「生まれ変わり」と「生き直し」

森本 晃次

第1話 萩への旅

 平成二十六年になってしばらくして、季節は冬から春に変わりかけていた。朝晩はまだまだ寒く、日中も暖かい日もあれば急に寒くなったりもする。この季節によくみられる気候だった。

 そんな二月から三月にかけて、

「毎年のことなのだが、この時期にはいつも一抹の寂しさを感じるな」

 と思っている男性がいた。

 昨年に大学を卒業し、就職した会社でもいよいよ一年目を終えようとしていた。長いようで短かったこの一年。大学時代の一年間とはまったく異質のものだったことを実感していた。

 だが、季節の節目において感じる思いは、大学時代も会社に入ってからも変わっていない。夏の終わりから秋にかけては寂しさを感じるし、冬になると体の動きは鈍る分、気持ちは表に出ているような気がしていた。年末年始にかけての慌ただしい期間も、気が付けば終わっていたと思いながらも、その時々に感じた思いが新鮮だったと思うこともあり、過ぎてしまえばあっという間だったような気がするのだった。

 彼は名前を田島修平と言った。地元でも中小の金融機関会社に勤めていた。同期入社も何人かいたが、辞めたという話は聞かない。修平は営業ではなく事務職だった。月のうち、忙しい時期もあるが、ある程度決まっているので、リズムを崩すようなことはなかった。営業の中には、不規則な勤務時間に体調を崩したり、ストレスを抱えたりして、辞めていく人も多いというが、事務職の中でも同じようにストレスを抱えて辞めていく人も少なくはない。一年目の修平にはまだ知らないこともたくさんあるということなのだろう。

 一年目を終えようとする修平も、今までは一番後輩たったことで大目に見られていることも多かったが、四月からは後輩も入ってくる。甘えていたわけではないが、今までのようにはいかない。それでも、

「四月になると、ワクワクするんだろうな」

 と感じる修平だった。

 修平は昨年の今頃のことを思い出していた。

「大学を卒業し、まだ就職していない中途半端な時期」

 という落ち着かない気持ちだった。

 大学の友達に誘われて、卒業旅行にも行った。海外に行く人もいたが、修平の中で海外は想定外だった。実際に彼の友達は、

「旅行に行くなら国内」

 と、卒業旅行に限らずそんな思いでいる連中が多かった。

「類は友を呼ぶ」

 というべきであろうか。

 そんな連中と、大学時代にはよく旅行に出かけたものだ。特に二年生の頃は、時間があれば旅行に出かけていた。アルバイトで稼いだお金を旅行に使うというサイクルで、それに満足感を感じていた。

 三年生になると、一人旅が多くなった。友達同士で出かけるのも悪くないのだが、一人で出かけて、そこでどんな人と知り合うかと思うと、ドキドキするくらいの興奮を覚えていた。元々は友達と一緒に出掛けた旅先で知り合った一人旅をしている男性を見ていると、自分も一人旅をしてみたくなったというのが、きっかけだった。

 一人旅への憧れは、その時に始まったわけではない。子供の頃から一人旅に憧れていたような気がした。大学に入って友達がたくさんできると、友達との行動がこの上ない楽しみになったことで、旅行も友達と一緒に行くことが今までで一番だと思うようになっていたようだ。

 一人旅をしていると、自分が一人旅に憧れた理由が少しずつ分かってきた。一番の理由は、

「人に左右されることなく、自分で気ままに決めることができること」

 だった。

 他にも、

「もし、好きな人ができた時に、他の人と競合することはない」

 旅に出ると、気持ちが解放的になり、その分、好きになる人もできやすくなってくる。特に惚れっぽいと思っている修平にはそのことが余計に気になる。元々一人旅の醍醐味の中に、

「恋をしてみたい」

 という思いがあるのも事実だ。

 自分がそう感じるように、相手も旅に出ているという解放感から、故意をしてみたいと思うのではないかと感じていた。

 実際に一人旅をしている女性と知り合い、一緒に旅行をし、帰ってきてからも連絡を取り合ったこともあったりした。しかし、どうしても遠距離恋愛になるということと、旅行から帰ってくれば、それまで抱いていた恋心が、

「旅という解放感によるものだ」

 と気づいてしまうのだろう。

 つまりは、夢から現実に引き戻されるということなのだ。

 修平は逆にその思いが分からなかった。旅先で感じた相手に対する思いは本物で、その思いをこれからどんどん育んでいくという気持ちになっていたのだ。だから、最初は旅行から帰ってきてから連絡を取っていても、彼女の気持ちの微妙な変化を分からなかった。そんな修平に業を煮やしたのか、彼女の方から修平を避けるようになってきた。メールを出しても返事が来ない。電話を掛けても出てはくれない。ここに至ってさすがに修平も自分が疎まれていることに気が付いた。

 気まずい思いを抱いたまま連絡を取ることに懸念を感じたことで、その時の恋は終焉を迎える。

「もう、ここらでいいだろう」

 と声に出していうことで、自分を納得させるのだが、それでも、懲りずに一人旅を続け、同じように恋をして、同じ結末を迎える。

「本当に懲りないな」

 とも感じるが、修平にとって、それまでの失敗は、

「自分のせいなんだ」

 という思いと、

「相手が悪かっただけなんだ」

 という思いが半々だと思っていた。

 実際には、自分のせいだと心の奥では思っていて、それを認めたくない自分が、相手が悪かったということで納得させようとしているだけだった。本当のところは、半々だと思っているにも関わらず、その根拠がないことで、まったく分かっていなかったのだが、まったく分かっていない時は、

