空き家

あべせい

空き家



 小さな丘の中腹に、荒れ放題の空き地を隔てて並ぶ、2軒の古い木造家屋がある。

 築30年以上はたっているだろう。この日は、傘をさすほどではないが、霧雨が降っている。

 一人の大柄な男が、その2軒家に向かって歩いてきた。

 右側の家の小さな門扉に手をかける。彼はこの家の住人だが、そのとき、隣の家の玄関ドアが開くのを見て、立ち止まった。

 出てきたのは、同じ年恰好の男だ。

 右の家の男が、声をかける。

「こんにちは」

 左の家の男は、微笑を浮かべて、

「これはおとなりさんですか? おとなりさんといっても、10メートルほど離れていますが……」

「はい。3日前、引っ越してきました。どうぞ、よろしくお願います」

 と、右の家の男。

「こちらこそ。よろしくお願いします。このあたりは家が少なくて、ここの2軒だけなんです」

「ここは2軒だけですが、この坂道を少し登れば3軒、下れば広い住宅街がありますね。昔、小さな丘だったところを造成して、ようやくここに2軒分、上に3軒分の宅地を作ったと聞いています」

「お詳しいンですね」

 と、左の家の男。

「私は住まいを決める前に、どの程度暮らしいいか、周辺をよく調べることにしていますから」

 と、右の家の男。

「ご家族は? お一人ですか?」

「いまはまだ、ひとりですが、あなたは?」

「ご冗談を。ご存知なンでしょう? もう、お調べになったのでしょうから」

 と、左の家の男。

「失礼しました。存じております。こちらに住まわれて約半年、時々、妙齢のご婦人が訪ねてこられることがありますが、奥さまらしき方は見えない」

「そんなことまで! 失礼します」

 左の家の男は、回れ右すると、急いで家の中に消えた。

 その家の表札には、『袋井』とある。

 取り残された右の家の男は、やむを得ないという表情を浮かべ、『久能』の表札がある自分の家に入った。

 やがて、郵便配達のバイクが通りかかる。

 『久能』の表札を見て通り過ぎるが、首を傾げながら戻ってくると、インターホンを鳴らす。

「はい」

「郵便局ですが……」

「はい、すぐに」

 まもなく、久能が姿を現す。

「何でしょうか?」

「失礼ですが、最近こちらに引っ越して来られたのでしょうか」

「はい、3日前」

「郵便局に転入届けはお出しになったでしょうか。まだでしたら、いま申請用紙をお渡しできますが……」

「おっしゃっておられる意味がよくわかりません」

「郵便物をこちらにお届けする際、間違いがないように、こちらのご家族のお名前をお知らせいただくことになっています。もちろん、拒絶することもできます……」

「郵便を届けていただけるのですか?」

「それが私の仕事ですので……」

「まだ、だれにもここに転居したことは知らせていませんから、届くことはありません。必要になればお願いします」

「そのときはよろしく」

 配達員が隣に行きかけたとき、

「郵便屋さん。お隣さんもうちと同じです。当分、郵便は来ません。お訪ねすると、厄介なことになりますよ」

「厄介なこと?」

「トラブルが起きるということです」

「しかし、こちらは6ヵ月ほど前からお住まいで、お届けいただけるように、すでに申請用紙を投函しています。いまだにご返事がないので、事情をお聞きしたいと思っているのです」

