【ご依頼実績】ご依頼者様より公開許可有・転用・利用不可

山羊の卵

ご依頼者様:白雲蛍様【阿朽の狛犬】

ご依頼者様:https://twitter.com/Sirakumohotaru

┏「白雲 蛍」様━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

┃配信アプリ「イリアム」にて活動中          ┃

┃素朴でホロ甘さの香る声でトーク配信をメインに    ┃

┃活動されていらっしゃいます。            ┃

┃今回はご自身のキャラクターに合わせた【犬の話】を  ┃

┃ 朗読台本としてご依頼頂きました。         ┃

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

このエピソードは二次転用・二次利用不可となっています

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…以下、本編となります。


[導入]

どろんこワンコ、目が覚めた

辺りは、まっさら砂ぼこり、遠くにちらほら人が居て

だけども、だぁれも、近寄らない。


それでもワンコ、胸張って

いつか夢見た腕の中、やさしいあの子の腕の中

おおきく声上げ、遠吠えた。



第一章【イキモノ一匹 歩いた一歩】


今よりも遠くて、近いほどに昔

気が付けば、そのイキモノは、そこに居ました。

ビルとビルの間、薄暗く、どこか生暖かい風が吹いてくる、

そんな場所に、一匹でジっとしています。


そのイキモノには、灰色の毛が生えていて

けれども首のあたりに大きな、泥の付いたような毛並みが生えており

四本足を小さくたたんで、ジっとしています。


太陽が昇り、ネズミ達が家に帰る頃

眩しい朝日と人の声が聞こえてきても、そのイキモノは

薄暗い中で、身を縮めています。


「ボクは、なんでここにいるんだろう」


そのイキモノは、ジっとしながら考えます。

昨日の大雨で体が冷え切ってしまい、上手く体が動かせずに居ました。


冷たい雨に打たれて、ぐったりとして

関節がギシギシと音を立てる様に痛み、そのイキモノは

ぼんやりとうずくまっていました。


「体が痛いなぁ…それにしても、本当に、ボクはいったい何でここに居るんだろう」


そんなことを考えていると、ガタっと後ろで音がした気がしました。

振り返るとゴミ箱が倒れて、中から食べ物のカケラや食べ残しが転がっていました。

痛む体を引きずって、そのイキモノは、ぼんやりとした頭でそれを食べます。


すると頭の上から、低く恐ろしい人間の男の声がしました

「なんだこの汚い犬は、しっし…まったく、野犬が出るようになるなんて、

 最近はここら辺も、もうダメかねぇ…ほら!散らかすんじゃない!しっしっ!」


そのイキモノは、その子犬は、棒で邪険に払われて、仕方なく逃げ出します。


「何もしていないのに…痛い事をする人は、嫌だなぁ…

 …でも、ちょっと食べたら、体が動くようになった、あぁそうか…

 ボクは『犬』って言うのか…」


子犬は少し軽くなった体を、ひきずる様にして路地を歩きます。

目の前には、段ボールの束や、嫌な臭いがする黒いゴミの袋が

冷たいアスファルトにもたれ掛かる様にして積み重なっています。


「これからボクは何をしていこう…」

そんなことを考えながら、子犬はトボトボと路地を歩きます。


「…そうだ、知ってる。確か、犬には、カイヌシが居るんだった」

何かを思い出した様にして、子犬は顔を上げました。


「カイヌシは、犬のご主人様で、優しくしてくれて

 犬はカイヌシを一生懸命に守って、ずっと一緒に居るんだ…」


誰に言うわけでもなく、子犬は自分自身に語りかけます。