「半々ということで決着をつけよう」

 と、安易な結論付けで決着させてしまおうとするところが修平にはあった。

 自分のことを分かっていないと思っていながら、そんなところがある自分を嫌いになっている自分がいることに気づいていた気がする。実に異様な気持ちになっていたに違いない。

 修平は、卒業旅行とは別に、卒業前に学生時代最後の一人旅に出かけた。出かけた先は、山口から津和野に回り込み、萩を経由して、下関に向かうものだった。

 実はこのルート、大学時代にはいちど二度行ったことがあった。最後の旅に選んだのは、それだけ思い出も詰まっていると思ったからだった。その時々でいろいろな思い出もあった。卒業を間近に控えていると、それまでとはまったく違った心境になっていた。二度目の旅行の時の思い出が一番強かったのだ。

 友達との卒業旅行も終わって、いよいよ一人になった気分がした。期待と不安が入り混じった精神状態は、今までにないものだった。大学での就職活動では、就職することがすべてで、それがゴールのように思えたが、実際に就職が決まり、卒業を控えるだけとなると、

「ここからがスタートなんだ」

 という思いが、しみじみと湧いてくるのだった。

 新幹線で新山口駅に着くと、そこから津和野まで山口線の旅、津和野で一泊後、萩に向かう。萩では二泊を考えていた。

 修平は、津和野よりも萩の方が好きだった。歴史的にも幕末から明治維新にかけての書物を読むのが好きだった。明治の元勲と呼ばれる人たちの原点がここにあるのだと思うと、感慨もひとしおだった。

 レンタサイクルを借りて、市内観光をするというのが一般的で、修平も同じようにレンタサイクルを借りての観光をしていた。以前にも来たことがあったので、地図はいらない。ただ、前に来た時よりも幅広い書物を読んできたので、同じ観光ガイドブックであっても、今度は見方が違ってくる。今回は、以前持ってきたガイドブックとは違うものを持ってきて、

「初めてきた感覚を味わいたい」

 と思ったのだった。

 それでも以前の記憶を消すことはできないので、今回の観光と頭の中でかぶってしまった。それはそれで新鮮な気がして、楽しいものだった。

 以前回ったコースとは逆のコースから回ってみた。以前は先に松下村塾を巡り、それからゆっくりと武家屋敷を巡りながら、城址公園に向かって観光した。今回は、その逆コースを取ってみた。

 さすがに松下村塾のあるあたりは、毛利家代々の墓があったりと、見るところが多いせいか、観光バスも数台止まっていた。修学旅行の季節でも、社員旅行の季節でもないのに、賑やかなことである。本当に修学旅行や社員旅行の季節だったら、駐車場は満杯になっていることだろう。

 以前来た時は、ここで結構時間を費やした。そのために、城址公園では早めに回ったため、武家屋敷ではゆっくりと廻った。今回逆コースにしたのは、城址公園をゆっくり見て回りたいという思いがあったのと、実はもう一つ理由があった。今回の旅の目的の一つには、その理由が大きく関わっていたのだ。

 午後一番くらいで城址公園に入り、萩焼の工房を回ったりと、ゆっくりとした時間を過ごした。何か見たいものがあったというわけではないが、城というものに感慨深さを感じる修平には、建物が残っていなくても、そのいで立ちを想像するだけで、ワクワクするものがあったのだ。

 海に突き出したようになっている城址は、海を真ん中に見ると、壮観に感じた。平城や山城とはまた違ったおもむきがあり、見ていても飽きなかった。特に海面に浮かぶ城壁は、軍艦にも見え、爽快感があった。

 沈みゆく夕日を見ていると、城址に後光が差したかのようにも見えた。その日は寒かったせいもあってか、雲が厚く空に立ち込めていたが、それでも夕日が差す時間には雲はほとんどなくなっていて、まるで自分のために雲が消えてくれたのではないかと感じるほどだった。

 傾く夕日を見ていると、時間がいくらあっても足りないと思えるほどだったが、修平が今回萩を訪れたもう一つの理由を思うと、そうもゆっくりはしていられなかった。

 萩という街は、夏みかんが有名な街でもあった。民家や武家屋敷跡などを見て歩いていると、夏みかんの木が植えられているのをよく見かけた。

「小さい頃を思い出すな」

 と思うのだったが、修平の子供の頃に育った街で、夏みかんの木が植わっているところなど見た記憶がないのに、なぜか、萩に来て夏みかんの植わっているのを見ると、小さかった頃のことが懐かしく感じられるのだった。

 修平は、萩城址から少し駅に向かって自転車を走らせた道すがら、一軒の喫茶店があるのを知っていた。以前来た時も立ち寄ったのだが、その時はそれほど長居をしなかった。次の観光地が気になっていたというのもあったが、何となく息苦しさを感じたからだった。

 その時感じた息苦しさは、地元に帰ってきてからも、しばらく感じることがあった。時たま感じるだけで、しかも時間的にはあっという間のことなので、それほど気になるものではなかったが、その原因がどこから来るのか分からないという思いと、以前にもどこかで味わったことがあるという思いとが気持ち悪さという点で頭の中に残ったのだ。

