとして気が付けば、テレビをつけていたことすら忘れてしまって、その場で寝ていることも少なくなかった。
もっとも、ここ数日は前述したように、シャワーを浴びて寝るだけだったが、気が付けば、テレビがついていることもあった。
昔のように、
――画面が砂あらしになっていた――
などということはない。今は深夜でも放送をやっている。そういう意味でも、昔の表現が、今や死後になっていることもしばしばあるから、発見すると面白い。
注文したのはハンバーグセット。ハンバーグの横に突き出しで、サラダが乗っている。赤いトマトが印象的だが、さすがメニュー写真に比べて、相当に小さい。ハンバーグも一回り小さかったが、深夜なので、これくらいでちょうどいいと思い、嫌な顔をすることもなかった。
露骨に写真と違えば、信義は嫌な顔をする。ウエイターもなるべく関わりたくないという思いから、なるべく目を合わさないようにしているが、それを見るとさらに追い打ちを掛けたように、さらに嫌な顔をする。本当は、さほど怒っていないのにである。
あまり怒っていないつもりでも、嫌な顔をすると、怒っているつもりになってくる。
「失礼しました」
と言いたげに、声に発することなく、ただ、頭を下げる人に対しては、それ以上何もしないが、あからさまに目線を逸らす人、さらには顔だけ背けて、目線はこちらに残っている、いかにも臆病な店員には、腹が立つ。
またしても、睨みを利かせると、今度は逃げるように、帰っていく。
――早く帰ってくれないかな?
と思っていることだろう。
バックに下がった店員をさらに目で追う。距離が離れたことで安心するのか、幾分か冷静さを取り戻した店員は、客席に目を通しながら、それまでの業務に戻るのだった。
ここまでくれば、信義の、
――店員いびり――
も終了だ。別に店員をいびったことで、信義に利点があるわけでもない。しいて言えば、単なるストレス解消に過ぎないだけだ。店員にすればいい迷惑だが、信義には、そんな「遊び心」が、心の中に存在するのだった。
それでもお腹は空いていた。最初の一口二口は、おいしかった。食べていくうちに口の中で味が慣れてきたのか、口よりも、先に腹が膨れてきた。やはり、ファミレスの味ということか、次第に食べるのも億劫になっていき、半分ほど食べて、その後は、ドリンクバーでコーヒーを飲むことにした。
深夜に食事を摂る時は、満腹になるようなことはしない。特にそのまま起きている場合は、満腹になってしまうと、後はお腹がもたれてしまうのが分かっているからだ。きっと眠くなっても起きていようという意志が働くからではないかと思うのだが、それ以上にドリンクバーを使って飲むコーヒーが思ったよりもお腹に満腹感を誘うからなのかも知れない。
食事に集中しているからなのか、まわりを気にしていなかったが、さっきよりも、学生の数はさらに減っていて、席を埋めている客も疎らになっていた。
店に入ってから、まだ二十分ほどしか経っていないのに、まるで潮が引くように、学生たちは帰っていった。それは集団で来ていたことを意味していたのだが、帰っていくのを横目に見ながら、ホッとした気分になっていた自分を感じている。
それよりも、最初は気付かなかったのだが、目の前のテーブルに、一人の女の子が座ってコーヒーを飲みながら、文庫本に目を落としていた。
集中しているように見えていたが、チラチラと顔を上げて、信義の方を見ている。信義も最初から気付いていたわけではないので、気付いた時、少しビックリした。
女の子は、ショートカットで、少しボーイッシュな感じに見えるので、視線が合うと、睨まれているようにさえ思うほどの視線の鋭さを感じた。ボーイッシュな女の子には、活発な雰囲気が滲み出ているように思っていたが、彼女にも同じ雰囲気を感じるのだった。
時々、笑顔になりそうなのだが、ハッキリとした笑顔ではない。それははにかんでいる雰囲気も感じさせるが、そのわりに視線を逸らすことがないのは、やはり信義を意識しているからであろうか。
信義と、その女の子との距離は見つめ合うには、少し遠い感じだったが、相手にはちょうどよかったのかも知れない。信義の視線を意識したのか、次第に笑顔がリアルに感じられるようになった。
ここまで来れば、信義も気が楽になったというか、気が大きくなってきたようだ。大胆になってくると、ついつい声を掛けてみたくなるものだ。
今までにも何度か、こういうシチュエーションで女性に声を掛けたことはあったが、それもかなり昔のことだった。四十五歳という年齢になるまで結婚もしなかったのは、
「仕事が忙しくて、出会いがなかったから」
という言い訳をしていたが、半分は本当で、半分は嘘である。
仕事が忙しかったのも、出会いがなかったのも本当ではあるが、出会いがなかったのは、仕事が忙しかったからだという理由にはなっていない。出会おうと思えば出会えないことはなかったのだが、その機会を今から思えば、ことごとく逃してきただけなのだ。
一つには、自分が女性に対して鈍感だったからなのかも知れない。相手が好感を持っていてくれているのに気付かなかったこともあったようで、今から思えばもったいなかった気がする。
もう一つは、気付いていても、相手に声を掛けることができなかったということだ。そのどちらにも言えることは、自分に対して自信が持てなかったということだろう。最初はそれを、
――嫌われたらどうしよう――
という気持ちになっていたのだと思っていたが、その先にある自分に自信がないということに気付かなかったのだ。