すると、虚ろだった子犬の瞳に段々と輝きが戻っていきました。


さっきまでの一歩より、どこか胸が弾むような

肉球の後ろから、大地をしっかりと蹴って

まだ見たことの無いところに、何かは分からないけれど

希望を持って一歩を踏み出せた気がしました。



第二章【ゴシュジンサマ探し】


道の端までやってきた子犬は、歩いていくニンゲンを眺めました。

忙しそうに早足で通り過ぎていくニンゲンや、

ゆっくりと木の枝を持って歩くニンゲン、家の窓を拭いているニンゲン

そこには、たくさんのニンゲンが居ました。


すると、大きなニンゲンと小さなニンゲンが手を繋いで

子犬の方に歩いてきました


「おや、捨て犬かな?」


大きなニンゲンがそう言うと、小さなニンゲンが話し始めます。


「かわいそう…ママ、それじゃ、この子お家で飼えない?」


大きなニンゲンは、子犬の事をジロジロと見始めました


子犬はその目が、段々怖くなってきましたが

それでも一生懸命に、自分のご主人様になって貰おうと

吠えるのを我慢して、大人しくしています。


「うーん、この犬は、首のあたりが泥で汚れているみたい」


大きなニンゲンがそう言うと、小さなニンゲンも子犬をジロっと見て

それから…


「本当だ!それに嫌な臭いがする。臭い子だね!ママ!」


「うーん、汚くて臭い…これはウチでは飼えないね…」


大きなニンゲンと小さなニンゲンは、子犬に興味が無くなったのか

それだけ言って、どこかへと行ってしました。


子犬は、なんだかとても悲しい気持ちになりました

けれども、どうして自分がその気持ちになったのか分かりませんでした。


それでも、自分と一緒に居てくれるご主人様を探す為に

またジっと、道の端でニンゲンが通りかかるのを待ちました。


すると、小さなニンゲンが何人かで子犬のそばにやってきました。

「あれ?こんなところに犬が居る、みんな見てみろよ」


小さなニンゲン達は、子犬の回りをぐるりと囲みます。

子犬は大勢に囲まれて、少し怖い気持ちになりました。

けれども、この中に、自分のご主人様になってくれるニンゲンが

居るかもしれないと思いジっと、視線に耐えました。


「この子犬はどこからきたんだろう、見た事が無い犬だ…けど、汚い犬だね」

小さなニンゲンがそう言って、子犬に触れようとしました。

子犬は一瞬、体をビクつかせましたが、ジっと堪えました。


それを見て、子供が子犬をつつきます

「ほら見て!この犬吠えないよ!」


「ホントだ!棒で突いても、噛みついてきやしない!きっと弱虫犬なんだ」


あっちのニンゲン、こっちのニンゲンにもみくちゃにされ

子犬はとてもつらい気持ちになりました。


どうして、このニンゲン達はボクの事をまるでオモチャの様に扱うんだろう、と

不思議で嫌な気持ちが溢れてきます。


「ほら!弱虫犬!悔しかったら噛みついて来てみろ!」


子犬は、段々とそのニンゲンの事が嫌いになり始めてきました。

小さなニンゲン達は、飽きたのか、いつの間にか子犬の回りから居なくなっていました。


子犬は、ぐったりとした気持ちで、トボトボと、うす暗い路地に向かって歩き出しました。


第三章【チクサの名前】


ニンゲンに突かれ、沢山のひどい言葉をぶつけられ

子犬はすっかり疲れて、悲しい気持ちになってしまっていました。


そうして暗い路地を、フラフラと歩いていると

路地の奥の方から、小さな女の子の鼻歌が聞こえてきました。


「んーふふーふふふー…んーんーんー」


何の曲なのか、はたまた歌なのか、子犬には分かりませんでしたが

子犬は、その鼻歌を聴いていると、元気な気持ちが湧いてくるのを感じました


鼻歌に耳を澄ませていると、段々と鼻歌が近づいてくるのが分かります。


「んーふーんー…あれ?ワンコだね…君はどこから来たんだい?