 萩で感じてから、そんなに時間も経っていなかったはずなのに、どうしてその時思い出せなかったのか、今から思えば不思議なことだ。今回、旅行先をどこにしようかと考えていて、思い浮かんだ萩の街を思い浮かべた時、

――何か違和感があるな――

 と感じたが、それが、以前感じていた息苦しさと連結していることに、その時は比較的すぐに気が付いた。

「そうだ。夏みかんの匂いだ」

 夏みかんの香りは、以前から嫌いではなかった。むしろ柑橘系の匂いに大人の香りを感じるようになってから、萩に旅行に行くと決めて、観光ブックで下調べをしている時に、夏みかんが有名なのを知り、楽しみにしていたくらいだった。

 実際に、夏みかんの木が植わっているのを見て、懐かしさを覚えたり、夏みかんジュースを飲んで、新鮮な味が好きになったりした。それなのに喫茶店で夏みかんジュースを飲みながら、どこか息苦しさを感じたのは、理由が他にあると感じた。

 ただ、その理由が何であるか分からない。夏みかんの匂いだということに気づいたのは、就職も決まって、あまり立ち寄ることのなかった大学に出かけたその帰りだった。

 学校から駅に向かっての帰り道、そのことに気が付いた。登校途中でどうして気づかなかったのか分からなかったが、夕方近くになって学校を出た時、その匂いに気が付いたのだ。

 大学の正門を出てから駅に向かって歩き始めてすぐのところに、その家があった。

 立派な門構えのある家で、門からはまるで武家屋敷のような塀が繋がっていた。

「かなりな金持ちの家なんだろうな」

 門構えは意識していたが、そこから連なる塀を意識することはなかったが、その途中で夏みかんの匂いが感じられた。その時に息苦しさはなかったが、以前に感じたほど、懐かしいと思えるような香りではなかった。

 以前、感じた時よりも、どこかサッパリとしていた。そのため、息苦しさを感じることはなかったのだが、そのせいなのか、懐かしさを感じることもなかった。

 懐かしさというのは、必ずしもいい思い出だと言い切れないだろう。その時に感じた懐かしさに思い出というような物語的なものはなく、漠然とした懐かしさだったのだ。

「懐かしさが運んでくるものに、風のようなものを感じる」

 風が匂いを運んでくると思っているのだが、夏みかんの香りの中に、

「風が運んできた匂いが混ざり合うことで、俺が感じる懐かしさに結びついているのかも知れない」

 そういえば、萩で感じたあの時も、風が吹いていた。冷たさばかりが気になってしまい、他に何かを感じたとしても、すぐに意識の外に外れてしまっていたことだろう。

 ただ、その思いは、

「萩という街、独特のものだ」

 という意識も半分あった。

 萩という街に限ったことではないという思いはもう半分あり、それは、

「歴史を感じさせる街だからだ」

 という思いであった。

 その歴史が、血で血を洗う過去の時代という意識を強く持っていたことで、吹いてきた風に、生々しさを感じていたようだ。

 そこまで感じると、夏みかんの匂いを感じた時の違和感が、

――血の匂い――

 であったことに気が付いた。

 血の匂いを感じたのは、今までで何度もあった。

 一番最初に感じたのは、子供の頃だった。あれはまだ小学校に入学する前だったくらいのことで、友達の家に遊びに行った時のことだった。

 友達の家は旧家とも言える家で、屋敷の奥には蔵があり、薄暗い蔵の中で遊んでいた時のことだった。

 昔の造りなので、木の階段は、かなり急になっていて、子供では危ない造りになっていた。

 友達は慣れているのか、あまり注意することもなく駆け上がっている。

 数人で遊びに行った時のことだったが、友達の一人が慣れないはずの階段を、スイスイと駆け上がって見せたのには驚かされた。

「俺は、時々遊びに来ているからな」

 と言っていたが、それを見ていた別の友達がマネをして、自分も一気に駆け上がろうとしたのだ。

 見るからに慣れていないのが丸分かりなのに、それでも危険を顧みることなく、平然と駆け上がっていく。すると、案の定、足を滑らせて、そのまま階段の下に叩き落された。

 苦しみからか、声も出せないほど痛がっている。膝からは血が噴き出していて、よく見ると、真っ赤になった中心部に、白いものが見えた。

 子供だったので、それが何なのかすぐには分からなかったが、後で聞いてみると、傷が深すぎて、骨が見えていたようなのだ。

 その時は感じなかったが、後になって、

「骨が見えていた」

 と聞かされた時、背筋がゾッとするのを感じたその時、蔵の中の光景が頭の中にフラッシュバックしてきて、急な階段と、友達が落ちたコンクリートになった床の硬さと冷たさを、いまさらのように感じさせられたのだ。

 血の匂いを感じたのは、その時だった。

 友達がケガをした時も感じたはずなのだが、それが血の匂いだという意識はなかった。異様な雰囲気の中で、まるで薬品の匂いを感じているかのような感覚は、子供なのに初めてではないような気がしていた。

 今から思えば、母親の胎内にいた時か、それとも生まれた時に感じた血の匂いが、意識の中に潜在していたのかも知れないとも思える。しかし、それを後になって感じることなど稀であり、子供の頃だからこそ、その稀な経験ができるのかも知れないとも思えた。

 今までに感じたと思える血の匂い。その時々で同じ血の匂いなのに、若干違って感じられたと思うのは、その時の環境の違いによるものなのか、それとも、自分が成長していくうちに変わってくるものなのかのどちらかのように思えた。しかし、そのどちらであっても、感じる血の匂いは同じもののはずである。しばらくは、そう信じて疑わなかった。