「郵便物が来たことはありますか?」

「1通もありません」

「そうでしょう。だから、余計な詮索はよしたほうがいい。お隣さんは、訪問者を極度に嫌っておられます」

「そうでしたか。失礼します」

 配達員、バイクを飛ばして消えた。

 久能、家に入る際、「久能」の表札を外して懐に入れた。

 隣の『袋井』の表札も、いつの間にか、なくなっている。


 夜、8時過ぎ。

 雨はまだ降っている。梅雨に入ったのか、このところぐずついた空模様が続いている。

 1人の若い女性が、久能家のドアを小さくノックする。

「トン、トン」、2秒ほど開けて、「ット、トン」。

 ドアが開く。女性はドアの間から滑り込む。

「元気そうね」

 少し暗いが、明かりは灯っている。

「沙代李(さより)か。キミも元気そうでなによりだ」

「大仕事だもの。病気になンかなっていられないわ」

 沙代李、両手に下げてきた大型のバッグ2つを持って、廊下を進む。

「その右側が居間だ」

「いい部屋じゃないの。古いけれど……」

「これでも、連日、徹夜して片付けたンだ」

「頑張り過ぎて、倒れないでよ」

「そうだな。見ず知らずの男が空き家で死んでいたら、大騒ぎになるからな」

「それで、どうなの? うまくいきそう?」

「出だしはまァまァといったところだ。ただ、相手もかなり警戒している」

「当然よね。これを持ってきたわ」

 沙代李、バッグを開け、中身を取り出す。

「これは当座の食糧……」

 次々にレトルトパックや即席麺などを出し、

「どこだったっけ……あァ、これ」

 A4イズの薄い風呂敷包みを男に手渡す。

「これか……」

 久能が包みを開く。

「最新のアイパッドよ。なんでも出来るわ」

「なんでも?」

 沙代李がバッグから小さなポリ容器を差し出す。

「これを一緒に使って……」

 久能、ポリ容器を開け、中を覗く。

「盗聴も、盗撮も、か……」


 競艇場の中。

 小雨が降っている。

 久能、ガラス張りになっている階段状の特別観覧席を、最上階から降りてくる。人はまばらにしかいない。

 久能、帽子にサングラス姿の背中に向かって、近付く。

「袋井さん、袋井さんでしょう?」

 袋井、ハッとして振り返る。

「久能さん」

 袋井、強張った表情になる。

「奇遇ですね。よく来られるンでしょう?」

「まァ。時々です」

 袋井、迷惑そうに目をそむける。

「私は、初めてです。ほかの町では、常連ですが……」

 久能、袋井の反応を読み取り、

「失礼します。私も一人で楽しむほうなので……」

 下のほうに席を移す。

 袋井、それを見送ると、再び予想紙に目を落とす。

 2時間後、最終レースが終わり、袋井、勝ち誇った表情で立ち上がると、換金窓口に急ぐ。

 舟券と交換に、百万円の束2つと、万札と千円札を取り混ぜ、30数枚を受け取る。

 袋井、踝を返したとき、ポンと肩を叩かれる。

「稼ぎましたね。袋井さん」

「久能さん……」

 袋井、札束を入れたばかりのショルダーバッグを強く抱きかかえ、警戒する。

 久能はにこやかな笑顔を浮かべている。

「私も、勝たせていただきました。袋井さんのおかげでしょうね」

「エッ?!」

「袋井さんと同じ舟券を買わせていただいたンです。ガチガチの本命ばかり。あなたは手堅い人だ。お金持ちは違う。ご迷惑でしたか」

「いや……」

 袋井、少し考え、

「久能さん、帰りに食事でもどうです」

 誘った。久能に異存はない。

 2人は競艇場から最寄駅までの連絡バスに乗った。

 最寄駅から5分ほどのところに「さきえ」と看板がかかった店が見える。

 店の前に軽四トラックが止まっている。2人が入ろうとすると、まだ暖簾もかかっていない店の中から、若い男が出て来た。

 紺色の前垂れをしている。前垂れには、「戸隠酒店」と染め抜かれている。酒類を納品している戸隠酒店の若主人だ。

 袋井は以前、女将の咲枝からそう聞いたことがある。酒屋は咲枝と結婚して2年。こどもが一人いる。がっしりしていて、マスクもいい。

「いらっしゃい」

 酒屋は、愛想よく袋井に言い、会釈して軽四に乗って走り去った。

 いい男であるのが、気になる。

 袋井は、一回り以上も年下の男に、嫉妬を感じた。もっと若ければ。しかし、どうにもならないことだ。

 「さきえ」は7、8人でいっぱいになる小さな店だ。

