*⋆꒰ঌ┈ 7月21日:真実 ┈໒꒱⋆*
いつもよりも少し早めに起きた。そして、いつもの場所に腰を下ろして、アイツが来るのを待っている。もちろん、来るという保証はどこにもないけれど、僕は来ると信じている。
五羽のスズメが、いつものように草むらでかくれんぼをしている。でも今日は、それを眺めている気にはちっともなれない。
――ちゅんっ!
スズメがいっせいに飛び立った。
「……来た!」
僕は、目をこらした。
例の黒猫は、茂みのかげからゆっくり出てくると、昨日と同じように僕のいる窓の下までやってきて、スッと腰を下ろし、お腹の毛づくろいを始めた。
僕は窓の下にいる黒猫におそるおそる声をかけた。
「ねぇ、昨日のことだけど……。」
幸せとは何だろうとか、自分は幸せなのだろうかとか、色んなことが頭の中をグルグル回っているけれど、それよりも気になっていることがある。
「ねえ、どうして君は、僕に『幸せか』なんて聞いたの?」
すると、毛づくろい中の黒猫は、顔を上げて金色の目を僕に向けた。
「つまらないんじゃないかと思っただけだ。」
刺さるような眼差し。
刺さるような言葉。
この猫は、何かが違う。
「つまらない? 僕が?」
「お前以外に誰がいるんだ。」
窓の下の黒猫は、右手の手入れをしながらあきれたように言った。
「何でそう思うの?」
わき上がった疑問を黒猫にまっすぐぶつけてみたのだけれど、心の奥のどこかで答えを聞くことを恐れていた。
「お前が本当につまらないと思っているのかどうかは知らないけどな、俺みたいな野良には、お前みたいな『飼い猫』は、つまらなそうに見えるんだよ。」
「ちょっと待って。今、何て言った? お前みたいな『飼い猫』?」
この黒猫は、いったい、何を言ってるんだろう?
「何言ってるの? 僕は……、」
「『人間だよ』って、言いたいのか?」
黒猫は、より鋭い視線を僕に向けた。
「これだから『飼い猫』ってイヤなんだよ。自分を人間だと思っている奴が本当に多い。お前も例外じゃなかったんだな。」
僕は黒猫の言葉の意味がまったく理解できなかった。混乱しすぎて、頭の中はすっかりまっ白になった。
「ぼ、僕が猫? 僕は……、僕は……、」
「……自覚しろよ。」
窓の外の黒猫が、ため息まじりに言った。
「じゃあ聞くが、お前、自分の家族と姿が違うって思ったことはないのか?」
言葉につまった。事実だ。僕は、何度か自分の姿を鏡で見ている。そのとき、どうして家族と姿が違うのだろうと思ったけれど、それほど深く考えなかった。
「それは……、あるよ。でも、それがどうしたの? お父さんもお母さんも、ちょっと意地悪だけどお姉ちゃんだって、みんな僕の家族だよ。」
「あのな。お前の家族の話をしているんじゃなくて、お前自身の話をしてるんだ。いいか、お前は『猫』だ。お前が大嫌いだという『猫』そのものなんだよ。」
僕は、言葉を失った。
だけど、審判のような目をした外の世界を生きる黒猫は、うろたえる僕に畳みかけるように容赦なく言葉を続けた。
「姿形はもちろんだが、決定的な事実がある。もし本当にお前が人間なら、どうして俺と話ができる? 人間っていうのは、猫の言葉を理解できないんだ。俺ら人間以外の生きものは人間の言葉を理解できるけれど、人間には人間以外の生きものの言葉は理解できない。俺が窓の外にいてもお前と話ができるのは、心が繋がっているからだ。……そうだろ?」
悔しいけれど、コイツの言う通りだ。
僕が必死に訴えても、家族に解ってもらえなかったことが、今までに何度もあった。それなのに、しっかりと閉まった窓の外にいるあの黒猫とは、こんなにたくさん話ができる。どうしてそれを、今まで不思議に思わなかったのだろう。
……ううん、不思議に思いたくなかったんだ。
「話の続きは、明日にするか。それまでには、ちゃんと、自覚しておくんだな。」
外の世界の黒猫は、立ち上がると僕にくるりと背を向け、歩き始めた。
「あのっ! 僕の名前は『健太』。君は?」
「俺の名前は……、」
「『クロ』! クロだよね?」
黒猫は立ち止まって振り返り、金色の瞳を僕に向けた。その瞳が、なぜか不安定に揺れた。
「お前の家族が俺をそう呼んでいる。お前も、好きに呼ぶといい。」
クロは、ちょっと笑って、そう言った。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
「じゃあお前さんは、その日初めて、自分が猫だって知ったわけか?」
近くの電線で翼を休めている黒い友は、背伸びでもするかのように光沢のある翼をぐっと広げると、ゆっくりたたんだ。
「まぁ、そうだね。ずいぶんと時間がかったものだ。」
「オレは、そのクロっていう猫と同じように、いわゆる野良だからな。人間に飼われているお前さんの気持ちは想像できないな。」
「それでいいさ。でも君は、『野良』より『野生』という言葉のほうが正しいんじゃないかな?」
「……何が違うんだ?」
翼を持つ私の若い友は、首をかしげてフッと笑った。
「まあいいか。その後はどうなったんだ?」
私は、記憶をたどりながら物語を続けた。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
僕の頭の中は、クロが言ったあの言葉で一杯だった。
「僕は、猫、だった。」
鏡の前でつぶやいた。
「僕は……、猫。」
僕が猫だとしたら、僕の両親は本当の両親ではないことになる。
そもそも、僕が猫だとしたら僕の両親も猫だということになる。
そんなの嫌だ!
「健太ったら、こんな所にいたんだね。探したよ。」
背後からお姉ちゃんの明るい声が聞こえ、僕は振り向いた。
「おかえり、お姉ちゃん。」
「ただいま、健太。」
ほら、ちゃんと言葉が通じているじゃないか。
クロは間違ってる。
僕は安心して、心の中でにっこり笑った。
「お姉ちゃん、僕の言葉、解るよね? クロが言ったのは嘘だよね?」
僕は、声に出して言ってみた。
でもお姉ちゃんは、にこにこ頭をなでるだけだった。
「どうしたの? 今日は何だかよく鳴くね。おやつ食べたいのかな?」
伝わってない……。やっぱり、伝わらないんだ……。
僕は、とても悲しくなった。お姉ちゃんに僕の言葉が伝わらない。僕はクロの言う通り、猫なのだろうか。
――自覚しろよ。
クロの言葉が頭の中をかけめぐっていた。
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