 赤ん坊の時に感じた血の匂いという意味では、小学生に頃に友達のケガで感じた時の匂いよりも、中学時代に感じた匂いの方が、余計に近かったような気がする。子供の頃の血の匂いも気持ち悪いものだったが、中学時代に感じた血の匂いは、さらに違う匂いが混じり合ったかのようで、今思い出すと、嘔吐してしまいそうであった。子供の頃に感じた血の匂いは、ケガをした傷口を目の当たりにしてのものだったが、中学時代に感じた血の匂いは、その出所が見えるものではなかったという点で、大きく違っている。

 薬品の臭いという意味では、中学の時に嗅いだ血の臭いの方がひどかったように思う。あれは中学二年生の頃だっただろうか。自分でも思春期を感じ始めていた時だった。

 思春期のバロメーターとは、今から思えばニキビだったように思う。自分にというよりも、まわりの友達の顔にこれ見よがしに浮かんでいるニキビを見ると、汚らしいというイメージとともに、淫靡な雰囲気を感じ、どうしてそんなものを感じるのか、分からない自分にも同じようなニキビがあるなど、思ってもみなかった。

 鏡を見る限りでは、そこまで目立つわけではない。確かに少し顔が浮腫むような感覚はあったが、ニキビがまるで発疹のようになっているまわりの友達ほどではないことに、安心感があった。

 学生服の前を開けた状態で、男同士たむろしているのを見ると、ゾッとすることがあった。

「なるべく声を掛けられないように」

 と、いつも隅の方を歩き、目立たないようにしていた。

 本当であれば、一番目立つのかも知れないとも思ったが、幸いなことに、連中は修平のことなど眼中にないようだ。それでも、端の方を目立たないように歩く自分が情けなくもあり、どうしようもなく、やるせなさを感じるのだった。

 ただ、修平も自分の顔にニキビがあることに気が付くと、次第に思春期に巻き込まれていく自分を感じた。それまでに感じたこともない女性への憧れを感じるようになると、まわりから目立たないようにしている自分とは別に、目立ちたいと思っている自分がいるのも感じた。

 女性相手だったら目立ちたいと思っているだけではなかった。男性の中にいても、目立つ存在でありたいと思う。それでも、今まで修平が避けてきた連中の中で目立ちたいと思っているのではない。自分よりも目立たない数少ない存在の連中に対して目立ちたいと思っているのだ。

 そこにあるのは優越感に違いなかった。自分が優位に立っていることをまわりに示すことで、自分を納得させ、自分を納得させることが、自分に自信を持たせることになるのではないかと思うのだった。

 そんな時、気になる存在が現れた。現れたと言っても、今までいなくて、急に目の前に現れたわけではない。以前から同じクラスにいて、小学生の頃から、ずっと同じクラスだった男の子だった。

 話をしたことはない。修平は彼に限らず、他の誰ともあまり話をしなかったので、

「今に始まったことではない」

 と思っていた。

 彼の名前は、下野隆という。同じクラスが続いていたのに、話をしたこともなかったのは、彼はいつも一人孤独だったからだ。修平とそういう意味では似たところがあるが、決して接点があるわけではない。むしろ、

「交わることのない平行線」

 を描いていたのだ。

 隆と話をするきっかけになったのは、中学二年の時の体育祭の練習の時だった。

「二人一組になって、お互いに声を掛け合いながら、進んでください」

 二人三脚の練習だった。二人組は先生が勝手に決めたのだが、修平の相手が隆だった。修平は、

「他の誰よりも隆の方がよかった」

 と、後になって振り返った時、素直に口から出せるほど、その時はホッとしていたのだった。

 二人三脚の練習では、お互いに声を掛け合うが、会話があったわけではない。それでも前からペアだったかのように、息は合っていた。そのことは隆にも分かったようで、

「お前と組めるのは、俺にとってもありがたい」

 と言ってくれたのだ。

 それまでお互い孤独だった生き方に、少し色が付いたことで、

「こんな生き方もあるんだな。案外楽しいじゃないか」

 と、お互いに思える仲になっていた。

 修平にとって、ある意味初めてできた友達だった。隆も同じことを思ってくれていたようだ。お互いに孤独だった頃の気持ちを打ち明けていたが、どこまでが真実なのか分からない。

 実際、修平もすべてを隆に話しているわけではない。だが、話ができる相手がいるというだけで嬉しかった。

「きっと、隆も同じ気持ちなのかも知れないな」

 と思うと、修平にとって、さらに安心感が増していった。

 隆といることで、どんどん自分が大人になってきていることに気が付いた。

 大人になるということは、思春期を避けては通れないということでもある。つまりは、顔にニキビをいっぱいに作った。

「醜い顔」

 を無視できなくなることを意味している。

「俺は嫌だ」

 と思っていたが、隆と一緒にいると、同じ思春期でも、醜い顔の彼らとは違った思春期もあるのではないかと思えるようになっていた。

 思春期というと、どうしても背伸びしたくなる時期である。その背伸びというのが、性的な成長であることは分かっていた。

「いやらしいこと」

 が、直な表現で、

「見てはいけないと言われることほど、見たくて仕方がない」

 ということが、思春期の根底にあるということである。

 つまり、

「見てはいけないことは、いやらしいことであり、いやらしいことは恥ずかしいことなんだ」

 ということである。

 一人でいると、恥ずかしいことは隠れてでも見たくなる。いや、見てはいけないことなので、隠れてしか見てはいけないのだと思っていた。そして、自分は隠れて見なければいけないものは、決して見ようという気にはならなかった。