 時刻はもう少しで午後5時になる。飲み屋の開店にはまだ少し早いが、30前後の美形の女将が、真っ白の割烹着姿でカウンターから抜けだしてきて、笑顔で袋井を迎えた。

 袋井はこの女将にかなり入れ揚げている。

「栄ちゃん、いらっしゃい」

 女将、久能を見て、アレッという顔をする。

「おともだちですか?」

 久能、如才なく、

「袋井さんのお隣に越して来た久能といいます。きょうはお祝いに、ご一緒させていただきました。栄ちゃん、って、袋井栄さんだからですね」

 袋井、久能を無視して、

「咲枝さん、ぬる缶で2本」

 注文する。

 しばらくして、咲枝がカウンターから出てきて、

「何のお祝いかしら」

 言いながら、銚子を2本、2人の前のテーブルに置く。

「久能さんの、引っ越し祝いに決まっているじゃないですか」

 袋井がそつなく応じる。

 10数分後、咲枝がいさきの刺身をもってきたときには、2本の銚子は空になっていた。

 袋井はかなりできあがっている。

「咲枝さん、久能さんは独身なンです。42で、ですよ。咲枝さんも、いまは独身でしょう」

 久能、咲枝を見る。咲枝と目が合う。咲枝、色っぽく、見つめ返す。

 しかし、久能は思う。だまされてはいけない。女のこうした時の色っぽいしぐさには、何の意味もない、と。

「袋井さん。からかっちゃ、困ります」

 咲枝はカウンターの中に戻った。

 久能、酔っていることに気がつき、背筋を伸ばす。

「袋井さん。失礼ですが、お仕事は?」

 袋井、急に顔をしかめて、

「久能さん。あなたは、どうなンですか」

 久能、予想していたらしく、

「わたしは、調査です」

「何の調査です?」

 久能、声を落として、

「あなたのような人を探しているンです」

「エッ!」

 袋井、テーブルの下に置いたバッグに片手を伸ばし、強く握り締める。

「袋井さん、残りのお金はどうされたンですか」

「エッー!」

 袋井の顔色が変わる。

「金山商事から持ち出した3億円ですよ」

 袋井、穴が開くほど、久能の顔を見つめる。「安全な空き家を見つけて潜り込み、新たな逃亡先をお探しなンでしょうが、もう終わりにしましょう」

 久能はなんでもないことのように話す。

 袋井は不気味さを覚え、冷静さを失う。

「あんたは、会社に頼まれたのか」

「私は金山商事から依頼を受けたサルベージ会社と契約しているフリーの調査員です。いまなら、警察の厄介にならずにすみます。お金さえ戻れば、金山商事は問題にしないと言っています。これが最後のチャンスかも知れませんよ」

 袋井の額から、汗が噴き出している。

「奥さんも娘さんも、困っておられます。家庭に戻れる最後のチャンスです」

 久能のことばは逆に働いた。

「久能さん、あなたはいい家庭をお持ちなンですね。私だって、妻とこどもに愛されていたなら、こんなバカはやらなかった。すべては、人生を一からやり直そうと考えた結果です」

「栄ちゃん、どうしたの。しんみりしちゃって」

 咲枝が来て、空になった銚子を下げ、代わりに新しい銚子を置いた。

「これはわたしからのおごり……」

「袋井さんはモテるンですね」

 久能は、立ち去った咲枝をチラッと振り返ってから、新しい銚子で袋井の猪口に注ぐ。

「これを飲んだら、決断してください。いいですね」

「決断、って何を?」

 久能は、ポケットから紙切れを取り出し、テーブルに置いた。

「ここに書いてある口座にお金を振り込むのです。一度では怪しまれるでしょうから。何度かに分けて……」

「私がまだお金を持っていると思っているンですか」

 久能の顔が急に険しくなる。

「袋井さん。私はプロの調査員です。無駄足は踏みません。全部、調べあげたうえでやって来ているンですよ」

 しかし、袋井は信じていない。

「知っているのなら、さっさと持ち去ればいい。わざわざ隣人を装って近付く必要はないでしょう」

「知っています。あなたは、週に一度、お嬢さんにメールしていますね」

 袋井、恐怖を覚える。

「この町の名前と、町の小高い丘の中腹に建つ空き家にいる、と伝えましたね」

「あんた、娘に会ったのか」

「大学生のお嬢さんですね。あなたはお嬢さんが捜してくれることを望んだのでしょうが、結果は私に手がかりを与えることになった。お嬢さんは、あなたには関心がなくなっています。残念ですが。父親が大金を持ち逃げしていることを知っていれば、もう少し反応は違ったかもしれません……」