 …って言っても、私だってどこから来たのか忘れようと、

 鼻歌を歌い散らかしていたんだから…それを人に聞くのは失礼かな?」


女の子は、少し不思議な話し方で、子犬に話しかけます。

子犬は、またニンゲンに意地悪な事をされるのではないかと身構えて答えます。


「ボクは、ボクのゴシュジンサマになってくれるニンゲンを

 探す為にアチコチ歩いてきたんだ…」


女の子は、子犬の事をじーっと見ながら、子犬の話を聞きます。

他のニンゲン達のように、無理やり子犬に触れようとはしませんでした。

ただ、じーっと、子犬の瞳を見て、話を聞いてくれました。


子犬は、女の子が話を聞いてくれたので、素直な気持ちで話すことが出来ました。


「…だけど、どこへ行っても、ニンゲンに臭い汚いと言われて

 疲れて、ここまで来たんだ…ボクはもう、どうしたらいいのか分からないんだ」


「そっかそっか…君がどれだけ大変だったかは、

 私には話を聞く事しか出来ないけれど、きっと大変だったし、

 きっときっと、ひどい気持ちになったんだろうね…」


女の子は続けて言いました


「んー、私は君のゴシュジンサマ?になってあげられることはないけれど

 それでも、君が私と居たいと思ってくれるのであれば

 私は君の事を邪魔だとは思わないし、私は君が居てくれるのが嬉しいよ」


子犬は、その言葉を聞いて、何故だか背中がむずがゆいような

じんわりと胸のあたりが温かくなるような気持ちになりました。


「ボクは…君と居てもいいの?」


「もちろん、君が望む限り、私のところが、君の居場所になるんだよ

 ……それはそうと、いつまでも『君』じゃぁ味気がないね

 子犬くんはなんていう名前なんだい?」


「名前?ボクには名前は無いんだ…自分が犬だっていうのも

 つい最近知ったばかりなんだ…名前ってそんなに大切なモノなの?」


子犬は、女の子と話している内に、

どんどんと女の子の事を好きになっていく自分が居る事に気が付きました

それから、この先に、きっと素敵な何かがあることを感じました。


「そりゃそうさ、名前は自分が歩いた道に、そこで出会ったヒトとの記憶

 自分が自分であるために必要な、とても大切なモノなんだ

 ……そうだなぁ、名前がないのであれば、私が君の名づけ親になってもいいかな?」


子犬の尻尾は、いつの間にかブンブン音を立てて揺れていました。


「うん…そうだね、君の名前は…私の名前一部からとって

 …『チクサ』何て言うのはどうだろう?」


第四章【迷子のチクサ】


それからの時間は、子犬にとって…チクサにとって

とてもかけがえのない時間でした。


路地で出会った一人の女の子は、

ゴシュジンサマを探す子犬のチクサといつも一緒に過ごしてくれました。


夕闇に怯えている時も、女の子はチクサの背中を優しく撫で、

お腹が減った時には、ふたりで川に釣りに行ったり

女の子がどこからかくすねてきたパンを、一緒に齧ったりしました。


女の子はチクサの毛並みを優しくとかし

泥の様な模様も、キレイだと褒めてくれました。

それはきっと、ナニかから与えられた、特別な印なのだと

優しくなでてくれました。


チクサは、すっかり女の子の事が大好きになっていて、

この子の隣が、自分のいるべき場所なのだと、そう思うようになっていました。


夜眠りにつく時も、女の子はチクサの事を優しく抱きしめてくれました。

ただ、時たま、女の子はボーっと空を眺めて何かを考えている様でした。


チクサは星空に照らされた、女の子の顔を見て綺麗だと感じました。

そこには、なにか、触れれば音も無く崩れてしまうような美しさがあったのです。

チクサは女の子に話しかけます。


「ねぇ、ボクは君と居られることが、とても嬉しいんだ。

 これからも、ずっとずっと、そばに居させてくれるかい?」


女の子は、チクサの頭を優しくなでながら言います。


「そうだねぇ、私も、チクサとずっと一緒に居たいと思ってはいるんだよ

 このままの時間が、ずっとずっと続けばいいとも思ってはいるけれどね

 いつだって時間ってやつは、お構いなしに、まるで絡めとられるハチミツの様に