 天邪鬼だと言ってもいいだろう。皆がそんなに隠れてでも見ようとするものなら、余計に見たくなんかないと意地を張ってしまう。それが自分の個性であると思っていたのだ。

 しかし、隆と一緒にいると、隆は別に恥ずかしいことでも、気にすることなく堂々と見ていた。本屋でも、エロい本を平気で立ち読みしている。買う時でも、こそこそ買うのではなく、堂々とレジに持っていく。そんなところに、彼の潔さを感じたのだ。

「俺もあんな風になりたいな」

 そう思うことで、エログロなことに目を背けていた自分が、少しちっぽけに感じられるようになった。堂々としている姿を思い浮かべると、

「恥ずかしいものをこそこそ見たりするから、余計にいやらしく感じるんだ」

 と自分に言い聞かせた。

「なんだ、こんなものなんだ」

 あれだけ避けていながら、堂々と見てみると、思ったよりもグロテスクなものであることにガッカリした。もっと神聖なものであり、恥じらいの中にこそ、本当のエロさがあるのだと思っていただけに、グロテスクそのものに見えたのだろう。だが、ガッカリしたということはそれだけ興味を持っていたということであり、自分の気持ちを押し殺してばかりいたことの証明でもあった。

 ただ、それよりも、堂々と見ることができたことの方が、修平にとっては嬉しかった。ネガティブに考えるよりもポジティブに考えた方がいいということを教えてくれたのが隆だったのだ。

 そんな中学時代だったが、それでも、女性に対しての興味が消えたわけではない。性交渉が神聖なことであることに変わりはないと思っていたからだ。

 そんな時だったか、歩いていて、修平は急に腹痛を訴え、近くに立ち寄って入ることのできるビルを見つけ、トイレに駆け込んだ。ちょうど男子トイレは満杯だったが、障害者用のトイレが開いていたこともあり、急いで飛び込んだ。その時には額から汗が滲み出ていて、呼吸困難に陥りそうなほど苦しい状態で、まともに息もできなかったに違いない。

「ドックンドックン」

 呼吸困難は、胸の鼓動を耳鳴りの中で耳の奥から響き渡らせた。ほぼ感覚がマヒしているお腹を押さえると、氷のように冷たくなっていた。意識が朦朧とする中で苦しみのピークを何とか乗り越えると、それまで感じなかった喧騒とした雰囲気や臭いを感じていた。

 すると、

「なんだ? この臭いは?」

 今までに感じたことのないような臭いだった。いや、似たような臭いを感じたことが一度だけあったのは分かったのだが、それがいつだったのかすぐには思い出せなかった。それが小学生の時、蔵で遊んでいてケガをした時に嗅いだ血の臭いだと思い出した時には、修平のお腹は、だいぶ楽になっていた。

 小学生の頃の思い出がよみがえったからと言って、それがまるで昨日のことのように思えるほど、身近に感じたわけではない。遠い記憶を探っている間に偶然見つけたという印象が強く、ただ、最終的には、

「何かの力に導かれた」

 という印象が強いのも事実だった。

 どちらにしても、小学生の頃を身近に感じられないのは、似たような臭いであっても、完全に一致しているわけではなく、むしろ、

「決して交わることのない結界を感じる」

 というほど、どう解釈しても、同じ臭いには感じられなかった。

 しかし、トイレで感じた臭いが血の臭いであるということに間違いない。同じ血の臭いでも違った臭いであるということは、

「同じ血の臭いでも種類がある」

 ということなのか、それとも、

「感じた年齢の違いが、臭いの違いに直結している」

 ということなのか、修平は考えていた。

 確かに、過去の記憶に近づくことができないという意味で、感じた年齢の違いの方が説得力があるが、それよりも、同じ血と言っても匂いに種類があるという考え方の方が現実的に思えてきた。

「どちらも間違いではないのかも知れない」

 修平は、そう感じた。

 血の臭いだと分かったのは、鉄分を含んだ臭いだと感じたからだ。小学生の頃まだ小さかったにも関わらず、血の臭いを嗅いだ時、

「鉄分を含んだような匂いだ」

 と感じたのを思えている。

 本当はその時にそこまで感じることができたのか分からない。ひょっとすると、もっと大きくなって同じような経験をした時に感じたことと子供の頃の思い出とがバッティングしただけなのかも知れない。心当たりがあるとすれば、偶然見かけたバイク事故だった。

 事故現場は喧騒としていて、実際にけが人は搬送された後だった。残されたのは血糊の痕、余計に悲惨な想像を強いられたのを覚えている。

 しかし、実際に現場を見たわけではないので、それほどのショックがあったわけではない。そのため、普段は記憶の奥に隠れていて、表に出てくることはなかった。

 ただ、ハッキリと覚えているのは、その場の喧騒とした雰囲気だった。けが人はすでに運ばれていて、現場では警察による現場検証が行われていた。制服警官が慌ただしく、それでいて規律正しく動いている。まるで自衛隊のようだ。

