第2話
▫︎◇▫︎
群青160年、王城の奥深くにある後宮では、漆黒の夜を揺るがす女の甲高い声が響いていた。
「あははっ!!あははははっ!!卑しいお前には地べたがぴったりよ!」
王妃が高らかな声をあげながらボロ布のような少女の身体を高いヒールの木靴で踏みつける。
鞭をしならせては少女の身体を強く打ち、鮮血を撒き散らす。
(………いたいの)
ぼろぼろと命が溢れていく感覚は、少女が生まれた時から感じ続けているもの。
でも、痛いものは痛いし、辛いものは辛い。泣けばもっとひどく殴られるし、呻けば強く踏んづけられる。だから、少女は必死に耐える。ただただ無言で耐え続ける。
そうすれば、王妃はひとしきり殴ったり蹴ったりすると満足してお部屋に戻っていく。
「………そこにいるのはだぁれ?」
誰もいなくなった後宮の奥深くにある埃っぽい物置部屋にて、少女はガラス玉のような琥珀の瞳を虚空に向けて話す。
「へぇ〜、君、よく気づいたね」
すると、そこからは1人の少年が現れる。
「君、なんでこんなところにいるの?王女だよね?」
「知らないの。でも、ここに男のひとはいちゃいけないから、早くたちさるべきなの」
「………君は僕のことを誰かに話すのか?そうすれば、君はご褒美を、」
「シアはなんにも知らないの。なんにも見ていないし、聞いていない。だから、さっさと視界からきえるべきなの」
「賢いね、君」
「………………」
モップのようにゴワゴワした黒っぽい髪をうざったらしそうに後ろに持って行った少女アリシアは、金髪碧眼の少年に無表情を向ける。
「ここは“まくつ”なの。いいことはなぁんにもない。だから、………あなたみたいな子は来るべきじゃないの」
どこまでも透き通った王家の直系たる琥珀の瞳に、少年の意識は吸い込まれる。どんなに不条理でも不幸でもめげない精神に、他人を思いやる心に、少年ヨハンはふっと笑った。
「1週間待て。そうすれば君は自由になれる」
「ふようなの。シアにとって、中もお外も、けっきょくはやさしくないの」
「そうだな。でも、ここよりは楽だぞ?」
アリシアは空虚な瞳で天井を見上げる。ぼろぼろで今にも崩れそうな天井からは、うすら笑うくちびるのような形をした月が淡く光っていた。
「………ここは、いたいのだけをがまんしたら生きていけるの。あめかぜも防げるし、腐ってるけどごはんもあるの。だから、シアはこれで満足なの」
眩しい世界なんていらない。
快適なお家なんていらない。
美味しいご飯なんていらない。
美味しいお水なんていらない。
ただ生きてさえいれば、それでいい。
空虚な琥珀の瞳がぼうっと三日月を見つめ続ける。
(………きれいなの………………)
導かれるようにして右手を伸ばす。
治療も何もされていない血だらけの腕は、いくつもの生々しい傷跡があり、化膿してしまっている。左手はうまく上がらない。数日前に何度も何度も踏まれたせいで多分肩の骨が折れてしまったのだ。
「………………君、熱出てない?」
「ちょっとあついの。でも、平気なの。シアは、だいじょーぶなの」
月を見上げたままアリシアはただただ惰性的に過ごす。
「あなたはね、もうここにはきたらダメなの。シアは何も知らないから、シアは………何も覚えていないから」
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