「娘はそのメールをあんたに見せたのか」

 久能は無言で頷く。

「あの娘(こ)は、母親に騙されているンだ」

「そうしましょう。……私はもっと知っていますよ」

 久能、目でカウンターの中の咲枝を示し、

「あなたの家に毎週通ってくる婦人はあの女将です。もっと大事なことを教えます」

 このとき袋井は、酒店の若主人に抱いた同じ殺意を、目の前の男にも感じた。

「な、なんだ」

「あなたは毎週駅前にあるコインロッカーに行きますね。追加料金を投入するために。借りているコインロッカーは1つじゃない。全部で5つ。3億円といっても、コインロッカー1つに入れることは出来る。しかし、あなたはそうはしていない。リスクを分散するためでしょう」

 袋井は酔いから完全に冷めている。

「そこまで知っていて、どうして奪わない!」

 咲枝が、ハッとして袋井を見る。

「袋井さん、声が大きいですよ。咲枝さんと一緒に暮らしたいンでしょう。彼女はあなたの素性に疑問を感じているが、金払いのよさに魅力を感じています。彼女には、もうずいぶん、お金を使っていますね。一千万ではきかないか……」

「3億円のことは彼女に黙っておいて欲しい」

「わかっています。私はあなたに危害を加えるつもりはありません。無理やり、あなたからコインロッカーのカギを奪うことは出来ます。しかし、そんなことをしたら、あなたの命がどうなるかわからない」

 久能が袋井を見据える。

 袋井は追い詰められたネズミだ。

「久能さん。3億円、全部は返すことはできない」

「わかっています。もう2千万ほど使っていますね。きょうのようにギャンブルで手堅く、少しづつふやそうとしていますね。しかし、いつもいつも本命が来るとは限らない。それにこの先のあなたと咲枝さんの生活がある。7千万円は使ったことにして、残りの2億3千万だけ、ここに振り込んでください。あとは私がうまく会社に話をします」

 久能はそう言って、テーブルの紙切れを人差し指でポンポンと叩いた。

「期限は1週間。明日から、7日以内にすべての作業を終えてください」

「もし、出来なかったら……」

「そのときは、私にも危害が及びますから、あなたの命は保障できない。お嬢さんの命も……」

「わかった」


 警視庁の取調室。

 やつれきった袋井が、刑事から事情を聞かれている。

「いままでどこにいた?」

「ですから、小さなホテルや旅館を転々としていたンです。交番に名乗り出た日の前日までは、ニュースにならなかったから……」

「ニュースを見て、出頭したのか」

 袋井、力なく頷く。

「金は?」

「最初は旅行用のボストンバックに入れていましたが、使っているうちにどんどん減って……」

「何に使った?」

「ですから、競輪、競艇、競馬、パチンコ、宝籤、独りでできるギャンブルは、なんでもやりました」

「それで、いまの所持金は、3千円か。わずか1年半で、3億円使ったというのか!」

「1日百万使えば、300日で無くなります。競輪、競艇で、それ以上使った日は何度もありました」

「わかった。ウラはしっかりとるからな」

 捜査員は、疑わしそうな目を向け、聴取を打ちきった。

 その夜。

 袋井が拘置所の暗い独房で、横になったまま考えている。

 やるべきことはすべてやった。咲枝には、若い男がいた。やはり酒屋の若主人だ。咲枝が週に一度、おれのところに来たのは、金のためだ。許せない。あんなところを見せられては。ああいう結果になっても仕方ない。

 金があれば、咲枝のような女でも自由になる。久能の家に毎晩来ていたあの女も、金さえ見せれば、いずれ、おれに付く。

 あの男、久能は用心深い。それに、体格がいい。力ではとても勝てない。しかも、悪党だ。1千万をやったのは惜しいが、一時しのぎだ。警察に出頭する決断が、なかなかできなかったからだ。

 残りは……、あの町のさびれた神社の……刑務所から出るまでの間、静かに眠っていてくれ……。長くて、10年、模範囚なら、4年で出られるはずだ……。

 

 2ヵ月後。

 空き家の中から白骨化した男女の遺体が発見された。異臭がするという近所からの110番通報で、警察が中に入って見つけた。

 遺体の身許は、着ていた衣類と持ち物から、小料理屋「さきえ」の女将と、そこに出入りしていた酒屋の若主人とわかった。2人は愛人関係にあり、その空き家を密会に使っていたが、別れ話がこじれ、女が無理心中を図ったのではないか、と見られている。