 流れて行ってしまうものなんだ、だから、これからの話をするものいいけれど

 今夜は、ほら…星がとても綺麗なのだから、二人でコレを眺めようじゃないか」


チクサは、いつも通り少し不思議な話し方をする女の子の

いつもの様な、何かを誤魔化すような言葉の選び方に

胸の奥でザワっとしたものを感じました。


けれども、あまりにも、女の子が優しく抱きしめてくれるので

そんな不安な気持ちも、いつの間にか訪れた眠気と共に

ゆっくりと瞼の奥に消え、ねむりについていました。


きっと明日も、今日の様に女の子と過ごし

お腹が減れば、今度は一緒に何を探しに行こうか

いつこの前まで、自分が何の生き物かもわからなかったチクサですが

幸せで甘い夢の中に、どっぷりと落ちていきました。


…翌朝、太陽の光にくすぐられ、目を覚ますと、

チクサの横に居たはずの女の子は、その温もりと共に、

居なくなっていました。



第五章【ニンゲン】


チクサは、女の子が、どこか近くにいるものだと

寝床から辺りを見回しましたが、そこには誰も居ませんでした。


ただ、いつもと同じ薄暗い路地が、朝露に濡れてシンと静まり返っています。


「ねぇ…どこに行ったの…?かくれんぼをしているのかい?」

チクサの細い声に、返事をするものは誰も居ませんでした。


不安な気持ちが腰のあたりからヌっと手を回してくるようで

それを振り払うために、チクサは走り出しました。


「ボクは犬なのだから、きっとあの子の匂いをたどれば

 どこに居るのかもわかるに違いないっ!」


チクサは幸せな記憶を頼りに、女の子の匂いを探します。

薄暗い路地裏に、かすかにではありますが、女の子の優しい匂いが残っていました。


チクサは必死に鼻をきかせ、匂いの道を歩きます。

すると、白い塀に囲まれて、鉄の格子がついた一軒の家の前に

女の子の匂いが繋がっているのが分かりました。


子犬のチクサが、一生懸命に背伸びをして

鉄格子のはまった窓から覗き込むと家の中に、

あの女の子が居るのが見えました。


「ねぇ!ここだよ!君のチクサが会いに来たよ!!」


女の子はチクサの声が聞こえないのか、少しもコチラに気が付きません


「ねぇ!ここに居るよ!!またボクと遊んでおくれよ!!

 …そうだ!今度はかけっこをしよう!ここに来るまでに沢山歩いたんだ!

 次は君にだって負けないよ!!」


窓ガラスが分厚かったのか、それともチクサの声が小さかったのか

はたまた、女の子の耳が聞こえなくなってしまっていたのか

女の子はベッドに横たわったまま、ピクリとも動きません。


ただ、その顔は、どこか苦しそうに見えました。


「どうしたの?お腹が減っているのかい?

 ボクが食べ物がある場所に連れて行ってあげる!!

 だから目を覚まして、またボクの事を、その綺麗な瞳で見ておくれよ!」


チクサは何度も話しかけましたが、女の子は、とうとう返事をする事がなく

その内に、チクサの声に気が付いた、大きなニンゲンがやって来て

チクサを追い払うようにして、窓のカーテンを閉めてしまいました。


「どうしてボクに気が付いてくれないんだろう…

 どうしてあの子は、苦しそうにして目を覚まさないんだろう…

 なんだか、とても悲しくて辛い気持ちになってきた…」


チクサは、本当はずっと、あの子のそばに居たかったのですが、

また、大きなニンゲンが来て、ひどい事をされてしまうのではないかと

仕方なく、来た道を引き返していきました。



第六章【お願い事の年寄猫】


子犬のチクサは、悲しい気持ちになりながら道を歩きます。

すると前の方から、子犬のチクサに話しかける年寄猫の声が聞こえました。


「おや、これはチクサちゃんじゃぁないか」


年寄猫は、チクサが少女と出会ってしばらくした後に

チクサに話しかけてくれるようになったイキモノの一人でした。


「そんなに悲しそうな顔をして、どうしたんだい?」


チクサは年寄猫に、少女の事を話しました。


「そうかぁ、ニンゲンは私たちよりもずっと強いはずなのに

 ふとしたことで、すぐに死んでしまうからね…こればっかりは

 私たちにはどうしようもないんだよ」


「そんな…あの子の為に、ボク出来る事は何もないの?

