第21話 子宮頸がん(高度異形成)手術

 2020年4月25日から4日間、人生初の入院をしていた。


結婚してすぐ、市から健診の案内がきて気軽に受けたところ、子宮頸がん検査に

ひっかかり、軽度異形成から始まって、2年目には中度異形成、3年半後に高度

異形成に移行したことで医師から手術を薦められたのだった。


冷静に医師の話を聞いていたつもりだったが、詳しい内容は憶えていない。

ただ、検査のためだけに通っていた近所の婦人科では「手術ができない」と

言われただけで「どこそこ病院に紹介状書きますね」とも言われず、ネットで

調べて、連絡し、紹介状を書いてもらい、予約した。

インターネットがある時代で、良かった。

予想外に何も世話を焼いてくれない婦人科だったことでクヨクヨする時間もなくて

あっと言う間に術前検査の日を迎えていた。


術前の検査でわかったのは、高度異形成の“前編”“後編”で言うところの後編だから

良くない部分を「くりぬく」よりも、子宮を全摘したほが安心だろうということであった。実際に取ってみてリンパにまで及んでいた場合は後日、開腹して卵巣まで取る手術になるという説明だった気がする。

そもそも30歳の頃から子宮の外側にピンポン玉大の子宮筋腫を4個ほどこしらえて

いたので「お子さんを産む予定がないなら」と全摘を薦められることに異存は無かった。


インターネットが身近にあることで、困ったこともあった。

なにしろ、すごい数の体験談が検索結果にあがってくるのだ。

その中には後遺症体験談もいっぱいあって、究極のところでは死亡例も見た。

ホルモンバランスが崩れて更年期障害になった、太った、禿げた、トイレが近く

なった、倦怠感で働けなくなったなどいろいろ書いてあって安心材料よりもそちらに

目がいってしまう。

案の定、悪夢を見て泣く日もあった。


でも。放っておいて良いものではないのだ。

まな板の上の鯉、だ。傷の大小はあれど腹を切ってもらう以外の選択肢が無い。

治す、一択。エイエイオー。


入院期間は5日間(※実際は4日間。のちほど説明する)。

すぐ職場復帰した人の話もネットで読んだが、うちの職場スタッフが

「気を遣うから、長めに休んでくれ」と、厳しくも愛のあることを言ってくれた

ので思い切って3週間の有給休暇届を出して、入院に臨んだ。


おりしも、コロナ禍第一波の頃である。


刻一刻と情報も状況を変わり、当日は入院するフロアの隔離扉まで

精六さんは入館できて、ガラス越しに「いってきます」を言った。

先に書いておくと、手術翌日はエレベーターホールまで入館可能、

退院の日は入館禁止になっていた。


このころは公共機関や飲食店などでコロナ患者が一人でも出れば発表しなくては

ならない、みたいな不文律があり、この病院でも私の入院当日の新聞に一人の

発症が確認できましたと発表されていた。


それで、だろう。

4月後半。まだほんのり寒い日が続いているのに、窓という窓は開け放たれ、

暖房は切られ、布団極薄、看護師さんはマスクにフェイスシールドの二重防御で

密閉型のゴーグル着用、フロアの出入りは極力禁止で、もし用意し忘れたもの

などあれば買い物は1回で済ませるようにと言い渡され、

それはそれは物々しい雰囲気での入院スタートであった。


私は初めての入院だが、母が私の小学3年の頃から長期で入退院を繰り返して

いたこと、歳をとってからも毎年のように骨折しては2か月ほど入院していた

時期もあったことで、病室の感じや入院生活のことは「初」の人よりはわかって

いるつもりだった。


しかし、コロナのおかげでその経験値はゼロスタートになった。


同室の人との会話は基本禁止。

ベッド周りのカーテンも常に閉めておいてくださいと言う。

これは、私にとっては助かった。気を遣わなくて済むし、袖振り合うも他生の縁

(※余談だが、これを書くまで袖すりあうも他生の縁だと思っていた)とばかりに、

ずけずけとプライバシーに踏み込んでくる人を何度も見たことがあるので

カーテン内に引きこもれるのはありがたかった。


いよいよ手術当日。

手術室に向かうイメージも「ドラマと、ちゃうやん」と衝撃だった。

ドラマでは患者である私は病室からストレッチャーに乗せられて手術室に移動。

不安そうなところを私に見せまいと強がる精六さんが、私の手を握り真剣な顔で

「ガンバレよ」と言う。同じく強がって笑顔で「うん」と頷く私。

手術室の前には廊下があって、黒い長椅子に座って祈るポーズの精六さん。

ほどなくして「手術中」の赤いランプが消える。血の一滴もついてない術着でドアを

でてきた執刀医が「手術は成功しました。2時間もすれば麻酔が醒めるでしょう」

とか言ってるところにかぶせ気味にストレッチャーに乗せられた私、登場。

私の手を強く握る精六さん。麻酔がまだ効いているはずなのに、ふわっと目を開ける

私。「頑張ったな、もう終わったで。おつかれさん」と声をかけてくれる夫・精六。

ああ、終わったんだなと安堵してまた深い眠りにつく私。

そして再び目覚めてベッド脇を見ると手を握ったままの精六さんがそこに・・・。


最近のドラマを観ていないので、描写が「土曜ワイド劇場 法医学教室の事件ファイル」あたり(平成中期)で止まっていることは、さておき。


これはコロナと関係ないが、手術室まで自分で歩いて行くとは思っていなかった。

いや、運んでほしかったとかそういうんではなく。

そもそもイメージしたこともなかったのだ。

自分でヨッコイショと手術台によじのぼるなんて。

