第36話 毛嫌いすることなかれ

 結婚五年目、保育園に通うお子さん二人、子育て真っ最中のパートタイマー

Yさんが帰りのタイムカードを打刻しながら話しかけてきた。


「ダンナが脱毛するって言うんですよ~」


ほお。最近は「将来介護されるときに備えて」と“VIO”をキレイサッパリ

脱毛する若い人が増えていると聞いたことがあったので、Yさんの旦那さんも

“意識高い系”なのだろうと思ったら


「あー、ちゃいますちゃいます。アソコじゃなくて腕・脚・ワキ、あと髭?

浮気、疑ったほうがイイですかねぇ~?」ケラケラと明るく笑う。

言いながら微塵も疑ってはいないのだろう。


男性パートナーが体を鍛え始める、新しい下着を自分で買い足す、口臭をやたら

気にする(ガムなど嚙み始める)などをいっぺんにしだした時は浮気を疑えと

聞いたことはあったが、今ではそれに脱毛まで加わったのか。


実は精六さんも過去に一度、脱毛すると言い出したことがあった。

あれは結婚2年目だったろうか。


精六さんはとっても毛深い。手の甲などは爪と手のひら以外が毛で覆われていると

言っても過言ではない。

それが肘あたりまでふさふさしている。脚もしかり。

これはたぶん幼い頃からアトピーの薬を塗っていた副作用かなと思う。

お笑い芸人・すゑひろがりずの三島さん(鼓を叩いてないほう)がたまにTVで

毛深さをいじられているが、肌質がうちの精六さんと似ているのであの方も

そうではないかと勝手に想像している。そして、私は彼らのファンだ。


副作用かどうかは置いといて、T字カミソリでは肌を傷めそうだし、脱毛クリームも

アトピーに良くない感じがするし・・・と止めたのだが「やってみたい」と譲らない。私もこれだけの剛毛がクリームごときで脱毛できるのかと興味が湧いてきたので

とりあえず両腕やってみようということになった。

脱衣所から真っ裸で「手伝ってくれ」と言ってくるこの男は絶対に浮気はしないだろう。

Yさんの旦那さんも妻にモテたくて言い出したに違いない、たぶん。


塗布10分後、もう捨てるだけのボロタオルでその部位を拭ってみたら、

なんということでしょう。本人も何十年ぶりに見る腕の皮膚。

お風呂からあがったらお赤飯でも炊きそうな喜びムードの私たち。

肌荒れもしなさそうだし、精六さんのコンプレックスが一つでも減るならば

また生えてきた頃に脱毛クリームを買ってきてあげようではないか。


そう思っていたのだが。


まず、翌朝。まだ眠っている精六さんを見て思った。

「腕、なんか、黒くね?」と。

そっと撫でてみると、チクチクしている。

本人に言うか言うまいか迷って、言わずにそのまま仕事に送り出して夜帰宅すると

精六さんが「昼過ぎくらいに、なんか、もう、普通に生えとった」

と手の甲と腕を見せてきた。

驚くなかれ「明日には元通りになってみせますよ!」という意気込みすら感じる毛たちが立派に整列しているではないか。


精六さんも「24時間保たんかった」と苦笑いしている。実際は8時間

ってなかったのだ。

守ってる。意思を持って精六さんの皮膚を守るために生えてきたとしか思えない。

おかげさまで1週間後には元通りに戻ったので、精六さん脱毛プロジェクトは

一瞬にして終わった。


そんな話をかいつまんでYさんに話してみたら

「え~~?!私、毛深い男の人ムリです~~。結婚前に気づかなかったんですか?」


いや、手の甲がふさふさなのだから、気づく気づかんも無い。

それにどこの毛であっでも多い少ないは私にとって重要なことではない。


そういえば毛にはこんなエピソードがある。

プロポーズも済んで、いよいよ私の実家に挨拶に来てくれた時のこと。

祝日を選んだので兄家族も集まって、全員の前で“決意表明”をすることになり

よっぽど緊張していたのだろう、彼は「憶えていない」と言うのだが

「果実さんと結婚を前提にお付き合いさせていただいてます」と喋ってる間中、

彼はずーーーっと左手の甲の毛を右手の人差し指と親指でを作っていた。当時小学6年だった姪が、精六さんが毛でこよりを作る様をじっと見つめていたのが印象的だった。笑いもせず、引きもせず、将来の叔父さんを温かく見守ってくれていた彼女も今年で20歳だ。

毛は精六さんの皮膚だけでなく心も守ってくれるときがあるのだ。


友人の高校生のお嬢さんも、制服が冬服の間は気づかなかったが

夏服になって片想いしてた男子の腕が意外に毛深く一気に恋心が冷めたという話をしてくれた。いまどきの若い女性は毛深い男性が苦手なようだ。

精六さんの毛は、家庭も円満に守ってくれている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る