 半年後。

 袋井の3億円横領事件裁判の判決が確定した。懲役8年の実刑。袋井は控訴しなかった。

 珍しく雨はやんでいる。昨夜は、土砂降りの雨だった。

 久能はその夜、沙代李と、とある神社に出かけた。1ヵ月ほど無断借用した空き家から徒歩で10数分の距離にある、さびれた小さな神社だ。

 宮司はいない。町内会が年に2度掃除をする程度で、昼間はこどもの遊び場になっている。街灯はなく、夜は闇に閉ざされる。

 久能と沙代李は、神社本殿の裏にひっそりと立つ石灯籠に近付いた。

 大柄な久能の背丈より、30センチも高く、天辺の宝珠から笠、基礎石まで全体に青黒く苔むしている。

 久能は持参したスコップで、基礎の石の下を掘り始めた。沙代李が懐中電灯で、スコップの先を照らす。

「昨日は大雨が降って、来られなかったが、沙代李、本当にこの灯篭の下なンだろうな」

「間違いないわ。私、あの男がここを掘って埋めているところを見たもの。段ボール箱一つ分の大きさはあったから、2億円は埋まっているわよ」

「おれが、残っている金を返せば、警察沙汰にはしないと言ったのに信用しなかったのか。それとも2億の大金を手放すのが惜しくなったのか。おまえに1千万円を手渡し、もう少し時間をくれと言ったが、あれは隠し場所を探していたンだろうな。おれが最後通牒を突きつけてから7日目、とにかく、やつは警察に出頭した。ムショから出たとき、掘り返すことを考えてのことだろう。しかし、1週間、尾行した甲斐はあった」

「あなたは天才よ。サルベージ会社なンかやめて、2億円があれば、2人で好きなことができる」

「おい、もっと照らせ。何かに当たったようだ」

 石灯籠の基礎石の真下に向かって、斜めに掘り進んでいたが、土が柔らかく、すでに70センチ余りの深さまで掘り進んでいる。

「ねェ、この灯篭、倒れない? なんだか、少し傾いているような気がするンだけれど……」

「心配するな。やつが先に掘って、なんともなかったンだ。同じ穴を掘っているだけだ」

 久能は、スコップを脇に置いて、基礎石の下に手を伸ばし、ビニール紐が何重にもかけられたポリ包みを引っ張ろうとした。そのとき、突然、地面が揺らいだ。

「あなた、地震よ」

「なァに、小さい地震だ。これくらいの地震がどうした」

 久能は意に介さずに、包みを引っ張り続ける。

 揺れはまだ続いている。揺れが収まったその瞬間、久能の悲鳴があがった。

 同時に、かぼちゃがグシャッとつぶれるような、いやな音がした。

「あなたッ!」

 沙代李は夢中で懐中電灯を久能に向ける。すると、久能の背中に、石灯籠の宝珠と笠の部分が覆い被さっている。伸びきった手はぴくりともしない。

 地震の揺れと、長雨や昨夜の大雨で地盤がゆるんでいたことに加え、石灯籠の基礎部分をスコップでえぐったことが災いしたのだろう。

 沙代李は呆然としている。沙代李は思い直し、久能が掘り出した包みをナイフで切り開く。そのとき、別の懐中電灯の明かりが、沙代李の顔を強く照らした。

「キミ、何をしているンですか!」

 沙代李が顔を上げると、二人の警官が立っている。パトロール中のようだ。

 警官は石灯籠の下敷きになっている久能を見て、すぐに救急車を手配した。

 沙代李は、それにかまわず逃げようとする。

「放してヨ!」

「キミ、ケガ人を放って逃げるンですか!」

 警官は沙代李の手を強く掴み、自由を奪った。

 もう一人の警官が、沙代李が途中で投げ出した包みを開く。

 中から出てきたのは、大量の馬券、車券、舟券だった。いずれも外れの。

「これは、どういうことよ!」

 沙代李の絶叫が闇に響いた。

 その頃、袋井は刑務所の独房で思い出していた。

 穴を掘って、2億5千万円を埋めて帰ろうとしたとき、自分のものではない靴音がした。

 木の葉がこすれ合う低い音だ。闇をすかして見た。

 女だ。見られたに違いない。しばらくはその場にしゃがみ、足を忍ばせて立ち去った。そして、翌日の夜、掘り返して、同じ場所に記念の品を埋め、金は別のところに移した。

 場所は同じ神社の……。

                (了)

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空き家 あべせい @abesei

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