セメドキッ!

奈月遥

第1話

 バイクを一時間半走らせて、胡蝶は小高い丘に訪れた。

 そこはかつてゴルフ場だった跡地で、大都市から外れた胡蝶の家の周りにだってもっと近場に似たような広場はある。

 それでも胡蝶がバイクで長時間かけて来たのは、ここが拡張現実ARゲームのイベント会場だからだ。昭和から平成にかけて趨勢を占めていたゴルフ人口も令和を過ぎると先細りして、地方に乱立したカントリークラブはどんどんと閉鎖に追い込まれた。

 その広くて運動に適した土地が近年になってARゲームをプレイするフィールドとして再開発されているのは、高校の授業でも習う内容だ。デジタル情報を現実に重ね合わせるAR技術を利用したARゲームは、デジタルスポーツと呼ばれるように活発な運動を伴う。

 モンスターを相手に剣を振って攻撃すると、本人の興奮も相まって激しい運動になるなんていうのは少し考えれば分かる事だ。

 であるからして、ARゲームは他に人のいない広くて運動に適した空間を必要とする。そこに地方の寂れたゴルフ場なりアリーナなりグラウンドなりが注目されたのは、需要と供給のいい事例である。

 胡蝶はバイクを降りて腕時計に触れる。正確には腕時計タイプの端末で、目的のARゲームを起動させる。彼女が来ているライダースーツはARウェアの機能も備えていて、デバイスを起動させればARデータが被さって見た目をがらりと変える。

「エントリー、器士きし

 胡蝶がハマっているゲームはミコトキというタイトルで、モンスターを倒すという分かりやすい内容のゲームだ。

 そのモンスターは未言鬼みことおにと呼ばれ、未言鬼を退治する器士きしのデータを呼び出せば胡蝶は装備を纏い、プレイヤーである『鷺山殿』に変身する。

 鷺山殿は全体として戦国時代の武将に似た装備でまとめられていて、紅牡丹の花が大きく描かれて生地の端が花びらのように切り込みが入った陣羽織に巫女と同じデザインの緋袴が女性としての魅力を凛と引き立てながらも、胴体の甲冑や両手足の防具が男性にも見劣りしない勇ましさを魅せ付ける。

 今どきのAR技術は、専用の特殊生地を使った衣服に対して振動や圧力、極め付けは力場まで発生させて、実際に『触れられる』ようになっている。

 鷺山殿は歩きながら腕や肩を回し、太股を意識的に上げて、AR装備を『着込んだ』感覚に体をシフトさせていく。

「棟梁、お疲れ様です」

 鷺山殿が棟梁として纏め上げる一門、他のゲームならサークルとかギルドとか呼ばれる仲間達は連絡した通り、そこに集合していた。

 鷺山殿が率いるのう一門の総勢五十八人のうち、今日の参加メンバーには五十四人名が名乗りを上げた。

 その内で中核メンバーの一人であるカズに出迎えられて、鷺山殿は鷹揚に頷きを返す。

「もしかして、私が一番最後かな?」

「いや、あここのグループが工事渋滞にはまっちまって遅れるって連絡来てます。打ち合わせは通話で聞くから、直で予定通りの配置ポイントに向かうって」

「あここちゃんなら問題ないでしょ。運転、誰だっけか?」

「望月ですね」

「望月さんならこの辺り道詳しいから安心できるね」

 一部のメンバーが遅刻になっているがそれが元から別動隊で離れた位置から行軍する予定だったのは不幸中の幸いか。

 元から今日のARフィールドと相手側の予測から作戦は事前に共有してある。これからやるのは最終確認と実戦に入る前の士気上げだ。

 その点、あここなら棟梁の鷺山殿の代わりに周囲のテンションを上手く上げられる明るさを持っているから気を使う必要がない。

「妹が教えてくれたんですけど、鬼巫女おにみこの方は七十人くらい集まってるそうですよ。県内の全員来てるんじゃないかって勢いですよね」

「うわ、カズったらスパイじゃん」

「ゲームで何言ってんすか」

 鬼巫女というのは、未言鬼を生み出すプレイヤーだ。このミコトキは、ゲームの運営が敵を出してくるのではなく、プレイヤーの一部が鬼巫女となって未言鬼の出現を自由に決定する。

 つまり陣営の異なるプレイヤー同士のPvPオンリーなゲームなのである。今回の大規模イベントも鬼巫女のプレイヤーが自発的に運営に申請を出して、運営が場所と日時を調整して実現している。