 ただ、あの子が苦しそうなだけで、とても心が辛いんだ…」


年寄猫は優しい瞳でチクサを見つめてから、静かに言いました。


「そうだねぇ、もし出来る事があるとするならば

 カミサマにお願いする事くらいだろうねぇ…この町の外れの山に

 この町で一番高い所があるだろう?カミサマはそこに住んでいるんだ


 けれど、いつでも会えるわけじゃない…なんども、なんども訪ねてごらん

 もしかしたらカミサマが、お前さんの願いを聞いてくれるかもしれないよ」


「その、カミサマなら、あの子が辛いのを助けてくれるの?」


「お前さんの願いが本当なら、きっと叶うだろうねぇ…」


チクサは、年寄猫の言葉を聞いて、すぐに走り出しました。

きっとカミサマが、あの子を助けてくれると信じて

町で一番高いところへ駆け出していきます。


そんなチクサの事を、笑う様に見つめながら年寄猫は呟きます。


「けれどね、子犬ちゃん、カミサマは君のお願いを

 本当に叶えてくれるのかね…」


もうすっかり小さく遠くなった背中に、

その声は届くことはありませんでした。



第七章【山道一匹】


それから何回も太陽が昇り、月が顔を出し

星たちが何度もまたたいて、雨が降り、雪が降り

ジリジリとした陽が照り付ける日が訪れて、


陽が沈み…また昇り…次の朝がやってきました。


その日は、風がとても強く吹いていて

いつもならお日様がサンサンと照り付けているのに

灰色の雲が空を覆っていて、風もどこか生ぬるく吹いていました。


子犬だったチクサも、いつしか一回り大きくなっていました。


けれど、毎日毎日、山道を登っていたせいか、

それとも、また町のニンゲンに棒で叩かれたのか

その体は、以前よりも薄汚れてしまい、女の子が櫛を通してくれたサラサラ毛並みも

すっかり元に戻ってしまっており、ボロボロになっていました。


ここの所、日照りが続いたのか、食べ物を食べる事が出来なかったのか

どこかフラフラと歩いていくチクサの足音が、風の音に消されています。


けれども、チクサは、その瞳の輝きは変わらずに

今日も山道を、町で一番高いところにある場所を目指してひたすらに歩きます。


大きな風が吹き、空腹なチクサの足がもつれてよろけます。

それでも、チクサは真っすぐに前を向き、歩きだします。


「あの子は、初めてボクの事を優しく抱きしめてくれたんだ…

 とても暖かくて、前足も後ろ脚も、ジワっとなって

 痛くないのに涙が出そうになって…だからこんな痛みなんて

 あの思い出があれば、あの子がもう一度笑ってくれるなら…

 全然へっちゃらなんだよ…」


体がワナワナ震えて、もうすっかり足に力も入らないのに

それでもチクサは力強く、山道を登ります。


おおきくビュウと風が吹いて、体がよろけても

チクサの瞳は濁ることを忘れて、一歩、また一歩進みます。


「ボクには何もできないし、この泥の汚れみたいな模様のせいで

 誰からも優しくされなかった、それでもあの子は優しくしてくれた

 だから、せめて、この町で一番高いところで、神様にお願いするんだ…」


チクサは心から願いました。


また、おおきな風がビュウビュウと吹いて

チクサは、とうとう倒れてしまいました。



第八章【大切な名前】


目を覚ますと、そこは見慣れない景色が広がっていました。

どこか分からない場所に居て、何かをずっと耐えている様な気がしました。


あたりは、古い本のページの様な、薄い茶色の絵の具を流したような色がどこまでも広がり

所々に、ペンで描いたような岩や木々がポツリポツリとありました。


チクサは不思議と、ここが、とても寂しい場所だと感じました。

どこまで行っても、この場所には自分ひとりだけになってしまった様な気がしたからです。


「はやく、行かなければいけない所があった気がするのに、それがどこだか思い出せない…」

チクサは怖くなって、ウロウロとグルグル歩き出しました。

けれど、どこに行けばいいかも分からないで居ました。


ただ、風も無く、時間だけが流れました。

耳の奥がシンシンと鳴るのが聞こえるほど、そこには何もなく、

自分の足音すら聞こえませんでした。


どれくらいの時間が経ったでしょうか

目を開けているのか、それとも閉じているのか

呼吸をしているのかどうかさえ、わからなくなるような感覚に包まれました


遠くから、コツ…コツ…コツ…何か音が聞こえてきました。

チクサは、はっとして立ち止まり、必死に音の方向を探していました。


コツ…コツ…コツ…、誰かがコチラに向かって歩いてくる音だとわかり

チクサはピクリとも動けなくなりました。


コツ…コツ…コツ…、足音がチクサのすぐ後ろで止まりました。

ジリジリと嫌な汗が噴き出るのを感じましたが、その不安は直ぐに無くなりました。


「おや、珍しい、こんなところにお客さんが来るなんて」

と、優しい声がして来たからです。

その声はとても柔らかく、春のひだまりの中で

母親に抱きしめられるような安心感がありました。


チクサが、そぉっと振り返ると、そこに一人のニンゲンが居ました。


ニンゲンは真っ白だったであろうコートを、砂ぼこりでくすませて

灰色の大きな帽子を目深にかぶって、そこに立っていました。


「うーん、君はどこから来たのかな?