 規律正しい動きが、修平の頭の中で、余計についさっきどのような惨劇があったのか、想像を絶するものであることを感じていた。

「俺に想像できるはずなんかないんだ」

 という思いがあるくせに、ついつい想像してしまう。そのため、過剰な想像が生まれたのだ。

 現場に残った生々しい血の痕、もうすでに臭いなど消えているにも関わらず、想像できてしまう自分が怖かった。まわりの人を見ていると、誰もが視線を同じくして、血の痕を見ている気がした。

「考えていることは同じなんだろうか?」

 と考えると、人の血の方が自分の血を見るよりも、気持ち悪いという発想は自分だけではないということなのだろうと感じた。

 その時からだった。血を直接見るよりも、血痕として残っている方が余計に気持ち悪く感じたり、臭いが残っているのを感じるようになったのだ。

 修平は、公衆トイレで感じた臭いも、どこかに血糊が残っているのではないかと思い、探してみた。本当は、

「やめておけばよかった」

 と後悔することになるのだが、その時は衝動に身を任せるしかなかったのだ。

 臭いの元凶は、すぐには見つからなかった。注意深く見ていると、タイルにしみついた汚れがリアルに気持ち悪かった。

「血ではない」

 と分かっていながら、まるで血糊を思わせる汚さに、自分がいるその場所からこのまま逃れられなくなってしまいそうで恐ろしくもなった。

 しかし、ここまでくれば、臭いの元凶を見つけないわけにはいかなかった。衝動は時として、気持ち悪さを凌駕するものらしい。好奇心という言葉だけで言い表せるものでもないだろう。

 修平は、そこが男女兼用であることに最初は気づいていたはずなのに、臭いの元凶を探している時、男子トイレのイメージしかなかった。そのために、本当であればすぐに見つけられるはずの元凶を見逃してしまっていた。

「おかしいな」

 見当違いのところを探しているのだろうか。同じところばかりをグルグル探しているだけに思えてならなかった。

「本当は見えているはずなのに、見えていない状況になっているのかも知れない」

 と、そんな思いに駆られるのだった。

 タイルにしみついた汚れに意識を取られていたが、臭いの元凶が汚物入れにあることに気が付くと、思い切ってそこを開けてみた。そこにはテープにくるまれた女性の生理用品が捨ててあった。臭いの元凶はそれだったのだ。

 普通なら、それほど気にするものではないのだろうが、その臭いを感じた時、

「最初から俺の身体にしみついていたような気がする」

 と思えた。

 自分の身体にしみついた臭いというのは、なかなか本人には分からないものだ。餃子などのニンニク料理を食べた時も、まわりはニンニクの臭いが気になっているのに、本人が気づかないのは、身体に臭いがしみついてしまっているからだろう。その臭いは歯を磨いた程度では拭い去ることはできない。なぜなら口からだけではなく、身体全体から発散されている臭いだからだ。

「風呂にでも入って汗を掻かなければ、臭いは消えることはない」

 と思っていた。

 修平の身体にいつ女性の生理の臭いがしみついたというのだろう? 大学で知り合いの女の子の中で、生理になっていることに気づく相手は一人もいない。臭いを感じないからだ。気だるそうな様子から、生理中なのではないかと思うことはあっても、確信があるわけではない。相手に聞くわけにもいかず、

「たぶん、生理中なのかも知れないな」

 と感じる程度だった。

 では、一体いつ、修平は女性の生理の臭いを感じたのだろう。臭いを感じた時の印象が強烈だったからこそ、生理中の臭いには敏感であった。修平は自分の記憶を遡ってみたが、どこまで遡ることができるのか、考えていた。

 思春期の中学時代から、小学生の高学年の頃までは、結構簡単に遡ることができた。まるで昨日のことのように思えることも少なくなく、中学時代が小学生の高学年からの延長であることを実感していた。

 しかし、どこからだろうか。結界のようなものを感じ、簡単に記憶を遡っているように思えたのに、普段は遥か昔のように思えていた頃のことをいつの間にか思い出していた。感じていた結界を飛び越えたのだろうか。

 あれは、小学三年生の頃のことだったか、学校への通学に、近所のお姉さんと一緒だった。修平は早めに家を出て、お姉さんの家に立ち寄る。お姉さんは、まだ朝食を食べていて、結構のんびりとしていた。

 お姉さんは、当時六年生だった。女の子の発育は男子に比べて早いのは小学生の頃、お姉さんは、クラスでも背が高い方で、子供の目から見ても、十分に魅力的だった。

 女性として見ているわけではないが、どこかドキドキするものがあった。ひょっとすると、これが修平の初恋だったのかも知れない。

 もちろん、この時のお姉さんはすでに初潮を迎えていたのだろう。小学三年生の修平にそんなことが分かるはずもなかった。たまにトイレを借りることがあったが、その時、甘い芳香剤の香りが印象的だった。ただ、そんな中でもおしっこの臭いとは違う鼻を衝くような気持ち悪い臭いを感じた。それが血の臭いであることは、二年前の友達の屋敷での蔵で感じた血の臭いが生々しく意識の中に残っていることを証明していた。

 お姉さんの家は、お母さんとお姉さんの二人暮らしだった。お父さんは、単身赴任で遠くに行っていて、たまにしか帰ってこないらしい。そういう意味でも、毎朝の修平との通学は、お姉さんにとっても新鮮なものだったに違いない。