「それと、器士側は大きい一門が十四組、安土一門とオルカ一門も来てて、全体人数は一万人近いじゃないかって情報です」

「多いね」

 このARフィールドは広いから全く収容人数に問題はないが、器士の方も県内のほぼ全員来ているような規模だ。実際、胡蝶含めて濃一門は隣の県に住んでいるメンバーも多い。

 それでも戦力差で言えば、とんとんだ。鬼巫女は一人で器士三十人と並ぶと言われている。

 だからこの戦場ではどちらも力押しで勝てるものではなく、戦略と戦術が勝敗を分けるだろう。

 いつまでもカズとだけ話している訳にもいかない。

 先に集めってたメンバーは思い思いの相手と喋っていたが、鷺山殿が歩み寄るとさっと静かになって視線を投げ掛けてくる。

「みんな、お待たせ様」

「いいえー」

「待ってたー」

「無事故で何より」

「みんな準備オッケーですよ」

 頼もしいメンバーに鷺山殿の顔にも笑みが浮かぶ。

「今日、私達はお市の方の撃破を狙う」

 お市の方と呼ばれる鬼巫女、正確にはプレイヤーネーム・市は強力な未言鬼を従えるランカーだ。中部北陸エリアでは鬼巫女のランキングで堂々の一位である。

 さらに他の鬼巫女が不利になっているとフットワーク軽く救援に入り、器士を壊滅させるという面倒見の良さもある。お市の方が現存しているかどうかで鬼巫女達の士気が大きく変わる。

 逆に言えば、お市の方を落とせば鬼巫女陣営は総崩れになるだろう。

 鷺山殿の作戦は、お市の方の主戦力である三体の未言鬼、通称『浅井三姉妹』に戦力を分割して各個撃破するという内容だ。

「崇源院は本隊で攻め、淀はあここの別動隊が担当、常高院は私と撫子で落とす」

 浅井三姉妹のデータはこれまでの戦闘で取れている。それを元に有効な戦力を分けるが、その中でも一番脅威になる常高院に対して鷺山殿は単騎も同然の戦力で討ち取ると言う。

 しかし濃一門の面々は自分達の棟梁の強さを知っているので、一切不安を見せない。

 気の知れた仲だから最終の打ち合わせもすぐに終わって、みんなには戦闘の開始まで好きに寛いでもらう。

 そんな中で一人の女性が鷺山殿に近付いて来る。彼女の装備は鷺山殿と鏡映しで、陣羽織だけが紅牡丹ではなく、灰が勝った撫子の花を模した衣装になっている。

「撫子、今日もよろしく」

「はい、お供させていただきます」

 撫子は鷺山殿の影武者として付き従っているプレイヤーだ。血の繋がりはないのだが、顔立ちも体付きもよく似ている。

 鷺山殿が倒れると一門の指揮がなくなり総倒れの危険が出て来る。なので鬼巫女に鷺山殿が狙い打ちに合わないように撫子が常に付き従うのだ。

 これで鷺山殿も実戦に入る準備が全て整った。

 ちょうどそこに通話が入り、鷺山殿が腕時計を操作する。

 相手は安土一門の棟梁だ。

『お疲れさん。そっちも布陣は終わったか?』

「ちょうどたった今ね。いつものお願い?」

『そう。そっちの流れ弾当たりたくないから、射線教えてくれ』

「位置座標をメッセージで送る。わざわざ通話しなくていいのに」

『礼儀だよ、礼儀』

 一部始終、上から目線で話してきて、何が礼儀何だか。

 しかし所属人数四桁の巨大一門でも濃一門を無視出来ない。

 ミコトキは鬼巫女の出した未言鬼と器士とが戦うゲームではあるけれど、器士の攻撃で器士のHPを減らすという所謂プレイヤーキラー行為が成立してしまう仕様だ。これは同じ未言鬼を狙っている時に他のプレイヤーを妨害出来るようにしてランキング争いをさらに過激にするという運営の思惑がある。

 今日のような大規模戦闘で一門同士の抗争なんて起きたら目も当てられないので、こうした折衝は重要だ。

 鷺山殿としてはわざわざ同じ器士に銃口を向けるつもりはさらさらないが、自分達の射線に入ってきた邪魔者に配慮するつもりも全くない。

 つまり安土一門の棟梁が取った行動は理に適ってはいるのだ。それが鼻について鷺山殿は気に食わないだけで。

 ともあれ、これで本当に事前の準備が終わった。

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