スポットライトの数もすごくて、晴れがましいのもだいぶ面食らった。


目覚めたときに夫が居ないのはまだ良いとして、麻酔の副作用で一晩中、吐き気と

格闘することになるなんてドラマでは起こりえない。想定外だ。

しかも窓が開け放たれた極寒の病室で。

腹の傷よりも、腰痛が酷かったことも記憶に刻まれている。


家族が傍にいる状況で、明日も病室に寄ってくれるなら腰のコルセットを持ってきてもらうところだが、そうもいかない。

ただ寒さと腰の痛みだけはどうにも我慢できずに、電子レンジであたためて使う

湯たんぽ(ゆたぽん)を病院からお借りした。

これもコロナとは関係ないだろうが、ゆたぽんが冷めてきたら点滴タワーをコロコロ

散歩させながら自分で給湯室の電子レンジまで行かねばならなかったのも、術後1日目にはなかなかツライ行動であった。

ちなみにゆたぽんには痛みも寒さも本当に救われたので退院後に同じものを購入した。


おかげさまで、腹腔鏡手術の術後の傷の経過も良く、翌日“生検”の結果も出てリンパへの転移もなく、手術は成功。

退院後の何回かの検査はあるらしいが、ようやく子宮頸がんの恐怖からは解放されることとなった。


さて、入院期間のことである。


手術前日・当日・翌日・術後3日目。

術後3日目には軽くシャワーも許してもらえて、痛みも翌日と平行線、

昼頃には点滴もはずされた。

寝て過ごすなら、家で休んだ方がラクかもと思った。


あと、明日で退院しよう!と決めた決定的な理由は、精六さんだ。

彼とは毎日LINEで連絡を取り合って、夜になったら「今日はなに食べたん?」

と訊くのがお決まりだったのだが。


一日目「会社の帰りに王将で餃子食ったよ(ピースサインの絵文字)」

二日目「手術無事に済んだし、王将で餃子とビールで祝杯(ピースサインの絵文字)」

三日目「吉野家にしようかと思ったけど、王将に来てしもたわ(爆笑してる絵文字)」


・・・あかん、これ、四日目も五日目も王将で餃子食べるパターンや・・・


彼曰く「手術が終わるまではビールは飲まんかった」のだそうだが、そこは

褒めポイントなのか。

そんなことより、一日でも早く帰らねば夫が餃子臭くなってしまう。


そんなわけで「ドクターが許してくださるなら明日、退院したいんです」と

ナースステーションに申し出たのが4日目の昼頃。

とんとん拍子に話は進み、5日目の早朝に退院することになった。


残念ながら4日目の晩は退院前日となったため、王将連チャン記録を更新したか

聞きそびれたが、たぶん王将で餃子を食べたのだと思う。


私と同じように、高度異形成の手術が決まってネットであれこれ情報をかき集めて

いる人がこのページにたどり着いていたとして「余談」だけ追記しておく。


私は術後に太ったが、医師が言うには「太り方が中途半端」なのだそうだ。

「ホルモンバランスが崩れて~とか、腹筋が衰えて~とか、10キロ20キロ

太ったなら、ああそうかもねと思うが5~6キロ増えたのは、ただ、増えただけ

でしょう」ということであった。術後2年は増える一方で困っていたが、今年に

入ってからちょっとずつ減り始めて2~3キロ増ゾーンまでやってきたので、もし

体重が増加したとしても心配ない。戻る。安心して手術してほしい。


あと、私の場合、切り傷がケロイド状になる肌質をしているため、術後3年半

経っても傷跡が残っているが、温泉にも行っているし、おおむね良好に過ごしている。


最後に。これは患者さんではなく、子宮を失った人、これからその手術をする人が

周りに現れたときの話として聞いてほしい。


私は子を産まないと決めていたし、その事情を知っていた人も、知らない人も両方

いたけれど、

自分で言うのと他人から言われるのでは“違う”言葉というものがある。それは


「どうせ産む気なかったんでしょ?」 だ。


ほかにも傷ついた言葉は結構ある。


「生理なくなってラクで良かったやん」

「私の友達も子宮全摘した人いるよ。別に、取ったこと以外は普通やろ?」


この3つは、言ってる側が本当に悪気無く言ってるだけに、かなりエグられた。

意外、だろうか。

私も悲劇のヒロインぶるつもりはないが、少なくとも私ではない誰かから

言われたくなかった言葉たちだ。

男性なら、睾丸をひとつ取った人も同じ気持ちかもしれない。でも、それも

私には言われたくないかもしれない。不快だったなら申し訳ない。


さきほど「悪気無く言っている」とは書いたが、言われた側としては

「子宮取ったくらいで(エラそうに語んな、しんどそうにすんな)」という

意味が含まれているのではないか、と委縮してしまい「そーですよねー」と

傷つきながら返すしかないのだ。

何度も言うが、私(本人)が

「どうせ産む気なかったし」「生理なくなってラクやわ」「別に取ったこと

以外は普通やで」と言ってるなら、それでよいと思う。


「こんなん、言うわけないやろ・・・」と引いた方もいらっしゃるかもしれないが、

世の中には「言う人」もいるということをわかっていただきたくて、書いた。

もし、なにか気の利いた一言を掛けねば、と思ったならば「大変やったね」

「無理せんときや」だけで良いと思う。

反対にそれ以上のコメントを望む“ご本人”も世の中にはいらっしゃるかもしれないが

言葉が少ないほうが伝わることもたくさんあると思う。


次話は、もう少し明るい話。

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