 ただ、お姉さんよりもお母さんの方が、かなり気を遣ってくれているようで、修平への意識は強かった。

「お姉ちゃんだけだと寂しいからね」

 と言っていたが、どうやら、男の子もほしかったようなのだ。

 そのことを教えてくれたのはお姉さんで、母親はそんなことを一言も言うはずもないのに、子供心にも健気に察知したに違いない。

「うちって結構、あけっぴろげでしょう? それはきっと女だけの家族なんだと思うわ。男性がいれば、少しは違ってるのかも知れない。女性ばかりだと、あまり気にしないことも多いからね」

「そうなのかな?」

「きっとそうよ。今でもお母さんは、男の子がほしかったって思っているに違いないの。だから時々私も無性に寂しくなるの。そんな時、修平君がいてくれると思うと、心強いわ」

 と言ってくれた。

 修平の家は、女性はお母さん一人だった。修平も一人っ子なので、父親との三人暮らしでは、母親だけが女性というのも当たり前だ。

 修平の家では、家族三人の時は、母親を女性として意識していない。父親がどう思っているのか分からないが、少なくとも母親が修平に対しての態度は、「母親」であり、「女」ではなかった。

 ただ、修平の家のような家族関係は、友達の家でも同じような感じだった。一人っ子の友達の家に遊びに行くと、お母さんを女性として見ることはできない。年が離れすぎているという意識なのか、それとも友達の母親という意識なのか、ただ、自分の家族に感じるのと同じ思いなので、修平には違和感はなかった。

 しかし、友達にお姉さんがいる家では、お姉さんに対して女性を感じる。かなり年上であればなおさらのことだが、一つ年上というだけでも、

「お姉さん」

 という意識があり、自分たちよりも、かなり大人に近い存在として、眩しく感じられるものだった。

 お姉さんという存在を大人になっても憧れだったように感じるのは、この時の意識が強かったからだった。

 その頃から、お姉さんというのは、大人の女性という印象に変わっていった。しかも、一緒に通学していたお姉さんは六年生で、中学生といえば、もう大人だという印象だったその頃の修平には、本当に眩しく見えたものだ。

 自分にとってのアイドルだったお姉さん。しかし、お姉さんの家のトイレで、気持ち悪い血の臭いを感じた。小学三年生の修平に、女性の生理など分かるはずもなく、お姉さんに対しての憧れとかけ離れた臭いのギャップに思いを馳せていた。

 それでも憧れのお姉さんの臭いだと思うと、嫌な臭いでも、どこか親近感を感じてきた。以前は、気持ち悪いだけで、しかも、ケガをしたところをもろに見てしまった経験もあるのにであった。

「お姉さんだけは特別だ」

 そんな思いが頭をよぎった。

「僕はお姉さんが好きなんだ」

 という思いは、さらにそれからしばらくしてから感じた。元々好きだったという思いはあったはずなのだが、血の臭いを嗅いだ時に、その思いに迷いが生じた。お姉さんだけは特別だと思った時も、迷いのせいで、本心と一致しない。その二つを一致させるまでには、少し時間が掛かったのも仕方のないことだろう。

 だが、お姉さんのことを好きだという、

「気持ちと本音の一致」

 を見た時、修平は家で嗅いだ血の臭いを意識しなくなった。忘れてしまったと言ってもいいくらいだ。

 だが、本当に忘れてしまったわけではなく、記憶の奥に封印しただけなのだ。忘れてしまったと思っていただけに、中学時代の公衆トイレで嗅いだ生理用品による血の臭いに対して、気持ち悪さだけしか思い浮かばなかった。

 だが、公衆トイレで血の臭いを嗅いだ後、しばらくは気持ち悪さが印象として頭の中にこびりついていたはずなのに、いつの間にか忘れてしまっていた。

 公衆トイレで血の臭いを嗅いだという事実さえも、頭の中では風化されていた。本当の意識がなくなってしまっていたのだ。

 小学生の頃、お姉さんの家に少しの間立ち寄らなかった。それは血の臭いを嗅いだにも関わらず、気持ち悪くなったことを責めている自分に気づいたからだ。自分の中での頭の整理ができるまぜ、お姉さんに会うのが怖かった。

 お姉さんはそのことをそれほど深く考えていなかったが、おばさんの方が意識しているようで、

「修平ちゃん、ごめんなさいね」

 何がごめんなさいなのか分からず、曖昧に頭を下げていただけだったが、おばさんは、それでも謝るしかできないようだった。

 お姉さんが中学に入ると、今度は急にお姉さんを見かけなくなった。しばらくしてからお姉さんの家が人知れず引っ越していたということを知らされた。そのことを話していた人も、少しの間引っ越したことを知らなかったようで、

「一声、掛けてくれればよかったのに」

 と、喋り方は普通だったが、雰囲気は怒っているようだった。この街から急に去ったのも、なんか夜逃げのような雰囲気があったようで、少しの間おかしな噂が流れたが、すぐに誰も噂しなくなった。

「人の噂も七十五日」

 子供の修平はそこまで分からず、

「誰も噂しなくなったのは、それだけ皆が怒っている証拠なんだ」

 と思っていた。

 だが、実際にはそれ以上に、他人のことに関心がないからだということに気づいたのは、中学に入ってからのことだった。

 中学に入ると、すぐにそのことに気づくようになった。まわりのことを気にしているように見える人が白々しく感じられるようになると、次第に自分が何を考えているのか分からなくなる。自分のことが分からなくなると、