それも年齢とともに分かってくるから面白いものだ。気が付けば、すでに中年を過ぎている。今さら女の子に声を掛けて、簡単に仲良くなることなどできるはずもないと思っていた。
――お金目当てだったら嫌だな――
お金がもったいないという気持ちよりも、その時はよくても、
――後になって寂しい思いをするだけだ――
と思うと、無性に虚しくなる自分を感じていた。
「仕事が忙しいから」
という言い訳は、自分に自信が持てないことを隠そうとしているだけなのだが、聞いた人には、言い訳であることは一目瞭然だったに違いない。
だが、その日はどうしたことだろう。信義は目の前にいる女の子が次第に気になり始めた。自分に自信のない時は、相手から見つめられても自分から視線を切っていたが、今日はそんなことがない。見つめられて微笑まれたら、自然と笑みを返すことができる。
――彼女もそれを待っているのだ――
と、勝手な思いも、間違いではないと思えてくる。
三十歳代の頃までは、出会いを期待して毎日を過ごしていたが、四十歳になると、あまり出会いを期待しないようになった。それは仕事が忙しいという理由とは関係ない。年齢的なものだったのだ。
それでも、四十五歳になった最近は、また出会いを期待するようになってきた。それは三十代までの頃の期待とはまた少しイメージが違っている。三十歳代までの頃は、
――何とか、機会を逃さずにモノにしたい――
という気持ちが先行していたが、今は、
――出会いがあれば、それに越したことはない――
と、一歩下がった気分で出会いを期待するようになった。
期待はしているが、願望が強いわけではない。それだけ余裕があるというべきなのだろうか。
ただ、最近は妄想が強くなってきていることも感じる。
しかも出会う相手は、まるで娘のような年齢の女の子であった。これは妄想以外の何物でもないだろう。
気持ちに余裕が出てくると、妄想するというのもおかしなものだと思ったが、妄想が悪いことだとは、最近思わなくなってきた。年齢的にも充実してくる頃だと思われているかも知れないが、決してそうでもない。結婚していれば、家庭の問題がのしかかってくる。会社で仕事をしていて、この年齢になると、中間管理職という辛い立場になってきているのと、同じようなものではないかと思っている。
家でも会社でも、まわりからの板挟みに遭うのは勘弁してほしいと思っているだけに、寂しさを代償に板挟みから逃れられるのは、悪いことではないと思っていた。
だが、最近は寂しさの方が少し身に沁みてきた。気持ちの余裕とは別のところで寂しさを感じているのだろう。
――独身は気が楽でいい――
と思っている反面の寂しさ。裏返しであることに違いはない。これからの人生、板挟みと寂しさの間を天秤に掛けながら、その時々の心境が変わっていくのではないかと思うと、――まだまだ若い時の気持ちを忘れてはいけないんだ――
という思いになってこないといけないと感じていた。
仕事が一段落した今日という日は、間違いなく充実感と安堵感に満ちていた。気持ちに余裕があるのも間違いない。
ただ、その中で、寂しさがこみ上げてきているのも事実だ。それは最初から分かっていたことなのかも知れない。
――昨日までは、仕事が忙しくて、寂しさを感じる余裕なんかなかった――
と思っていた。
しかし、そんな中でも、
――仕事が一段落すれば、気持ちに余裕も出てくるはずだ。だが、それと同時に寂しさもこみ上げてくるんだろうな――
という覚悟もしていた。だから、今日は仕事が終わって、いつもの一人の部屋に帰ることを拒んだのだ。
いつもの一人の部屋は、その日の仕事が終わって、翌日の仕事への活力を見出すための部屋だという感覚がある。そのため、帰ってから、翌日は落ち着いて仕事ができることで何か違う心境になるのを嫌った。要するに拍子抜けした状態で、いつもの部屋にいることになるからだった。
今まではそれでもよかった。特に三十歳くらいまでは問題なかったのだが、四十歳を超えると、毎日の張りのある生活から、一段落して急に落ち着いた気分になった時の気持ちの切り替えがうまく行かなくなってきたことに気付いていた。
それは、中間管理職としての悲哀もあるのかも知れないが、しばらくの間、出会いを期待しなくなった普段の自分が、毎日の生活に張りを感じなくなったことへの思いもあったに違いない。だから、仕事が一段落すると、まっすぐ自分の部屋に帰りたくないという思いに駆られるようになったのだ。
一人でカラオケに入ったこともあった。朝までカラオケを歌い続けたのだが、翌日の仕事にモロに影響したことで、さすがに次回からはできないと思った。
――やっぱり年齢には勝てないか――
という同じ理由で、深夜スナックも考えどころだった。
元々、あまりアルコールは強くない方だ。スナックで飲んで、ビジネスホテルに泊まったこともあったが、元々広くないシングルのビジネスホテルの部屋が、さらに狭く感じられ、圧迫感から、なぜか、寂しさがこみ上げてきた。
――寂しさというのは、どんなシチュエーションからでも感じられるようにできているんだな――
と、感心したほどだった。
彼女は、信義のことを気にしながら本を読んでいたが、彼女への「出会いの予感」はS台に増してくる。信義は、文庫本をまわりに分かるようにわざと大きな音を立てて閉じると、それに気付いた彼女は、少し怯えた様子を見せたのだった……。
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