第二十三話 本能寺 明智
1582年五月十八日、明智惟任日向守光秀の姿は近江坂本城にあった。
秀吉からの救援要請を受け、信長より与力を取りまとめ、先に備中へ入るようにとの命を受けたからであった。
「まずは皆の存分を聞きたい」
光秀はいつものようにまずは家臣たちの意見を聞いた。
家臣に意見をまず求めるのは、明智の伝統のようなものとなっていてすぐに家臣から意見が述べられる。
今回初めに答えたのは、彼が最も信頼している重臣であり娘婿でもある、明智左馬助秀満であった。
「こたびは手伝い戦ではありまするが、援軍でございますれば我らを待っておりましょう。急ぎ兵を取りまとめ石山あたりで池田ら摂津衆と合流して、そのまま西へ向かい備中に入るがよろしいかと、婿殿にはそのまま備中に向かうよう文を送ればよいかと存じます」
婿殿とは丹波の細川忠興のことだ、光秀の娘である玉を正室としている。
「なるほどのう、他に存念はないか」
次に言葉を発したのは、光秀が秀満と並んで明智家の双璧を考えている重臣斎藤内蔵助利三であった。
「坂本の者どもは転戦に疲れておりまする。今回は坂本の兵を休ませて丹波衆を主力に兵を作るがよろしいかと」
「なるほどのう、では率いる兵は一万程度になろうか」
光秀の言葉に斎藤利三が答える。
「手伝い戦にてそれで十分かと、備中に入る頃には二万程度には膨れ上がっておりましょう」
「うむそうであろうな、他には……なさそうじゃな。では追って沙汰いたす」
そう言って光秀は自室へと戻っていった。
いつもは動きの早い殿がなぜ動かぬのか、家臣たちのは不思議に思った。
*
五月二十四日となっても光秀に動きはなかった。
秀満や利三からは、早く動かねば大殿の不興をかいましょうと、盛んに進言されている。
ただ今のところは信長からは早く動けと催促はされていない。
光秀は信長と信忠の動きに注目していた。
巷では、光秀の接待に不満を持った家康が信長に訴えて家康を信長が取りなしたや、家康が信長に訴えて光秀を接待役から解任させた、果ては家康が信長に訴えて信長が光秀を打擲したというものまで様々な噂が飛び交っていた。
ただこれらの噂は光秀の接待に対して家康が狭量を示して信長に訴えたという部分は共通していた。
「このような噂が流れるとは」
光秀は明日亀山城へ向かうと家臣たちに伝えた。
*
五月二十九日、光秀は明日出立することを重臣に告げ自室にて過ごしていた。
二十六日に亀山城についてから、一昨日愛宕権現に参拝し、ものは試しとくじを引いてみたが良きことはなかった。
さらに昨日連歌の会を催してみたが気は晴れることなどなく、信長より命を受けた日から同じことばかり考えている。
彼から受けた命は「三河を殺せ」であった。
光秀にとって家康は織田の同盟相手の当主というだけで、なんの恩義もない相手だ。
殺すこと自体は何の躊躇もない。
これが織田に反抗でもしていれば喜んで殺したであろう。
殺すのはいい、ただ殺した後が問題だった。
家康を殺したことを口実に、信長に兵を向けられることや、徳川へ謝罪として詰腹切らされることは大いにあり得ると光秀は考えていた。
信長が意図的に流したであろう噂から見て、光秀の応対の不満を信長に訴えた家康を恨んで殺したという筋書きになるだろう。
問題はその後の保証が何もないことだった。
光秀は織田家の粛清が始まってから、自らも粛清されるのではという不安を常に持っていた。
教養人であるだけに鎌倉でそして唐で起きたことが、無関係などとは思えなかった。
結局のところ忠誠を示し続ける以外に、疑念を晴らす方法などはありはしないと頭ではわかっているが、だからといって簡単に心から信じて動けることができるほど単純な性格はしていなかった。
光秀の見るところ、信長は無教養な田舎者であった。
茶道具など集めて、茶道などに凝っている振りをしているが、公家などとの付き合いに必要であるからしているだけで、本来は馬や弓や相撲などを好む田舎者だった。
本質的に教養人の自分とは合わないところがある。
さらに、信長に散々歯向かった将軍足利義昭を細川藤孝に協力して結びつけたのも自分であった。
彼のせいで死んだ信長の家臣や兄弟も数多い、不満を持たれても不思議ではない。
さらに軍功の点でも不足に思われていても不思議ではないと思っていた。
信忠が武田を滅ぼし、柴田が上杉、滝川は北条、羽柴は毛利と対峙して攻め滅ぼす勢いであった。
丹羽は安土築城と四国征伐の軍監だ。
それに比べて明智は各地を転戦した事もあって、単独では丹波の波多野を滅ぼしたのがせいせいで、相手の名は輝かしいものでない。
しかし、不安に思うからといって家康を殺さぬ訳にはいかない。
命に背けば確実に粛清される。
殺せば、粛清されない目はある。
どちらを選ぶべきかは最初から決まっていたのだ。
ただ、信長と信忠を巻き込まない様に機を待っているうちに迷いが生じただけだ。
明日になれば出陣となる。
賽の目はどう出るか分からぬが、賽は転がさねばなるまい。
*
六月一日明智軍はついに亀山城より出陣した。
率いる兵は一万を少し超える程度で多くはないが、家康を殺すという隠された目的からも、毛利への援軍という目的からも問題のない数と言えた。
夜前に京の近くに着いて、そこで兵を休めるついでに、京で家康の動向を探ってから兵の行き先を決めればよいと考えていたので、亀山城からの出立は昼前とした。
家臣たちもひとまず出陣したことに安心していたし、夜前に兵を休め、長い遠征に備えて京に人を送り物資を調達するのであろうなと、進軍計画に疑問は持たなかった。
運命を変える知らせが光秀に届いたのは、全くの偶然だった。
それは信長親子を家康殺害に巻き込まぬため、動向を探らせていたものからの知らせであった。
家臣に自らの動きを悟られないよう、文にて動向を知らせるようにしていたため、そこに何が記されていたのか家臣たちには分からない。
「ここで休息とする」
光秀は文に書かれていたことについて、考える時間が欲しかった。
文には『大殿二九日より小姓など五十ほど引き連れて上洛し本能寺に、上様も同日母衣衆一門など四百ほど率いて上洛妙覚寺に両名とも京にて数日滞在』と簡潔に書かれていた。
彼の明晰な頭脳は今の織田家の兵の配置と、それらが畿内に兵を向けるまでにかかる時間を予測した。
少なくとも誰も一月はまともに動けない。
畿内に兵を向けるは、早くともさらに一月はかかるはず、自分にとっては十分すぎる時間だ。
後は賽を転がすのか、それとも賽を壊すのかを決めるだけだ。
長い時間が過ぎる、もしかしたらそう感じただけかもしれない。
そして光秀は決断した。
賽を壊すことを……
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