「自分のことも分からないのに、他人のことを気にするなんてできない」

 と思うようになった。

 人が他人のことを気にしないのは、冷たさというよりも、自分のことを分かっていないからだと思うようになると、自分が思春期に入ったことを悟った。

「大人になるためには避けて通れない道」

 それが思春期なのだとすると、

「それなら、俺は大人になんかなりたくない」

 と思うようにもなっていた。

 自分の中で生まれて初めて理不尽だと思うことを感じるようになったからだった。小学生の頃にも感じたのかも知れないが、その正体が何なのか分からなかったのだろう。

「子供の自分に分かるはずはない」

 と思うことで、それ以上は考えなかった。しかし、中学に入るとそうもいかない。自分というものを嫌でも分からなければ、まわりの波から乗り遅れるという意識が強く、乗り遅れると、永遠に大人になれない気がしたのだ。

 思春期というのは、まわりを意識しているようで、実は自分をいかに納得させられるかということを最初に感じる時期なのだということが次第に分かってきた。そんな時に嗅いだ生理の血の臭い、自分を納得させるための考えに至るまで、遠回りさせられる悪しき経験であると悔しくて仕方がなかった。

 子供の頃に嗅いだ血の臭い、そして思春期になって嗅いだ生理の血の臭い。それぞれに感情の違いこそあれ、修平に少なからずのトラウマを与えたことは事実だった。その時に感じた共通の思いは、

「息苦しさ」

 だった。

 呼吸困難に陥り、息ができなくなる感覚は、ケガをした時、感じる呼吸困難と同じように思えたが、実際には違っていた。ケガをした時の呼吸困難はすぐに回復するのが分かっているが、血の臭いを嗅いだ時の呼吸困難は、いつ元に戻るか分からない。しかし、それでもさほど恐怖感がないのは、呼吸ができない状態でも、そんなに苦しみを感じないからだった。

「違和感に毛が生えた程度」

 と言えば、本当にさほどでもないようだが、気持ち悪さからくる呼吸困難の正体は、

「呼吸をしたくない」

 という自分の精神的なものである。

 自分の中の精神的なものであれば、自分でコントロールも可能である。無意識に強弱をコントロールし、しかも呼吸困難が精神的なものから来るのではないという暗示を与えていたのである。それなのにどうしてそのことに気が付いたのかというと、

「血の臭いというのが、本当に嫌いなものなのだろうか?」

 という疑問が生じてからだった。

 確かに気持ち悪さは否めないが、嫌いかどうかまで考えたことはなかった。むしろ、中学時代に感じた生理の血の臭いには、何か淫靡なものがあり、思春期の自分の感性をくすぐっているかのように思えた。

「思春期に通らなければいけない道があるとすれば、この経験はその道への道しるべのようなものだったのかも知れない」

 と感じた。

 そして、この息苦しさは血の臭いを嗅がないかぎり、感じることのできないものとして、修平の頭の中にインプットされていた。

 修平は大学近くの大きな家を通った時、血の臭いを嗅いだ時の息苦しさを感じた。

「感じるはずないのに」

 と思いながら通り抜けたが、その思いを感じたのは、一度きりだった。その時に何か血の臭いに関係のあることが起こったはずなのだが、それを確かめるすべもない。

 もちろん、赤の他人が、

「何かあったんですか?」

 と、平然とした状態の家に聞けるはずもなく、しばらく悶々とした日々を過ごすことになった修平だった。

 修平が、大学の近くの屋敷に、一人の少女が住んでいるのを知ったのは、いつのことだったのだろう?

 息苦しさから血の臭いを感じた時よりも前だったのは間違いない。暖かい日差しが差し込む中、眩しいばかりの真っ白なワンピースに身を包んだその少女を見た時に感じたときめきは、

「初恋だったのかも知れない」

 という思いを感じさせた。

 しかし、彼女を見かけることは稀で、それから何度見かけたのか、片手の指で足りるくらいだった。

 しかも、そのいで立ちはいつも真っ白なワンピース。それ以外の服装を身に纏った姿など、想像もできなかった。声を掛けたことなどあるはずもない。ほとんどの時は、屋敷に勤めている執事なのか、絵に描いたようなタキシードを着ている初老の男性がいつも彼女のそばにいた。

 たまに一人でいることもあったが、一人の時の方が余計に声を掛けることができない。自分一人の時はいつも、

「いつか、彼女が一人の時、声を掛けてみたい」

 と考えていた。

 普通に声を掛けるくらいなので、それほど緊張することもないと思っていた。だが、実際に彼女が一人の時に声を掛けることはできなかった。それは緊張から来るものではなく、むしろ彼女の中にある、

――話しかけられない雰囲気――

 を感じたからだ。

 彼女はあまりにも素直だった。はた目から見れば、どうして話しかけられないのか不思議に思うだろう。彼女が修平を無視しているわけでもなく、修平に興味を持っているかのようでもあった。彼女の方から頭をペコリと下げられると、修平には何もできなくなってしまう。まるでヘビに睨まれたカエルのように、金縛りに遭ったかのごとくであった。

 ペコリと下げたその時の顔は、満面の笑顔だった。屈託のない笑顔ほど、自分との距離を感じるものはなかった。近づきがたい雰囲気はいかんともしがたく、声を掛けるなど、大それたことにしか思えなかった。

 そんなことを感じているうちに、次第に屋敷のことも意識しなくなり、少女の存在も意識の中で次第に薄れて行ったのだ。

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