 本当はここへは私以外来られないハズなんだけれどもねぇ」


ニンゲンがそう言うと、チクサは不思議な気持ちになりました。

このニンゲンの声と言葉は、何故だかとても心地よく

心が安らいでいくのを感じました。


チクサはフワっとした気持ちで答えます。

「分からない…けれども、どこかに行かなくちゃいけない気がするの」


ニンゲンは少し難しい顔をしてチクサに話しかけます。

「そうか、君は、あの子を助けたいと願ってここに迷い込んでしまったんだね

 …あぁ、いや、今は分からなくてもいい、

 行かなくてはいけないと感じた君の心がその証拠だよ

 けれども、まいったなぁ、今の私には、

 君を助けてあげられるだけの力は、もう残っていないんだよ」


ニンゲンがそう言うと、チクサは段々と思い出して来ました。

怖いニンゲンや、優しくしてくれた女の子、

撫でて貰った優しい手、それから窓から見た苦しそうなあの子の顔


「思い出した…ねぇ、アナタはカミサマですか?ボク、助けたい子が居るんです!」


「あぁ、分っているよ…だから、

 それはもう言ったじゃあないか…うーん、でもねぇ、そうだなぁ…」


そういうと、そのニンゲンは少し考え込んでから、こう言いました。


「今の私は君のお願いを、全部叶えてあげる事は出来ないんだ」

それを聞いて、チクサは少し残念な気持ちになりました。


「けれどね、もし君が、私に君の名前をくれたら、そのお願いを叶えてあげる事は出来るよ」

チクサは、一瞬、何を言われたのか分からず、キョトンとしてニンゲンを見上げました。


「うん、だからね…君があの子から貰った名前を、私に譲ってくれたなら

 君の『あの子を助けたい』という願いをかなえてあげる事が出来るんだ…

 それにもし、君が望むなら、これからも、あの子を守り続けることだって

 私が手助けしてあげよう」


チクサは考え込みました。あの子から貰った大切な名前を

例えあの子の為だと言っても、簡単にニンゲンに渡してしまっていいのだろうか。


…けれども、チクサは少し考えてから、まっすぐに、そのニンゲンを見て言いました。


「はい、この名前はとても大切なモノだけれど、あの子が苦しまないために

 アナタが私の願いを聞いてくれるのなら、アナタに差し上げます」


いつもと変わらない、強い気持ちをもった瞳で、ニンゲンを見ました。


「そうか…わかったよ…うん、君の名前は…あぁ、もう分からないかもしれないね」


そういわれて、子犬は自分の名前が分からなくなっている事に気が付きました


「ボクは…ボクの名前は…えっと…」


また、嫌な汗が全身から噴き出るのを感じます。自分の名前が分からなくなってしまう事が

これほど恐ろしい気持ちになるのを、子犬は知りませんでした。

今すぐに叫び出したい様な、自分が誰だか分からなくなってしまうような心地の悪さを感じます。

けれども、ぎゅっと目を閉じれば、あの子が抱きしめてくれた記憶を鮮明に覚えています。


「子犬くん、落ち着いて…大丈夫…大丈夫……」

目を開けると、目の前にはニンゲンが居ました。


「これで君のお願いは、私が叶えてあげられる。大丈夫、あの子はもう苦しまないし

 君があの子を守り続けることだって出来る様になった。大丈夫…だから今は少しだけお眠り」


心地よい声が頭の上から降って来て、そのイキモノはようやく、

自分の願いが叶ったのが分かりました。


そのまま、意識がずっと下の方に、

柔らかく落ちていきます。


本当に久しぶりに、安心出来た様な気がしました。


「後は任せて、大丈夫、今はただお休み…」


柔らかな声が、また聞こえた気がしました。



最終章【終わりの話】


今よりも近くて、遠いほどに昔

山の上の、一番高いところに、ひっそりと神社が建っています。


その神社には、有名な狛犬の像が、

胸を張り優しい瞳をたたえて、今日も立っています


その狛犬の像の背中には泥の汚れの様な、

いえ、美しい勾玉の様な模様があったそうです。


[終幕]


どろんこワンコ、神様に

心の底からお願いしてさ

あの子の笑顔を守ったよ


どろんこチクサ、朽ちた草

拾って産まれた、土の中

優しい光を宿す身に、優しく咲いた夏夜花(なつよばな)


…おしまい。

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【ご依頼実績】ご依頼者様より公開許可有・転用・利用不可 山羊の卵 @izo_siymu

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